第2章 血濡れの信義
覚醒する民族
ブルーノは義勇軍艦隊、今では皇帝直属艦隊旗艦となったリジルの艦長執務室の書架に一冊の本を見つけた。
『覚醒する民族』ブライアン・コールマン著
ブルーノは何の気なしに開いた。
第1章 革命階級
この世界には大きく分けて3つの階級が存在する。
それは支配階級のブルジョワジー、中流階級のプチブル及び小市民、常に貧しく支配階級の搾取を強く受けるプロレタリアート。
ブルジョワジーは権力を志向し、拡大しようとする傾向をみせる。
中流階級は日々の生活に事欠かない程度の財産を所有しているので、安定した状況を好み、急激な変革を煙たがる。
プロレタリアートはその日の生活に追われて、自分たちがいかに劣悪な環境にいるかということに気付かない、または気付いていたにしても状況打破の方策を知らない。
しかし、プロレタリアートに自分たちが置かれている環境と革命の方策を知ることができればどうだろうか。
鎌と槌は支配階級を討つ武器となろう。
これは共産主義を体系化したアルフヘイムのフロレンツ・アイヒンガーの著作の一部を要約したものだ。
確かにもっともらしい考えではあるが、彼らの革命の先には二極分化された社会が待ち受けている。
もともとプロレタリアートには知識がない。
彼らは文字の読み書きや計算はできるが、そこから先の教育は労働のために受けていない。
そんな彼らの上に君臨するのはプロレタリアートに知識を与え、革命戦士に仕立て上げたインテリたちだ。
権力を握ったインテリたちはこう言う。
「われらは平等である」と。
食糧も家具も家も平等に分け与えられ、集団となって農場で働くのだから平等だと言う。
しかし与えられる食糧は少なく、家は掘っ立て小屋のような住み心地、家具はおんぼろだ。
農場での収穫物はそのまま手に入らず、国家によって平等に分配される。
言い換えればどんなに汗水垂らして多くの収穫物を得ても、自分たちの手元に残るのはわずかな量ということだ。
知識ある者は現状がおかしいと考えるが、思考を行動に移せば最後。
国家によって矯正させられるか掃除されるかの二択だ。
こうしてみんなが低い生活水準という平等を手に入れた国民と、無知な国民から搾取した富で豊かな生活を謳歌し、権力の座に居座るインテリ支配者階級という構図が出来上がる。
読者はこの世のどこにも共産主義国家が存在したことがないにも関わらず、なぜこのように見たことがあるようなことが言えるのかと思うだろう。
答えは簡単だ。
主義者の著作と人の行動と歴史から考えれば自ずと導き出される結果だ。
アイヒンガーの著作には革命が完成した暁には、支配階級が国民と同化して権力の格差も存在しなくなると書かれている。
そんなことはありえない。
権力者は、手に入れた権力を手放すために、権力を志向しない。
権力のために権力を求めるのだ。
もともとは目的のために権力を求めた。
その目的が達成のめどが立つと、目的のための権力ではなくなり、権力のための権力になる。
たとえ権力者が権力を手放すとしても、それを継承する後釜が存在するのだ。
権力はあらゆる出来事を経て、継承されて現在に至る。
人々が豊かさ、権力を追い求める限り、平等はあり得ない。
人々はもっと豊かになろうと労働に勤しむ。
そうすると、そうでない者や、能力の劣る者との格差が現れる。
では平等な時代がなかったのかと言うと、そうではない。
農耕文化到来以前の狩猟採集時代だ。
その時代では、不安定な食糧事情など当たり前だ。
その日必ずしも、狩りに成功するとは限らないし、木の実だけでは栄養面で不安だ。
食糧不足で死ぬ人は当然多く、寿命だって短い。
結局のところ、みんなが豊かな平等はあり得ず、プロレタリアートによる革命も、極端な二極分化を招くだけだ。
そこで中流階級による革命を提唱する。
中流階級は安定を求めているというが、実際はそうではない。
彼らはある程度の富だけでなく、知識も有している。
その知識を元に、現状を考えることができる。
その中に含まれる活動家と呼ばれる者が、何らかのアクションを起こし、惰眠を貪る他の中流階級を揺り動かすのだ。
目覚めた者たちは、ただひとつの目的の為に武器を手に取るのだ。
そして革命は成し遂げられても二極分化は起きない。
彼らは共産主義者の言う、平等の欺瞞が見抜けるからだ。
マクロな視点、すなわち国家、民族レベルでの中流階級を見てみると、イルダーナこそが中流階級的民族だとわかる。
イルダーナ人が現在の帝国の位置ではなく、ミッドガルドと、その近辺に居住していた大陸暦制定以前のことだ。
当時ホルス人はルーン人(当時は大陸北部の北ルーン人と、南部の南ルーン人に分かれていた)の支配を受けていた。
ホルスの地は、南北ルーン人の抗争の主戦場であり、ホルス人は搾取されるだけの存在で、土民の生活を送っていた。
そんなホルスの地に、イルダーナ人が攻め込んだ。
疲弊したルーン人は退却し、ホルスはイルダーナの手に落ちた。
新たな支配者のイルダーナ人は、ルーン人とは違っていた。
数々の改革により、ホルス人の生活水準を引き上げたのだ。
しばらくの間は、イルダーナ人が大陸を席巻し、大陸中央、東部の全土、南部北部の一部はイルダーナの影響下に置かれることとなった。
その後ルーン人の逆襲が始まり、ホルスと故地を捨てて、現在の帝国がある場所まで逃れたのだ。
この混乱期のどさくさに紛れてホルス人は独立したが、彼らは口を揃えて言うのだ。
イルダーナ支配期は屈辱の時代であり、我々はイルダーナ人に搾取されたと。
前述したようにイルダーナはホルスの為に骨を折ったのだ。
にもかかわらずあの土民は他民族の手によって発展したことを汚点と考えて、イルダーナ人を非難することによって自分たちのちっぽけな誇りを守ろうとしているのだ。
ルーン人に土地を追われ、ホルス人に非難されたイルダーナ人は現在の帝国のある地に安住してしまったのだ。
彼らは故地を取り戻そうとせず、ホルス人に懲罰を加えることもないまま、だらだらとわずかな土地や資源のために戦果の少ない戦いを続けてきた。
そんなこともう終わりにすべきだ。
そして――
******
扉を叩く音がした。
読書に没頭していたブルーノは驚いて思わず本に栞を挟まずに閉じてしまった。
「入室しても構いませんか?」
エイブラムだ。
「ああ、いいぞ」
部屋に入ったエイブラムの視線は本に向った。
「ここにあった本ですか?」
「そうだ。なかなか興味深い内容だ」
なんともいえない表情をするエイブラムが言う。
「ブルーノ様が読書なさるとは天変地異の前触れでしょうか。なんだか空恐ろしいので退出しますね」
と言って今後の予定が書かれたプリントを置いて出ていった。
ブルーノは適当なページを開けて読書を再開した。
******
今のイルダーナには活動家がいない。
リーダーシップをとることができる人間がいないのだ。
ただリーダーシップをとれる人間ではない。
強力な信念と強固なイデオロギーを掲げられる者でなくてはならない。
支配階級のルーン人を打ち倒し、劣等民族ホルス人を大陸から駆除して、悪しき共産主義思想を駆逐するには確固たる意志が必要だ。
われらイルダーナ人が目的の為に団結して意志の勝利を掴み取るのだ。
それがイルダーナ人の使命である。
大陸にいる全イルダーナ人よ、今こそ決起せよ!
******
本文はここで終わっている。
ここから先はあとがきと解説が書いてある。
ブルーノは本を閉じて心の奥底から沸々と湧き上がる高揚に心を預けた。
「大陸にいる全イルダーナ人よ、今こそ決起せよ!」
この言葉を何度も反芻した。
ブルーノは立ち上がった。
そうさせるだけの力があの言葉にはあった。
立ち上がったとき、彼はブライアン・コールマンの思想の忠実な実行者になっていた。
******
「陛下、この兵器開発計画は実用性に欠けるのでは?」
陸軍総参謀長バートレット大将がブルーノへ非難をぶつける。
現在、軍の要職とブルーノで兵器開発の方向、戦略について会議している。
「戦艦の主砲を搭載した1000トン級の自走砲、直径2キロ級の母艦機能付き空中要塞、魔力水を凝縮した広範囲型爆弾、魔導ジェットエンジン搭載長距離攻撃機……」
眉間にしわを寄せる軍の幹部の面々。
「野心的ではありますが、生産性に問題があるのではないでしょうか。広範囲爆弾はいいでしょう。ですが他国への派兵を前提にするとして、この自走砲は展開力にかけていると思われます」
「要所の防衛に有効だ」
無言。
軍の者たちからすれば呆れて言葉もでない。
そう言ったところだろう。
「このような予算の割に効果の不透明な計画を実行するのは賛成できない」
「先の大戦で負けた軍の要人に何がわかるか! イルダーナ人の栄光を取り戻すには圧倒的な軍事力が必要だ。よってこのドルドナ計画の実行は決定だ。これで会議は終了だ」
会議室を後にするブルーノをバートレットは一瞥した。
「あの若造が……。私が陸の人間だからといって軽んじているのか」
イルダーナでは空軍の方が地位が高く扱われている。
それは以前から問題になっており、軍部に対して優位に立ちたい皇帝が陸と空の対立を利用することもあった。
今回の会議は皇帝と軍部の対立が浮き彫りになったものとなった。
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