イタチの太刀
空国慄
プロローグ
剣を交えてしか語り合えない心がある。
ぶつかりあう刃が散らす火花は、億万の言葉よりも雄弁に想いを語る。剣を構えた腕ふたつ、直径にして約八尺六寸の
いずれこの日が来ることは承知していた。二人の道は交差することはあれど、決して一つにはなれない。今こそが交差するその時であり、これより後に交わることは決してない。あらゆる感情を戦いと共に得てきた二人の物語は、戦いによってはじめて終焉を迎える。
邪魔するものはない。迷いや怒りのような邪念はもはや跡形もない。
必殺の斬撃が一条の閃光を描き、互いの胴を交差する。深紅の花が咲き、二人は揃って地に膝をついた。
足元を血がわずかに濡らす。しかし戦いが終わる気配はなく、骨肉が裂ける痛みも忘れて二人は立ち上がる。
もっと心を晒してくれ。
「どぉわぁぁぁぁ――っ!!!!」
「やかましい」
絶叫と共に飛び起きた
漆黒の長髪をそよ風になびかせる、凛とした痩身の少女。道着に木刀を携えている様子から察するに、庭先で稽古をしていたあたりか。
「……道場に行けよ」
「私の勝手だ」
「そうかよ。悪かったな」
「ああ」
少女は眉根一つ動かさず言い捨て、何事もなかったかのように形稽古を再開する。その眼に威太刀の姿は映っていない。
(なんだよ、俺を虫けらか何かみたいに)
自分の家で寝ていただけなのに、どうしてこうも居心地の悪さを感じなければならないのか。寝起きから早々に気分を害した威太刀は、内心毒づきながらもその場を離れることに決めた。
五月上旬、憲法記念日。高校生になったばかりの威太刀には急ぐ用もなく、悠々と満喫できるはずの連休。そんな日に自宅で過ごせない理不尽を恨み、それからすぐに遠因が自分にあることを思い出し、やるせない気持ちが胸の奥に渦巻く。
「出かけるのか」
自室に戻ろうと歩き出した威太刀を一瞥し、少女がぼそりと問う。威太刀はそれに足を止めることもなく嫌味で返した。
「天才剣士サマの邪魔になりそうなんでな」
言葉にした後からまた更に
――――俺は最低だ。
剣術だけを学んでいた頃は決して悪い思い出ではない。小学校から帰ってきて、道場を雑巾がけして、
両親を亡くしていた威太刀にとって、家族と言えるのは祖父と幼馴染の克那だけだった。
しかしある時、祖父が「競う相手がなければ向上心も衰えよう」と言いだし、威太刀と克那に剣道を習わせるようになった。それが切っ掛けだったのかもしれない。
始めてしばらくの間、威太刀と克那の実力差は圧倒的で、大会に出ても威太刀は向かう所敵なし、克那は初戦敗退が常であった。
ところが半年ほどしてから、克那は見る見るうちに頭角を現していく。あっという間に追い抜かれた威太刀は毎日のように全戦全敗、克那は次々と大会優勝を掻っ攫う。実力差が埋められないほど拡がって、とうとう威太刀は剣術にも剣道にも興味を失った。
それから高校生になった現在に至るまで、威太刀は道場に踏み入ることすら
今思えば、勝てないからとふて腐れた威太刀が幼稚すぎたのだろう。とはいえ実力差を覆せるほどのセンスもなく、悔しさをばねに淡々と努力を積み上げられるほどの精神力もなかった。凡人の努力と天才の努力では、同じ量でも成果が違う。
あれから八年経っても、道場を見て思い出すのは逃げ出した後ろめたさと諦念のみ。
努力と技量のかわりに積まれたのは、どうしようもない劣等感だった。
ゴールデンウィークなだけあって、街の人通りもいつもより多く感じる。人混みをあまり好かない威太刀にとっては
暇潰しのために街へ繰り出したものの、これといった目当てもない。金さえあれば選択肢も広がるのだろうが、そもそも金を使う前に無駄遣いを避けたいと考えてしまう。よって何もすることがない。ただ
「やっぱ昼寝してぇ……」
思わず愚痴が口を突いて出る。誰にも聞こえないよう小さく呟いたはずだったが、タイミング悪くすれ違った男性には
ますます情けない気持ちになりながらとぼとぼ歩いていた威太刀の視線は、ふと、路地裏の狭い空間に吸い込まれる。
薄暗く湿気た日陰の奥に、四つの人影。一人の少年と、それを取り囲む柄の悪い男三人組。なんとなくだが状況は察せる。今時なかなか見掛けることのできない、絵に描いたような“喝上げ”の様相だった。
目を凝らしてよく見ると、囲まれている少年は威太刀にとって見覚えがある顔だった。新しい学級のクラスメイトだ。名前までは覚えていないが、座席はそれなりに近かったはず。
対する不良グループは、おそらく少年の対面に立ち下衆な笑みを浮かべている男がリーダー格。その脇を挟み逃げ道を断つように立っている残り二人は取り巻きだろうか。こんな場所で暴力沙汰にでもなれば表通りから筒抜けだし、現状でもいつ咎められるか分からないはずだ。どれほど腕っぷしに自信があるのか知らないが、不用心なことこの上ない。
手前側の舎弟に背後から不意打ちし、そいつが伸びたら盾にして残りを各個撃破、といった具合で容易く一網打尽にしてしまえる。――――と、そこまで考えてからふと我に返る。
これがテレビドラマか何かであれば、今シミュレートしたように、ヒーローが
「おい、見てんじゃねーよ!」
しばらく足を止め観察していた為に、不良グループに目を付けられてしまう。
見つかってしまった以上、先ほど立てたシミュレーションも無効になった。三人を同時に一人で相手取るなど、原則として不可能なことだ。彼らにとってのサンドバッグが一つ増えるだけでしかない。だから仕方がない。
僅かでも罪悪感が残らないよう、己の心に言い聞かせる。言い訳ならいくらでも思いつく。始めから助けに入るつもりなど無かったというのに。
「……別に…………」
なるべく関心がないふうに振る舞い、往来へ視線を戻す。はたと何かを思い出したような素振りを演じ、また表通りへと歩きはじめる。
街の喧噪へ耳を傾けると、止まっていた時間が再び動き出すような感覚がした。そうして初めて、自分があの現場に並々ならぬ興味を注いでいたことに気付く。
最後の一瞬、少年は明らかに威太刀を見ていた。救いを乞う目で。
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