ありふれた日々、変わる日常

空薬莢

本編

ありふれた日々、変わる日常



《Ⅰ》



光が優しく、起きろと訴える。

(朝か……早く起きねぇと……)

気力を振り絞り、目を開こうとした瞬間――

「起きろー♪」

元気な少女の声と共に、

「へぶっ!?」

腹に衝撃が奔る。

(アイツだな……起こすなら、普通に起こせよ……)

俺は衝撃の原因を瞬時に理解する。

女の子が起こしに来たからといって、狸寝入りを続けるわけにはいかない。

予想が正しいならば、継続的なスタンプの洗礼が待っている。

良いマッサージになる、とかほざいていた友人はただのドMだ。

当然ドMの気など無いので、目を開けると、一人の少女が顔を覗き込んでいた。

綺麗に整った顔、鳶色の大きな瞳。肩までのショートヘアは亜麻色。華奢な身体を灰色の

ブレザーとコバルトブルーのプリーツスカートに包み、俺の腹にしゃがみこんでいる。

「おはよっ、硝。朝ごはん出来てるって♪」

水橋 咲。16歳。俺の幼馴染み。

「咲……一つ言わせてくれ……」

「なーに?」

「……腹の上に乗るな」

重くはないが、内臓が圧迫されていることに変わりは無い。

「あ……ゴメン」

済まなそうに咲が腹の上から退き、

「なんで普通に起こさないんだよ……」

俺は腹を擦りながら、ベットから起き上がる。

「ほら、着替えるから出てってくれ」

「分かった。下で待ってるね~」

咲が部屋から出ていく。

「ハァ……」

足音が遠ざかっていく中、人知れず溜息を吐き、クローゼットから灰色のワイシャツと

コバルトブルーのスラックスを取り出す。

寝巻きを脱いでワイシャツを羽織り、コバルトブルーのスラックスを穿き、通学用の鞄

に教科書等をブチ込んで、俺は部屋を出る。

僅かに漏れ聞こえる咲の声を聞きながら居間に入ると、

「おはよ~。お兄ちゃん!」

元気の良い妹の声が聞こえた。

笹倉 奈々。14歳。

一部のヲタクが泣いて喜ぶ、黒髪ロリの少女だが、少々ブラコン気味である。個人的には面倒なだけだが。

「遅いよ~硝。朝ごはんが冷めちゃうよ~」

「そうだな」

咲に急かされ、食卓に着く。

何でか知らないが、咲はウチで朝食を食っていく。自分の家で食ってこいよ、と常々思っているのだが、改善される気配は無い。

その事にうんざりしながらも朝食のメニューを確認すると、今日はトーストとサラダ。――――というか、ここ二週間、トーストとサラダが続いている。まぁ、三日おきぐらいでドレッシングは変えるし、もう慣れた。

テーブルに置かれたピッチャーからコップに牛乳を注いでいると、奈々も席に着いた。

三人揃って『いただきます』を言い、朝食にありつく。

バターが香るトーストにオニオンドレッシングをかけたサラダを挟み、齧り付く。

(うん。今日も美味い)

しばらく咀嚼音だけが居間に響く。

「ところでさ、お兄ちゃん」

そんな中、沈黙を破る奈々。

「なんだよ?」

朝食の途中、奈々が話しかけてきた。

「最近……寝坊、多くない?」

「あ―……確かにな」

原因は分かっている。

妹のせいだ。

「早起きは三文の徳だよ~お兄ちゃん~」

「……それには私も同感かな」

二人揃って、俺に早起きを要求するか。

早起きについては、正しいのは分かる。分かるが、奈々。お前のせいで寝不足なんだが?

「ま、なんにしても赤点とか採ってちゃ駄目だよ、お兄ちゃん」

先に朝食を食べ終わった奈々が席を立つ。

「早々とらねぇよ」

お前の邪魔が入り過ぎなければな。

その背中に言葉を返し、トーストの一欠片を口に放り込む。

さて、他の用事を済ませて身支度の続きだな。

俺は席を立って食器を洗い、自室に戻った。


「だいぶ寒くなってきたね~」

数分後。

俺と咲は余裕を持って登校中。

代わり映えのしない通学路。

肌寒さだけが変化を伝える。

「……そうだな」

一応、咲に同意を示しておく。こうしておかなければ、後々面倒だからだ。

(……寒くなった、か)

確かに、寒さが目立つようになってきた。

秋の訪れって事なのだろう。

ほんの少し前まで、残暑が残っていて、帰宅と同時に風呂場に直行する毎日だったのに。

季節の移り変わりは激しいものだ。

「――。――?」

しかし、秋という事は忙しくなるな。

「――っ」

中間テストも終わり、そろそろ文化祭の準備も本格化する頃。

今年の出し物は何になるのやら――

「硝っ!」

「うおっ!?」

いきなり耳元で怒気をはらんだ咲の声が響く。

止めろよ。鼓膜が破れたらどうする。

「さっきから俯いて……私の話、聞いてたの?」

「いや。全く聞いてない」

「さらっと言わないでよ……」

返答を聞いた咲が気分を落とす。

悪いことをしたようだ。

「……で、結局のところ、話の内容は?」

「もういいよ……早く学校行こっ!」

そう言って、咲は駆け足で学校に向かう。

「……何なんだよ……」

俺は頭を掻き毟り、早歩きで咲を追う。

女子ってのは――よくわかんねぇよ。

感情の起伏が大き過ぎる。――まぁ、一概に全ての女子、女性がそうとは言えないんだが。

などと思いながら歩くこと数分後、咲に追い付く。

「急に走り出すなよ。心臓に悪いだろ?」

「ゴメンゴメン。……急に走りたくなって」

知らぬ間に、咲の機嫌が直っている。どういう事だ?

「相変わらず、朝から熱いな、お二人さん」

「そんなんじゃねぇよ……」

背後から聞こえた声に答え、振り返ると――

180を越えるブレザーを着込んだ巨漢がいた。

正直、制服があまり似合っていない。

「殉か。朝から冷やかさないでくれ」

この巨漢の名は厄島 殉。俺の友人――もとい、悪友の一人。

「あ、殉。おはよ」

「……あぁ、おはよう。咲」

挨拶を交わし、俺達は三人揃って歩き出す。

「お前にしては早いな。……何かあったのか?」

しばらく間をおいて、俺は殉に問う。

いつもは始業10分前ぐらいに来る。

それが今日は、俺達と同じ時刻。この調子で行くと、40分前に教室に着く。

「偶然、4時起きしちまってよ……二度寝も出来ず、早めに出たんだよ……」

「昨日、何時に寝たんだよ……」

「9時だ」

小学生辺りまでの良い子の寝る時間。

「だからだよ。平均より三時間も早いじゃねぇか。……本当にどうした?」

何か悪いモンでも食ったか?――いや、殉に限ってありえねぇ。コイツの身体は異常なまでに頑丈だ。

「メール打つのに疲れて寝てた。……朝起きたら、心配を表すメールが着てた」

「……それも珍しいな。……で、もうすぐ来んのか?」

「あぁ」

と、殉が言った直後、

「10分前」

殉の背後から抑揚の無い少女の声。

「相変わらず早いな、雪崩」

「……頼むから背後から現れないでくれ。心臓に悪い」

少女の声に殉はげんなり。

「無理」

それに答え、俺達の前に色白の少女が現れる。

――雪崩 氷華。16歳。

無口、無表情。混血なのか、髪と皮膚の色素が薄い美少女。

人形じみた容姿故に男子からの人気は高いのだが、前述の性格の為、話しかけても無視されるだけ。

交際に持ち込んだのは一人いるが、

「だよなぁ……」

殉だったりする。

「……どうしたの?」

僅かに首を傾げ、雪崩は殉の顔を覗き込む。

「……いや、なんでもねぇ。早く学校行こうぜ」

「そうだな」

「そーだねー」

「?」

いつものメンバーが揃い、学校へと向かう。



――公立 村崎産業高等学校。


それが俺達の通う学校の名前。

生徒数は500人程度。学科は機械科、電気科、服飾科、農業科、商業科に普通科の六学科。

就職率に定評がある他は、これといって特色の無い、普通の専門校だ。


――で、今はLHR。

行われていたのは――

「では、学級会議を始めよう」

2-C組の教室内。

壇上に仁王立ちした、学級委員の声が響く。

「知っての通り、2ヶ月後に文化祭が予定されている。そこで、2-C組の出し物を決めたいと思う。

唐突で済まないが、何か案のある人いないか?」

そうそういないだろ。

いたとして――

「はい。喫茶店がいいと思います」

なんて所が関の山。……そして、決まり文句のように、

「ならメイド喫茶にしようぜ!」

野次馬達が下心を露にする。

「反対でーす」

「下心しか無い男子達の意見なんて却下してください」

当然、女子は侮蔑の表情を浮かべ、反対の意を示す。

「反対の意は了承した。では、代替案はあるのか?」

学級委員の質問に対し、大部分の女子が黙る中、

「うーん……画展、とか?」

咲が意見を述べる。

「画展?――絵を飾るってか?つまんねぇよ」

「大体、絵なんか見に来るやついるのかよ?」

「いねーよな!」

「俺は〇〇〇〇のイラストとかがあんなら賛成だ」

今度は男子がつまらなそうに反対し、

「別に良いと思うけど?……咲、美術部だし、絵上手いし」

「私はさんせー」

女子達は賛成する。

『俺達は認めない!画展なんてやるだけ無駄だ』

「やるだけ無駄?寝言は寝てから言いなよ」

だが、それが火種となってか、男子と女子で口論に至る。

(……またかよ)

このままだと去年みたいに、ギリギリまで決まらねぇな。多分。

「おい、硝。なんでテメェは知らん顔してんだよ!アイツらを丸め込めよ!」

「ふざけんな」

話を振ってきた男子に俺は怒気を返す。

女子を丸め込めと?できるかよ。

反対意見のドッジボールを続けること自体が不毛だと気付け。

「チッ……スカしやがって。――笹倉君は代替案があるって言ってまーす!」

「なっ!?野郎っ……」

汚ねぇ報復しやがって。

「そうか。発表してくれるかな?」

野郎の目論み通り、指名されてしまう。

(クソッ……何かねぇか……って、考えるまでもねぇか)

一応、纏めておいた意見を述べるしかない。

「……雑貨屋的なモンでいいだろ?簡単な射的やらボーリングとかなら、男子にもウケる。女子の方の意見としてある画展は、ゲームの景品、或いは画展コーナーを設ければいいし、それ以外にも、同人誌やら縫いぐるみも販売できる。……どうだ?」

俺が意見を述べると、

「……いいんじゃね?」

「そうだな。なんで先に言わねぇんだよ、硝!」

「お祭りだしね。出店的なのはなくちゃ!」

「異存なーし!」

クラスメート達は一斉に賛成の意を示す。

「2-C組の出し物は決定したな。次に詳細についてだが――」

以降、話し合いは順調に進み、無事に出し物の内容を決めてLHRは終了した――



《Ⅱ》



厄介事なんてものは突然やって来る。

「なぁ、硝」

「なんだ?」

翌日の放課後。

場所は――

「なんで、俺達は共用工作室にいるんだ?」

「俺に聞かれてもなぁ?」

共用工作室。美術部――正確には美術工芸部兼文芸部らしい――の活動場所。

確かに、未所属の殉がいるのはおかしいな。俺は工芸班だから、だが。

その証拠のように、

「おぅ、硝。遅かったなぁ」

「ちょっと現国の教師に頼まれ事されてな。そっちの製作は順調か?」

話しかけてきた男子と言葉を交わす。

「まぁまぁかな。……で、そっちの巨漢は?」

「2-Cの厄島 殉だ。なんでか知らねぇが、呼ばれたんだよ……」

「厄島、ね。俺は美術部文芸班の門倉。よろしく」

「あぁ。よろしく」

門倉と殉が握手を交わした直後――

「あ、硝。待ってたよー」

和やかな雰囲気をブチ壊すように、咲の声が響く。

声のした方向を見ると、工作室の隅でイーゼルを立てて、白紙のキャンバスに向き合う咲が見えた。

「用事はなんだよ。こっちも作品製作があんだからよ……」

あんまり進んでないし。

「いや、用事があるのは私じゃないんだよ」

「……じゃあ、誰だよ?」

「私」

いつのまにか、背後に雪崩が立っていた。

「雪崩か。で、用事は?」

「もう済んだ。ありがとう」

それだけ言うと、雪崩は殉のところに歩いていく。

……そういう事かよ。

なんとなく、事情を察した。

(……彼氏を美術部に引きずり込む気か)

俺としては構わない。殉は工芸班に入りそうだし。

「そういえばさぁ、硝」

用事が済んだので帰ろうとしたら、咲に声をかけられる。

「……用事は無かったはずだろ?」

「思い出したんだよ~」

酷い理由だ。

「で、用事は?」

「今週末、空いてるよね?」

「空いてるな。……というか、いつも空いてる」

特にやる事が無いからな……勉強と筋トレぐらいしか。

「よかったぁ~。じゃあ週末、四人で遊びに行こうよ」

「四人?……あぁ、いつものメンバーか」

「そ、詳しくはメールしとくから☆」

咲はそれだけ言うと、キャンバスに向き直った。

(……なんだかなぁ……)

頭を掻きながら、準備室に入る。

いつものように作業着に着替え、制服を用意された部員用ロッカーに入れて、工具箱を取り出す。

そして、加工途中の木材を持って、準備室を出る。

「様になってるじゃねぇか」

出た直後、殉に話しかけられる。

「そうでもないさ。……で、そっちの用事は済んだのか?」

「あぁ。……入部届け、出してきた」

「理由は?」

予想通りではあるが、どんな理由なのか。

「工芸班があるっていうじゃねぇか。俺も混ぜろよ」

……殉らしい理由だ。

「ひでぇ本音だな。だけど、殉の作業着はねぇよな……」

工芸班は作業にもよるが、作業着が必須。

だが、殉は授業用以外の作業着を持っていない筈だ。

――なんて俺の不安はあっさり砕かれる。

「ついさっき氷華に貰った」

「……は?」

用意が良いな、お前の彼女。

「ロッカーの番号も聞いたしな。着替えてくるわ」

そう言って、殉は準備室に入っていった。

「……製作、始めっか」

呟き、空いている工芸班共用作業スペースに移動する。

「おぅ、硝。重役出勤だな」

「作業中に余所見するなよ、亮」

「全くだぜ、亮。文化祭に間に合うのかよ?」

「その言葉、そっくりそのままお前に返すぜ、彰太」

「なっ!?……許可がおりねぇだけだ」

「……大丈夫か、お前ら……」

「「正直、かなりヤバイ」」

――なんて、同僚達と話ながらも、木材に罫書きをする。

数分後、罫書きが済んだ頃に、真新しい作業着を着込んだ殉がやって来る。

「お、新入部員か――って、殉かよ」

「入部動機はなんだ?……女か?女なんだろ?」

「お前ら……殉は彼女持ちだぞ」

独り身達の徒党には加わらないと思うが?

「「勝ち組っ!?」」

「喧しい」

無駄に騒ぎ過ぎだよ、お前ら……

と、思いつつ俺は工具箱から鋸を取り出し、木材の加工を始めた――


二時間後――

部活を終えた俺は、暗くなった通学路を歩く。

もっとも、一人ではなく、咲と二人だが。

「今日も疲れたねぇ~」

その咲はというと、大して物が詰まって無さそうなリュックを背負って、ダラダラ歩いている。

「作品製作か」

「そうだよ……今日も思い付かなかった~……」

気怠げに咲が答える。

確かに、俺が確認した時は白紙だったな。

しかし、今日“も”か。

文化祭まで後、1ヶ月弱。

頑張らないとな……。

「ところでさ、硝」

「なんだ?」

「ノート貸して」

「自分で解け」

他人の解答を写したところで自分の糧とはならない。

「酷いよぉ……」

と、落ち込む咲がどことなく、可愛く見えた。

(…………なんだと?)

俺は今、咲の事をどう思った?

可愛い?……冗談だろ?

見なれ、見飽きてどうでも良くなった筈だ。

(気のせいだ……絶対に気のせいだ)

「硝……どうしたの?」

「ん?あぁ、わりぃ。考え事してた」

咲に声を掛けられ、我に帰る。

「もう、着いたよ?」

「そうか。じゃあな」

「うん。また明日」

別れの挨拶を済ませ、俺達はお互いの家に帰宅する。

「ただいま」

そして、帰宅した俺を待っていたのは――

「お帰り、おにーちゃんっ!!」

駆け足でこちらに向かってくる奈々。

抱き付くつもりか。

過去の経験上、奈々は抱き付くと、三十分は離れない。

(勘弁してくれ……)

目前まで迫った奈々をサイドステップで避け、肩をつかんで止める。

「疲れてんだ……そういうのは止めてくれ」

「その疲れを癒やす為にしたんだよ!」

「癒えるどころか精神的疲労の追加だ」

「精神的疲労?どういう事?」

俺の返答に小首をかしげる奈々。

「……言った俺が馬鹿だった。素でボケてくる事を考慮していなかった……」

言葉を返す気力すらも削られ始めてきた。

クソッ。相当疲れてるのか……基本的な妹の特徴すら、ド忘れするなんて。

と、思った直後、携帯から着信音。

(……メールかよ)

未だにハグしようとする奈々のデコを押さえながら、メールをチェックする。


from 水橋 咲


――工作室で言った事、覚えてるよね?

土曜日の9時半、駅前の公園で待ち合わせだよ♪

んじゃ、また明日~。


咲からのメールだった。

(土曜日……明日じゃねぇかよ)

前日にそういう事、取り決めんなよ。

というか、よくあの二人が快諾したな!

(……て、よくよく考えれば、殉はノリが良いし、雪崩は甘える時間はたくさんあるから大丈夫、とか

言ってたな。やっぱりノリも良いし)

元々、大丈夫じゃないか……。

(……飯と風呂、済ませて寝るか……)

久し振りに休日、アイツらと散策するんだ。ゆっくり身体を休ませよう。

奈々をリビングに押し込み、俺は自室に入った。



翌日。午前九時。

「早く来すぎたな……」

駅前の公園内。

俺は手頃なベンチに腰掛け、耳にカナルタイプのイヤオンを突っ込んで、洋楽を

聴いていた。

因みに、パーカーフードにカーゴパンツという、野暮ったい服装でだ。

(……しかし、今日は珍しいな。咲が起こしに来ねぇなんて)

てっきり、六時ぐらいに内臓をシェイクされるかと思ったのだが。

何故だろうな。

(……って、考えてもわかんねぇか)

思考を放棄し、のんびり空を眺める。

蒼穹。

疎らな雲達がダンスをするかの如く、絡み合う。

(案外、面白いものだな……)

そのまま空を眺めていると、

「おーい、硝。何、空眺めてんだよ」

横合いから殉の声が聞こえた。

「……早く来すぎたからな」

言葉を返し、ベンチから立つ。

あっという間に三十分が過ぎたらしい。

「爺くせぇな。お前、すぐにハゲんじゃねぇか?」

すると、俺の横に、作業着らしきベストにチノパン姿の殉が立っていた。

……どことなく、大工の親方に見えるのは気のせいか。――きっと気のせいだ。そうに違いない。

「大丈夫。……硝の好物……海藻類、だから」

抑揚の無い声と共に、殉の背後から落ち着いた色のロングワンピとジャケットを着込んだ雪崩が顔を出す。

「何故それをっ!?」

俺は雪崩の言葉にワンテンポ遅れて驚愕。

確かに、俺の好物は海藻類や魚介類。

爺くせぇから殉にすら話していない。知っているのは、両親と奈々ぐらいのはず。

――という事は……。

(……奈々め。バラしたな?)

だからといって、ジャーマン・スープレックスをかける気も無いが。

「海藻類?……あぁ。旨いよな、茎ワカメ」

「……殉。お前はイカソーメン派だろ?」

などと、爺くさい話題に派生する。因みに、どちらも一般的には酒のツマミだ。

「ところで、咲が来ねぇな」

(寝坊か?)

いや、アイツに限って有り得ない。

そう思った矢先――

「遅れた~……」

フード付きジャンパーとフレアスカートを着た咲がやって来る。

「随分遅い。……何かあった?」

「作品の構想練ってた……」

真面目になったもんだな。……って、締め切りは三週間後だったか。

(俺の方も頑張らねぇと)

のんびりやってると間に合いそうにないし。絵とは別の意味で時間がかかる。

「で、何処行くんだ?」

行動は早めの方が良いので、俺は咲に問う。

「うーん……私はゲーセンかな。……氷華ちゃんは?」

「…………ジャンク屋」

「は?」

雪崩の意見に、咲は疑問符を浮かべる。

(またか……)

一方で俺は雪崩の目的を察する。

横目で殉を確認すると、こちらも察したようだ。

(希少金属とか、機材のジャンクを探すつもりだな……)

意外な事だが、雪崩の趣味はジャンクパーツからPC等の機械を製作する事だ。

その為か、俺や殉は荷物持ちとして、散々ジャンク屋に行かされた経験がある。

――見返りに、小型ハイスペックのノートPCを組んでくれたりしたけどな。

だから、ジャンク屋については問題無い。

「いや……氷華ちゃん?なんでジャンク屋?」

困惑しているのは、咲だけか。ジャンク屋に行った事が無いだろうから、当然だが。

「………………駄目?」

小首を傾げる雪崩。

「駄目って……そういう訳じゃないけど……硝はどう思う?」

「どうって言われてもな……。俺的には何処でもいいんだよな」

「じゃあ……殉は?」

「俺に聞く方が愚問だろ……。ジャンク屋は楽しいぜ?」

疑問形で殉が答えた直後、

「賛成2、保留1、反対1……。ジャンク屋に決定」

静かに結果を述べる雪崩。いつの間に多数決が行われたのだろうか。

「ちょっ!?勝手に決めないでよ!」

結果に納得していないらしい咲。その姿を見て、

「勝手でもねぇだろ……」

俺は呆れ――

「ほら、昼飯時までに一軒は行きてぇしな。ジャンク屋は楽しいから。な?」

殉は咲を宥め――

「…………出発」

雪崩が静かに呟き、殉の手を握って歩き出す。

「置いてくぞ、咲」

雪崩と殉に続いて歩き出す前に、咲に一声かけておく。

「……分かったよ~」

腑に落ちていない様子で咲は答えて、俺に近付き――

(っ!?)

手を握る。

ある種の心地いい温もりが伝わる。

――って、何故握った、咲。

別に握らなくてもいいだろ?

「……追わなくていいの?」

「わりぃ。なんか気が動顛してた」

今は考えない方がいいか。

俺は咲に手を握られたまま、殉と雪崩の元に向かう。

「……やっとその気になったか、硝」

追い付くなり、嫌な笑みを浮かべる殉。

「何の事だよ?」

疑問を返すと、殉が耳元で囁く。

「惚けんなよ……咲と付き合う事にしたんだろ?」

「……違げぇよ。変に勘ぐるな」

「なんだよ……つれねぇな。そんなじゃ幸せな家庭を築けねぇぞ?」

「何年先の話だよ……」

最低でも、五年ぐらいは先の話じゃねぇか。

それよりも就活の方が先だろ?もうじき第一回の模試だし。

「……到着」

小声で口論しているうちに、ジャンク屋に着く。そういえば、駅から近かったな。

「ここが?…………老舗っぽいね……」

店を見た咲は畏縮している。

無理もないか。……店先にまで、ジャンク品が堆く積まれているのだから。

「怯える必要なんか無いぜ?店主もいい人だし、いかがわしいヤツは……奥の方だし」

「……先、行く。……硝。……必要になったら呼ぶ」

「あぁ。わかった」

そそくさと店に入っていく殉と雪崩を見送り、いまだに畏縮する咲へ目を向け、

「物色してくるか……」

と、言って入店。

「え、ちょっと待ってよー」

慌てて、咲もついてくる。

入店して最初に出迎えるのは、膨大なPCのジャンクパーツ。

(うーん……目ぼしいのは無いな……)

パーツ群のジャングルを抜け、店の奥に着くと、店主と雪崩が談笑していた。

「あの人が…………店主さん?」

少し遅れて、俺に追い付いた咲が、目の前の状況を見て聞いてくる。

「そうだ」

雪崩と話している店主は、某モヒカンレスラー顔負けのガチムチ体型にスキンヘッド。

デザートデジタル迷彩のカーゴパンツに黒のタンクトップで、丸太の如き腕が剥き出しだ。

「……本当に?」

「本当。外見は怖いけど、優しい人なんだよ。……怒らせるとマジでヤバイけど」

直後、店主が俺と先の方を向く。話し声で気付いたらしい。

「よぉ、硝。……そして初めまして、お嬢さん。ゆっくりしていきなよ」

相変わらずの、外見に似合わない柔和な笑みだ。

「で、雪崩ちゃん。今日は何を求めて来たんだ?」

「タングステン50㎏」

おい、雪崩。俺を殺す気か。

「HAHAHA!冗談キツいよ?」

笑って答える店主。但し、目は笑っていない。

「冗談。……回路用基板を20枚と64bitのCPUを5個。後はカーボンナノチューブを3㎏」

「あいよ……すぐに準備するから待ってろ」

注文の品を取りに行く為に、店主が倉庫の中へと消える。

「……どうだ、咲。楽しんでるか?」

入れ替わりで殉が現れ、咲に笑いかける。

「……いや、まだ……混乱中……」

「まぁ、最初はそんなもんだ。……慣れれば楽しいぜ。な、硝」

「まぁ、そうだな」

履修科目のせいもあって、意外と楽しかったりする。ただ、工具やら鋼材やらを眺めるだけなのに。

――と、いうところで店主が戻って来た。

「待たせたな、雪崩ちゃん。合計で〇〇万円だ」

「……冗談だよね?」

店主の口にした金額に、咲が目を丸くする。

「冗談じゃない。……はい」

「毎度あり!また来てくれよ!!」

表情を変えず、雪崩が支払いを済ませ、素材を受け取り――

「……次、どこ行く?」

そのまま、ジャンク屋を出る。

「……ゲーセンはパスだな。補導されるぜ、きっと」

休日はそこら辺の警戒も厳しくなるな。普通。

「十二時半か……」

昼飯時。

飲食店はどこも混んでいるはず。

「昼飯時だよなぁ……」

「どこも混んでるだろうな」

俺と殉は顔合わせ、溜息を吐く。

「……混まない店、行く?」

横槍気味に呟かれる雪崩の提案。

「…………あの店か?」

俺には、その店に心当たりがあった。恐らく、間違っちゃいない。

あの店は一部のマニア向けだ。これ以上、咲を混乱させるのは不味いな……

「そういえばお腹すいたねぇ~。……混まないなら良いじゃん。そこ行こ!」

――だが、俺の心配などいざ知らず、対処する前に、咲が自ら地雷を踏みやがった!

「……止めるか?」

小声で殉が聞いてくる。

「…………諦めよう」

何事も経験だ。

「そうか。困惑する咲を眺めてニヤニヤするのか?……サディストめ」

「……しねぇよ。あそこの飯は不味くねぇだろ?……見てくれがアレだったりするが」

俺はサディストじゃないはず。

でも、困惑する咲を見てみたいと思っている自分がいた。

自信がなくなってきたなぁ、と思った直後、

「おいてくよー?」

咲の声が耳に届く。――20mほど先に咲と雪崩が移動していた。

「……行くか」

「あぁ」

俺と殉は二人を追って、走り始めた。




《Ⅲ》



数時間後。

夕方になり、各々が帰路に着く。

とはいえ、俺と咲はお隣さん同士。帰路は同じ。

お互いに差異はあれど、疲労している。

(今日の夕飯、なんだろうな……)

できれば、マトモな物が良いな。……少し前は、ノリでキビヤック(エスキモーの料理。アパ

リアスという渡り鳥を肉を抜いて皮下脂肪のみにしたアザラシに詰め込み、冷暗所でじっくり熟

成させた物。発酵した内臓や肉を賞味する。尚、ビタミンが豊富)が出されたしな……。いつ作

った、奈々。

なんて考えていると、咲が話しかけてきた。

「あ、硝。今日、泊まっていい?」

「……唐突だな。理由はなんだよ?」

「うーん……気分転換?」

曖昧すぎる理由だった。

「せめて飯食ってくだけにしてくれ」

俺は呆れ混じりに、言葉を返す。

「えぇ~……」

「普通に駄目だろ?同性ならまだしも、異性だしな」

俺とて、男。いつ、本能が出るかなんて分からない。

できれば、避けたいことだ。

「硝と私の仲じゃん!」

「ふざけんな。お前の為を思って言ってんだ」

ピルとかの世話になりたくないだろ?俺だって後味が悪い。

「私の為?」

「……一生を台無しにしたくないだろ?」

少し冷めた口調で返す。すると――

「むぅー……そこまで言うなら仕方無いね」

渋々ながら、咲は了承した。

(やっと折れた……)

俺は愛用のスマートフォンを取り出し、電話で奈々に咲が同席する事を告げる。

奈々は二つ返事で快諾。

そして、通話を終えると同時に、家に着く。

奈々の出迎えもそこそこ、俺は自室に向かった。


数分後、部屋着に着替えて居間に入ると、既に夕食が出来ていた。

(……当然か)

現在は八時半。

普通の家庭なら、とっくに夕飯は終わってる。

「早く早く!」

「分かったから落ち着け」

咲に急かされつつ、席に着く。

「今日は、アクアパッツァだよ~」

「マニアックな料理を」

同時に運ばれてきた料理はマトモなだったが……

なんで、イタリア料理?

因みに、アクアパッツァは魚介類(白身魚や貝類)をトマトとオリーブ等と共に、白ワイン、水で煮込んだ

もの。

普通の家庭では、まず出ないものだろう。

と、思いつつ席に着き、テーブルに置かれたピッチャーから牛乳をコップに注いだ。

しかし、毎日牛乳だよな。

カルシウムが重要なのは認めるが、増強されるのは骨とそれに付随する形で身長。

恐らく、お前が求めている部位は増強されないぞ?

……まぁ、面と向かい合って言いはしないが。寸勁(中国拳法の技の一つ。少ない力で最大限の撃力を発生させる技)を食らうだろうし。

『いただきます』

約一分後に始まった、兄妹と幼馴染みを含めた三人での夕食。

暫くは、俺達は無言で食事をしていたのだが――

「文化祭って、一ヶ月後だよね、お兄ちゃん?」

沈黙を破ったのは奈々。

「そうだが……お前は来るんだろ?」

「当然!うんざりしながら美術部の受付をしてる、お兄ちゃんを見にね!」

「……そうか」

あとで四の字固めだな。

「し、しないよ。しないからね、お兄ちゃん。……だから殺気出さないで……」

と、無言の殺気を感じたらしい奈々が若干、涙目になる。

「硝……やめてあげなよ」

咲を可哀想に感じた咲に宥められ、俺は殺気を収める。

「ま、それはそれとして、お兄ちゃん」

「なんだよ?」

唐突に話を変える奈々に、嫌な予感を感じる。

「お兄ちゃんは彼女、作らないの?……殉先輩は恋人いるのに」

予感的中。

「……作れねぇよ。多分」

今は作品製作に集中したい時期でもあるし。

「勿体無いなぁ……。お兄ちゃんは運動できて、そこそこ頭も良くて、カッコいいのに……。

夏休みも“浮いた”事、無かったし」

「そうだね。硝、カッコイイのに……」

「あのなぁ、お前ら……夏休みに恋が芽生えんのは、エロゲーの中ぐらいだ」

奈々の妄言と咲の呟きに、溜息を吐く。

ゲームと現実は違う。

現実の恋はエロゲー程簡単じゃないし、リセットボタンなんて便利な物も無い。

グッドエンドなんて、夢のまた夢。……友人は、そのグッドエンドを引いたわけだがな。

「そうでもないよ。お兄ちゃんなら、絶対に恋人作れると思うよ。……もし、出来なくても、私がお兄ちゃんの

彼女になれば良いだけだしね♪」

「それだけは止めてくれ。俺が終身刑を食らう」

「そうだよ!近親相姦なんて駄目だよ!」

二人揃ってツッコミを入れる。

法律には勝てない。それもまた、現実だ。……エロゲーじゃ、普通に実妹や義妹が攻略対象に混じってるがな。

「冗談だよ。……でもさ、文化祭を一緒に楽しめる女の子、見つかると良いね」

奈々は笑顔で言い、食事を再開した。

再び訪れる、静寂の食事風景。

(……恋人、か)

食事を続けつつ、俺は思う。

今まで、恋人なんてどうでもよかった。作る気は無かったし、作れるとも思ってなかった。

だから、いつか出来るだろう。

そう、楽観的に思っている今の俺。

“いつか”なんて言葉は“永遠に”という言葉のついた否定と諦めに等しい。

高校生活、一度きりの青春――――大切なそれらを俺は捨て去るのか?

確かに奈々の言う通り、勿体無いかもしれない。

(……とはいえ、あと一ヶ月とちょっと。……出来るのか?)

好きな女子を見つけて、仲良くなって――二人で文化祭を楽しむ。

到底できるとは思えない。

――だけど、

(出来るのか?、じゃない。やってみるしかないんだよな)

大したリスクは無い。フラれても、数ヵ月の心の傷を負うだけ。

一生で言えば、軽過ぎるリスク。――いや、リスクのうちにも入らない。

だいたい、リスクを恐れるなんて馬鹿だよな。

代償の無い選択なんて、前進じゃない。後退なんだ。

作品製作と恋愛。

やれるだけやってみよう。

そう、決意を固めた直後、

「ふふっ、真剣なお兄ちゃん♪」

「茶化すなよ…………」

先に食べ終わった奈々に茶化された……

「さ、デザートもあるから♪」

「デザート!?やった!」

咲がデザートという言葉に表情を明るくする。

(……どうせプリンだの、ゼリーだの、その辺りだろ)

と、いう俺の考えは、次の瞬間、粉砕される。

「今日のデザートは、《カンノーリ》だよ♪」

そうきたか。

カンノーリとは、イタリアのお菓子。正式にはカンノーロといい、小麦粉ベースの生地を薄くのばし、正方形に切って

から筒状にして低温で揚げた皮の中に、甘みをつけたリコッタ・チーズにバニラ、チョコレート、ピスタチオ、マルサラ酒

(シチリア地方のワイン)、ローズウォーターやその他の風味のいくつかをまぜ合わせたクリームを詰めたもの。

メインがイタリア料理なら、デザートもイタリアのお菓子というわけだ。飲み物が牛乳というのはナンセンスだが。……

って、俺達は未成年だからワインは飲めないな。

「甘くて美味しいよ~」

運ばれるなり、がっつく咲。

幸せそうな顔をする。

つられて俺も一口、齧るが――

(甘っ!!)

無茶苦茶甘い。

奈々、お前……イタリアの方のレシピで作ったな?

舌が痺れるだろうが!

だが、咲と奈々は美味しそうに、カンノーリを食べ続ける。

甘い物は乙女の特効薬とか聞くが、これは度が過ぎる。……というか、お前らの味覚、大丈夫か?

「硝、食べないの?じゃあ、貰うよ~」

思案に集中していると、俺の食いかけのカンノーロを咲に奪われる。

「甘ぁ~い」

破顔。

嬉しそうでなによりだ。……だがな――

せめて考える時間ぐらいくれよ!

「咲。そのカンノーロ、オリジナルの方だから、カロリーがヤバイぞ?」

忠告。

「え?」

肝心のカンノーロを咥えたまま、固まる咲。

俺の横で小さく舌打ちする奈々。

(コイツ……良からぬ事考えてたな?)

どうやら、腕ひしぎと四の字固めが必要そうだ。

「さて……奈々――って、逃げやがった」

早速、灸を据えてやろうとしたが、既に奈々はいない。

相変わらず逃げ足と、俺への異常なまでの愛と、料理の腕だけは折り紙付きだな。

リビングに残された俺と咲。

「……食べちゃった物は仕方ないや。……御馳走様。じゃ、バイバイ硝」

ほどなくして、カンノーロを食いきった咲も帰っていく。

俺は咲を見送り、皿洗いを終えて自室に戻った――


二週間後――

放課後の作業室。

美術部の面々は今日も、作品製作に勤しんでいる。

かくいう俺も――

「ふぅ……」

削りカスを払い、加工部を確認する。

……まだ、粗が目立つな。もう少し、削ろう。

細目の鑢を手にし、研磨作業を再開。

数分鑢をかけた後に、削りカスを払って、再確認。

今度は問題無し。

(後は……組み立てか……)

加工台の隅と袖机の上には、加工を終えたパーツが並んでいる。

そのパーツを組み上げ、作品を組み上げると同時に、時計を見ると午後七時半。

(そろそろ帰るか)

準備室に入り、着替えと作品の保管を終えて退出すると――白紙のキャンバスに向き合う咲を見つけた。

画材道具やキャンバスを片付ける生徒達の中で、ただ一人キャンバスに向き合い続ける咲。

(……どうしたんだか……)

少し不安になり、俺は咲のもとに向かう。

「どうしたんだ?」

「あ……硝……。決まらないんだよ~……」

ぐったりする咲。

まだ、白紙のままだと?確か、絵画班の締切って……二週間後じゃなかったか?

ヤバイじゃねぇか!

「でも、もう終わりなんだよね……。先に帰ってて。すぐに追い付くから」

「あぁ……」

何故か俺は力無く返答し、工作室を出て、

(アイツ、辛そうだな……)

廊下を歩きながら思う。

気分転換してもアイデアがでなかったか?

だとしたら、今回のテーマと、相性が悪かったのだろう。

(絵画班のテーマはなんだったか……)

工芸班のテーマは『力』。文化祭との関係性はゼロだけど。

…………って、自分の班のテーマしか聞かされてないか……。

考えるうちに昇降口に着き、スニーカーに履き替えて校門を抜ける。

未だに、咲が追い付く兆しは無い。

そろそろ画材道具を片付け終わってもいい頃。……もしかして教師に捕まったか?

アイツ、成績悪いからなぁ……。有り得るな。

(というか、なんで俺はアイツの事を考えてんだ?)

思えば、ここ最近、頻繁にアイツの事を考えちまう。

俺は……アイツに――水橋 咲に惹かれているのか?

有り得ない。……少し前までなら、そう思っていたな。

でも、今は……アイツに振り回されるのも悪くない、と思う自分もいるみたいだ……。

(変わっているのか……俺も……)

感慨に耽りかけた時、アイツの声が聞こえた。

「お待たせ~」

振り返れば、走ってくるアイツの姿。

やっと来たか。

そう思い、今さっきまでの思考を頭の隅に追いやる。……まだ、結論付けるには早い。

(……一緒に帰るか)

歩くスピードを落とす。

すぐに咲が追い付き、

「ふぃ~……疲れたぁ……」

大きく息を吐いた。

「……遅いぞ?」

「ゴメンゴメン。数学の先生に捕まってさ」

「そんな事だろうと思ったよ」

「はぁ~……数学なんて嫌いだよぉ……」

「公式覚えりゃ簡単だ」

愚痴をこぼす咲にアドバイス。……あまり効果は期待しないが。

「そりゃそうだけど……なかなか覚えられなくてさ……」

「お前は物覚えが悪いからなぁ……要領も良い方じゃないし」

「それ、硝に言われたくないよー」

なんて会話していると、いつの間にか家に着いている。

「もう着いたか」

「早く感じるねぇ~。……じゃあ硝、また明日!」

「あぁ、また明日」

挨拶を交わし、各々の家に帰宅。

いつものようにハグを要求する奈々をあしらい、ふと思う。

(……また、明日?)

明日部活だっけ?聞いてねぇよ!

(……メールでの連絡か?全く……部長は口下手だからなぁ……)

自室に戻りつつ、スマホを取り出す。

新着メールが一件。

開く。


From 水橋 咲


部長からの連絡!


明日、九時から部活だって。

忘れずに来てよ!


PS,部活が終わったら、相談したい事があるから、喫茶店に寄っていい?


(……やっぱりか。部長……就活、大丈夫ですか?面接でフルボッコですよ?)

などと、余計な心配をしてしまった……。


翌日。午前十時半。

「……こんなもんか」

作品の表面を磨き終え、鑢を工具箱にしまう。

組み立て終了。表面加工も終わった。

着色はしないから完成だな。

「お、できたのかよ硝。相変わらず早いな」

「喋ってないでやれよ、亮。お前は喋ると手が止まるから」

「ご忠告どうも」

作業に戻る亮。

工具箱と作業着を準備室内の自分のロッカーに入れ、作品を指定の保管場所に移動させて、工作室に戻る。

(……暇だ)

やることが無くなった。

下校したいところだが、それはできない。

咲との約束があるからだ。

そんなもの破ればいいだろ、と思うかもしれないが、どうにも気が引けるという

か、後味が悪いというか……。

(しゃあないな。文芸班のところに行こう)

あっちの締め切りはとっくに過ぎてるから、問題ない。

……で、行ってみると――

「おぅ、硝。作品製作はいいのか?」

「今さっき、終わった」

「……できたんだ、ガチムチ六法全書」

「微妙に間違ってる」

来ていたのは、門倉だけだった。

「……まぁ、それはいいとして、暇ができてよ。なんか小説ねぇか?」

「小説ねぇ……ラノベでもいいか?」

「構わない。一時間半、潰せればいいから」

「りょーかいだ。ほらよ」

門倉が投げた文庫本をキャッチ。

表紙を見ると、『DOUBLE・TRIGGER』という小説らしい。

(……門倉 大城著。……絵は……咲だと?)

アイツ……こっちの方に力入れ過ぎたんじゃねぇか?

と、思いつつも読んでみる。

流石は門倉。荒廃した世界を書かせると巧い。

更に、挿絵も良い。やっぱり上手いよ、咲。

展開に引き込まれ、あっという間に読み切り、同時に十二時を迎えた。

「面白かったぜ。ありがとよ、門倉。……ところでこれ、幾ら?」

「データはあるから複製可能だしな……タダでやるよ」

そいつはありがたい。

「わりぃな。……いつも」

「気にすんなよ。……“彼女”の方が心配だろ?お前は」

「……茶化すなって」

アイツが俺を好きだという確証は無いぞ?

「茶化してねぇよ。……バレバレなんだよ、彼女方がな」

「確かに、アイツは色々と分かりやすい奴だな」

そうこう言い合っていると――

「硝~!行こうよ~!」

咲に呼ばれる。

「……じゃあな、門倉。……新作、待ってるぜ」

「期待すんなよ……。じゃあな」


数十分後――

学校から程近い喫茶店。

窓際のボックス席に、俺と咲は向い合わせで座っていた。

店内に細マッチョのマスターと俺達以外の人影は無い。

「……で、相談したい事ってなんだ?」

「う~ん……その前に硝。まだ、恋人っていないよね?」

「聞いてどうする?……まぁ、いないけどな」

内心呆れつつ、質問に答える。

勉強の相談辺りだろう、きっと。

「良かったぁ……」

アイツは小声で何か呟いた。

「……で、相談したい事なんだけどさ……」

そして、話を切り出そうとして――口ごもって俯く。

若干、顔が紅潮していないか?

「急にどうした?様子が変だぞ……お前」

昨日までとは、全然雰囲気が違う。

朝のストンピングも無かったし、奈々にはニヤニヤされた。

(……そういえば、亮が言ってたな……ファミレスで告白するギャルゲー、って結構あるとか……)

思い出して、すぐに否定。現実とゲームは違う。第一、ここは喫茶店。

未だにアイツは俯いたまま。

こっちから切り出すしかないか。

「推測に過ぎねぇが、相談は作品の事か?」

思い当たる事はそれぐらい。

「……まぁ…………そうだけど…………」

返答は俯いたまま、返ってくる。

「はっきりしろよ。何時ものお前らしくない」

「うん……」

アイツが顔を上げるが――

「あぅ……」

視線があった直後、逸らされる。

(なんだよ……。……可愛いけど)

…………ん?

俺、またコイツの事、可愛いと感じた。

(……やっぱり……)

昨日、思った事。

コイツに惹かれ始めている。

それは間違いじゃない。

なぁ……現実ってさ。

基本的に無慈悲だけど…………たまには優しいみたいだ。

だったら――――素直に言っても、罰とかあたんねぇよな?

俺はもう…………手遅れなんだからよ。

「咲。いつまでも俯いてるなよ。本題にも入ってねぇだろ?」

「うん……」

「時間かかるなら、俺の用件を先に済ましていいか?」

「…………いいよ。何?」

という咲の声は、何処か不安げだった。

「…………付き合おうぜ、咲」

告白。

「…………え?」

困惑する咲。

「……付き合うって……恋人と……して?」

絞り出される疑問。

「それ以外あるか?……この状況で」

それ以外があるなら知りたいね。

「…………私なんかでいいの?」

「アプローチかけておいて言うなよ……」

俺が答えた刹那――

「硝……………ありがとう!!」

咲は満面の笑顔で言った。

「なんで礼?」

「やっと作品が描けそうだから。……これから構想を纏めるけど、手伝ってくれるよね?」

「当然だ」

俺達は喫茶店を後にする。



それから咲は、あっという間に作品を仕上げた。

後から知ったことだが、テーマが『恋』だったらしい。

描けなかった理由も聞いたが、それ故に具体例が欲しかったと、咲は恥ずかしそうに答えた。

本当に…………分かりやすい奴だよ。



《Ⅳ》



文化祭当日。

当然、俺は咲と過ごしている。

「いい曲だったねぇ~」

「あぁ」

校庭に設営されたステージで行われてるバンド。

『続いての曲は――』

すぐに次の曲が始まる。

ロック調のノリの良い曲。

二人して曲にノる。

というか、俺が咲に引き摺られている。

楽しいから良いけどよ。

「ノッてるな、硝」

二曲目の終了と同時に、殉と雪崩がやって来る。

「曲調的にノらされるからな」

そう言うと、殉は嫌な笑みを浮かべる。

「お邪魔だったか?」

「……お似合い」

雪崩からの追撃もあった。地味に痛い。

「邪魔じゃないかな?……でも、そっちもお似合いだよ?」

然り気無く、咲も反撃。

「言ってくれるな。……俺達もいいか?」

「問題ない」

「いいよ!」

いつものメンバーが並ぶ。

結局、日常ってさ……すぐには変わらないよな。

でも、これから変わっていくさ。

強制的に、な。


End.

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