布告

 先の大戦が終結してから10年後の335年、大陸は反共主義と共産主義が先鋭的に対立している。

しかし両者の間に戦争はない。

どこの国もまだ先の大戦の損失から立ち直っておらず、戦争できるだけの力はないのだ。


 だがイルダーナだけが例外で、広大な領土に大勢の人口、莫大な量の魔力水を背景に国力を回復していた。

どことなく不穏だがきな臭さが感じられない情勢の中、ルーン帝国では議会が開かれていた。


「陛下、大陸規模の連邦制を敷くのはどうでしょうか? 10年前の大戦以来戦争は起きていません。これは各国が平和を希求している証拠です。今は平和的に大陸統一を成すことができる絶好の機会です。その機運を利用して陛下が盟主を務める緩やかな連合体を構築するのです」

重臣のひとりのボーデンシャッツ公が発言した。


 議場が賛同の声と嘲笑で溢れる。

「正気ですか、公爵殿。平和を希求しているとはずいぶんと愉快なことをおっしゃるようで」


 挑発的な発言をしたのはクラウス・アルペンハイム公爵だ。

「現在の平和は先の大戦で傷ついた羽を休めているから実現しているものだということをなぜわからないのですか? 傷が癒えると再び血なまぐさい戦いが起きます。ただし連邦制を敷くというのは方向性としては賛同できます」


 議場が大きくざわめく。

「我が国は軍事力も経済力も大陸随一の最低ランクなのは皆さんご存知ですね?」

議場の人々が渋い顔で頷く。


「ならば我が国が軍事、経済の両面で大国にのし上がればいいだけのことです」

「それができないから弱小国の地位に甘んじているのではないか」

ボーデンシャッツが冷静に指摘する。

「我が国以外の国家が存在しなければ我が国は大国になりますよ。なにせ比較対象が存在しないのですから」

唖然とするボーデンシャッツ。


 他の人もあまりにとんでもない発言のために茫然としている。

「まずは連邦制を大陸レベルで敷くことと、連邦の実質的指導者の大統領を決めるのです。大統領はイルダーナ皇帝ブルーノに任命し、共産圏の打倒を命ずるのです。彼は反共主義、反ホルスの急先鋒です。即位したその1か月後に共産主義者の取り締まりと粛清を行っている。それを考えれば皇帝ブルーノに任せるのが妥当でしょう」


 クラウスは議場を見渡した。

議会出席者はみなクラウスの言葉に耳を傾けている。

話を続けても問題ないと判断したクラウスは話を再開した。


「イルダーナはこちらの命令を大義名分に戦争を始める。大陸の中で唯一総力戦に耐えられるだけの力を回復した国です。命を受ければすぐさま総力戦体制を構築し、反共寄りのムスペルヘイム、ニブルヘイムに大統領として出兵命令を出すでしょう。3大国相手に共産3国は敗北するのは両者の国力を考えれば自ずと導き出されます」

「勝敗はわからんのではないのか? なぜ戦う前から勝敗がわかるというのだ?」

「そうだそうだ」と喚いてボーデンシャッツの発言に賛同の意を示す。

「戦争の勝敗の9割が兵力、国力が上の勢力が勝つのです。3大国陣営の総兵力が共産3国より多いのは明白です」


 議場は静まり返る。

「ただし勝利後に裏で動く必要があります。ニブルヘイム皇帝の暗殺とムスペルヘイムでクーデターを引き起こすのです。ニブルヘイム皇帝エアハルトには子息がおらず、万が一の際に誰が帝位を継ぐのかも決まっていない。もし現皇帝に何かがあれば国が混乱し、内戦状態になるでしょう。そのときに混乱鎮圧の為にイルダーナ軍を派遣してニブルヘイムを滅ぼします。ムスペルヘイムでも新政府を承認せずにイルダーナ軍に滅ぼしてもらいます」


 出席者の目は衝撃的な会話内容のために見開いている。

「そして皇帝ブルーノを暗殺する。エアハルト同様子息はおろか、王族を片っ端から殺害したので現在後継者がいない。よってイルダーナは崩壊し、我が国は少ない労力で大陸を統一できます」


 周囲の人と話し合う出席者たち。

しばらくすると、どこからか手を叩く音がした。

「素晴らしい、予は気に入ったぞ」

音の主はルーン帝国皇帝だ。

「早速布告を大陸全土に出そう」

と言って側近の者と一緒に議場の外へと消えた。


******

イルダーナ抵抗首都タラニス 王宮



「ルーン帝国が大陸規模の連邦国家を建国し、帝国がその盟主になると。それだけでなく予が大統領に任命され、共産圏の打倒命令が下されたというのか」

ルーン帝国議会から4日後、布告文は各国に届けられた。


 ブルーノがルーンから届けられた布告文に目を通した。

「ホルス攻撃の大義名分ができてよろしいじゃないですか。戦時体制に移行しますか?」

傍らのエイブラムが尋ねる。

「いや、先に失われた南部を取り返すことから始める。大統領の件は保留だ」


 ブルーノの皇帝即位の際に独立を認めた南部の地域にはルゴス共和国とルゴス社会主義共和国がある。

両者は国境の資源を巡り、独立から2年後に紛争を始めた。

国境を決めたのはブルーノであるが、ブルーノは意図的に資源問題が発生するような国境線を引いたのだ。


 互いに魔力水資源が乏しいことに加え、イデオロギー対立が争いに油を注ぎ、3年間に渡り衝突を繰り返してきた。

イルダーナは火の粉を被らないようにするという名目でイルダーナと互い以外の国とは隣接していない両国の国境を封鎖した。


 その結果として他国と貿易できず、ただでさえ貧しい両国は経済的に圧迫されたが、イルダーナが共和国に武器を供給、社会主義共和国にはダミーの会社を作って国境を政府の特例ということで通過して武器を売り渡したおかげで武器に事欠くことがないので戦争を継続できた。

しかし今では共和国首都が陥落して大統領をはじめとする政府高官はあらかた社会主義共和国軍に身柄を拘束されたが、一部の残党が辺境の集落に潜伏して抗戦しているが共和国は滅亡したも同然だ。。


「ダミー会社が赤いルゴスに武器を売り渡していることを公表しよう。そうなると共産主義団体との取引を禁じる反共法に抵触する。これを名分に赤いルゴスに攻め込んで南部を奪還できる」

南部を2か国に分けて独立させたのもこのためだ。

それがようやく報われたというわけだ。


「ボイエットに作戦指揮を任せる。1週間以内に全土を制圧するように言っておいてくれ」

「御意」

エイブラムは立ち去った。


 それから5日後、ルゴス社会主義共和国はイルダーナに併合された。

ルゴス共和国は滅亡したとイルダーナ政府は発表して共和国残党を反政府武装勢力として討伐した。

ここまでにかかった日にちはちょうど7日だ。


「素晴らしい戦果だ。こちらの戦略目標を見事にクリアしている。ボイエットに任せて正解だったな」

報告書を読み終えたブルーノが言った。

「次の一手はどうしますか? 国境に兵を集結させてミッドガルド侵攻を開始しますか?」

と言ったエイブラムはブルーノ同様ホルス討伐を望んでいる。

それはエイブラムがそうしたいからではない。

忠義の誓いを交わしたブルーノが望んでいるからだ。


「まだだ。奴らはこちらが何らかの軍事行動をとることは予測している。なにせ我らは反共、反ホルス、イルダーナ人至上主義の三本柱で構成された“コールマン主義”を標榜しているのだから当然だ」

「ではどうなさるつもりですか?」

ブルーノはすぐに答えずに間を置いた。

「まず例の大統領に就任して、それからムスペルヘイムを挑発する」

予想の斜め上をゆく発想にエイブラムは何も言えなかった。

彼にはブルーノが何を考えているのか皆目見当もつかなかった。


 それから数日後、ムスペルヘイム首都ヴィーグリーズにイルダーナの初老の外相バントック公が到着した。

彼は到着した翌日にムスペルヘイム皇帝アマーリエに謁見した。

バントックは軽く挨拶してから本題に入った。

「こちらの要望は共産主義者の取り締まりです」


 ムスペルヘイムでは大戦終結の翌年に共産主義を容認する布告を出している。

大陸各地で発生した赤色革命の影響がムスペルヘイムに波及するのを恐れたためであるが、理由はそれだけでない。

国内に共産主義を流入させることで独立を掲げる民族主義者の間に容共派と反共派に分裂させようという意図もある。


「326年に貴国で出された共産主義に関する布告を撤回していただきたいのです。もしこちらの要望にお応えいただけないのでしたら、こちらもそれ相応の行動に移ることになります」

「脅しのおつもりで? でしたら私は屈服いたしません。我が国はどこにも膝を折らない誇りある国ということを覚えておくことです」

「わかりました。そのお言葉、主君に伝えておきます」

と言ってバントックは退出した。


 アマーリエがイルダーナの要求を蹴ったことはすぐさまブルーノに伝わった。

「上出来だ。エイブラム、出番だ。直ちに第6、第7、第8艦隊を率いてネヴァン要塞線で展開しろ。それと第2から第5、第9から第19艦隊と“CDF”第1から第4師団の各司令官に対ムスペルヘイム戦を見据えた演習を行うから、タラニスに集結するよう伝えてくれ」

「了解しました」


 CDFとはColmanism Defense Force(コールマン主義防衛隊)の略で、329年にブルーノがコールマン主義に忠義を尽くす軍隊を欲した結果、誕生した皇帝直属の志願制私兵集団だ。

CDF総隊指導者にはかつて義勇軍に参加してブルーノと行動を共にしたアルバーンが就任している。


 エイブラムはブルーノの前から去り、王宮近くの駐車場で軍用車に乗ってタラニス郊外の艦隊基地に赴くことにした。

これから麾下の3個艦隊の司令官に出兵命令が下ったことを伝えなくてはならない。


 彼は運転中、歩道を歩く年端もいかぬ少女が目に入った。

少女は両手で熊のぬいぐるみを抱えている。

エイブラムは昔会った少女のことを思い出した。


 あれはブルーノと出会う前のことだ。

その頃はブルーノの住んでいた町とは離れたところに居住していた。

ただしそこもスヴァローグ地方である。

当時のエイブラムの向いの家には同い年の女の子が住んでいた。

家を出るタイミングがたまたま同じで、そのときに目があったのが2人の馴れ初めだ。


 2人は目が合った気まずさからそそくさと目的地へ急いだ。

が、2人の目的地は同じだった。

漂う気まずい空気。

それに耐えきれずエイブラムが口を開いた。

「くまのぬいぐるみかわいいね」


 少女の手提げ鞄から顔をひょっこり覗かせている熊のぬいぐるみについて言った。

「……ありがと。これね、お母さんが誕生日にくれたの。わたしのお守りみたいなものなの」

少女がもじもじしながら言う。

きっと恥ずかしいかったのだろう。

エイブラムの一言が状況を打開し、2人の間に会話の花が開く。


 それはぎこちないけれど2人にとっては楽しい時間と言えた。

2人は学校の正門近くに到着した。

角を曲がりまっすぐ行けば正門が見える。

角を曲がるときに少女は石につまずいた。


 そのときに鞄から筆記用具、教科書、ぬいぐるみが飛び出した。

拾おうとする少女。

遠くから聞こえる不穏な音。

それはこちらに近づいてくる。

さらに遠くでは銃声がした。

ホルス軍だ!


 エイブラムは確信した。

やつらがイルダーナ系ホルス人の掃討作戦を開始したのだ。

少女はなおも道で落としたものを拾っている。

エイブラムも手伝おうと角を曲がろうとしたとき、それは不穏な音が最も近づいたときだった。

あまりに大きな音に驚いて腰を抜かしてしまった。


 立てないエイブラムの前を横切ったのは履帯を軋ませて進む戦車。

戦車の威容に恐怖した。

しかし少女が心配だ。

エイブラムは立ち上がり、角を曲がって少女がいるはずの場所を見た。

だが、そこにあるのは赤いもの。

少女どころか人などどこにもいないのだ。

ただただ赤く汚れたアスファルトがあるだけだ。


 エイブラムは恐る恐る赤いところへ近づいた。

そして赤いものにそっと触れた。

生温かい。

エイブラムはそう感じた。


 彼は彼女の痕跡を探した。

が、見つからない。

あるのは赤く汚れた肉の塊とぬいぐるみのものと思われる赤く染まった綿のみだ。

「汚らわしい……」

肉塊を見て呟いた。

そこにかわいらしい少女の面影は一片も残されていない。

エイブラムには目の前の肉塊が少女だったものではなく、ただの汚い赤い塊としか映らなかった。


 そしてかつてぬいぐるみだった綿に視線を移した。

少女は言った。

お守りみたいなものだと。

ぬいぐるみは少女を守ったか?

そんなことはない。

少女は汚らわしい赤い肉塊になってしまったではないか。

エイブラムは赤い綿を踏みにじった。

これは少女を守らなかった罰だと言わんばかりに。

エイブラムの耳には銃声も砲声も悲鳴も聞こえない。

ただひたすら綿を踏み続けた。


 その後、気が付けばエイブラムは車に乗って別の町に避難している最中だった。

自分がどうしてここにいるのかわからない。

そしてわけもわからぬうちに新しい場所で新しい生活が始まった。

この後彼はブルーノと運命的に出会うことになる。


 そして先ほど見かけた少女をみてエイブラムは思い出した。

エイブラムが抱いていたホルスに対する原初の怒りを。


******

ニブルヘイム帝国首都エーリュズニル 王宮 議場



「断る!」

エアハルトはルーン帝国から届けられた連邦参加を促す手紙を破り捨てて、議場に集まった文官、武官の前で連邦に加わることを堂々と否定した。

臣下たちはエアハルトの行動に驚きざわめく。

「なりません」


 ヒルデブラントがエアハルトの前に出て言った。

彼は若いながらも総参謀長としての風格があり、ざわめく議場を一言で制した。

「ここは形だけでも連邦に参加意志があることを表明しておくべきです。イルダーナと我が国は共に反共産主義を掲げている。かの国のように明確に表明はしていませんが、共産主義を認めていない以上、事実上の反共勢力です」


「イルダーナに協力してホルスを滅ぼせばどこの国もイルダーナを止めることができなくなるぞ」

「いえ、そうではありません。イルダーナとホルスが戦争になったとき、両国に宣戦布告するのです。イルダーナがホルスに攻め込むとき、大陸の西から中央を経由して東に侵攻するため、必ず補給線が長大なものになります。補給線を断ち切ればいかにイルダーナ軍が強力でも物資がなければ敗北は必至です。ホルスはイルダーナ戦線に主力を投入しているので、側面を衝けば脆く崩れ去ります」


 エアハルトが渋い顔をする。

「ムスペルヘイムがどう動くかわからん。もしイルダーナサイドに回れば厄介なことになるぞ。だが今後の方針はブルーメンタール大将の意見をある程度反映したものとなる。イルダーナの反共的態度には賛同するが、戦争の際には派兵しない。そして頃合いを見てホルス方に肩入れしてイルダーナを強襲する。そのときはムスペルヘイムの動向を十分に注視した上で行動する」


 エアハルトは解散を宣言した。

扉から臣下たちが出ていく。

アルフレートもそのひとりだ。

彼は政府支給の車で自宅へと向かう。


 扉を開けると待っているのはイレーネだ。

「おかえりなさい」

彼女は変わらぬ笑顔でアルフレートを出迎えた。

「ただいま」

「浮かない顔をしていますけど、どうかなさいましたの?」

イレーネとはずっと一緒に過ごしてきたので微妙な表情でもこのように読み取ることができる。

「そろそろ戦争が始まるかもしれないんだ。そうなれば長い間家を空けることになる」

「……それは、寂しいことです。でも仕事ですから仕方がありませんね」

イレーネの瞳は寂しいというよりもそれ以上の何かを現している。


 アルフレートはそれを不審に思ったものの、何も言わなかった。

イレーネだって年頃の女の子だ。

何かと色々あるのだろう。


******

ムスペルヘイム帝国首都フェンサリル 王宮



「なぜです! なぜイルダーナと手を組んで共産主義者を駆逐しないのですか!」

バントックとの会談後、ムスペルヘイム帝国第2皇子アルトゥール・フォン・ローゼンベルク参謀本部次長は皇帝アマーリエに詰め寄った。

「イルダーナに協力してホルスを討てば、イルダーナはますます強大な勢力となってしまう」

「ムスペルヘイムは弱体ではありません。多数の艦艇と兵士を擁する我が国が正しい戦略を採れば負けるはずがありますまい」


 吐き出す息から自信が漏れているように思えるほど自信満々にアルトゥールは言った。

「我が国のアキレス腱が何であるかわからないの?」

「魔力水の水源でしょうか?」

「少数民族問題以外に何がある! アルトゥール、貴方はそれでもローゼンベルク家に名を連ねる者か!」

老女とは思えない気迫でアルトゥールに迫る。

「出ていきなさい、このバカ息子!」

悄然とした後ろ姿をアマーリエに見せてアルトゥールは部屋を出た。


 自宅に戻って彼は憤慨した。

自分は間違っていない、間違っているのは母上だ。

この重いは日に日に大きくなっていく。

それはまるで空気を入れ続けている風船のように。

空気を入れすぎれば風船は破裂する。

破裂した溢れた空気はどこへ向かうのだろうか。


「ご主人様、お客様がいらっしゃいましたが、どうなさいますか?」

執事が自室のドアの向こう側から聞こえる。

「いったい誰が来たのだ?」

「ルーン帝国のクラウス・アルペンハイムと名乗っています」


 アルトゥールは首を傾げた。

なぜクラウスが来訪したのだろうか。

「会おう。応接間に案内してくれ」

かしこまりましたと言って靴音はだんだんと小さくなっていった。

アルトゥールは客人の前に出るのに相応しい服装に着替えて応接間に貴人らしく優雅な足取りでその姿を見せた。

そこには先にクラウスがソファーに座っていた。


 アルトゥールの姿を認めると、クラウスは飛び上がるように立ち上がった。

「お会いしていただき、誠に光栄です」

「定型文はいわなくていい。急な訪問の理由を聞きたい」

クラウスに着席を促し、アルトゥールも席に着いた。

「貴方に帝位を贈呈しに参った次第です」


 アルトゥールは鼻で笑った。

「貴殿は小国の一貴族ではないか。そのような力なき者が私にそのような大権を与えられるものか。衰退しすぎて平気で嘘をつくようになってしまったのか?」

「確かに私は表では弱小国の貴族でしかありません。しかし私には裏で通用する権力を持っているのです。その気になればこの国の皇帝の首だって取ることができるのです」

「ふん、馬鹿馬鹿しい。警備が厳重な陛下がそう易々と暗殺されるわけがないだろう」

「それを可能にするのが私なのです。そしてぜひとも貴方に玉座に座っていただきたいのです」


 玉座という言葉にアルトゥールが反応した。

「なぜ私に座ってほしいのだ?」

「ではお聞きしますが、貴方は皇太子より劣っているとお思いですか?」

「そんなはずがない! 軍人としても政治家としても兄上より優秀だ! なのに母上は……」


 先ほどまでの冷静な態度に打って変わってアルトゥールは感情を剥き出しにした。

「だから自分こそが皇帝に相応しい。皇太子を追い落として至高の座を手に入れるひとつの手段を確保するために、政界を飛び出して半ば強引に再び軍服に袖を通した」

まるでアルトゥールの思考を読んだかのようにクラウスは言う。

「しかしただの武力蜂起では計画の成就は困難かと思われます。現時点で貴方自身が動かせる戦力は皆無に近いのですから」


 アルトゥールが露骨に不機嫌な顔をした。

「何か案でもあるのか?」

「共和派を味方につけるのです」

アルトゥールはすぐに返答できなかった。


 ムスペルヘイムは専制君主制の国家だ。

それに反対する共和派は確かに実在する。

そのような反政府勢力と体制側の人間が手を組むというのだ。


「馬鹿なことを言うな! この国は皇帝が君臨する帝国で、私はそんな帝国の皇族だ! それをわかっているのか!」

「存じております。貴方が共和派と組んで計画を成就させた場合に起こる変化は、体制が共和制になり、元首が大統領になるだけなのです」


 アルトゥールは意外な盲点を突かれた心地がした。

「戦時体制を敷けばしばらくの間、貴方は大統領で、在任中に大陸を制することができれば貴方は英雄でしょう。そうなれば支持率は圧倒的なものとなり、選挙をしたところで貴方が負けるはずがありません」

アルトゥールはあごに指をあてて考えた。

考えるアルトゥールの息は荒い。

この先にある栄華を夢見ているのだろう。


「アルペンハイム、その案を採用しよう」

2人は固い握手を交わした。

そしてクラウスはアルトゥールの屋敷を後にした。


 屋敷の門を出たところでクラウスはほくそ笑んだ。

クラウスはなぜアルトゥールに帝位に就いてほしいのかを一度も言っていない。

アルトゥールは相手の考えを読まず、自分の利益に目が眩んだのだ。

アマーリエがアルトゥールを後継者に選ばないことに納得がいく。


 あの男は他者を理解できないのだ。

全て自分の為にあると思っている。

凡庸ならいざしらず、中途半端に能力がある点で厄介といえる。

おかげで自分は有能だと錯覚して分不相応な野心をその身に抱いてしまった。

だがクラウスにとってはその方が御しやすい。


「まったく、事が上手く運びすぎではないか」

クラウスは曇天に向って息を吐き出すように呟いた。

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