焦点街の双璧

 城南高校はT都緑区に建つ私立高校である。学力はちょうど全体の中間程度。制服は男女共ブレザー。特別区であることからもわかるように、異違羽東部からは遠く離れている。

 弐条穢土と樹洞更良はこの高校の生徒である。普通に異違羽東部駅から城南高校に向かおうとすれば、始発に乗らなければ間に合わない。

「焦点街にはさえの神の標識がある。どういうことかは行けばわかる」

 更良はこう言い、穢土を連れて朝の焦点街に出た。

 時刻は八時過ぎ。電車ではどうやっても間に合わない時間。

 T字路の前で更良は立ち止まった。

「見て」

 指差す先には何も描かれていない、真っ白な標識が出ている。

「行くよ」

 更良はそう言うと穢土の手を握った。穢土はその恐ろしく冷たい手に驚いた。

 穢土の手を取り、更良は真っ直ぐにT字路に突っ込んでいく。目の前には民家の生け垣があり、ぶつかるかと思い穢土は目を閉じる。立ち止まることは更良が許さず、そのまま進んでいくが、何の感触もない。

 手を離されたのをきっかけに目を開けてみると、そこは先程とはまるで違う、綺麗に整備された道だった。

「ここは――」

 見覚えがある。

 城南高校近くの通りだ。顔を上げれば校舎が見える。

「凄いな。これが焦点街の魔術か」

「そう。魔の通り道を塞の神の加護によって自在に広げ、通る者の意識した場所に着くように改良した。異界の道ははるか昔からあったらしいけど、これを誰でも通れるようにしたのは天賀茂家の功績」

「天賀茂家? 何だそれは」

「その内、厭でもわかるよ」

 二人はその後無言で学校に向かい、昇降口で別れた。その時わかったが、更良は穢土と同じ一年生らしい。

 穢土は早く学校に着いたことに少々閉口した。朝のホームルームが始まる前の時間に、他の生徒の馬鹿話を聞くことになるのか。携帯端末を取り出しミュージックプレイヤーを起動しようかとも思ったが、イヤホンを持っていないことに気付く。二十二世紀になったというのに、未だに別の装置を用いなければ一人だけで音楽を聞くことが出来ない。

 席に着き、机に突っ伏そうかと思うと肩を叩かれた。

「弐条――手前えええ!」

 胸倉を取られ、穢土は呆気に取られる。相手は赤い短髪の柄の悪そうな男である。

「――誰だお前」

 思ったことをそのまま口にする。穢土にはそもそもこの相手に覚えがない。掴みかかられる覚えもない。

来馬きばたすくだあ! 同じクラスだぞ!」

「そうなのか。初めて聞いた名前だ」

 穢土はクラスの人間になど興味はない。顔を覚えている生徒もいないし、名前を覚えている生徒もいない。恐らく更良が同じクラスだったとしても、昨日会った時にそうだとわからなかっただろう。

「なんつう失礼な野郎だ。それより、お前今朝樹洞さんと一緒に登校したな?」

「ああ。それがどうした?」

「どうやってお近づきになりやがった! 俺が今までどれだけ話しかけようとして挫けてきたか――」

「別に、昨日たまたま会っただけだ」

「お前、樹洞さんがどれだけ高嶺の花か知ってんのか? その美しさとあまりのクールさから、話しかけようとしても一蹴される。誰も近寄れない孤高の麗人が樹洞さんなんだよ! それがお前はなんだ! たまたま会っただと? それで樹洞さんとお近づきになれるんだったら俺もたまたま会いてえよ!」

「五月蝿い奴だな、お前」

 とんだ馬鹿と会話をしてしまった――。

「五月蝿いとはなんだ五月蝿いとは! そうだお前、俺を樹洞さんに紹介しろ。今この学校で、恐らく一番樹洞さんに近いのはお前だ」

「別に仲がいい訳じゃない。そもそもクラスも知らない。まあ――」

 命の恩人ではあるが。

「五組だ。よし、行くぞ!」

 無理矢理肩を組まれ、穢土は弼に連れられて教室を出た。穢土の教室は三組。五組は二つ隣だ。

 五組の前で立ち止まり、弼が教室を覗き込む。

「今日も綺麗だ――」

 弼は暫し見とれていたようだが、我に返ると穢土を教室の中に放り込んだ。自分は教室の外で隠れている。

 出来れば無視したかったが、弼が同じクラスである以上、後で何度も絡まれるのは必至。ならばさっさと終わらせてしまおうと、穢土は暗澹たる気持ちで弼に声をかけた。

「おい、お前が一緒に来ないと話が始まらないだろう」

「ばっ! お前、いきなり樹洞さんと面と向かって話せるかよ! お前が俺のことをいい感じに紹介して、それからだよ」

 溜め息を吐いて穢土は更良の席に向かう。穢土が近付いてくると更良は顔を上げ、怪訝な顔をする。

「どうしたの?」

「ああ。教室の外で隠れてる奴がいるんだが、あんたなら見えるだろ」

「ええ」

「あいつがあんたと話がしたいんだと」

「そう」

 更良は椅子から立ち上がると、教室の外に向かい、弼と顔を合わせた。弼は完全に固まり、ただ穢土に助けを求める視線を送るだけだった。

「第三世界『止命しめい』。そうでしょう? 君の世界は」

「えっ――」

 弼はそれを聞くと視線を更良の方に向けた。

「まさか、樹洞さんも――」

「私は焦点街の人間」

 予鈴が鳴る。更良は呆気に取られている弼に背を向けると、何事もなかったかのように自分の席に戻っていく。

 穢土は更良の表情を窺ったが、そこからは何も読み取ることは出来なかった。仕方なく穢土は教室を出て、固まったままの弼を見遣る。

「おい弐条」

「名字で呼ばれるのは嫌いだ。穢土でいい」

「じゃあ穢土、お前、世界の焦点街を知ってるか?」

「詳しくは知らないが、昨日入った。そこであいつに会った」

「そうか――樹洞さんが焦点街の人間……。同じ街に住んでるのに気付かなかった。でも、これで俺達ご近所さんだ! ひゃっふう!」

 そう言うと弼は自分の教室に駆け込んでいった。穢土もすぐにホームルームが始まるので釈然としないまま教室に戻った。

 朝のホームルームの間、穢土は先程の会話から事実を整理する。

 まず、弼は焦点街の人間であり、第三世界「止命」というところの人間らしい。更良が言ったことからしてこの穢土のいる世界は第一世界「葦原中国」というそうだから、弼は異世界の人間ということになる。

 昼休み、穢土は弼に声をかけてみた。穢土が高校に入ってから他人に声をかけるのは、これが初めてだ。

「焦点街について聞きたいことがある」

 弼は弁当を掻き込んでおり、穢土がそう言うとさらにスピードを上げて掻っ込んだ。

「ここじゃなんだから、屋上行くぞ」

 弼はそう言い二人は並んで階段の方へ向かった。

 途中、五組の前を通り、弼は思わず中を覗き込んだ。

 すると目の前に更良が立っていた。弼は素っ頓狂な声を上げて後ろに跳ねる。

「穢土、説明をするから何処かに行こう」

 更良はそう言い、穢土の言葉を待つ。

「馬鹿な――下の名前、しかも呼び捨てだと――」

 一人悶絶する弼を無視して、穢土は屋上にしようと言う。

「ついでにこいつも一緒でいいよな? 焦点街の人間なんだろ」

「そうね。その方がいいかも」

「マジっすか樹洞さん! 俺、樹洞さんとなら何処にでも行きますよ!」

「君――」

 冷めた目で更良が弼を見る。

「五月蝿いね」

 がっくりと肩を落とす弼を無視して、更良は階段の方に向かっていく。穢土も弼に気をかけるつもりは微塵もなく、その後に続いた。

 屋上に上がると、更良は日陰にあったベンチに腰を下ろした。二人以外には誰もおらず、話すには都合がいい。穢土は更良の隣に腰かける。

「焦点街の成り立ちは昨日話した通り。そこに集まったのは無数の世界。一応存在が確認されている世界には番号が振られているけど、恐らくはそれ以外にも世界は存在している。私も番号付きの世界全てを把握している訳じゃないの。まあ」

「樹洞さん! 住所教えてください!」

 目を輝かせて現れる弼。

 立ち直りの早い男である。

「彼のような、体内が第一世界の人間と違う人間はすぐにわかるけど」

 更良の目は自在に透視が出来る。肉体の内部も例外ではない。

 弼を完全に無視して、更良は話を進める。

「第三世界『止命』の人間は寿命では死なない。臓器のつくりが第一世界の人間とはまるで違う。第九世界や第十三世界の吸血鬼とも違う」

「吸血鬼? そんなものもいるのか?」

「なんだよ穢土、そんなことも知らねえのか? 焦点街では最近吸血鬼が増えて社会問題化してんだぞ。それもこれもミトロプーロスが金を出す奴を誰でも死徒にするからなんだけどな。でもミトロプーロスは深紅の夜空団とも繋がりがるから、なかなか糾弾出来ねえんだ。天賀茂家は目の敵にしてるみたいだけど、深紅の夜空団と揉め事になるのを恐れて黙ってる」

「話を勝手に進めないで」

 更良に静かに一喝され、弼は一気に悄気た。

「焦点街を完全に統治するものはいないけど、主な力を持っているのは『深紅の夜空団』と『天賀茂家』の二つ」

 漸くそこに話が及んだと穢土は安堵した。訳がわからないことばかりだが、この二つの組織が焦点街で重要な存在だろうということは気付いていた。

「深紅の夜空団は様々な世界の力を持った者達があつまって出来た結社。昨日話したように焦点街の周囲に結界を張って、外部と焦点街を隔絶した。害をなすと判断した存在には懸賞金をかけてるから、実質焦点街の法と呼ぶことも出来る。でも、その基準はあくまでも深紅の夜空団。敵には回さない方が賢明。

 天賀茂家は元々この第一世界に存在していた、陰陽師という者達の郎党。私もその陰陽師っていうものが何なのかはよく知らないけど、第一世界には焦点街が出来る前から化け物が存在していて、それを退治する者達らしいの。焦点街が出来ると、違う世界から溢れる邪気が形を成して怪忌と呼ばれる化け物が生まれた。天賀茂家の本家は昔から異違羽東部にあって、天賀茂家は元からあった化け物退治のノウハウを活かしてそれを退治した。でも怪忌は絶えず発生して、天賀茂家はその対処に追われることになった。結局そのおかげで焦点街の住人からの信頼を得ることには成功したけど、深紅の夜空団の台頭を許すことになったの。勿論天賀茂家も相当の勢力を持っているから敵に回さない方がいい」

 次は君について――更良は一度息を吐いてからそう言って話を続ける。

「焦点街にはさっき言ったように、多数の世界から流れ込んだ気が満ちている。深紅の夜空団の張った結界を外部から無視出来るだけの素質があれば、焦点街にいるだけでいずれ何らかの能力が発現する。ただ、それが君にとっていい結果をもたらすとは限らない。一度手にした能力は放棄することは出来ないから、一生その能力を背負って生きていくことになる。私の〝自在透過(オールクリア)〟も、決していいことばかりじゃない。はっきりと、今決めて」

 更良は全てを見透かす目で穢土を見つめる。

「引き返すのならまだ間に合う。それとも――先に進む?」

「くくく――ははははは」

 穢土は顔を右手で押さえ、湧き上がる笑みをそのまま吐き出した。

「俺は今いるこの終わった世界が、吐き気がする程嫌いだ。どうすれば抜け出せるか、どうすればこの吐き気を収められるのか、ずっと考えていた。そして今、その答えが見え始めた。ならば――俺の回答は一つだ」

 穢土は昂揚した調子で、しかし何処か冷静に――言う。

「先に進む。俺はこんなふざけた世界から離れる」

「穢土、言っとくが焦点街はお前の思うような理想郷(ユートピア)じゃねえぞ」

 弼が低い声で忠言する。

「人殺しが日常の、血腥い街だ。殺さなけりゃ殺されるのが当たり前だ」

「それでいい。それがいい」

「――ったく」

 弼が溜め息を吐き、更良は依然表情を変えない。

「君がそのつもりなら、これも何かの縁。君が焦点街で生きていけるようになるまで、私が面倒をみる。勿論、昨日言ったように私の用事には付き合ってもらうけど」

「ちょっと待って樹洞さん! 俺、俺もこいつの面倒見ますよ! 一緒に焦点街について教えてやりましょう」

 そこでちょうど予鈴が鳴った。

「今の話、ありがたく受けさせてもらう」

「そう」

 穢土はそれを聞くと、それ以上は何も言わずに階段に向かい、自分の教室に戻った。

 それ以降はいつもと同じように授業が進み、全ての授業が終わった。

 帰りのホームルームで、担任の教師がクラスを湧き立たせた。

「えー、実は明日からこのクラスに新しく仲間が増える」

「転校生!」

「本当に?」

「女子か! 女子なのか?」

 クラス中が喧騒に包まれる。ちなみに最後の発言は弼のものである。

 しかし穢土は全く興味を持たずにクラスの会話に辟易として窓の外を眺めていた。このクラスで穢土が名前を知っているのは弼だけである。他の生徒は顔を見ても誰だかわからない。転校生が入ってきたところで、顔を見ようとも思わないし名前もすぐに忘れる。知らない生徒が一人増えるだけだ。

「本当は明日からなんだが、本人の強い希望で今日来ている」

 ここでさらに教室が湧き立つ。

 教師が教室の前のドアを開け、外に声をかける。

 小さいが確かに感嘆だとわかる声があちこちで漏れた。可愛いという声も聞こえたので、女子なのだろう。

「天賀茂多央たおです。実はちゃんとした学校に入るのは初めてで、結構緊張しています。よろしくお願いします!」

 ――天賀茂?

 穢土はそこで漸く転校生を見た。

 背の低い少女だ。顔は更良とは違うあどけなさが残るものだが、美人なのは同じである。黒髪は後ろで一つに束ねている。

 急に穢土が目を向けたのがわかったのか、多央は穢土と目を合わせてにっこりと笑った。

 穢土は何故か、酷く赤面した。

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