二話 闘技場の吸血鬼 その十四 キ号事件

「私がいない間に随分と親睦を深めたようだね」


 言いつつ、ウィルは書類の束を机にトントンと当てて角を揃えてから、リィンの方へ向けて机の上に置かれた。続いて、懐から取り出した陶製のインクポットと羽根ペンを書類の横に揃えて置いた。


「さてリィン、さっそく面接に入らせてもらうよ。なに、緊張しなくていい。今から話すことは形式的なものだ」


 ウィルが言った。彼はシンカとリィンの間、机の横に立っていた。椅子は二つしかないから仕方がない。


「我々治安維持部隊はバトロンの時期になるといつも人材不足だ。人間の流入は事件の増加を招く。特にバトロンの参加者は血気盛んな奴ばかり。犯罪発生率は数倍に膨れ上がり、平時の人数では手が回らん。そこで我々はこの時期になると広くパートタイマーを募集している。そういうわけで君をスカウトしたわけだ。特にリィン、君のような腕の立つ人間は大歓迎だ。日夜私の指揮下でその辣腕らつわんを存分に振るい、この街の治安を担ってもらいたい……」


 そこでウィルは言葉を切った。彼はツカツカと窓辺に歩いていった。彼の身体がわずかに差し込む日光を遮り、部屋の中はさらに暗くなった。彼は振り向き、リィンを見た。彼の顔の半分が日光で白く照り返っていた。


「というのが、一般的かつ形式的な面接の台詞なのだが、ここから話すことは一般的かつ形式的ではないことだ。君のような人材だけに話す特別なことだ。私は君をそこらのただのパートタイマーとして雇おうとは思っていない」


 ウィルの話に熱が帯びてきた。真剣な眼差し、熱い語り口調は非常にシリアスだった。話を聞いているリィンも気を引き締められる思いだ。


「リィン、君には私とシンカの追っている『キ号事件』の捜査に協力して欲しい。君のような腕の立つ騎士にしか出来ない特別な仕事だ」

「『キ号事件』……?」


 リィンは事件名を呟いた。呟いてみると、何やらその事件はきな臭く、怪しく危険な響きを孕んでいるように思われた。


「これは仮の名だ。この事件は正式な事件として扱われていない」

「正式な事件として扱われていない……?」


 いよいよ、きな臭くなってくる。


「さっきも言ったが、バトロンの時期はあまりに人手不足でね、『キ号事件』に限らず追求する余裕のない事件がかなりある。これがまず一つの理由。二つ目の理由は、この事件の犯人と思しき者を追っていた騎士が四人殺されていること。これ以上騎士が殺されては深刻な人材難に陥るとの上層部の判断のため、正式な捜査ができないように『仮』という段階で止められている。三つ目の理由は、あまりに凶悪で恐ろしい犯罪のため、これが世に知れると民衆がパニックに陥る危険性がある。正式な事件として扱えば、記者はすぐそれを嗅ぎつけるからな。パニックはさらなる事件を呼び起こす。それを防ぐためにも、正式な事件として扱えない」


 リィンは息を呑んだ。同時に事件への興味が強く湧いた。特に、四人の騎士を殺して今なおのうのうと逃げおおせている点がひどく気になった。確かに、それだけの凶悪犯なら、自分のような腕利きが必要だろう。リィンは思った。


「そもそも、どんな事件なの?」


 リィンは訊いた。


「興味を持ってくれて嬉しいよ」


 ウィルは微笑んだ。


「『キ号事件』のキは吸血鬼のキ。この殺人事件の被害者は血液を抜かれて死んでいる。ほぼカラカラに」

「き、吸血鬼……!?」


 リィンは少しばかり青ざめた。実のところ、彼女はこういった話を信じないくせに、こういった話を恐れていた。いや、ひょっとしたら恐れるがゆえに信じたくないのかもしれない。もう子供でもないから、夜中にかわやに行けないなんてことはないし、普段は気にもとめていないが、ふと思い出されると、ちょっぴり背筋に寒気が走る。


 リィンの様子を見て、シンカがプッと噴き出して笑った。


「リィン、ただの例えよ。血が抜かれているから、まるで吸血鬼に殺されたみたいだって、そういう例え。吸血鬼なんて空想上のものが本当にいるわけないじゃない」


 クスクス笑いながらシンカが言う。


 シンカに笑われ、リィンは恥ずかしそうに顔を赤くした。シンカの言うとおりだなんてことは、重々承知しているはずだった。それなのに、もう子供でもないのに、人前で伝説上の化物を怖がるなんて、騎士として恥ずかし過ぎる。


「なぜそう言い切れる? この事件の犯人、案外本物の吸血鬼かもしれない。なにせ奴を追って殺された四人の騎士は血を抜かれこそしなかったものの、無残な殺され方をしていた。まるで怪物が力任せに引きちぎったかのようにね。私は犯人が吸血鬼である可能性も充分あると思っている。そんな危険な奴だから、君のような優れた腕利きが必要なんだ」


 想像して、リィンは内心青くなった。しかし今度は顔には出さないように歯を食いしばった。おかげで、正直な感情を顔にあらわさずに済んだ。


「あら、そんなこと言っていいの? リィンはそういうのが苦手みたいよ。契約前に恐がらせて、せっかくの腕の立つ騎士を逃してもいいのかしら?」


「まさか、腕の立つ騎士というものは、その精神、人品共々優れていると相場が決まっている。リィンほどの騎士なら、悪を恐れるよりも憎み、成敗する心意気のほうが勝っているはずだ。ほら見ろシンカ。このリィンの面構え。威風堂々勇壮活発そのものじゃないか!」

「あら、ほんとね」


 言われてリィンはハッとなった。恐怖を誤魔化すための食いしばりが、思った以上の効果を上げ過ぎたらしい。見つめる二人の目を何度も交互に見返すリィン。どちらの目も、期待をかけた目でリィンを見る。こうなってはもうその期待に応えるしかない。リィンはコホンと小さく咳を払った。


「確かに私は、ほんの少しそういったものが苦手ではありますが、だからといって逃げる私ではありません。是非、事件の解決に協力させていただきたい」


 リィンは胸を張って言った。もう、後戻りはできない。


「やはり私の見込んだとおりだ」


 言って、ウィルは微笑んだ。


「しかし一応はその書類に目を通して置いてくれ。契約は重要だからね」


 ウィルはそう言うと、窓辺から外を眺めた。契約前に必要なことはもう全て言い終えたらしい。


 リィンは書類の束を手に取った。長々と書かれてある文章に目を通す。


 リィンの心に後悔はない。むしろ晴れやかな気持ちでいっぱいだった。職ができた。それもやりがいのある仕事。騎士に相応しい仕事。その上、カランに金を支払える。一石二鳥。ただほんのちょっぴり、事件の犯人が本物の吸血鬼でないことを祈る気持ちが心の片隅にあった。

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