第4話 二人

 扉を開けた。地雷魔法で予想以上の地獄絵図になっている。破壊されボロボロになった床、足の踏み場もないぐらいにそこら中に散らばる兵士達の身体のパーツ、血で真っ赤に染まった壁。


「ねえあんた、先に言っとくけど、この先に兵士のバラバラ死体が散らばってるからね。失神したら放置していくから、心の準備はしときなよ」


アイリスにそう伝えると、私は兵士達の死体を踏みながら廊下を歩き進んだ。


「きゃああ!! う、うぅ……ゲェェェ」


 ちっ、やはり吐いたか。失神しなかっただけ偉いが、まったく世話が焼ける。私は後ろを振り返り、指揮棒をアイリスに向けて、ホースのように水を放出した。


「ほら、口をゆすぎな」


「ゲホッ! あ、ありがとうございます……」


 落ち着いたところで、私は出口に向かって歩き始めた。


「あ、あの……ロゼさん。他の攫われた人達は助けてあげないんですか?」


「別に助ける義理はない。さっさとずらかりたいしね。助けたいなら一人でいきな」


「で、でも……」


 アイリスが訴えかけるような潤んだ目で見てくる。まるで母親に駄々をこねる幼女のように。


「……あーもう、分かった分かった。行くわよ、行けばいいんでしょ」


 私はさっきの待合室まで引き返した。中の女達に手短に事情を説明して、ゾロゾロと出口に向かった。しかし、二階の大広間に入ろうとした直後それは起こった。突如鳴り響く銃声。間一髪で廊下に引っ込み避けた。


「いたぞ! 撃ち殺せ!」


 くそ、だから早い所ずらかりたかったんだ。警報ベルや地雷魔法の騒ぎを聞きつけて援軍が来てしまった。さっきのバラバラ死体、どう見ても五十人はいなかった。まだ他にオークの手下は残っていたのは明白だったのだ。兵士達が走り寄ってくる。私は身を乗り出さず、指揮棒だけ大広間に向けて魔法を乱射した。爆音と悲鳴。何人かは倒せただろうが、この程度じゃ牽制にしかならない。向こうも警戒して近付いてくることはなくなったが、相変わらず銃は撃ってくる。お互い身を隠しての遠距離攻撃の膠着状態になってしまった。しかし、確実にこちらが不利だ。こっちは私以外はか弱いただの女。向こうは武装した兵士が複数。時間が経てば更なる援軍が来るかも知れない。私の魔力も無限ではない。もたもたしてたら確実にやられる。後ろでは女達が不安そうに私を見ていた。そんな目で見るんじゃない、今考えてるんだ。仕方ない、イチかバチかだ。私は攻撃の手を止めた。


「……よし! 攻めるぞ!」


 私が弾切れになったと思った兵士達が、再びこちらに向かって走ってきた。まだだ……もう少し引きつけて……いまだ! 私は一瞬だけ身を出し、大広間を支える柱全てにありったけの魔力をぶっ放し、すぐに引っ込んだ。支えを失った天井が兵士達目掛けて落ちてくる。


「う、うわあああ!!」


 凄まじい轟音。大量の埃がこちらまで流れ込んできて、皆が咳き込んだ。やがて埃も落ち着き、静かになった。


「や、やったんですか?」


アイリスがおそるおそる聞いてきた。


「多分ね」


 しまった。私を突き飛ばした兵士はあの中にいたか? 奴は確実に殺しておきたかった。まあ、多分爆死か圧死どっちかはしただろう。とりあえず、一時はどうなるかと思ったが、何とかなったようだ。そう思ったのも束の間、地鳴りがして壁にヒビが入り始めた。


「……まずいね、早く脱出しないと崩れるよ」


「ええ!?」


 私はハイヒールを脱いで出口に走り出した。女達も、崩れた天井で足場が悪いところを必死でついてくる。コンクリートの欠片が足に刺さって痛いがそれどころではない。そうしている間にも壁や天井がどんどん崩れてくる。一階の大広間に着いた。ここを抜ければ外に出れる。ラストスパートをかけて走り、扉を開け何とか一番乗りで脱出できた。後ろを振り返ると、まだ女達は遥か後方を走ってきていた。突如鳴り響く轟音。上を見ると、天井が崩れ、女達目掛けて落下してきていた。


「ちっ!」


 指揮棒を取り出し天井の塊に向けて魔力を放ったが止まらない。さっき柱を壊すのに魔力のほとんどを放ったせいで、あれほど巨大で重たい物の落下を止めるだけの魔力が残っていない。駄目だ、死んだ。私が諦めた直後、信じられない物を目にした。天井の塊が、空中でピタリと止まっていた。止めたのは私じゃない。目をぎゅっと瞑ったアイリスが、震える手で万年筆を塊に向けていた。……魔女だ。そしてあの万年筆がアイリスの杖。他の女達は頭を押さえて床に突っ伏していたが、数秒後状況を理解し、すぐにまた走り出した。アイリスは止まったままだ。


「何してる! あんたも早く来な!」


「は、はい!」


 アイリスは天井の塊から万年筆を外さないように、ゆっくりと後ずさった。安全地帯まで来たところで出口に走り出した。その直後、塊は落下し、それからまもなく館全体が崩壊した。




 無事全員生存。アイリスがいなければ、私以外は全員死んでいただろう。女達は私とアイリスに何度も頭を下げた。アイリスは照れくさそうに顔を赤くしていた。


「いいかい? 言うまでもないと思うけど、今回のことは一切他言無用だからね。フォレストの奴らに何か聞かれたら、自分は何も知らない、急に建物が崩れてきたと言うんだ。魔女のことを喋ったら殺しに行くからね」


「も、もちろんです!本当にありがとうございました!」


 女達はそれぞれの家路についた。無事に帰れるのかと思ったが、オークに攫われるだけあって美女ばかりだから帰り道はどうとでもなるだろう。誰かに拾ってもらえばいい。それよりも……。私は横にいるアイリスを見た。この歳で、あれほどの巨大なコンクリートの塊を空中でピタリと止める魔力。相当の才能が無ければ出来ない芸当だ。こいつならもしかしたら、私と共に……。


「あんたも魔女だったんだね」


「はい……黙っててすみませんでした。でも、私ではとても戦いのお役には立てないと思って…」


 それはそうだろう。戦うための魔法は全て禁呪なのだから、普通の魔女は戦えない。


「あんた、どこ出身? 家族は?」


「キャメリア村です。家族は……いません。私、ずっと孤児院で育ったんです。孤児が多くて定員オーバーになってしまったので、今はそこも出て部屋を借りて一人で暮らしていますが」


「……戦争か?」


「はい。私はまだ赤ん坊だったので両親のことは何も覚えていませんが、父は戦死、母は魔女狩りで処刑されたと聞いてます」


 同じだ。祖母がいるかどうかの違いはあれど、彼女もまたフォレストに大切なものを奪われている。


「ねえ、アイリス。フォレストが憎い?許せない?」


「……はい。あいつらさえいなければと、何度も思いました。でも、私なんかにはどうすることも」


「それはあんた次第さ」


「えっ?」


 意味が分からないといった顔だ。さてどうする。確かに才能はあるが、こいつの性格は明らかに戦闘に向いていない。いや、重要なのは、奴らを憎む心だ。自分でも今言ったが、全てはこいつ次第だ。駄目元で誘ってみるか。


「私と一緒に、フォレストに復讐する気はない?」


「え、えぇ!?」


「私もあんたと同じような境遇だ。奴らが死ぬほど憎い。奴らを皆殺しにすることが私の目的だ。今回は私一人で何とかなったが、正直なところ仲間が欲しい」


「で、でも私なんかロゼさんの足手まといにしかなりません。禁呪だって一つも使えないですし」


「それは私が手取り足取り教えてやる。問題は、あんたにやる気と覚悟があるかどうかだけだよ」


 アイリスは下を向いてしまった。まだ十代半ばの少女だ。その少女に、国一つ相手に喧嘩を売ろうと誘いを持ちかけているんだ。我ながらどうかしてる。断られて当然だ。しかし……。


「…………やります。私に戦い方を教えてください!」


 アイリスにはもう失う物は何もない。だから乗ると思っていた。私はふっと笑うと、拠点の敷地内に残っていた軍用車へと歩き出した。運良く鍵は付けっぱなしになっていた。これで帰ろう。もう日が暮れそうだ。祖母も心配しているだろう。


「えっ、ロゼさん運転出来るんですか?」


「やったことは無いわ。でもまあ、大体わかる」


「……彼女達も送ってあげた方が良かったのでは」


「そこまで面倒見切れないよ。さっさと乗りな。あんたは今日からうちで一緒に暮らすんだ。それと居候するからには畑仕事も手伝ってもらうからね」


「は、はい!」


 この時アイリスは初めて笑顔を見せた。鍵を回すとエンジンがかかったが、ギアを変えなければアクセルを踏んでも前に進まないことに気付いたのは、それから二十分も経ってからだった。





「んー、我ながら実に美しい肉体だ」


 無駄なく引き締まった筋肉。曇りのないツヤツヤの肌。俺はいつも通り、風呂上がりに全裸のまま鏡の前で自らの肉体美に見惚れていた。カサブランカ村の温泉には美肌効果があったようだが、なるほどなかなかの効き目だ。ただでさえ美しい俺の身体がますます煌めいている。ド田舎だからといって近くにあるのに放置してたが気に入った。また近いうち行ってやるか。そんなことを考えていると、誰かがドアをノックした。


「入れ」


「失礼します」


 チェリーだった。俺が最も信頼に置いている部下だ。この暑い日に、布で顔全体を覆い隠している。まあ、俺が普段からそうするように命じたのだが。


「……着替えるのを待っていた方が宜しかったでしょうか?」


「かまわん。しかし随分戻ってくるのが早かったな。もう終わったのか?」


「はい。噂通り、バイオレット町に魔女が三人隠れ住んでいました。見つけ次第消しましたのでご安心を」


「ふふ、さすがだチェリー。やはりお前以上の魔女狩りの適任者はいないな」


「ありがとうございます。しかし、それよりもご報告しなければならないことがあります」


「何だ?」


「部下から相談を受けたのですが、ここ三日間オークと連絡が取れないそうです。向こうの通信機器が全く機能していないようで……何かあったのでしょうか?」


 オーク、バーチ、メイプルには毎日の定期連絡を義務づけている。それが三日間も連絡が取れないだと? 仮に通信機器が故障していたとしても、三日も何の音沙汰も無いのは確かに妙だ。何か嫌な予感がする。


「仕方ない、直接見に行くぞ。馬を用意しろ」


「車の方が速いと思いますが」


「俺は車が嫌いなんだ! あの揺れといいエンジン音といい、吐き気を催すわ!」


「そうでしたね。かしこまりました」





 これは一体どういうことだ。ついこの間まで、ここにはオークの館が建っていたはずだ。しかし目の前にあるのは瓦礫の山じゃないか。兵士達もその光景を呆然と眺めていた。


「おい貴様ら、何をボケッとしてる! 瓦礫を掘り起こして何があったのかを調べるんだ! いないとは思うが、一応生存者も探し出せ!」


 兵士達が一斉に瓦礫を掘り起こし始めた。しかし、この状況では何か手がかりが見つかる可能性は低いだろう。


「チェリー、一体どうなってる?」


「さあ……私も初めて来たので、現状では何とも」


「うひゃあああぁ!!」


突然兵士が悲鳴をあげた。駆けつけた周りの兵士も、何かを見て驚愕している。なんだなんだ?


「どうした、何か見つけたのか?」


「ウォルナット王……こ、これを」


 うっ! これは……。恐らく元々本棚であっただろう箱の中でオークが死んでいた。しかも股間に穴があいており、ふんどしは血で真っ赤に染まっていた。箱の中には大量のドブネズミとこいつらの糞、食い散らかされたオークの肉片や汚物。それらによる凄まじい異臭。死体は見慣れているが、ここまでむごいのは初めてだ。しかし、これでハッキリした。これは事故ではない。何者かの手によって、オークの軍は壊滅させられたのだ。その後いくら瓦礫を掘り起こしても、犯人の手がかりは得られなかった。





 あれから丸二日。未だに有力な情報は得られない。俺は自室で苛つきながら煙草を吹かしていた。オークが死んだこと自体は別にどうでもいい。しかし、我がフォレスト国に牙をむく者がいるということは断じて許せん。一体誰がやったのだ。最近関係が悪化してきたリバー国か? いや、幹部を殺せば戦争は避けられない。さすがに我が国と戦争して勝てるとは思ってないだろう。ならば、ガーデンの軍の残党か? それこそあり得ない。王もいないのに、今更再戦を挑んで何になる。


「失礼します」


「むっ。親衛隊長か、どうした?」


「壊滅直前のオーク軍の目撃情報が掴めました。どうやら、いくつかの町で女狩りをしていたようです。オーク将軍は何年かに一度、ガーデン各地で美しい女を狙って攫っていたようです」


「なんだと? そんなの初耳だぞ。あの豚野郎が、くだらないことをしやがって。ん……? まさか、その攫われた女達の中に犯人がいるってのか?」


「可能性は低いと思いますが……しかし、実際にその直後に壊滅したわけで。攫われた女に話を聞きたいところですが、その時はいずれも町中がパニックになっていたようで、誰もその女達を覚えていません。見つけ出して尋問するのは不可能かと」


「じゃあ町の名前は?」


「はい、こちらに。四つの町や村でオーク軍の軍用車が目撃されています」


 メモ用紙を渡された。キャメリア村、フリージア町、プルメリア町、マリーゴールド町……マリーゴールド町は確か、カサブランカ村の隣町だったな。この中に、犯人がいるのか? いずれにしても軍一つ潰すなど、ただの女ではない。ということは……。


「チェリーを呼べ」


 親衛隊長が出て行ってから五分後、チェリーが部屋に入ってきた。俺は親衛隊長の報告をざっくりとチェリーに説明した。


「どう思う? もしこの四つの町村で攫われた女達の中に魔女がいたとしたら……」


「正直に申し上げます。私はあの現場で、ほんの微かにですが魔力の残り香を感じました。しかし日数が経っていたためか、かなり薄まっていて確証が持てずに報告しませんでした。ですが今の話を聞いて確信しました。少なくとも、あの現場で魔法が使われたことは間違いありません。しかも残り香は二種類、つまり二人の魔女がいたようです」


「むっ……小さな事でも気付いたことがあれば、報告しろといつも言ってるだろう」


「申し訳ありません。しかし、仮に魔女の仕業だとしても、たった二人で軍一つ潰すなんて事が出来るとは思えませんが……。仮にその二人が、戦争で戦った魔女ぐらいの強さを持っていたとしてもです」


「だが実際にやられているんだ。とにかく、もし意図的に攫われてオーク軍を潰したと考えると、敵は今後も俺達を狙ってくる可能性が高い。一応バーチとメイプルには注意を呼びかけておこう。チェリー、お前はさっきの町村へ向かい、魔女を探してくれ」


「仰せのままに」


 そう言ってチェリーは足早に部屋を出て行った。魔女が再び俺に牙をむくか……面白い。何度でも返り討ちにしてやろう。俺はまだ見ぬ二人の魔女が惨たらしく処刑される光景を思い浮かべてほくそ笑んだ。





「はい! これはお婆ちゃんへのお土産ね。このお菓子は餡子がたっぷり入ってて美味しいよ」


「すまないねえ。ありがとう」


カトレアが旅行から帰ってきた。今回も長旅だったようで、ガーデン各地の名物土産をどっさり持ってきた。食べ物はいいとして、置物や飾り物はそろそろ勘弁してほしい。置き場所がなくなってきたのだ。


「それにしても心配したんだよロゼ。はぐれた後に結局見つからなかったしさ。あたしはてっきりオークに攫われちゃったのかと」


「心配したって言う割に、その足でそのまま旅行に出かけたみたいだけど?」


「うっ……だ、だってその日の夕方の列車の指定席買っちゃってたんだもん。まあ、あんたがあんな奴らに捕まるようなタマじゃないって信じてたからだよ! それより、さっきから気になってたんだけど……」


 カトレアが私の隣に視線を移して言った。そういえばまだ紹介してなかった。


「ああ、この子はアイリス。遠い親戚の子で、いろいろあってうちで一緒に暮らすことになったの」


「アイリスです。初めまして」


「へぇ、こんな可愛い親戚の子がいたんだ。あたしはロゼの友達のカトレアよ。よろしくね、アイリス」


 カトレアにはこう説明した。カトレアとはぐれた後に町で迷子になっているアイリスを見つけた。私を訪ねてきたそうで、オーク軍が去った後で、案内がてら町や村を散歩していて帰りが遅くなったと。全部嘘だが、一応矛盾はしていないはずだ。

 祖母からは深くは聞かれなかった。彼女が自分と同じ魔女であること、うちに住まわせてあげたいとだけ言うと、それで納得してくれた。どう説得するか帰りの車の中でいろいろ考えていたが、その必要もなかった。

アイリスは育てれば必ず大きな戦力になる。明日からも引き続き猛特訓だ。しかし、オークを殺してしまった以上、もう時間の猶予はあまりない。既に戦いの火蓋は切って落とされたのだから。

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