星に願いを-星の石-

夢海やぎの子

第0話 二年前

 

流花るかこっちだ」

「はぁはぁ・・・・・・待って、竜くん」


 空が厚い雲に覆われ細かい雨が降る中、人目を盗むように校舎裏にある裏門へと続く高い塀沿いで、木々などの物陰に隠れる男女。彼らはその日の授業が終わった放課後、寮には戻らず日が沈むのを静かに待ち、人気がなくなったのを見計らって<定命学園>から脱出しようと試みていた。

 まだ学生である紅鳴竜臥あかなきりゅうがは息を乱すことなく周囲を警戒しているが、竜臥より歳上の新人教師である水落流花みずおちるかは日頃の運動不足がたたってか、膝を曲げ息を切らしている。二人の服は霧の様な雨に濡れて仄かに湿り、髪も肌に張り付いてくる。終始不安げな顔をしている流花は、隣で冷静に行動している竜臥の様子を見る事で心を落ち着かせていた。

 

「ねぇ、もうすぐ裏門よね?そうすれば出られるのよね」

「裏門もセキュリティがあるから、まずそれを壊して守衛も倒さないといけないけどね。大丈夫気絶させるだけだし、万が一何かあれば星の石の力で何とかするさ」

「でも石の力を使ったら竜くんが・・・・・・」

「わかってるよ。だから最終手段だって」


 竜臥は制服のポケットに入れてきた小瓶に入った<星の石>を、ポケットの上から軽く叩いて流花に悪戯っぽく笑ってみせた。全生徒に配られている星の石はとても小さく、多大な願い事を言ったらすぐ使い切ってしまいそうだった。現に石の力で殺し合い、力を使い切って消えていく同級生をこの三年間で数多く見てきた。今まで何とか石を使わずに生き残って来たが、卒業して研究機関へ永久就職するよりも大事な人と逃亡する事を選んだ。そうしなければ、流花は一生この学園から出られないだろうし、自分もこのまま卒業したとしても望ましい未来は来ないだろう。

 

 ―それならいっそ、好きな人と賭けに出たほうがマシだ。

 

 そう思うと竜臥は隣にいた流花の肩を左腕で抱き寄せる。顎に流花の濡れた茶髪が当たり、掌には流花の湿り始めたスーツの感触が伝わる。だがスーツの下の流花自身の体温が湿ったスーツからじんわりと感じるため冷たくなかった。大事な人の優しい温もり。抱き寄せられた流花もまた竜臥の濡れた制服越しに伝わってくる彼の体温に安らぎと愛しさを感じた。


―ここを出れば、ずっと一緒にいられるのよね・・・・・・?


 大学を卒業して初めての就任先がこんな現実感を逸脱した学園で、まさかそこで生徒と恋に落ちるなんて思ってもいなかった流花にとって、この現状は夢物語のようだった。けれど、彼と触れ合う度これは現実なのだと認識させられる。竜臥は自分よりも若く幼いはずなのに、背は流花よりも高く艶のある黒髪は端正な顔を際立たせている。性格もとても優しく頼もしかった。

 雨は降り続け、足元の土や雑草も水を含み二人の足元は滑りやすく、足を動かすと水気のある音を立たせた。


―もうそろそろ、動かなくては。


 そう思った瞬間周りを懐中電灯の灯りが照らし始めた。守衛が巡回し始めたのだ。電灯の灯りは一つ、二つ・・・・・・。樹々の影に息を潜めるが見つかる可能性は多分にある。一つ目、そしてしばらく間を空けて二つ目の電灯の灯りが二人の潜む樹木を通過した。竜臥と流花は同時に胸を撫で下ろす。

 そして、辺りに守衛が巡回していない事を確認すると、離れないようお互いの手を握り締めながら裏門の方へと歩き始めた。なるべく咄嗟に隠れる事ができる様に、樹々の合間を縫って進む。出来る限り速やかに、けれど物音は立てないように。慎重に進むが、遅くなればそれだけ体力を消耗する。竜臥は流花の手を引きながら焦りも感じていた。


 今、守衛が巡回しているという事は、少なくても守衛がいつも居る屯所には通常より人が少ないはず。竜臥が調べた情報だと一日に出勤している守衛の数は四から五人。少ない日で三人。そして今日は三人しか勤務していない日のはず。つまり今詰所に居るのは一人。それなら竜臥一人でも倒せるだろうと、考えていた。だか早くしないと巡回している二人も屯所へ帰ってしまう。急がなくては。


「あっ、竜くんあそこの灯り、きっと守衛の屯所よ。もうすぐ裏門だわ!」

「本当だ。もうすぐだぞ」


 流花が塀沿いにある小さな建物から漏れる灯りを指さして言う。確かにあそこが守衛の屯所のようだ。裏門は屯所と隣接している。そこに裏門を開ける機械がある。守衛が居ない事が一番だが、居たら奇襲をかけ気絶させてから、その機械を操り裏門の錠を開けなくてはならない。

 屯所までたどり着き、窓のから中を覗く。一人、守衛が屯所内の控え用の長椅子で居眠りしている。長椅子の向かい側には長椅子と同じくらいの長さのローテーブルがあり、その奥には裏門の施錠機器や通信機器が並んでいた。行くなら今だ。

 竜臥は流花に目で合図すると、同時に屯所内へ入っていった。寝ている守衛の手足を持って来た紐で縛り、竜臥の制服のネクタイで目隠しをする。その際、寝ていた守衛は起きたが顎を殴り気絶させた。すぐ機械の方へ向かい門の開錠ボタンを押す。


「よしっ、これで開くぞ!」


<ビィィイィーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!>


 ボタンを押した途端警報が鳴り響く。警報は屯所のスピーカーから学園内へと響き渡った。


「え!?な、何!??」

「っ!?・・・・・・くそっ!ダミーか!!」


 外が騒々しくなってくる。このままだと巡回していた守衛以外の関係者まで来てしまう。焦る竜臥は不意に制服のポケットの小さな膨らみに気付き苦笑した。


「くそ、取り敢えず裏門の方へ出よう!」


 流花の手を半ば強引に引っ張り屯所を抜けて裏門へと駆け出した。閉じきった裏門の前まで来ると、巡回していた守衛が駆けつけ懐中電灯でこちらを照らしてくる。竜臥は流花を庇う様に背後に隠し守衛と向き合う。


「おい、お前達そこでなにしている!」

「何って、夜の散歩っすよ」

「嘘をつくな。学園からの逃亡は除籍に値するぞ」

「知ってますよ」


 守衛達が竜臥達に近づいてくる。それを見て竜臥は制服のポケットに手を突っ込み、小瓶を取り出した。中には青白く光る小さな<星の石>が入っていた。小瓶の蓋を開けると竜臥は瓶を口に持っていき、中の星の石を一気に飲み込んだ。直後、竜臥自身が星の石のように青白い光を帯び始めた。竜臥の鎖骨すぐ下当たりが、まるで星の石を埋め込んだかのように一際輝いていた。竜臥が星の石と契約した瞬間だった。そして、契約の瞬間を竜臥の背後で見ていた流花は目を見開いて驚愕した。


「な、何してるの!?なんで星の石と契約なんて!!」

「こうでもしないと、ここからは出れないよ流花。大丈夫、今からちゃんと逃がしてあげる」


 流花を宥めるように微笑みながら優しく言うと、すぐに守衛達に向き直った。竜臥が何を願うか解らないため、守衛達も足を止め身構える。星の石を飲み込み契約してしまった以上、無闇に取り押さえる方が危険だと考えたのだろう。


「星の石の力を借りて願う。この瞬間から俺以外の研究機関ツァラトゥストラ及び定命学園関係のあらゆる人物、物体は水落流花の存在を記憶から抹消し、一切認知してはならない。定命学園内の全ての壁は水落流花を通過させよ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」


 そう唱えた瞬間、学園全体が薄い青白い光り纏い、それは一瞬で消えた。だが、学園全体の光が消えた瞬間、竜臥の体の光が強くなり足先から粒子のように崩壊し消えていく。竜臥はまだ実態のある

内にと流花を裏門の方へと追いやると、一度強く抱きしめた。


「ごめん。あの大きさの星の石だと、これくらいが限界だと思ってね。」

「え、まって、待って、ねぇ。どういう事?何で私だけ、竜くんは・・・・・・」


 竜臥は混乱する流花の頭を優しく撫でると、耳元で「ちゃんと逃げるんだよ」と囁いた。そして勢いよく流花を裏門に向かって突き飛ばした。流花に悲痛な笑顔を残して。


「愛してる」

「竜臥ぁ!」


 突き飛ばされた瞬間、流花の右手は確かに一瞬竜臥の左手を摘んだ。が、竜臥の体は青白い光の粒となって消えていった。掴んで手は虚しく光る粒子となって飛散し、流花は突き飛ばされた勢いのまま閉ざされた裏門という壁を通過して定命学園の外へと倒れこんだ。雨で濡れた土が流花を汚した。その場に座り込むと、しばらく今起こった事が理解できずに呆然とする。すると最期に竜臥の手を握った右手に何か重みを感じた。見ると、右手には真紅の革張り装丁が施された一冊の本が握られていた。表紙と背表紙には金字でタイトルが書いてあった。


 その本のタイトルは

 『紅鳴竜臥-Akanaki Ryuga-』

  

 流花は本を無くすまいと必死に抱え込み、その場で泣き叫んだ。月明かりが届かない宵闇の中、目の前の学園の壁の向こうから漏れる微かな灯りだけが雨と泥に濡れた流花を照らしている。雨足が徐々に強くなり、流花の悲痛な泣き声も雨音が次第にかき消していった。

 

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