mission11-37 リゲル・ドレーク
***
この世界に神がいるのだとしたら、それはおそらく陛下のことだろう。
ガルダストリアの掃き溜め……スラム街で生まれ育った私のことを拾ってくださった。そして功績を評価し、宰相の地位にまで重用してくださった。
生まれて初めて、人に認められたという感覚。
スラム街の荒くれどもと散々奪い合い、殺し合い、貶めてきた時には得られなかった感覚。
陛下のためならば、陛下の目指す理想のためならば、私は何だってしてみせましょう。
どれだけ嫌われ、憎まれ、恨まれようとも構わない。私には救いがある。神がいる。
……それなのに、なぜ。
アンフィトリテの者共を皆殺しにしたあの日から、陛下の私を見る目が変わってしまった。
スラム街で散々向けられてきた、あの嫌な視線だ。
穢れたけだものを見る目。
ああ、なぜです。なぜなのです、陛下。
どうしてそのような下卑た目で、神に似つかわぬ目で私を見るのです!
そしてどうして……かつて私に向けてくださった期待の眼差しを、極北の地からやってきたあの野蛮な男に向けるのです!
……そうか。私が失敗したからだ。
私がポセイドンの神石を逃し、"最後の海戦"で敗走したから……。
そうか、そうなのですね、陛下!?
ならば私は生き延びてみせる……いつかポセイドンの神石を手に入れるその日まで! 陛下が世界の頂点に立つその日まで! どんな手を使ってでも、どんな恥をかいてでも……この世にしがみついてみせる……!
***
元の部屋の原型をとどめないほどに、あらゆる場所に穴が空き、えぐられている。すべて正体を現したリゲルがやったことだった。ヒュプノスの神石の力で無数の枝が飛び出し、部屋中のものを破壊し尽くさんとばかりに暴れまわったのである。
ユナの歌で回復したルカたちであっても、敵の攻撃を避けるので精一杯だった。リゲルが半分自棄になってしまったかのように強力な技を連発してくるせいで、なかなか反撃の機会を見出せない。
のたうつ枝を避けながらターニャは苛立ちを込めて言った。
「ったくわけがわからないよ! あいつは一体何なの? キリってのは仮の姿だったってこと?」
「あいつはリゲル・ドレーク……ノワールたちのことをずっと追ってた敵だ! “最後の海戦”で負傷して死んだって言われてたけど違った……息子のキルトの身体に乗り移って生き延びていた。それが『キリ』だったんだ……!」
「ええ、これでつながってきたわね。ガルダストリアで聞いた話だと彼の家族は火事で死んだことになっていたけど、息子の身体だけは今ここにあるってことは」
「ああ、家に火をつけたのはあいつ自身だ。たぶん、証拠を隠すために……!」
ルカのもとに素早く植物のつるが伸びてきた。枝よりは攻撃力が低そうだが、嫌な予感がしてルカはそれを斬り落とす。断面から小豆色の濁った液体が散った。どうやら毒が仕込まれていたらしい。ヒュプノスを操るリゲルが口の端を吊り上げて笑う。
「その通りですよ、ルカ・イージス。たとえ手足や内臓がまともに動かなくなっても、私には生き延びる必要があった! 十二年前、”最後の海戦”の後……失血で朦朧としつつも頭は妙に冴えてましてねぇ。私は思い出したのですよ。当時傭兵ギルドの片隅でひっそりと義肢を作り続けていた男のことを」
「まさか……!」
「そう、それがアラン=スペリウスでした! 私は眠らせたキルトの身体を運び、アランと交渉した。彼は喜んで飛びつきましたよ! ずいぶん前から彼の『プシュケーの
そうしてアランの協力のもと、リゲルは「キリ」という新たな器で再びこの世に息を吹き返したというわけだ。
「理解できない……あんた、胸が痛まないのか! 自分の家族の身体を使って生き延びるなんて……!」
「カハハ! むしろなぜあなたが怒るのです? 私の家族は私のものだ。駒として最大限活用させてもらったまで。そもそも子を成したのも、いつか私の身体が機能しなくなった時の代替品にするためです。血も臓器も血縁者である方が適合しやすいですから。そしてキルトは立派にその役目を果たした。そこに一体何の問題があるというのです?」
リゲルは高笑いしながら再び攻撃を繰り出してきた。
「くそっ……!」
これ以上話しても、きっと分かり合えることはないだろう。彼はノワールの生まれ故郷を滅ぼし、ユナの国をヒュプノスの樹の実験台として混乱に陥れ、ガルダストリアの工場で市民を使役し、そしてユナと神石ミューズを操り酷い目に遭わせた。
許せない。ここで必ず倒す。
……それでも。
「ああもう! あたしがあいつの胸にある神石を破壊する! それで決着つくってことなんだよね?」
「ダメだ!」
「はぁ!? なんで」
「胸の神石はアストレイア……キルトと共鳴している方の神石だ。あれを止めればキルトは」
「そんな甘いこと言ってる場合じゃないでしょ!」
足場からいくつも枝が飛び出し、ルカたちを串刺しにしようとする。
散り散りになって避ける一行。
「はぁ、はぁっ……アマテラス、焼き尽くせ!!」
ドーハの持つ鏡から太陽の光が放たれる。次々に萎れていく枝。
だが、その眩しさゆえにドーハはすぐ足元に敵の魔の手が迫ってきていることに気がつかなかった。
「っ!?」
急に片足が引っ張られたかと思うと、ドーハの身体は真っ逆さまに吊り上げられてしまった。
「ドーハ!」
つるがドーハの足に絡まっていた。まるで生きた蛇のように器用に動き、リゲルの元へと運んでいく。
「うっ……離せ!」
ドーハは腰から剣を抜いてつるを断ち切ろうとするが上手く届かない。やがてもう一本つるが伸びてきていともたやすく彼の剣を絡め取ってしまった。
唖然とするドーハのみぞおちに激しい衝撃が走る。リゲルの拳だ。
「がっ……!! キ、リ……」
「その名で呼ぶな!!」
抵抗できないドーハに、リゲルは手加減なく拳を浴びせていく。
「カハ……カハハハハッ! どうです、元部下にいたぶられる気分は! ええ、ええ……この十二年、本当に反吐が出るような毎日でしたよ。アランに助けられた手前、憎きマティス・エスカレードとその息子に仕える羽目になってしまって!」
「ぐっ! ああっ!」
「ですが、目的のためにここまで辛抱してきたのです……! マティスが世界の頂点に立った後で彼を殺し、その座を陛下にお渡しすれば全てが報われる! なのに! なのに! あと一歩のところであなたたちがまた邪魔をする……!」
リゲルがドーハの剣を手に取り、その切っ先をドーハの胸に向ける。
「やめろぉぉぉぉぉっ!」
瞬間移動でルカはドーハのそばに駆け寄り、彼を捕らえていたつるを切り裂いた。
「リュウ、ドーハを頼む!」
「ああ、任せろ!」
リュウはぐったりと弱ったドーハを背負い、追撃してくる枝やつるを払いながら後退。
リゲルは苛立ち露わにドーハの剣を高く掲げた。
「あああああああ目障りなんですよ、ブラック・クロス!」
「お前こそいい加減目を覚ませ、リゲル!」
振り下ろされる一撃。ルカは大鎌で受け止め、押し返す。リゲルを支援しようと迫ってくる枝はターニャとアイラで対処する。
一対一だ。
激しい剣戟の音が絶え間なく響く。
「目を覚ます? カハハハハ! 笑えない冗談ですねぇ! よりにもよってヒュプノスの共鳴者であるこの私に!」
「だからこそだよ! あんたは自分自身に催眠をかけて妄信しているだけだ! あんたの理想についてくる人間は誰もいない!」
「何を偉そうに……! あなたに理解されなくてもけっこう! 私にはあのお方がいらっしゃる! 気高く聡明な陛下が私を——」
「だから目を覚ませって言ったんだよ!!」
ルカが力強く大鎌を薙ぎ払う。狙ったのはリゲルが手に持つドーハの剣ではなく、彼の腰に収められたヒュプノスの杖の方だった。カランカランと音を立てて床の上を転がる枝の杖。
「ターニャ!」
「ちっ、まわりくどいのは嫌いなんだけどな!」
文句を言いながらもターニャは杖の元へと駆けて行き、裁きの剣を振り上げた。剣身とターニャの瞳が白銀に輝く。
「ヴァルキリーの名において裁定を下す!!」
「っ!? やめ——」
「邪な意志に染まりし神の御石を破壊する!」
パキッ……!
白銀の剣が杖の先端にあるヒュプノスの神石を貫いた。
"あり……がとう"
(え……?)
どこからか響く声にルカはハッとした。ヒュプノスの神石ではない。この声は——
白銀の光が強くなる。小豆色の神石に瞬く間にひびが入っていく。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
ターニャが力を込める。
白銀の光が弾けとび……ヒュプノスの神石から、色が消えた。
一方、リゲルの表情はまだ余裕を保っていた。
「甘い甘い甘い! 私にはまだ、もう一つの神石が……!?」
自らの左胸を見て、リゲルはようやく気づく。
アストレイアの神石から、一切の輝きが失われていた。
「もう、協力しないってさ」
ルカはありのまま伝える。たった今、神石アストレイアから聞こえてきた言葉を。
「な……!? そんなはずはない! ヒュプノスが破壊されたのならアストレイアとキルトが目覚めて……」
「そうだよ。そして二人が自分たちの意志で決めたんだ。契約満了……キルトはもう、神石の共鳴者じゃない」
奥歯を噛みしめると、血の味がした。
……救えなかった。キルトのことを、救ってやれなかった。
(クロノスならまだどうにかすることができたかもしれないのに、おれは……!)
"悔いることはありません"
(っ!? キルト……?)
"あなたのその力は、今使うべきものじゃない。それはあなた自身がよく分かっているはずです"
(けど……!)
"もう一つの『プシュケーの匣』を破壊しなさい"
(もう一つって……日記にも書かれていた二号機のこと?)
"そう……す。それ……そが、すべ……の、元凶……"
(待て! 待ってくれ……! 声が、かすれて……)
"あり……とう……私……父を止め……機……を与……くれて……"
(キルト! キルトーーーーーっ!!)
「馬鹿な……キルトが、私に反旗を……翻すなど……ぐはっ!!」
ルカの大鎌による峰打ちが決まる。リゲルは口から血を吐いてその場に崩れ落ちた。
心臓代わりに身体を動かしていたプシュケーの匣は、アストレイアの神石との共鳴が途絶えたことによりエネルギーが低下しているのだ。キルトとアストレイアを眠らせたことで急速に老いたリゲルの身体。動力源の衰えた機械では、これ以上支えることはできない。
身体の限界——いや、彼にとって本来あるべき寿命が戻ってきたとも言える。
「う……ぐ……まだ、まだだ……。私は、こんなところで……!」
口ではそう言うが、もう立ち上がる力は残っていないようだった。
ルカは武器を元の黒十字のネックレスに戻し、リゲルの側に立った。
「……あんた、やりすぎたんだよ。自分の理想のためにたくさんの人からたくさんのものを奪ったんだろう? それが自分の信頼を失うってことにも気付かずに……」
「黙れ……黙れ……! あなたに、何が分かる……ッ」
「あんたの気持ちは分からないよ! でも、あんたが仕えていた王様の気持ちは少し分かる気がする……。あんたのことが怖かったんだ、きっと」
「怖い……? カハハッ。怖い、ですって? 馬鹿な、陛下のようなお方に、そんな感情あるはずがない……!」
「っ!?」
リゲルに足首を掴まれる。弱っている老人とは思えない力だ。
振りほどこうとするほどにしがみついてきた。まるで彼の生き様のように。
「陛下は完全無欠なお方! あのお方こそ神! あなたたち愚民には想像もつかないでしょうよ……! カハ……カハハハハ! 陛下に恐怖などと、脆い人間じみた感情など……あるはずが……! あるはず、が…………」
リゲルの声が急に途絶えた。
「リゲル?」
しゃがんで顔を覗き込む。
かつてガルダストリアで栄光を極めた非道の宰相は、目を見開いたまま気を失っていた。
「終わった、のか」
室内に静寂が訪れる。
ターニャが側にやってきて、リゲルの手からルカの足を解放した。
「……少しも同情する気にはなれないけどさ。自分に催眠をかけでもしないとやってられなかったんだろうね。現実を直視したら……自分の弱さと滑稽さを受け入れなくちゃいけなくなるから」
どこかエルロンド王にも似た彼の境遇に、思うところがあるのだろう。ターニャは深いため息を吐き、リゲルが目を覚ました時に動けないよう拘束する。神石と若さを保つ肉体を失った彼が再び脅威になることは考えにくいが、念には念を入れてだ。
「リゲルにはきっと、自分の弱さをさらけ出せる相手がいなかったんだ。そういう意味では、おれたちにとっても他人事じゃないよ」
「確かに。でも、君はもう平気だろ?」
「わっ!?」
急に背中をどつかれる。
ルカは前のめりになりながらも、部屋の隅で休んでいるユナに視線を向けて頷いた。
「うん。……もう、大丈夫」
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