mission13-3 双つ星



 翌朝。


 コクピットで仮眠をとっていたドーハは、目を覚ましてすぐに飛び込んできた前方の景色に思わず息を飲んだ。


 一面柔らかな砂に覆われた砂漠の大陸。ところどころに点在する白い石で作られた遺跡の跡。そして砂煙の向こうにうっすら見える、破壊神の誕生によってひび割れた大地。


 彼が育った銀世界のニヴルヘイムとはまるで違う世界が、そこにはあった。


(スヴェルト大陸。ここが二国間大戦の戦場だった場所、か)


 そう思うと、一層さまざまな思いが頭の中をめぐった。当時まだ幼かった彼にとっては、今回が初めての上陸になる。


(そういえば、ウラノスは……?)


 彼女は結局ずっと無反応のまま、ただ機械のように飛空艇の操縦を続けていた。ドーハが仮眠を取るように言っても聞かず、夜通し操縦席から離れようとしなかったのだが。


 操縦席の方を振り返る。


 ……いた。


 だが、何か様子が違う。


 彼女のそばに近寄ってみると、そう感じた理由がわかった。


 少女は静かに泣いていたのだ。


 前方に見える砂の大陸を見つめながら。


「ウラノス?」


 呼びかけると、彼女の瞳に光が灯った。


「……しい」


「え?」


「なんだか……悲しいんだ。あの場所で、悲しいことがあったような気がして……」


 ウラノスはそう呟いたかと思うと、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「おい!?」


 ドーハは慌てて放り出された舵を取りつつ、彼女を抱きかかえる。耳をすませてみると穏やかな寝息が聞こえてきた。どうやら疲れて眠っているだけのようだ。


(悲しいって、どういうことなんだ……?)


 ウラノスもまた、スヴェルト大陸に行くのは初めてのはずだった。


 彼女はマティスや四神将に同行する時以外はヴァルトロの外に出たことがない。同行するにしても、基本的には飛空艇の中で待機していることが多かった。


"もう一つの『プシュケーのはこ』を破壊しなさい"


 ふと、キルトが残した言葉がよぎる。


 それがすべての元凶だと、彼は言った。


 だが腕の中ですやすやと眠る少女のことをどうしてもそうは思えない。


 ドーハは溜息を吐き、天井を見上げた。


(アラン……どこにいるんだ。教えてくれ……ウラノスは、『プシュケーの筐』は、一体何のために造られたんだ?)




***




 ひたひたと足音が聞こえてきて、アランは神経を研ぎ澄ませた。


 今日こそ、ここを脱出してやる。


 常備していた万能薬のおかげでもう傷は塞がっていたし、体力は充分に回復していた。


 だが、ウラノスの少女は彼をここから出そうとはしなかった。時折彼女はどこかへ行っているので、その隙に出口を探してはみたものの、どこにも出られそうな場所はなかった。どうやら洞窟の中らしいということは分かるのだが、周囲は隙間なく岩壁で塞がれているのだ。


 アランの神石の力なら爆発を起こして岩壁を破壊することもできる。ただそうするとこの空間の中の酸素をかなり消費してしまう。どの方角が外に繋がっているかも分からない状態でそれは得策ではない。何もしなければ生きるのに不自由しないが、脱出を図れば死と隣合わせになる……ここは、巧妙に造られた牢獄なのだ。


(あと可能性があるとすれば、あいつ自身だ)


 振りまく気配はまるで違うが、おそらく能力は彼のよく知るウラノスと同じ「空間移動」だ。だからこそ出口も入口もないこの場所を行き来できる。


 彼女を懐柔するか、あるいは——


「アラン君、ただいまっ!」


「お、おう」


 満面の笑みで抱きついてくる少女についペースを乱される。


 そう、彼女の気配はやたらと禍々しい感じがしたが、アランに対する接し方は彼が知るウラノスよりもむしろ好意的だった。ここから出してくれないこと以外は至れり尽くせりだ。死にかけた彼を救ってくれたのはもちろん、毎食どこからかちゃんと調達してくる。しかもアランの好物ばかり。


 ここでじっとしていても彼女は何も危害を加えてこないだろう。


 ただ、そのぶん外で何をしているのかは謎だ。


 「世界がすでに壊れかけている」という言葉も気になる。


 今こうしている間にヴァルトロは、マティスは無事なのだろうか。そう思うと気が気ではなかった。


「あれ。アラン君、なんだか怖い顔してる」


「……どこへ行ってきたんだ?」


 少女はにかっと笑う。


「さて、どこでしょう? あててみせてよ」


「ヴァルトロだな」


「お、あったりー! どうして分かったの?」


「……キリの生体反応が消えた」


 少女はきょとんとしていたが、やがて合点がいったようにぽんと手を叩いた。


「そっかぁ、キリ君も『プシュケーの匣』を使っているんだもんね。危機に晒されればアラン君にアラートが行くんだっけ?」


 依然として軽い調子の少女の言葉に、アランは眉間にしわを寄せる。


「お前がやったのか」


「ふふ……やめてよ、人聞きの悪い。キリ君の『プシュケーの匣』がほとんど機能停止するまで追い込んだのはブラック・クロスだし、とどめを刺したのはソニア君だよ? 僕は、まぁ……ちょっぴりソニア君の手助けをしただけ」


 悪びれもせずぺろりと舌を出す。


 やはり彼女は「ウラノス」ではない。


 確かにキリはいけ好かない奴だが、「ウラノス」なら四神将に危害が及ぶようなことはしないはずだ。


 目の前にいる少女は、「ウラノス」の姿をした、別の何か。


 アランは機械でできた左腕で少女の首を掴むと、岩壁に押し付けた。


「うぐっ……何、するんだ、よう……!」


「今すぐ俺をここから出せ。でなきゃお前を殺す」


 単なる脅しなんかじゃない。


 こいつは危険だ。


 たとえ自分がここから出られなくなっても、今すぐ消したほうがいい。


 全身の本能が訴えかけてくる。


 だが、少女の方はまるで危機感がなく、不敵に笑うだけだった。


「できるかな? アラン君に……」


「作り手を舐めるんじゃねぇぞ」


 空いた右手で彼女の左胸を隠すワンピースを引き裂いた。もしそこに『プシュケーの匣』があるのならば、停止させる方法はいくらでもある……はずだった。


「なっ……!?」


 むき出しになったのは、彼が見たことのない『プシュケーの匣』だ。形は似ているが、動力供給方式がまるで違う。端的に言えば、アランが最も避けた形になっていた。この設計にしてしまえば、患者の人格に悪影響を及ぼすからである。


(どういうことだ……!? 『プシュケーの匣』の設計図は厳重に管理していた……俺以外の奴が作れるはずが……!)


 一瞬気を逸らした隙に、少女は瞬間移動の力で拘束を逃れ、アランの背後に回っていた。


「ッ!?」


 ぞわりと背筋に寒気が走る。


 一瞬のうちに禍々しい気配が空間を支配し、息苦しささえ覚える。


 そして何より……古傷が疼いた。


 義肢の付け根、彼の左腕が。


 どくどくと脈打ち、熱が回り、痛みが頭を支配する。


「まさ、か……ぐッ!」


 左腕を押さえ、アランはその場にうずくまった。


「ふふ……あははははははッ!」


 少女は高らかに笑うと、うずくまるアランに寄り添い背中をさする。


「痛いでしょう? 苦しいでしょう? 僕だってアラン君をこんな目にあわせたくないよ……。だからさ、もうしばらくの辛抱だよ。この世界から邪魔者がみーんないなくなったら、一緒に二人で幸せに暮らそう? ね? だって、! ふふ……ふふふふふ……」


 意識が朦朧とする。


 少女に身を預けるしかできない自分に腹が立つ。




(クソッ……。まさか……まさかお前なのか、……?)




 すべての始まりは、砂漠の大地からだった。


 そしてすべての終わりも、かの土地が舞台になろうとしていることを、アランはまだ知らない——




***



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