mission10-1 任務引き継ぎ
ルカが目を覚ましたのは突然のことだった。
すぐ目の前に誰かの顔が見える。こちらをじっと覗き込んでいるようだ。焦点が合ってきて、それがターニャであることが分かった時、ルカは思わず身を引いた。
「……っ!」
「なんだよ、そんなにビビらなくても良くない?」
ターニャは不満げに口を尖らせる。
ルカはそんな彼女に構わずゆっくりと身体を起こした。海水の匂いと、一面に広がる水面、そしてわずかに揺れるカゴシャチの振動。今の状況を理解するための感覚が一気にルカの身体を駆けめぐる。
手足を動かしてみる。何の異常もない。疲労も感じない。だが頭だけはズキズキと痛んでいた。
「おれはどれくらい寝ていた……?」
「四日くらいってとこじゃないかな。ウーズレイの葬儀の晩、急に倒れたっていう君をミハエルが運んできて、次の日になっても起きる様子がないからそのままシャチに乗せて、数日経ったのが今」
「四日……」
ルカは頭の中で計算してみる。眼が覚めるまで見ていた"時の追憶"もちょうど四日間の記録だった。
「どうした?」
ターニャの探るような視線に、ルカは慌てて「なんでもない」と答える。人の意志がどこに向いているかを見定めることのできる彼女に隠しごとは通じないかもしれないが、それでもとっさに"時の追憶"のことは知られたくないと思ったのだ。
("時の追憶"……あれは時の島の人々の記憶の集合体だ。そしておれはジーンの視線で当時の記憶を見た。最後に現れたあの少年は——)
キーノ・アウフェン。ユナの探し人。
そしてユナの話の通り、どう考えてもその容姿は自分にそっくりなのだ。
(まるで自分を外から見ているような妙な感覚だったな……けど、おれにはあんな記憶はない)
普通、きっかけがあれば失われた記憶が舞い戻ってきそうなものだが、ルカにとっては"時の追憶"の中での出来事が他人事のように感じられた。
(コーラントで見つかった記録通り、そしてミハエルがナスカ=エラで言っていた通り、キーノは確かに時の島にたどり着いていた。ただ、だとしたら……おれは一体何者なんだ?)
頭を抱えるルカに、ターニャの呆れたようなため息が降ってくる。
「まぁ何悩んでんのか詳しいことは分からないけどさ、とりあえず一番心配してた子に顔見せてやったら?」
そう言ってターニャは隣を泳ぐもう一頭のカゴシャチを指差した。ユナが乗っているのが見えて、ルカは立ち上がり彼女に向かって手を振る。
「おーい! 心配かけてごめんなー! もう大丈夫だからー!」
ユナはすぐにルカの声に気づいた。彼女もはっと立ち上がり、ほっと安心したように顔を
ターニャ曰く、ユナがあまりにルカの具合を気にして自分の食事すらとらないので、あえて乗るシャチを別々にしたのだという。ルカが今乗っているカゴシャチにはリュウとターニャが、もう一頭のカゴシャチにはユナとミハエルが乗っている。
ルカはちらりとユナの隣にいるミハエルの方を見る。彼は視線が合うと首を横に振った。「あのことは誰にも言っていない」、そういう意味なのだろう。
「そういえばアイラとヨギは?」
ルカが尋ねると、カゴシャチの面倒を見ていたリュウが振り返って答える。
「アイラは一度本部に戻ることになった。しばらく任務に出っぱなしで本部での仕事が溜まっているのもあるが、ソニア・グラシールのこともあってノワールに詳しく説明するように呼び出されたんだ」
「そっか……アイラがいないなんて、なんだか不思議な感じだな」
ルカにとっては、クレイジーとの修行を経て以降、ずっと一緒に任務をこなしてきたパートナーだ。二人で各地を回っていた時よりずいぶん仲間は増えたものの、どことなく物足りなさを感じる。
「で、ヨギは俺たちとは別行動だ。あいつはナスカ=エラで捕まっている父親の元に向かった。その後どうするかはあいつ次第だな」
ゼネアの港での別れ際、ヨギは断固としてユナも連れて行きたいと言い張ったが、ユナはユナでルカが気がかりなのと任務があるからときっぱり断った。それでもヨギは折れず、「いつかぜってぇオレ様が迎えに行くからな!」と涙目で捨てぜりふを吐いて船に乗ったらしい。
「あはは、ヨギらしいな」
ルカが笑っていると、リュウはひょいとサンド三号を投げて寄越した。
「寝起きのところ悪いが、俺たちは俺たちで早速任務に向かわなければいけない。詳しいことはノワールから聞いてくれ」
間髪入れず、サンド三号と本部との通信が繋がったらしい。ぬいぐるみからノワールの声が聞こえてくる。
『やぁルカ。ゼネアでは色々あったようだが……とにかくお疲れさん。お前たちがターニャと同盟を結んでくれたおかげで、今ジョーヌが各地の知り合いとやらに連絡を取り始めている。ナスカ=エラでは大巫女イスラ様の働きかけで、宣戦布告への承認を取り下げようという話もすでに出ているらしい』
「ジョーヌに、イスラ様まで……!」
『ああ、お前たちがやってきたことが、少しずつ戦争を止めるための動きにつながっている』
「良かった……それにしても同盟っていつの間に」
ルカがターニャの方を見ると、彼女は舌をぺろりと出して「ユナっ子に感謝して」と小声で言う。
『で、身体の調子はどうだ? また力を使いすぎてぶっ倒れたって聞いたぞ』
「ごめん、もう平気だよ。しばらく無茶はしない」
『はは、お前のその言葉ほど信用できないものはない』
ノワールに笑い飛ばされ、ルカは返す言葉がなかった。黙りこくっていると、ノワールの声音が急に神妙な響きになった。
『……それに、次の任務は多少無茶してもらわないと厳しくなりそうだしな』
「へ?」
『クレイジーと連絡が取れなくなったんだ』
「え……クレイジーが? 単純に通信が上手く行かない場所にいるとかそういうことじゃなくて?」
『ああ。何が原因かは分からないが、任務の途中で何かトラブルがあったことは間違いなさそうだ。それでお前にクレイジーたちの救援と、あいつらの任務の引き継ぎを頼もうと思ってな』
サンド三号の口からミッションシートが吐き出される。クレイジーはヤオ村出身のグレンとともにルーフェイ中央都での潜入任務を担っていた。ノワール曰く、二人がヤオ村を出てポイニクス霊山に向かった後は急に連絡が取れなくなり、クレイジーに持たせていたサンド五号はポイニクス霊山の登山道の途中でヤオ村の人に拾われて保護されているらしい。
「二人はどうしてポイニクス霊山に?」
『ルーフェイ中央都への潜入口を探していたんだが、ヴァルトロとの開戦直前ということもあってか検問が厳しくてなかなか道が見つからなかったんだ。それで、ポイニクス霊山の鬼人族の里に抜け道がある可能性に賭けてみると言っていた』
ルカはちらりとリュウの方を見やる。鬼人族の里といえばリュウやヨギの出身地でもある。
「抜け道なんて本当にあるのか?」
「さぁな。ただ、大人たちが時折ルーフェイ中央都に出入りしていたらしいことは知っている。鬼人族が普通に関所を通る場合は暴力を振るわないよう手錠をかけさせられるから、もしかしたら抜け道を使っていたのかもしれん」
「鬼人族の里に向かう登山道で何か危険は?」
「いや、五年前に俺が一人で下山できたくらいだから、その辺りをうろうろしている破壊の眷属も大した強さじゃなかったはずだが」
「うーん、そうなのか……」
まだ義賊に入る前の頃のリュウが一人で歩ける道で、ブラック・クロス随一の手練れであるクレイジーが苦戦する様子は想像しがたい。
「ま、ここで考えててもしょうがないでしょ? ほら、あれ」
ターニャがそう言って水平線の向こう側を指差す。そこには猛々しくそびえるポイニクス霊山が見え始めている。キッシュ、ヤオ村、そしてルーフェイが位置するアルフ大陸が近づいている証だ。
ルカはターニャの言葉に頷くと、サンド三号の通信の向こう側にいるノワールに向かって言った。
「クレイジーの任務、おれたちで引き継ぐよ。まずはヤオ村でサンド五号と合流して、鬼人族の里に行く。大丈夫……あの人のことだから、そう簡単にくたばったりしないさ」
すると、ノワールのふっと笑う声が聞こえた。
『……ああ、俺もそう思うよ。ルカ、クレイジーたちを頼む』
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