mission13-10 地下の歓楽街
老婆の案内で足を踏み入れた地下街は、まだ昼間でほとんどの店がやっていないせいか、アイラの言ったような楽園には見えなかった。明かりはついておらず、ところどころに穴が空いているのか地上から差し込む太陽の光が中を照らすだけで薄暗い。ひとけはほとんどなくしんとしている。ただ、細く入り組んだ地下通路のあちこちには赤、紫、黄の華やかな薄布がカーテンのようにかけられた穴ぐらがあって、時々その奥から甘い香りが漂ってくるので、前を通るときは少し緊張感があった。
「アイラ、大丈夫か?」
ルカは背負っている彼女に向かって声をかける。返事はかえってこず、ただ苦しそうな吐息だけが聞こえた。撃った相手が青い血を噴いたのを見てからというもの、ずっとこんな調子だ。普段の凜とした表情が消え、ただただずっと何かに怯えているような表情を浮かべている。
「なぁ、そろそろアイラを休ませたいんだけど……」
「そう焦るな。じきに着く。それにワシの部屋にはよく効く薬もあるからの」
老婆はとある穴ぐらの前に立つと、躊躇なく薄布のカーテンを開けた。
「キャッ!?」
中にいたのはほぼ下着姿の女だった。彼女は悲鳴をあげると、ルカたちを見て慌ててそばにあったブランケットを身体に巻きつけた。
「ちょっとおばば様、開店前に若い男連れてこないでくださいよぉ! まだ化粧もしてないのにぃ!」
老婆は呆れたようにため息を吐き、杖の先で女の太ももをつつく。
「阿呆、この子らは客じゃない。ワケありじゃ」
すると女の表情ががらりと変わった。急に熱が冷めたように真顔になると、じっとルカたちを見定めるような視線を向ける。
「フーン、そういうことなら……」
彼女はルカたちにくるりと背を向け、「どうぞ」と奥へ手招きしてきた。老婆は再びルカたちに先立って歩き出す。
しばらく進むと急に開けた空間が現れた。中央に舞台があり、それを囲むように小さなテーブルが並んでいる。百人くらいは入りそうなスペースだ。壁にはさまざまな地域の酒のボトルがびっしりと並んでいる。
「夜になったらまたいらっしゃいな。今度はお客様としてね」
女はそう言って妖艶な笑みを浮かべると、舞台に上がり中央の床に埋まっていたレバーを引っ張った。どうやら蓋になっていたらしい。ガコン、という音が響き蓋が開く。覗き込むと、はしごがあって下に降りられるようになっていた。女や老婆に続き、ルカたちも舞台の下へと降りる。
そこから先はいくつか薄布のカーテンで仕切られた個室が並んでいた。いくつか開いたままの部屋があって、見てみると中はずいぶん豪華な作りになっていた。真紅の柔らかそうなソファが置かれ、金色の煌びやかな装飾が天井から垂れている。室内にも小さなバーカウンターがあり、そこに並んでいる酒のボトルは心なしか先ほどの大部屋よりも高価なものが多そうだった。
「ここはお得意様専用なの。あなたたちはこっち」
そう言ってすたすたと奥へ進んでいく。やがて突き当たりまで来ると、女は何も無さそうな壁に触れ、小さく何かを唱えた。すると壁にぼうっと紋様が浮かび、壁が砂のように崩れ落ちた。
「今のって、ルーフェイの呪術……?」
女は口元に人差し指を立てて「しーっ」と言う。
「秘密ね。ルツ市民は呪術を使っちゃいけないことになっているんだから」
呪術を扱うのはルーフェイの人々と、ルーフェイの影響を色濃く受けているツヒの一族だけ。ゆえにルツの人々は呪術を毛嫌いしているのだ。
「それでもな、この地で生き延びるためには何でもやってきた。特にワシらのような居場所のない流れ者、キャラバンの民はの」
老婆はそう呟くと、壁の向こうにあった広い部屋の中にある壇の上、獣の毛皮を剥いで作られた座布団の上にあぐらを組んで座った。どうやらここが彼女の部屋らしい。
「名乗るのが遅れたな。ワシはここら一帯の地下街を取り仕切るジヤンナという。皆にはおばばと呼ばれておる。お前さんらは……まぁ好きに呼べ」
ジヤンナはすぐ横のソファ——先ほど見た個室の中のものより心なしか豪華に見えた——にアイラを寝かせるようルカに指示した。やがてここまで案内してくれた女が薬草を煎じた汁を持ってくると、冷ましながらゆっくりアイラに飲ます。アイラははじめ苦そうな表情を浮かべていたが、喉を通ると徐々に表情が和らぎ落ち着きを取り戻していった。
「本当に効いた……! ありがとう、おばば様」
「気にせんで良い。かじった程度じゃがルーフェイの薬学の知識があってな、今飲ませたのは鎮静効果のある薬湯じゃ。アイラのこれは心的外傷による発作。薬を飲んで少し待てば落ち着くじゃろう」
昔からそうじゃったしな、と付け加えると、ジヤンナはアイラの額に浮かんでいた脂汗を優しく拭った。
「おばば様はアイラのことを知ってるのか?」
「ああ。……九年ほど前じゃったか、当時ワシが切り盛りしておったキャラバンにこの子が訪ねてきた」
ジヤンナは当時のことを思い出すかのように黙想する。
「離れ離れになってしまった弟を探すためなら何でもする、そう言ってこの子は踊り子になった。耳も聞こえんのに、じゃ。踊り子はキャラバンの花。売れれば一番情報が転がり込んでくると、そう思ったのじゃろう。あの頃のアイラは、見ていて痛々しいくらい必死じゃったよ。足の裏が血だらけになっても踊りの稽古に励み、プライドを捨てて客に媚びる術も身につけた。そうして砂漠の蝶として名を馳せるようになったのじゃ」
「……おばば様」
聞こえていたのか、アイラはうっすらと瞼を開き、荒い息遣いで言った。
「あんまり私のことを勝手に喋らないでくれる? この子たちは知る必要のない、みっともない身の上話なんて」
するとおばばはフンと鼻を鳴らした。
「そうやってずっと隠してきたのか? お前のいた施設の正体についても」
「っ……!」
「おかげでわしも気づくまでずいぶん時間がかかってしまったではないか。お前がまさか、ファシャルから逃げおおせた生贄の子どもだったとはの」
アイラは唇を噛んで押し黙る。心なしかまた顔が青ざめているような気がする。
「なぁ、さっきから話が見えないんだけどファシャルって結局何なんだ? アイラが生贄って、どういうこと?」
ジヤンナはちらりとアイラに視線を送る。他人に話されたくないなら自分の口から話せということなのだろう。
アイラはため息を吐くと、ゆっくりと上体を起こし、わずかに声を震わせながら言った。
「ファシャルのことはそこまで詳しく知らないわ。ただ一つだけ、間違いなく言えることがある」
「それは……?」
「彼らが、人を喰らう民だということよ」
「「え……!?」」
アイラは視線を落とし、か細い声で続けた。
「そして、本当のことを言うと私とソニアが育ったのは孤児院じゃないの。ファシャルの食事にするために戦争孤児を集めた施設——言うなれば彼らの餌場だったのよ」
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