mission4-9 イージスという名



「あんた……なんでおれの名前を知ってるんだ」


「カバンを見たんだー。ルカ・イージスって名前が刺繍ししゅうされてたから。あれ、君のでしょ」


 女商人はルカを羽交い締めにしながら部屋の中を指差す。そこにはルカのポーチやアイラのカバン……青年に盗まれた品々が転がっていた。


「おれのこと知ってるのか?」


「ううん、君のことはよく知らないー。あたしが興味があるのは、君の名前だけ」


「名前……?」


「そう。”イージス”を名乗るなんて、君は一体何者なの?」


 彼女は手に持つ短剣の刀身をピタリとルカの首筋にあてた。


「ルカ!」


 ようやく煙が晴れて状況を把握したユナは悲鳴をあげる--が、助けには入れなかった。ユナの身体もまた金縛りにあったかのようにぴくりとして動かなかったのだ。


「イージスがあんたにとって何なのかはわからないけど……好感は持ってくれなさそうだな」


「もちろん。答えによっては君、ここで死ぬよ?」


 刺すような低い声。触れている肌越しにビリビリと殺気を感じる。まったく身に覚えのないルカは溜め息を吐いて言った。


「答えも何も……知らないよ。おれには記憶がないんだ。この名前は知り合いが勝手につけた名前だ」


「記憶喪失……?」


「ああ。だから名前の意味なんて--」




--直後、彼女がとった行動にルカは目を丸くする。




「ステキ! なんってなのっ!」 


 それまで殺意をむき出しに羽交い締めにしていたかと思えば、いきなり彼を解放し、正面から抱きついたのだ。いつの間にか身動きもとれるようになっていた。急に身体が自由になったことと目の前で起きた出来事の衝撃とでユナは前のめりによろける。


 驚く二人をよそに、女は満面の笑みで刺青の入った頬をルカの胸にすり寄せながら言った。


「君すっごくあたしのタイプ! イージスの名を与えられた記憶喪失の青年……ああなんて悲劇……! あたし悲劇的なものが大好きなのっ!」


「ちょ、ちょっと! なんなのあなた……! さっきはルカを殺そうとしてたくせに」


 ユナが歩み寄ると、彼女は目を細め突き放すように言った。


「もやしっ子には用はないよー。ね、ルカ様、あたしに君のこともっと教えて!」


「も、もやしっ子って……! それにルカ様って……!」


 ユナの顔がカーッと赤くなる。確かによくよく見比べれば色白い肌にしなやかな身体つきで豊満なバストを持つ彼女に女として敵うところはどこにもないのだが、しかし。


「あっ、そうそう、あたしのことはハリーって呼んでねっ。親しい人はみんなそう呼ぶからさー」


「あはは……」


 言葉とは裏腹に強い力で拘束されているルカは、腕輪に手をかざそうとするユナを横目にただ苦笑いを浮かべるしかなかった。








「チッ! あいつどこへ逃げたのかしら!」


 家の裏口に出たアイラとリュウは辺りを見渡すが、逃げ出した家主の影はどこにも見当たらない。周囲にいる村人たちは気力がなく俯いてばかりで、騒ぎを起こしているこちらに関心すら向けない。目撃者としては期待できないだろう。


 リュウの肌は元の色に戻っていた。ハーフであるがゆえ、鬼人族本来の能力を引き出した状態--仲間内では鬼人化と呼んでいる--を保つには体力を消耗するのだ。


「一軒一軒回ってみるか? どうせ奴はこの村の住人だ。時間が経てば戻ってこざるを得ない」


「それもそうね。幸い私たちがこの村を追い出されるようなこともなさそうだし」


 アイラはたった今出てきた家の壁を見ながら言う。そこには粗い字で家主・グレンへの悪口がびっしりと書き連ねられていた。様々な色の塗料が使われており、何人もが彼を嫌っていることが分かる。


「嘘つきグレン、疫病の元凶、搾取反対、村の平和を返せ……とんだ言われようね」


「奴だけがこの村で疫病にかかってないのだろう? 人と違うということはそれだけで非難を受けるものだ」


「……あなたもだったわね」


「ふん、俺の場合は里から追い出されたわけじゃない、自ら出て行ってやったんだ。そんなことより奴を--」


「グレンなら水精すいせいほこらじゃよ、お客人」


「!?」


 振り返るとそこには杖をつき腰を曲げた白髪の老人が佇んでいた。どうやらグレンの家から出てきたらしい。厚手の着物を羽織っており、彼の皮膚にも赤黒い斑点がある。ゆっくりと杖を持ち上げると、その先端で村の奥の方角を指した。


「あそこじゃ。あやつは何かあるといつも祠へ行く」


「ありがとうございます……あの、あなたは」


「ジジじゃ。孫が迷惑をかけたようですまなんだ。後でワシからもきつく叱っておこう」


 老人は二人に向かって深々と白髪頭を下げると、ゆっくりとした足取りで家の中へと戻っていく。アイラとリュウは一瞬顔を見合わせたが、すぐに言われた祠とやらに向かうことにした。







「クソッ。何なんだよ……村まで追ってくるなんてしつこい奴らだ」


 ヤオ村の奥、木々が茂る小高い丘。そこに小さな木組みの祠があった。水精の祠。ヤオ村の人々が大事にしている場所だが、疫病が流行ってからというもの頻繁にここへやってくるのはグレンくらいしかいない。


 彼は祠の前であぐらを組んで座り、追っ手をまく方法を思案していた。


「同じ手が通じるか分からないがもう一度アレをやるか……いや、一番手っ取り早いのはハリブルに追っ払ってもらうことだが、あいつ気分屋な上に取引に不利になるのは避けたいし……」



--ザッ。



 草を踏む足音がしてグレンは慌てて立ち上がり振り返った。


「そこまでよ、グレン・アイシャ」


 えんじ色の髪の女と鬼人族の青年がすぐ後ろまで来ていたのだ。


「ちっ、何でここが分かったんだ!」


「恨むなら自分の人望の無さを恨みなさいね」


 アイラが耳のピアスを銃に変化させ、銃口を彼に向ける。アイラが一歩ずつ距離を詰めていくと、グレンは再び両手を挙げて言った。


「わかった! わかったよ! 盗んだものは全部返す! 何ならあんたらが必要なものがあれば無償で提供しよう! だから撃つのはやめてくれ!」


 必死の声音にアイラもふうと一息つき、銃を下ろした。


「物分かりが良くて助かるわ。私たちも別に事を荒立てるつもりは--」


 たった一瞬だった。アイラがふと目を逸らしたその瞬間を見逃さなかった。グレンの口角がわずかに上がり、片手をすっと下ろす。


「……なんてな! サラスヴァティー、今だ!」


「アイラ避けろ!」


「!?」





……しかし辺りはしんとして何も起こらない。






「……あれ? あれれ? 何でだ? 何でだよっ! サラスヴァティー、聞こえてないのか!」


 青年は今度こそ本当に狼狽ろうばいしているようだった。思わぬ事態に気を取られているうちに近づいたリュウが彼の腕を掴み、少しだけ外側にひねる。


「あいででででで!」


 そして正面から向けられる銃口と、アイラの悪戯な微笑み。


「ふふ……あなたには聞かなきゃいけないことが一つ増えたみたいね」




 アイラはグレンの部屋に転がっていた空になった瓶--シナジードリンクが入っていたはずの瓶を、彼の眼の前で振ってみせた。




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