一話 王都事変 その二十五 聖剣を継ぐ者

「ガレウン、そう怒らずとも良いではないか。あれほど気にかけていた者との無事の再会なのだ、もっと素直になって良いのではないか?」


 ザッケンが苦笑交じりに言った。


「それとこれとは別問題です! 若僧とはいえ警察騎士団の一員。一人の甘えを許しては、警察騎士団そのものが疑われます!」


 ガレウンはさらに顔を赤くさせて言った。


「良い良い、わかったわかった」


 頑固一徹の老人とまともにやりあうことほど、無駄なことはない。ザッケンは適当に切り上げた。


 ガレウンと共に現れた四人の兵士たちは、ガレウンの指揮下にある。兵士たちは上官であるガレウンと、自らが包囲している人物が親密な間柄であることを感じ取り、槍を収めた。


 再会頭に怒鳴りつけられ、一時、リィンの心は動揺していたが、やがて動揺は収まると、今度は安らぎにも似た落ち着きを取り戻した。よく知る顔を見たせいだろう。


「丁度良い所へ来てくれた。早速だが、この者を上手く逃がしてやってくれ。あたら若者を死なせるわけにはいかない」


 ザッケンの言葉に、ガレウンは首を傾げた。顔の赤みがサッと引き、普段の顔色に戻った。白いひげを左手でいじりつつ、疑問の眼差しをザッケンへと向けた。


「この者は若輩ではありますが」


 言って、目の端でリィンを見やって、

「何処に出しても恥ずかしくない立派な騎士でございます。騎士なれば、真の逆臣を見極め、己が生命を投げ出す覚悟で死地に赴いてきたのでしょう。どうか、その思いを汲んでやっては下されませんか?」


 ガレウンの言葉に、プッと噴き出す者がいた。ヴェルターだ。彼はふてくされたような、皮肉で、かつ寂し気な笑みを浮かべていた。


「ガレウン、何を勘違いしている? リィン・アットレイルはザッケン様のお命を狙いにここへ来たのだ!」


 ヴェルターの言葉に、ガレウンは目を驚愕に見開いた。目どころか、口まで開いている。大きく開いた目は素早く動き、リィンを見た。ヴェルターの言葉が事実と反するなら、リィンは抗弁するはずだった。しかし、そんな素振りは見せない。ということは、ヴェルターの言葉は事実ということになる。これはガレウンの想像だにしなかったことだ。


 リィンもガレウンを見た。動揺に開かれた老人の目が真偽を問うていた。ここまで動揺したガレウンを見るのは、リィンは初めてだった。


 リィンは落ち着いていた。動揺するガレウンを見れば見るほど、却って心は落ち着く。ガレウンは常日頃から感情を面に出しやすい。リィンの前や、リィンに関連することなどには特に顕著だ。ガレウンがリィンを常から怒鳴るように叱咤するのは、愛情の裏返しだった。リィンはそれに慣れていた。ガレウンに叱られることは彼女にとってもはや日常茶飯事だった。


 こんな時に、リィンはふとかつてあった日常を思い出していた。


「ヴェルター殿の言う通りです。私はザッケン殿の命を狙ってここへ忍んできたのです」


 リィンの言葉にガレウンの目が、驚愕から怒りへと変貌した。開かれた目は細められ吊り上がり、リィンを睨みつける。凄まじい闘気が全身から発散されている。

 リィンを囲んでいた兵士たちにもそれが伝播した。兵士たちは槍を構えた。突き付けることはしていないが、命令を待つ猟犬のように威嚇している。


「爺様、私は近衛騎士団の命によってガラキ峠の山賊退治に出掛けました。それは爺様もよくご存じのはず。私は案内人を雇い、二人でガラキ山に入りました。そこで、何者かに襲われました。私は命からがら山を脱出し、援兵を請うためカールー砦へと入りました。そこで私は反逆罪で捕らえられました。無論、私は反逆行為などしておりません。ただ、近衛騎士団の命に従ったまでのことです。 近衛騎士団の命に従うことが、反逆罪なのでしょうか? ということは、私は近衛騎士団にまんまと利用されたのでしょうか? 近衛騎士団は私を利用し、反逆の手筈を進めようとしたのでしょうか? 初め、私はそう思いました。近衛の反逆に利用されたと思い、私は名誉回復のために、反逆者の首を討とうと、ここへ忍んできたのです。しかし、いざ反逆者と話をしてみれば、事実は違うというではないですか。ヴェルター殿は反逆していないと仰ります。逆に、討伐軍を統べる王の側近のヘレルボー大臣こそが反逆者だと仰ります。ザッケン殿は何も答えてくれません。爺様、一体これはどういうことなのでしょうか? どうかお教え下さい。今の私には何も解らないままなのです。『真実』を知らなければ、今の私は一歩もここを動けません」


 ガレウンの目に先ほどの鋭さはなかった。厳めしくはあるが、リィンを憐れむ風でもあった。ガレウンの目が、リィンからザッケンへと移った。


「何故、事実をお話にならないのです?」


 ガレウンがザッケンに言った。


 ヴェルターもザッケンを見た。彼もガレウンに同意のようだ。ヴェルターの熱い眼差しが、『真実』を告げてくれるよう懇願している。


「今では、何を言っても言い訳に過ぎない」


 ザッケンは言葉を絞り出すように言った。


 直後、ガレウンが哄笑した。あまりにも場の空気を無視した、割れんばかりの大笑だった。リィンもザッケンもヴェルターも四人の兵士たちも、呆気にとられてガレウンを見た。


「リィン、見たか? 真の騎士の姿を! ザッケン様こそ真の騎士! 騎士たる者、一分でも言い訳に聞こえるような言葉は吐いてはならない! 例えそこに正義があろうとも! ザッケン様はそれを実証しておられる! 真に汚れ無き高潔な騎士の誇りよ!」


 ガレウンが大笑しつつ、大声で言った。ガレウンの目がリィンからヴェルターへと移った。


「ヴェルター様、何をしておられる? ザッケン様がああ仰られたのだ、副官である貴方様の為すべきことを為されよ。貴方様がザッケン様に代わって真実をお話すれば、ことは丸く収まります」

「えっ、い、いや、しかし……、ザッケン様は私に喋るなと厳命されておりますれば……」

「ふむふむ、これもまた一理あり。騎士たる者、上官の命令は絶対。泥を呑む覚悟でおられるザッケン様の泥を雪ぎたい忠義心と、命令遵守の忠義心、忠義心と忠義心の板挟みというやつですな。よろしい。ならば僭越ながら不肖、ガレウンが代わってお話しましょう」

「なにッ!? ま、待てガレウン!?」


 ザッケンが慌てて止めようとする。


「ヴェルター様、今ザッケン様が何か仰られたでしょうか?」


 ガレウンはザッケンではなく、ヴェルターに訊いた。


「いえ……、何も。私には何も聞こえませんでした」


 ヴェルターは目を瞑り、両耳にそれぞれの人差し指を入れて、耳に栓をした。何も聞こえなければ命令違反にもならない。


「な、何を訳の分からんことを……」

「リィンよ、ザッケン様がおぬしを利用したのは事実だ。しかしそれは反逆のためではない。この国を、そして王を思ってのことだ」


 ガレウンはザッケンを無視して語りだした。


「おぬしは知らんだろうが、ここ一年の間、王と近衛騎士団の間に隔たりがあった。突然、王は近衛騎士団を粗略に扱い始めたのだ。近衛騎士団の権限を縮小し、今まで与えられていた任務も奪われ、その活動は実質休眠状態にまで落ち込んでいた。王のあまりの無体な振る舞いに、ザッケン様は異変を感じ取った。以前の王は理由もなくそのようなことをされる方ではなかったからな。ザッケン様は独自の人脈を使い、王の心変わりの原因を突き止めようとした。調査の末に浮かんできたのは王の側近だった。ヘレルボーだ。かの男、素性も知れぬ異国の者でありながら、王の信頼篤く、政界での人気も高い。偏に、それは財力の賜物なのだが、その財源が全くもって不明なのだ。政界の高級貴族ともなれば、財の基本は荘園だが、新参の奴に大きな土地はない。それなのに、奴は湯水の如く金を遣う。近衛騎士団は奴の財源を調査した。が、近衛騎士団の能力をもってしても、それは難しかった。奴が王に吹き込んでいるのだろう、王命、その他諸々の権力を行使し、調査を妨害してきた。手足を絡めとられた近衛騎士団は自ら動くことができなくなった。無理に動けば察知され、今度はどんな横暴に晒されるかわからない。そこでリィン、おぬしに目を付けたというわけだ。近衛騎士団の団員は全員ヘレルボーに目を付けられていた。故に、団員を使えないとなれば、団外の人間を使う他ない。しかし、ただの人間には任せられない。ヘレルボーには権力も財力もある。腕のない人間を使えば、強硬手段によって消される可能性もある。だが、おぬしなら腕が立つ。十人以上の悪漢を相手にして殺さず、そして一片の傷も負わず逮捕せしめたおぬしなら、調査員に相応しいとザッケン様は思われたのだ。先の調査で、ガラキ山にヘレルボーの財源の秘密が隠されているらしいことは判明していた。あとはその証拠を握る必要があった。おぬしを向かわせることで、証拠を得ようとした。表向きの山賊退治はヘレルボーに対するカムフラージュだ。しかし、カムフラージュも甲斐なく、奴に情報が漏れてしまった。奴は調査を阻止するために、近衛騎士団反逆をでっち上げた。よっぽど公にはできない何かがガラキ山に眠っているらしい。にわかには信じられない大ぼらを吹いたが、王はそれを信じた。王はもはや、ヘレルボーに心酔しているのかもしれぬ」


 そこで、ガレウンは言葉を切った。ガレウンは拳を握りしめていた。皆一様に表情が暗い。


「王が何故、長らく御傍を務めてきた老臣の我々の言うことを無下にし、ヘレルボーなどという氏素性の知れん新参へ傾倒するかはわからん。ヘレルボーが王に何かをした、と俺は思っているが、それも今となっては確かめようもない。しかしこれだけは間違ってくれるなリィンよ。近衛騎士団は反逆者ではない。奴は近衛騎士団が反逆者である理由や証拠などをさも本物か事実であるかのように喧伝しているが、それは全部でっち上げだ! 近衛に私欲なぞあるはずがない! 奴の言うように、用意周到に王の弑逆を企んでいたなら、ザッケン様が真に企画したならば、もう少しばかり人が集まってよかろう! このみすぼらしい現状こそが、近衛騎士団が反逆を企んでいない何よりもの証拠!」


 ガレウンはまた哄笑した。釣られて、ザッケンもヴェルターも笑った。絶体絶命の窮地にも、彼らはそれを茶化して笑ってしまう。心身ともに余裕のある人間にしかそれはできない。


 リィンはガレウンの言葉を一切の疑いを持たずにその胸に浸透させた。彼女はガレウンを疑わない。幼少期に父と死に別れ、その数年後、祖父もまた逝ってからは、ガレウンを親と恃んできた。リィンにとってガレウンは、育ての親といってもいい。良き親の言うことを信じない子はいない。この血の繋がらない親子には篤い信頼関係が築かれている。


「そのようなことが……」


 リィンの言葉は途中で切れた。声が詰まってしまった。彼女の胸に、熱い感情が奔流となって荒れ狂っている。彼女は感動していた。大悪ヘレルボーに、寡兵の近衛騎士団が立ち向かうという図式。それはまるで幼少の頃、就寝前に父が話してくれた、王道物語そのものだ。武勇に優れた騎士の主人公が、仲間と共に巨悪に立ち向かうさまに、幼き頃のリィンは胸を熱くし、主人公に憧れたものだ。


 しかし同時に、リィンの心は悲しくもある。現実は物語ではない。物語の中の主人公は勝利を収めるが、現実の近衛騎士団に勝利の目はもはや有り得ない。一国と一騎士団では、兵力の差は歴然だった。


 虚構に幸福が溢れているのは、現実に悲しみが満ちているからだ。


「ザッケン様、ヴェルター様、知らぬこととは故、先ほどの無礼、申し訳ありませんでした!」


 リィンは片膝を地につき、深々と頭を垂れた。


「良い、済んだことだ。ヴェルターも許してやれ」


 ザッケンは微笑みを湛えて言った。


「わかりました」


 ヴェルターは、まだ内心割り切れない思いがあったが、ザッケンに言われては許すほかなかった。


「つきましては、先ほどの無礼、贖いたく存じます」

「贖う?」


 ヴェルターが訊いた。


「はい、私を『忠義の軍』にお加え下さい。不肖、剣には自信があります。及ばずながらも、きっとお役に立てると存じます」

「ふむ……」


 ザッケンが相槌を打った。目が素早く走り、リィンからガレウンへと移った。ガレウンと目が合った。ガレウンは目を瞑り、僅かに頭を垂れた。


「私、お三方の忠義心に心洗われました! 私の目指す騎士道を、お三方は体現しておられます。是非お傍にお置きください。お傍で真の騎士道を学ばせて下さい。切にお願い申し上げます!」


 リィンを除く三人の反応は三者三様だった。


 ガレウンは黙然と目を瞑り、頭を垂れている。


 ヴェルターは首を振っている。彼はリィンを加えることに反対だった。それは先ほど手傷を負わされた故の割り切れなさから生じているわけではない。彼は近衛騎士団に未来がないと分かっている。未来の無い場所に少女を引き込むような真似はしたくないのだ。騎士としての少女の願いはよく分かるのだが、彼もまた同じ騎士として、可憐な少女を死の運命に誘うことは断じて避けたかった。


 ザッケンは二人の様子を見た後、沈思した。十秒ほど経った頃、彼は一息ついてから、ゆっくりと口を開こうとした。


 その時だった。


 遠くで喧騒が起こった。怒声、鬨の声が入り乱れる。

 四人は直感した。ついに戦が始まったのだと。


「サーブ、おぬしらちょっと様子を見てこい!」


 ガレウンは即座に四人の兵士に指示を出した。四人の兵士は回れ右すると、喧騒の方へと駆け出して行った。


「私も……!」


 言うや否や、立ち上がり、兵士たちの後を付いて行こうとするリィンに、

「ならん!」

 とヴェルターが制止した。


「何故です!?」

「ザッケン様の許可なしに動くことは許さん!」


 言われて、リィンはザッケンの方を見た。


 ザッケンは、リィンの必死な、それでいてとても澄んだ目を見て、己の若かりし頃をふと思い出した。彼もまた、若かりし頃はリィンと同じく、無鉄砲で我武者羅で危なっかしかった。若さというのは得てしてそうだ。ひたすら突き進む情熱と力を備えている。若さの特権だ。しかし、『若』は『弱』に通じる。若さの熱は昂ぶれば昂ぶるほど、脆くもなる。焼きの入り過ぎた鉄は折れる。若者は、上手くフォローしてやる大人の存在が必要不可欠だ。


 ザッケンは一瞬、チラリとガレウンを見た。ほんの一瞬だったから、誰もそれに気が付かなかった。


「よろしい、リィン・アットレイルの近衛騎士団入団を認める。君は本日付で、近衛騎士団の一員だ」


 ザッケンが高らかに宣言した。


 ヴェルターは顔を曇らせた。曇らせただけで、反対はしなかった。彼にとって、ザッケンの言葉は絶対だ。


 ガレウンは特別表情を変えなかった。


 リィンの顔は蕾がほころぶようにパッと明るくなった。念願の近衛騎士団入りが、ようやく叶った。


「早速だが、君に最初の任務を与える」

「はい! 何なりと!」

「良い返事だ。では、心して聞け。どのような手段を使ってでも、君はこの包囲から抜け出せ。そして敵の手が届かない遠くまでひたすら駆けろ!」

「なッ……!? そ、それは他の団員も同じ命令を……?」

「それは君の知ることではない」

「そ、そんな……!?」


 それでは戦うなと言われているも同意だった。どころか、一人逃げろと言われているようなものだ。リィンはショックを受けた。甘く見られている。そう感じずにはいられなかった。


「リィン・アットレイル! 近衛騎士団団員ならば、団長命令は王命に準ずる」


 ヴェルターが釘を刺した。


「……!」


 団長命令は至上命令。これは、近衛騎士団団員でなくとも知る、有名な戒律だった。無論、近衛を目指していたリィンが知らないはずはない。リィンはもはや抗弁できない。彼女の目はガレウンに助けを求めた。しかし、ガレウンは何もしない。視線に気付いても、彼は口を開こうとしない。


「勘違いするな、リィン・アットレイル」


 言って、ザッケンはリィンに優しい微笑みを向けた。彼は屈んで、地に手を伸ばした。伸ばした先に、この場にいる全員に束の間忘れ去られた哀れな剣があった。聖騎士の剣が、月明かりに恨めしそうに照りかえる。彼は聖騎士の剣を拾い上げると、刀身に付着した砂を手で丁寧に払い落とした。払い終えると、腰の鞘に戻した。彼は聖騎士の剣を剣帯ごと外し、それをそっくりそのままリィンへと差し出した。


「何も君を除け者にしようというわけではない。君には近衛騎士団創設以来類を見ない重大任務を担ってもらうのだ。それがこれだ。受け取れ」


 リィンは言われるままに、恐る恐る剣を受け取った。


「君も知っているように、聖騎士の剣は近衛騎士団の正統を示すものだ。近衛騎士団は創設以来、この剣と共にあった。我らが滅んだ後、この剣が敵の手に落ちれば、敵はこの剣を掲げ、近衛騎士団の正統を受け継ぐ新たなる騎士団を創ることだろう。それは忍びない。正義の正統が奸悪に利用されるようなことがあってはならない。分かるな?」

「はい」


 リィンは恭しく頷いた。


「そして、この剣を君に託すということは、君が近衛騎士団の正統を継ぐということだ」

「わ、私がッ!?」

「そうだ。なに、案じることはない。君にはその素質がある。それは私が保証する。君は立派な騎士だ。そしてこれからの人生の中で多くのことを学ぶだろう。学び、成長し、聖騎士の剣に相応しく、また、私すら超える最高の騎士になる。そして、その時こそ、君に近衛騎士団を再興して欲しい。頼んだぞ!」

「は、はい……!」


 リィンは感動と重圧に声を震わせた。よく見れば、肩も震えている。あまりに大きな役目だ。本当に自分で大丈夫なのだろうか? いや、きっとできるはずだ! ザッケン様の仰ることに間違いはないはず! 彼女は自問自答した。自分にはできる、そう強く言い聞かせることによって、大役に竦みそうな己の心を奮い立たせた。


 突然、足音がした。駆ける音が、四人に近づいてくる。それはすぐに姿を現した。先ほど、ガレウンの命によって使いにやられた兵士の一人、サーブだった。他の三人の姿はない。


 サーブは四人の目の前で跪いた。息が荒い。肩が激しく上下している。全身汗びっしょりだ。


「申し上げます! 敵が攻め掛けてまいりました!」

「フッ、夜襲か」


 ザッケンが鼻で笑った。


「策を弄せば名将というわけでもあるまい。寡兵相手に何たる愚策か。これでは先が思いやられますな」


 ガレウンも笑った。


「所詮は成り上がり者、戦を知らんと見えまする。では一先ず、私めが出向いて、ヘレルボー閣下に戦の手ほどきをして進ぜましょう」


 ヴェルターも笑って言った。


「赤子の手を捻るは容易い。児戯に等しい用兵では国は明日にも滅びかねん。ヴェルター、とくとご指導差し上げろ」

「ははっ! では早速!」


 ヴェルターは自らの持ち場へと駆けて行った。彼の背は、すぐに闇へと溶けていった。


 報告を終えたサーブもまた、持ち場へと戻って行った。


「愚策も愚策ではあるが、こちらとしてもタイミングはあまり良くないな。リィン、敵中突破になるぞ」

「元より戦う覚悟はしております!」


 言って、リィンは剣帯を身につけ、聖騎士の剣を腰に帯びた。カールー砦に捕らえられていた時からの服装だから、似合っているとは言い難い。しかし堂々と胸を張ると、どうして中々勇ましい。


「良い返事だ。やはり君に託したのは間違いではなかったな。では、後を頼むぞ」

 後を頼む、その言葉に、リィンは胸と目頭がカーッと熱くなった。ほんの短い時間の付き合いだったが、リィンは親しみを感じていた。かねてから近衛騎士に憧れていただけあって、それは一入だった。

「はい、お任せください!」


 リィンは恭しく丁寧にお辞儀した。もう二度と相見えることのないだろう人への、最大級の敬礼だった。


「脱出は『裏』が良かろう。ガレウン、送ってやれ」

「ははッ!」


 ガレウンはサッと頭を垂れた。


「リィン、あれが見えるな?」


 ガレウンは指差した。虚空を彩る篝火にほのかに浮かぶ即席の櫓が見える。


「リィン、ゆっくりでいい、一先ず一人であそこを目指して行け。俺は少しザッケン様と話がある」

「わかりました」


 リィンは頷き、言われたままに歩き出した。

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