mission13-33 終わらせるものの気配
気がつくとルカたちは見知らぬ場所にいた。
すぐ近くにオアシスがあり、それ以外は砂漠の光景が広がっているから、スヴェルト大陸のどこかであることは間違いなさそうだが。
先ほどまでずっと地下に作られたアジトの中にいたせいで、照りつける太陽が眩しい。
「ハデス、聞こえるか?」
ルカは試しにこの冥界の本来の主に呼びかけてみる。すると、ややあって囁くような小さな声で返事が返ってきた。気を抜けば風の音にかき消されてしまうような小さな声だ。普段ならうるさいくらいの
“なるほどなるほど。ワタシの声が届きにくくなっているということは、それだけこの空間におけるワタシの支配権が弱まっているということだ”
「それってつまり、破壊神とソニアの共鳴が強まってるってこと?」
“腹ただしいがそういうことだ。ああちなみに、お前たちにとっても他人事ではないぞ”
ハデスはクククと笑い、さらりとした口調で続けた。
“この空間がワタシの冥界ではなく破壊神の所有する空間に塗り替わったらどうなるか? お前たちは破壊神の厭世の念に取り込まれて二度と現実世界には帰れんよ。冥界であるうちは、ワタシの権限で気に食わん者を現実世界に追い出すこともできるがね”
素直な言い方ではないが、ハデスの支配権を取り戻せばルカたちを元の世界に帰してくれるということらしい。
「それで、あんたはどうなるんだ」
“んん?”
「破壊神に乗っ取られた場合、だよ。あんたの本体はソニアの右眼にはまってる神石だろ。だから、ソニアがもし破壊神と完全に共鳴したらどうなるんだと思って」
“うーん、そうだねぇ。もの言わぬ石ころと成り果てるか、あるいは破壊神の力の一部として取り込まれるか。いずれにせよ創世神の残りカスでしかない神石にできることはただ共鳴者の意思に委ねるだけさ”
アイラがルカの肩をつつく。いつの間にか破壊の眷属たちに取り囲まれていた。急がないと敵の勢力は増す一方なのかもしれない。ルカは武器を構え、行く手を塞ぐ破壊の眷属たちに斬りかかった。その間もハデスのおしゃべりは止まらない。
“それにしても神石の心配までするとは……とんでもないお人好しだな。お前と共鳴した神石はさぞかし幸せ者だろうよ”
ルカは口を閉ざし目の前の敵に集中しながらも、頭の中でハデスへの回答を思い浮かべる。
(気づかなかった? おれの方が神格だよ。おれの共鳴者は契約によって今は時間から切り離されて眠り続けてる)
"ほーう。それは興味深い現象だがね、そうは言ってもやはりお前からは神石らしさを感じないよ"
小馬鹿にしたような物言いに、ルカはむっとして大鎌を振るう力を強める。
(どういうことだよ、それ)
"お前が共鳴者の身体を動かすようになって何年になる?"
(三年……いや、もうすぐ四年かな)
"それだけあれば十分に染み付くものさ。人間臭さってやつがね"
(人間臭さ……?)
釈然としないルカは思わず自らの服の匂いを嗅いでみた。……うん、よく分からない。
その様子をどこかで見ているのだろう、ハデスがけらけらと笑う声が聞こえる。
"単純なことさ。精神と肉体は別モノじゃなくて、干渉し合うモノだってことだよ。肉体を失った死者たちを見ていればよく分かることさ。彼らには彼らを縛る時間も物理的制限も存在しない。だから自分の欲望のままに自分が心地良いと感じる状態を維持し続けようとする。永遠に……そう永遠に。その精神性は暇を持て余した神にどこか似ている。お前に起きているのはその逆だ。人の身体との付き合いが長くなればなるほど神格が人間臭くなって、やがて人と神との境目など無くなってしまうのだろうね"
戦いながら聞くには話が抽象的すぎた。いまいち腑に落ちないルカの理解を待つことなく、ハデスはあっさりと話題を変える。
"まぁ、話を戻すとあまりワタシのことは心配しなくていい。半分賭けだが、一つ勝算がある。限界まで行ってみないと答えは分からないが"
(どういうこと?)
“今は言えんよ。その時が来るまでソニアに悟られるわけにはいかないからねぇ。普段冷静な奴が怒るとどうなるか分からんだろう? ワタシもあいつにはそれだけ慎重にならざるをえないということさ。それより、ワタシの力が及ぶうちに他の仲間とも合流しておくといい”
ハデスの声が途切れると同時、ルカのすぐ背後で破壊の眷属の断末魔が上がった。はっとして振り返ると、そこには太陽にきらめく白銀の剣と女剣士。
「ターニャ!」
彼女は剣を構えながら肩をすくめた。
「死神の声がして黒い渦に飲み込まれたと思ったら……どうやらあたしにはまだ死者になる資格がないってことみたいだ」
ルカはふっと笑って彼女と背中合わせに立つ。
「当たり前だろ! まずは
「オッケー。けど、あたしらにはもうそんなにやることないかも」
「え?」
ルカがその理由を問う前に、うじゃうじゃと集まってきていた破壊の眷属の頭上に火の玉と氷の塊が一斉に降り注いだ。神石の力と上級呪術による攻撃だ。
「はぁ、やっと合流できた……」
安堵したような声を漏らすのはドーハと彼のすぐそばに寄り添うウラノス。そしてもう一人、ミハエルが敵を滅してからこちらへ駆け寄ってきた。
オアシスのすぐ近くにはヴァルトロ軍のものと思われるキャンプ地があった。ここにソニアかライアンがいる可能性は高そうだ。
ルカたちはテントの脇に干されていた濃紺色の軍服を拝借して潜入することにした。ただ、見た目を彼らと同じにしたところで自分たちが浮いて見えるのには変わりがなかった。キャンプを出入りする兵士たちはみなぐったりと疲れた顔をしていて、重い足取りで歩いていたからだ。負傷している者も多く、救護テントの中からはうめき声が響いている。ルカたちのようにぴんぴんとしている人間はほとんどいない。ただ目を引いたとしてもそれを気に留める気力は残っていないのか、ヴァルトロ兵から声をかけられることなく堂々と歩けてしまった。
「……似てるな」
ターニャがぼそりと呟いた。
「似てるって、何に?」
「二国間大戦の終戦間近、つまり『
彼女は苦い表情を浮かべて唇を噛んだ。ターニャも当時戦場に立っていたから分かるのだ。終わることのない戦争に誰もが感覚を麻痺させて、命の奪い合いを繰り返すことで醸し出される異様な空気を。
その時、ウラノスが何か見つけたのか「あっ」と声をあげた。彼女が指差す先を見ると、とあるテントの中に入って行こうとするソニアの姿があった。
先ほどのアジトで見かけた時よりも背が伸びて肉付きが良くなっている。ライアンに救われて、まともな生活を送れるようになったのだろう。彼もまたヴァルトロ軍の制服を着ている。ただ、腕には黄色の明るい腕章をつけていた。ドーハ曰く、あれは非戦闘員の目印のようだ。
テントのすぐ側まで行くと、一部布が破れている場所があった。ここから中の様子を覗くことができそうだ。
「ライアン様。食事の時間ですが……」
ソニアに声をかけられ、机上に広げられた地図をじっと見ていたライアンは顔を上げた。彼もまた、他の兵士たちと同じようにアジトで見かけた時よりは少しやつれたように見える。ただソニアに向ける柔らかい笑顔は変わってはいなかった。
「呼びに来てくれてありがとう。でも今はいいや。あまりお腹が空いてなくて」
「そう言ってここ数日ほとんど食べていない……。このままでは戦場に出る前に倒れてしまいます」
「本当に平気なんだよ。私の分はソニア、君が食べておいて。ほら、グラシール先生も言ってただろう? 君は今成長期なんだから、食べた分だけ身体が丈夫になるって」
納得いかないのか、ソニアは俯いてぼそぼそとした声で言った。
「……どうしてそんなに俺に良くしてくれるんですか。俺は戦争孤児で、死者が視えて……おまけに人殺しです。ものを知らないし、戦えるわけじゃない。それなのに」
「でも君は私を救ってくれた」
ライアンははっきりとした口調で言った。ソニアは一層下を向いて自信なさげに呟く。
「あの時は……俺も混乱していて、下手したらあなたも巻き添えにしていました」
ソニアはアジトでリーダーを絶命させた時の話だと思ったようだ。だがライアンはきょとんとしている。
「確かにその時も救われたけど、私が言っているのはもっと最近の話だよ」
「最近?」
「そう。父上に前線に出ろと言われた私に、君は危険な場所と分かっていながらここまでついてきてくれたよね。あのままグラシール先生のところで暮らしていることだってできただろうに」
そう言って彼は椅子のそばに立てかけてあった剣を手に取った。
ルカたちは思わず声をあげそうになった。
鞘から抜かれたその刀身にはめられているのは、禍々しい気配を振りまく赤黒い神石。
実物を見るのは初めてだが、一目見てそれと分かった。
あの剣は、ガザ=スペリウスの最高傑作であり、災厄の魔剣となってしまった、世界初の神器だ。
「何度見ても恐ろしい剣だよ……。でも、不思議と私の手によく馴染む。この剣で早く戦争を終わらせてヴァルトロへ帰ろう。ソニア、君も一緒に」
「っ……」
何か言おうとソニアが言葉を探っているうちに、一人のヴァルトロ兵が慌てた様子でテントの中に入ってきた。どうやらヴァルトロ兵同士で内輪揉めが起きて、互いに殴り合う喧嘩に発展してしまったようだ。
「……最近多いね」
ライアンはふぅと小さく息を吐き、席を立った。
「案内して。私が仲裁しに行く」
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