mission12-3 キーノの本音



 いよいよ"天寿の占"、その日を迎えた。


 年に一度の島をあげた祭に、人々は皆浮き足立っている。


 市場では普段の二倍以上の数の商品がずらりと並び、今夜はご馳走を作ろうという島民たちで賑わっている。市街地のあちこちには灯篭とうろうや色とりどりの飾り布が設置され、普段は白と紫を中心に造られた質素な街もこの時期ばかりは華やかだ。


 そんな中、浜辺の方から寂しげな歌がかすかに聞こえてきて、私は街の喧騒から逃げるように足を進めた。


 キーノが歌っている。


 浜辺にしゃがんで、海の彼方を見つめながら。


 私や島民たちの前ではいつもにこにこと笑顔を浮かべているが、この時ばかりは違った。


 今にも泣き出しそうな、そんな顔に見えた。


「キーノ」


 思わず声を掛けると、キーノは歌うのをやめた。いつも通りの笑顔を向けられ、一瞬自分の目を疑う。ただ、よく見ると彼の目尻に残る涙の粒が夕陽に照らされて煌めいていた。やはり、見間違いではなかったらしい。


「今の歌は?」


 尋ねると、キーノは少し気恥ずかしそうに俯いた。


「聞かれてたんだ。……えっと、お姫さまの歌、かな」


「姫? そなたの国のか」


「うん。ユナっていってね。まぁ、お姫さまっていうより、妹みたいな感じの子なんだけど」


「姫なのに妹? よく分からぬな」


「あはは。コーラントは小さい国だからね、王族との距離が近いんだよ」


 私はキーノの隣に座った。こうして同じ方向を見てみれば、少しは目に映る景色も同じになるだろうかと思ったのだ。だが、そんなことはなかった。私の目には穏やかに満ち引きを繰り返す海以外は何も映らない。この海の向こうを知っているキーノと、この島から出たことのない私ではやはり水平線の先に見えているものが違うのだろう。


「故郷のことが気になるのか」


 そう尋ねてみると、キーノは小さくため息を漏らし、自らの膝の間に顔を埋めた。


「こんなこと、ジーンに言っても仕方がないんだけど……本当はさ、今頃はコーラントに帰る航路についているはずだったんだ」


 初めて聞いた話だった。よくよく考えてみれば、これまでキーノはあまり自分の話をすることがなかった。


 私はただ黙って彼の話に相槌を打つ。


「だけど、船が大時化にやられて、僕だけがこの島に流れ着いて……気づけばもう一ヶ月近くになる。父さんは見つからないし、ユナにはしばらく手紙を送れてない。きっと心配をかけているんじゃないかと思って……」


「すまない、そなたがそんな風に思っていたとは知らなかった。私たちは薬を作ってもらうばかりで、そなたには何も——」


「いや、君が気にする必要はないんだ。薬を作っていたのは、何かしていないと不安でおかしくなりそうだったからだよ。時の島の人たちには感謝している。本当だ。どこから来たのか分からない漂流者の僕に優しく接してくれて、こうして住まわせてくれてるんだから」


 そんなことはない。


 追い出さないのは、そなたがここにいるのが私たちにとって都合がいいからだ。


 ……そう否定するだけの勇気が、私にはなかった。


 ただ、悔しくて、情けなくて、拳を握り締める。


 キーノは私の胸の内にあるものには気づいていない。ただ自分に言い聞かせるように呟く。


「でも、このままじゃダメなんだ。……約束、したから」


「約束?」


「うん。ユナに寂しい想いはさせない、必ず帰る、って。旅に出る前に、そう約束したんだよ」


 ほんの少し、兄さまのことを思い出して胸がちくりと痛んだ。


 私は、約束さえも交わすことはできなかった。


 兄さまは突然出て行ってしまったから。


 七年もの間、手紙の一通も寄越してくれることはなかったから。


 まめに手紙が届き、今なおその身を案じられているユナとやらが羨ましい。


 ただ、一方で……正直なところ、半分はもうどうでもよくなっていた。


 キーノと出会ってからというもの、毎日浜辺を歩いて兄さまからの手紙を探す日課は、すっかり途絶えてしまっていたのだ。


 キーノの存在が、外の世界は本当にあるのだと証明してくれているから。


 それに……私はもう、孤独ではないから。


「心配するな。そなたにその約束を破らせることはしない」


「え?」


「今夜の儀式が終わったら、父さまがそなたに船を用意してくれることになったのだ」


 キーノは信じられない、といった風に目を見開いた。


 一ヶ月近く暮らしたことで時の島の事情をある程度把握しているからだろう。外界から隔絶されたこの島では、船は食料調達に欠かせないものだ。船の材料となる背の高い木も滅多に生えないから、古い船を使いまわしてなんとかやりくりしている。


「正直、あまり立派な船にはならないとは思う。せいぜい小型帆船がこの島で用意できる最大限だ。ただ、それでも天気に恵まれればここから最も近いナスカ=エラにはたどり着けるだろう。……かつてこの島に移り住んだ私たちの祖先のようにな」


「本当にいいの? 僕みたいな漂流者に大事な船を」


「特別だ。そなたには時の島の民を過潮症から救ってもらった恩がある。もちろん、私もそなたに救われた。だから、これくらいさせてくれ」


「ジーン……」


 キーノは何か言いたげな顔をしていたが、私は彼の手を引っ張り無理やり立ち上がらせた。


「さぁ、今夜は年に一度の儀式の日だ。しっかりその目に焼きつけて、ユナ姫へ土産話として持って帰ってやるといい。地図に載らない島の祭なんて、冒険家なら心躍るものだろう?」


「そう、だけど」


 浜辺から出ようというところで、キーノはその場に立ち止まってしまった。


「ジーン。君も本当は……この島を出たいと思っているんじゃないの?」


 この時の私は、一体どんな表情を浮かべていたのだろう。


 キーノにそう言ってもらえて嬉しかった。たとえそれが叶わない望みだとしても、自分の本心を悟ってくれる人がいるということはこんなにも心強いことなのかと、私はこの時初めて知ったのだ。


 だからこそ、私はキーノに顔を背けて答えた。


「私にはやらなくてはならないことがあるんだ。だからこの島に残る。今はまだ、な。だけどもし……私が島を出ることになったら、次こそはそなたと共に旅をしてみたい」


「ふふ。いいね、それ」


 キーノが楽しそうに笑う。私もつられて笑った。


 たとえそれが夢物語だとしても。


 この瞬間の私たちにとっては、確かな未来の約束だったのだ。



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