終わる世界の焦点街

久佐馬野景

何も始まらない終わり

Welcome to Focal district

 この世界は終わっている――。

 弐条にじょう穢土えどは学校が終わると電車に乗り、自宅に向かった。

 学校の生徒達は高校生になったというのに――否、高校生だからか、馬鹿ばかりだ。どいつもこいつも言葉に品性の欠片もなく、頭の悪い会話ばかりをしている。

 穢土はそんな会話に加わらないし、加わりたいとも思わない。周囲は穢土を馬鹿にした目で見ているのだろうが、穢土はそれよりももっと高尚な蔑みの目で彼らを見ている。そして彼らは気付かないのだ――穢土の研ぎ澄まされた厭世の目を。

 穢土とはこの世。汚れたこの世。彼はこの世を忌み嫌い、やがて厭離するのだ。今はただその時を待ち、静かに身を潜めている。

 自宅の最寄り駅に電車が着き、穢土は電車を降りようと座席から立ち上がる。

 家には誰もいない。「研究」という名目で海外を渡り歩いている父親。そんな何の連絡も寄越さない男を居場所もわからないのに追いかける母親。生活費は充分に入金されるから、日常で困ることはない。

 ――帰ったところでどうにもならないか。

 穢土は一度立ち上がった座席に再び座り直し、気の向くままに小旅行を決行することにした。金の心配はないし、遅くなったら適当にホテルでも見つけて泊まろう。何なら明日学校を休んでもいい。

 乗換駅があるとそこで電車を換え、とにかく自宅から離れた土地を目指した。何度も乗り換えを繰り返し、もはや覚えられない程に複雑なルートを通ってきた。どうやら山の方に向かっているのだろうということだけはなんとなくわかった。

 終点で降りてもよかったのだが、それでは芸がないと適当に決めた駅で降りた。異違羽(いいは)東部(とうぶ)という駅だ。既に乗客は殆どおらず、その駅で降りたのも穢土以外には一人だけだった。

 駅の周りは閑散としており、民家も殆どない。ただの荒れた空き地が広がるばかり。T都にもまだこんな土地が残っていたのかと穢土は少しだけ驚いた。

 ここではホテルも見つけられそうにないと、穢土は人がいそうな辺りを求めて歩き出した。少ない外灯は弱い光で道を照らし、その光が届かない場所はすっかり闇が侵食している。

 穢土は闇が好きだった。無遠慮な光は見せなくていいものばかりを晒してしまう。真の美しさは、闇の中にこそある。それははっきりと目視するのではなく、観念的なものであるべきなのだ。

 やがて遠くに街の明かりが見えてきた。その光は完全に闇を駆逐するものではなく、上手く闇と共存している。

 街は広かった。レストランやバーなどの飲食店もあれば、商業ビルと思わしき巨大な建物も、時代遅れの日本家屋も、日本には似合わないゴシック様式の家もある。

 街のメインストリートと思わしき大通りを歩いていると、様々な人種が歩いていることがわかる。どう見ても日本人ではないような人ばかりであり、さらに言えば服装も奇抜である。

「汝、武器を持つ者か?」

 後ろから声をかけられ振り向くと、小柄な老人が黄色い歯を剥き出しにして笑っていた。

「何を言ってるんだ……?」

 今のご時世、武器を持ち歩いているような人間は警察官かやくざくらいだろう。穢土はどう見てもただの高校生であり、武器の類を持っているようには絶対に見えない。

 老人は目を見開いて穢土の顔を覗き込む。

「武器とは刃や銃弾ばかりを言うのではない。己の内の力もそうであるし、怪忌かいきも味方につければ武器となる。何も持たずにこの街で暮らす者は、そう」

 老人の手が凄まじい速さで穢土の首に伸び、締め上げる。

「死ぬ」

 どう考えても老人とは思えない力。穢土は声を上げることも息をすることも出来ずに眼球が迫り出してくるのを感じた。

「君は運がないね」

 澄み渡るソプラノ。続いて響く甲高い音――恐らくは発砲音。そして声も上げずに頭部が弾け飛ぶ老人。

 前者二つの音は穢土の背後からだった。解放された穢土が咳き込みながら振り向くと、長い銀髪を靡かせた少女が、右手に不釣り合いな兇器を持ってこちらを見ていた。

「何だ――どうなっている――」

 少女はまだ手に持った兇器の銃口を下げない。穢土は警戒しながら立ち上がる。

「君、うちの高校の生徒でしょ?」

 よく見れば少女は穢土と同じ高校の制服を着ていた。穢土が頷くと、少女は依然銃口を下げずに笑った。寒気のするような、恐ろしく冷たい笑みだったが、綺麗だった。

焦点街しょうてんがいに入れたってことは、それなりに素養があるのね。名前は?」

「――穢土。弐条穢土だ」

「そう。私は樹洞じゅどう更良さらら。よろしく」

 言った途端、更良は銃の引き金を引いた。

 穢土は思わず目を瞑ったが、銃口が彼に向いていたにも関わらず何も起こらない。空砲だったのかと訝ると、背後で何かが倒れる音がした。

 振り向くと先程の老人が頭部全てを吹き飛ばされて倒れていた。前に見た時にはなくなっていたのは頭部の半分程度だったはずだ。

「第十六世界『修羅道』の頭の悪いおじいさんね。完全に頭を潰せば流石に死ぬから、もう心配はいらない」

 そう言って更良は漸く銃口を下げ、ブレザーの裏側に銃を収めた。

「助けてくれた礼は言うよ。だが――」

 人を殺したではないか。

「ここでは正当防衛は当たり前。君は私の友人ということにしておけば、大義名分は成り立つ。そうね、まずここが何処かを教えてないと」

 ついてきて――更良は踵を返すと、路地裏に入っていった。

 置いていかれてまたあの老人のような者に出会うことは避けたい。穢土は急いで更良の後を追った。

 路地裏を抜け、小さな通りに出る。そこに立つ清潔そうな二階建てのアパートの二階に向かい、一番奥の部屋に入る。表札には樹洞と出ていたので、更良の部屋なのだろう。

 部屋の中は広く、綺麗に整頓されていた。邪魔な物は何一つない、悪く言えば殺風景な部屋だ。

 奥のダイニングで座らせられ、更良が茶を持ってきた。穢土はその茶には口をつけず、更良の言葉を待った。

「最初に言っておく、この街では外の常識は通じないし、外とはまるで違う。色んな意味でね」

 更良は自分の茶を啜り、一息吐いてから続ける。

「ここは『世界の焦点街』と呼ばれている。焦点は光の屈折の方の焦点。君、大震災は知ってる?」

「どの?」

 東海・東南海・南海連動地震に、富士山噴火による巨大地震など。全て穢土が生まれる前の出来事だが、常識として大体は知っている。

「全部が関連してるらしいけど、今一番重要なのは首都直下の話」

「それなら知っている」

 穢土が生まれるおよそ二十年前、首都を襲ったマグニチュード9の巨大地震だ。当時は甚大な被害が発生し、復興にも長い年月を要したらしいが、現在ではそんなことを忘れさせてしまう程に首都は復活している。

「その地震は地上、海上だけではなく、平行する世界をも捻じ曲げてしまった。そしてこの異違羽東部に各世界が屈折して集まり、街が生まれた。それがこの焦点街。様々な世界の人間、異形が集まる混沌の街」

 だからあんなに種種相の人間がいたのか。穢土は街の様子を思い起こし、更良の言葉の信憑性を確かに感じていた。

「あんたの銃弾、最初も二発目も俺の身体をすり抜けて後ろの奴に当たった。それは違う世界の技術なのか?」

「いいえ。あれは私の能力ちから、〝自在透過オールクリア〟。触れたものが物質に触れるかどうかを自由に決定出来、自由に物質を透かして見ることが出来る。だから、今君のアソコが縮み上がってるのも見える」

「なっ――」

 更良は笑いもせずに、冷たい表情を浮かべたままだ。

「見飽きてるから、気にしないで」

 居心地の悪さを感じて穢土が居住まいを正すのを、更良は相変わらず冷めた目で見守った。

「この焦点街には、『深紅の夜空団』が結界を張っている。素質のない人間は入ることも、気付くことも出来ない。だから君には――素質がある」

「何のことだ……?」

「何と呼べばいいかは意見が分かれる。魔術、呪術、超能力。およそこの第一世界『葦原中国あしはらのなかつくに』では考えられない奇蹟が、この街には溢れている。そして、君にはそれを手に入れる権利がある。あくまで権利だから、どうするかは自由」

「待ってくれ、まずはこの街について詳しく知りたい。どんな力があるのかも」

「それなら実際に街を歩くのが一番ね。でも君一人じゃまたさっきみたいなことがあるだろうし――わかった、一緒についていってあげる。今日はもう遅いから、明日にしましょう。学校が終わったらね」

「学校か……。ここからはかなり距離があるんじゃないのか?」

「大丈夫よ。でも、付き合ってあげる代わりに私の用事にも付き合ってもらう」

「用事? 何だ?」

 更良は凍えるような笑みを浮かべて、

「人殺し」

 と言った。

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