ダンジョンハイスクール・グラフィティ

穂積重合

序章 或る死  1D

0-1 戦闘意識


 遠い昔、おそらくはこの地上で。

 数多の大いなる業が行われた。

 いにしえの人たちは世界の理を意のままに捻じ曲げて、病むことなく、不死となり、老いることを知らず、富と栄華とをほしいままに生み出し、星々の道を踏み越えたという。



 迷宮ダンジョンだけが残った。

 迷宮はいにしえの人たちの住まいだとも、悪意ある罠だとも、万人に与えられた試練だとも、慈悲深い贈りものだとも言われている。


 かつて父祖たちは、ただその前にたたずみ、恐る恐る迷宮の入り口に軒先を借りて、星々の冷たい光をしのぐ他にすべを知らなかった。

 しかし、



 冒険者たち。

 覇者たちのいさおしは何よりも特別なものとして記憶される。何故ならば、


 汲めども尽きぬ真清水。いにしえの技。新しい言葉。もう九つの命。力強い武器。



 迷宮を踏破し、最初の帝国宰相となった、

 今ではその名を忌んで呼ばれることのない、始まりの制覇者チャンピオン

 彼女は賢明にも、最もふさわしいものを望んだ。


 さらなる迷宮を。



 ようこそ若き冒険者たちアドベンチャラーズよ。ようこそ、学びと戦いの園へ。


 諸君を歓迎する。


     海上市市制六百年記念誌編纂委員会 編

  『海上うなかみ市立第六迷宮高校第二百十四期冒険者への手引きハンドブック断簡』




   鹿島球カシマスフィア第六層 蓄電キャパシタ


 六重の遮蔽を割り破った中性子ビームは、薄桃色の閃光だった。より正確には、襲撃者である多脚機族の口吻から放たれた粒子束フラックスと空気および僕の眼球を構成する原子が相互作用した結果、神経のどこかでそういった認識が形成されたということだ。


 さらにその結果として、僕は急速に無力化されつつある。

 最優先で張るべき防盾式シールドを展開できず、管制式絵美理は機能不全を起こし、軽装甲服の体調監視バイタルが心停止っぽいものを知らせてきた。脊髄系の信号もない。


 認識だけが加速されている。


 千二十四倍速。光学皮質の中で危うげに作動する、僕の戦闘意識バトルコンシャス


 爆散する誘導弾の破片にすら対応時間を作ってくれる高速度視覚も、亜光速で作用をもたらす放射線兵器には有効じゃない。


 ……この戦闘意識は、ある意味では僕の自意識ではない。

 なまの脳細胞はいくら強化されていても化学反応の速度による限界から百二十八倍速以上にはならないから、戦闘中の僕が認識する意識とは、光子神経上で演算される、僕と繋ぎ目なくシームレスに連接した、自己意識のように感じられる何かだ。


 その灰色の世界で、僕は生得的オリジナルな意識を置き去りにして、何の対抗手段も打てず、血盟クランの仲間が稲妻の速度で交戦し始めるのをわき目で見ながら、自分の脳幹が不可逆に破壊されるまで後どれくらいありそうかミリ秒単位で数えている。


 絵美理えみり。僕の眼鏡。僕の眼鏡を身体ハードウェアとする、有能で厄介な同居人パートナー。彼女の声も聞こえなくなった。


 激痛が無いのはありがたい。

 感覚濾過フィルタリングの機能はいまだ完全だ。


 今日は死ぬのによい日ではなかったが……。


 諦めたわけじゃない。とはいえ、もうまぶた一枚動かせないところまできた。目を閉じることもままならない。

 もちろん加速中に普通の感覚で瞬きするわけではないが、視界の光量をもうちょっと下げたい。まぶしい。うまくできない。



 少し変だな。


 僕は初弾で正確に右目を貫通されたはずだ。ということは、どんなに遅くても頭部がもう全部破裂していないと熱量的に計算が合わない。


 何らかの目的で脳組織をある程度保存することを狙った、低致死性の攻撃だったのだろうか?




 まあいい。


 次の複体クローンはうまくやるだろう。

 かすれてゆく意識のどこかがそう思いかけた最中、視界に映る頭蓋が沸騰して果てた自らの屍を見たために、自分が絵美理によって模擬エミュレートされたはかない影であることを知った。

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