二話 闘技場の吸血鬼 その十二 治安維持部隊本部

 規則正しかった馬蹄と車輪の音が突然止んだ。馬車は停車した。あまり優しくないブレーキングだった。馬車の中の三人の身体は大きく揺れた。一際揺れたのはリィンだった。リィンは馬車にあまり慣れていなかった。


「旦那、着きやした」

「うむ」


 御者が言い、ウィルが頷いた。ウィルが頷くとほとんど同時にシンカが馬車のドアを開け、降りた。ウィルに目で促され、続くリィン。最後にウィル。


 馬車を降りたリィンの目の前には巨大な門があった。門にはでかでかと、ウィルとシンカ二人の着衣に記されている紋章が描かれてあった。鉄と木材が組み合わされたその門の丈、およそ五メートルはありそうだ。巨大な威圧感はまさに城門といっても過言ではない。門の前には二人、濃いカーキ色の制服を着、腰には剣、手には棒を持って門の前に直立不動でいる。


 城門と城壁は一体構造だ。門の側面には櫓があり、そこからは壁がズッと伸びている。櫓にも城門前の男たちと同じ制服を着た男が立っている。彼らの視線は、城門前に停まった馬車に、馬車から降りた三人に注がれている。中でも注目を集めているのはリィンだった。好奇の視線がリィンに向けられている。


 おそらく、ここがウィルの言う本部だろう。


 自分が注目を集めていることに気がついたリィンは殊更、騎士らしく堂々とした佇まいであろうと努めた。ナメられてはいけない、というプライドの高い余所者の心理が働いた。胸を反らし、髪をかきあげ、足の幅を両肩よりやや広めにとり、力強く、それでいて涼やかな目で城門を見つめた。


 リィンがそうしているうちに、ウィルは馬車代をを支払い終えたらしい。軽い鞭の音が響いたと思うと、これまた軽い、まるでくしゃみのような嘶きを上げて、馬車はゆっくりと去っていった。


「待たせたね」


 ウィルはそう言うと、門に向かって歩き出した。シンカとリィンもついて行く。

 ウィルが門に近づくと、濃いカーキ色の制服を着た番兵二人は、足を揃え、棒を自身の真正面に据え、頭を垂れた。それがこの国の敬礼のスタイルらしい。


「お疲れ様です、騎士殿!」


 張りのある声で、番兵二人が言う。


「お疲れ様。門、開けてくれ」

「ははっ!」


 ウィルの言葉に、番兵はサッと櫓へと正対した。櫓へ向かって顎をクイと上げる。


「開門ー!!!」


 番兵は櫓に向かって腹から叫んだ。一呼吸、二呼吸置くと、地鳴りのような音が起こった。音にやや遅れて、門に描かれた紋章が割れ、門がゆっくりと開かれる。


 人一人が悠々と通れるくらい開かれると、そこで門は、音も動作もピタリと止まった。全開にはしないらしい。労力を考えれば当然のことかもしれない。労力を考えるなら、平時のための通用門をこの巨大な門に取り付けておけばいいのに、とリィンは思った。思うだけで、それを口にするようなことはしなかった。それは余計なお世話というものだ。


 門を抜けると、リィンの目の前に二つの木造建築が姿を現した。一つは窓から段数から察するに三階建てかつ横にも広く、巨大。もう一つは二階建てで、三階建てのほうに比べるといささかこじんまりとしている。


 三階建ての方は、何を思ったのか、赤茶けた塗料でその全身をくまなく塗りつぶされていて、一種異様な感覚を覚えさせる。高さはそれほどでもないのだが、横にとにかく長い。百メートルはありそうだ。リィンのいる所からではこの建築物の一面しか捉えることができないが、実は『コ』の字型をしている。何故そのような形をとったのか、それは建築者に訊かなければわからない。


 もう一方、二階建ての方は、真っ白に塗られている。少し離れて隣接する巨大な建築のせいで陽の向きによっては大部分が陰になっている。今現在がそんな有様だ。白い建物が陰によって暗くなっているせいで、まるで巨大な建築に威圧され怯えているようにも見える。


 一行は巨大な方へと真っ直ぐに進んだ。


 門から『コ』の字型の建物までは二十メートルほど距離があった。途中には厩があった。歩いていると、厩独特の匂いが風に運ばれてくる。リィンはこの匂いが嫌いじゃない。


 赤茶けた建物の正面玄関をくぐると、建物内は雑音に満ち溢れていた。会話、怒鳴り、駆け回る音、エトセトラ……。そのあまりの喧騒に、リィンは思わず目を丸くした。


「バトロンのある年はいつも忙しいんだ」


 ウィルが苦笑して言う。


「人手が足りなくてね、だから、君の力が必要なんだ」

「なるほど」


 リィンは言って頷いた。ウィルとの短いやり取りの間にも、騎士と思しき面々が一行の周りを駆け回り、通り過ぎてゆく。


 喧騒の中、目の前にある階段を一気に最上階まで上る。


「ここが我々のフロアだ」


 ウィルが言う。

 リィンはただ頷く。


 ウィルを先頭に、一行は最上階を行く。度々ウィルは部屋の扉の前で立ち止まり、扉の小窓から中をチラリと伺う。小さく首を振ってはまた歩きだす。


 小窓の無い、鉄の扉の部屋をウィルは確かめもせずに通り過ぎようとする。


「ウィル、ここでいいじゃない」


 シンカがウィルを呼び止める。


「そこは相応しくない」


 と、ウィルが言うのも聞かず、シンカはもう既に扉を開けている。鉄扉特有の重苦しい音が響く。


「繁忙期よ、多少の不都合には目をつぶりましょう」


 言って、シンカは部屋へと入っていった。


 ウィルは少々躊躇いを見せたが、シンカの言うことも一理あると思ったのか、溜息をつきつつも、一応納得したらしい。


「すまないが、ここにしよう」


 ウィルは言って、リィンに部屋に入るよう促した。リィンはそれに従った。


 鉄扉、気を悪くするような部屋、この二つの情報から、リィンはこの部屋が何のための部屋なのか、ある程度の予想をつけていた。はたしてそれは正解だった。


 部屋の中は二つの空間に分かれていた。一方の空間、今三人がいる空間には小さなテーブルと椅子が二つあり、窓がある。もう一方の空間、そちらに行くにはまた鉄扉をくぐらなければならない。二つの空間は壁と鉄格子で分け隔てられていた。部屋の中の鉄扉の向こう側の空間は床に接着されたテーブルが一つ、椅子が二つ、格子のはめられた小さな採光窓が一つ。


 これで気分がいいはずはない。ここは取調室だ。リィンは露骨に、今の気持ちを顔にあらわした。眉はひそめられ、唇は『へ』の字に結ばれた。


「すまん。何分部屋が空いていないもので」


 そう言って、ウィルはリィンに向かって深々と頭を下げた。『騎士の謝罪の深さは垂れた頭の深さに比例する』という。ウィルは九十度近く腰を折っているから、相当の謝罪といえる。リィンはそこまで真摯に謝られるとは思ってもいなかった。ウィルは騎士だ。騎士というものは例外なくプライドが高い。と、リィンは思っている。騎士であるウィルがそこまで深く謝罪したのを見せられれば、リィンの溜飲もたちまち下がる。逆に、自分の短気に少しばかり恥ずかしくなる始末。


「部屋が空いてないのなら、仕方ないでしょう」

「話の分かる方で良かった」


 ウィルは微笑んで言った。


「シンカ、私は書類を取ってくる。リィン、君はそこにかけていてくれ」


 ウィルは椅子を指差した。その椅子のテーブルを挟んで向かいには、既にシンカが椅子に腰掛けている。


 リィンの背後で鉄扉の閉まる音がした。鉄扉が閉じると、途端に静かになった。取調室という特殊な部屋のせいだろう、音が漏れにくく、また、音が入りにくくなっている。喧騒があるとないでは、部屋の雰囲気がガラリと変わる。取調室特有の陰湿な空気が流れはじめた。


 リィンはウィルに言われたとおり、シンカの向かいの椅子に腰掛けた。

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