TS公爵令嬢エリザの内政

橋立 読虫

第1話 舞踏会

 ライネガルド王国暦三百八十五年の春。王都ライネガルドで前代未聞の騒動が起こった。

 宰相邸にて催された舞踏会で、とあるやんごとなきお方が張り倒されたのである。しかもそれを行ったのは十四歳の、成人したばかりの公爵令嬢だった。



「――――ァ! ご無事ですか!?」


 きらびやかなホールの片隅でどよめきが起き、それを耳にした貴族達がダンスの足運びを止め、あたりを窺っているのが見えた。

 その後に近くで発せられた野太い声により、赤いドレスをまとった美少女と、その前で尻餅をついている、見事な青いベストに身を包んだ青年にその視線が注がれる。同じ金髪をした二人。だが周囲の目はすぐに、吸い込まれるかのごとく壁側にいた美少女――俺に収束した。

 こうして凝視されるのにも最早慣れっこだった。十歳程度に見える小柄な背丈だが、この身は万人を惹きつける輝きを放っている。

 肩口のあたりまで伸びる艶やかな金髪は、貴族の令嬢らしからぬ短さだが活発さを感じさせ、三分丈のそでからすらりと伸びる白い細腕は、逆に周囲の庇護欲ひごよくを掻き立てる。

 更にそのかんばせは黄金比率を体現した、非常に整ったものだった。時たま姿見を見て自身が驚く程の美少女だ。

 そして全身を見られて再び視線が集まるのはいつも、この国では特別な意味を持つ、とても珍しい黄金色の瞳だった。目が合った何人かに軽く微笑むと、老若男女問わずに赤面する。

 彼らの反応を楽しんでいるうちに、叫びを発した黒髪の貴族が青年に駆け寄っていた。先程挨拶してきたエドモンという伯爵だ。色黒で筋骨たくましい三十路近くの男で、黒く染められたタキシードに似たこの国の正装が、今にもはち切れそうになっている。

 介抱されている青年もしっかりとした体つきをしていたが、未だ立ち上がれていない。先ほどの平手打ちが、身長差から顎に良い具合に決まったようだった。


「大丈夫だ」


 その碧眼へきがんの焦点は未だ定まってはいなかったが、青年のはっきりとした答えに、一部始終を見ていた周囲の貴族達から安堵の息が漏れた。すると、今度はこちらに刺すような視線が集まる。


「エリザベート様っ! 御自身が何をされたのか、分かっていらっしゃるのか!」


 青年に手を貸していた伯爵が、髪と同じ黒い目を見開き、詰問するかの如く問いかけてくる。


――何をしたか? 軟派貴族に平手をお見舞いしただけだ。無理矢理公爵家の令嬢と踊ろうとする無礼者を叩いて、何が悪いか。


 しかしそう言える雰囲気は、音楽が止まり、ざわめきだけが残るホールの何処にも無かった。


「なぜ黙っている! 貴様が手を出したこのお方は……」


 こちらへの敬語も忘れ、伯爵が言葉を続ける。分かった。なんとなく察しが着いた。分かったからそれ以上言わないでくれ。

 そんな俺の真摯な祈りも届かず、伯爵はホール中に響く大声で叫んだ。


「王太子、レオン殿下であらせられるぞ!」


――詰んだな。これは。


 ライネガルド王国一の穀倉地帯を有するクラネッタ公爵家。その長女エリザベート・クラネッタとして転生した俺、穂積ほずみ あきらは、社交界デビュー初日に盛大にやらかした事を悟り、コルセットを身に着けた貴族の令嬢よろしく一瞬で意識を手放した。



 営業中、横断歩道を渡っていたら、信じられない勢いで身体を吹き飛ばされた。なにがなんだか分からなかった。混乱しているうちにアスファルトに叩きつけられ、さっきまでいた場所へ偶然顔がむく。

 そこに大きなトラックが見え、自分が轢かれたことに気付いた時、凍えるような寒さと共に俺の意識は薄れていった。


 気が付くと、目前に青空があった。芳しい花の香りに軽く身を起こすと、そこは一面の白い花畑だった。


「ここは何処だ……?」

「天国だよ」


 背後から唐突に返された言葉に、弾かれたように振り返る。するとそこには白いローブをまとった美形のオッサンが、にこやかに手を振っていた。


「ええっと、どちら様ですか?」

「神です」


 危ない人だった。そういや天国とか訳の分からん事を言っていたじゃないか。そういう時はアレだ。


「うちは仏教なのですが」

「勧誘じゃありませんよ」


 冗談みたいなやり取りの後、自称神様は俺がここにいる訳を教えてくれた。


「なんとなく分かっていると思うけど、君は死にました」

「嘘だろ……」

「本当。だって轢き殺したのは私だよ?」


 なんと下手人げしゅにんは神様本人だった模様。トラックを運転してみたかったらしい。しかしこのような不思議な場所に連れて来られては、その言葉を信じざるを得ない。


「生き返らせてほしいのですが」

「それは無理。こっちの世界のことわりに反するから。でも、お詫びにおまけ付きで転生させてあげよう」


 そう言って神様が手をかざすと、今度は包み込むようなぬくもりと共に意識が遠のき始めた。


「ああ、その代わりといっては何だけど、私の国を救ってね」

「なんだ……そりゃ……」

「期待しているよ。君は――――なのだから」


 それではお詫びとは言えないだろうと言う俺の突っ込みは無視される。神様が最後に向けてきた言葉も、ホワイトアウトする世界に飲み込まれ、聞き取る事が出来なかった。



 王国暦三百七十一年の春。王国北東部の穀倉地帯に領地を構えるクラネッタ公爵家に、新たな命が芽生えた。


「旦那様っ。ダニエル様! お生まれになりました!」

「おおっ!」


 書斎の中を意味も無くうろついていた身なりの良い若者、クラネッタ公爵家の領主ダニエル・クラネッタは、年嵩のメイドの呼び声に愁眉しゅうびを開いた。刈り揃えた銀の短髪がなびくほどの勢いで領館の廊下を駆け抜け、愛する妻の寝室へと飛び込む。そして産衣に包まれて眠る小さな赤子をいだく妻へ、一直線に駆け寄った。


「でかしたっ! よくやったぞリリアーヌ!」

「あなた……見てください。元気な女の子ですよ」


 十四という歳から幼さすら感じさせることのあった妻リリアーヌは、今や慈しみの笑みを浮かべる母親に変わっていた。ダニエルは震える手で赤子をゆっくりと受け取り、その目に焼き付けるかのようにまじまじと見つめる。

 今まで見たことの無いほど美しい赤子だった。既に母譲りの金髪は生えそろい、長いまつげは伏せられ、薄桃色の唇から愛らしい寝息が漏れていた。本当は天使であるといわれても、ダニエルは疑いを持たなかったであろう。


「泣きつかれて眠ってしまったみたい」

「なんと愛らしい……そうだ、早くこの子に名前を付けなければ。神がこの美しさを見たら、天界へ召し上げてしまうかもしれない。この子は私達の宝だということを、天に、地に知らしめなければ」


 既に親バカの片鱗を見せ始める夫に微笑みながら、リリアーヌは思いついていた名前を告げた。


「エリザベートという名前はどうかしら」

「エリザベート……ライネガルド神の御子か」


 建国の父であり、この国の守護神でもあるライネガルドの一人娘、のちに父の跡を継ぎ女王として君臨した偉人の名前である。


「ほらっ、この子の瞳をご覧になって」


 興奮気味な妻の言葉に急かされ、ダニエルは腕の中の愛し子に再び目を向ける。すると二人が喋っていた事で目覚め始めたのか、赤子がまどろみながら僅かに瞼を開けていた。


「これはっ!?」


 瞼の奥に光る瞳の色にダニエルは驚愕し、そして妻がその名を選んだことを理解した。女王エリザベート。名君であったと伝えられる彼女には、語り継がれる特徴があった。


「エリザベート女王陛下と同じ黄金こがね色の瞳……きっとこの子にはライネガルド様のご加護があるわ」

「そうだな。エリザベート、エリザか。とても良い名だ……」


 こうして二人の間に生まれた赤子はエリザベートと名付けられ、両親や周囲に愛されてすくすくと育っていった。



――その末路がこれとはっ!


 走馬灯を垣間見ていた俺は何とか意識を取り戻し、軟派貴族改めレオン王太子殿下に向き直った。不思議な事に周囲はいきり立っていたが、尻餅から立ちあがった殿下自身は逆に冷静そのものに見えた。

 だがそれでも危機的な状況に変わりは無い。焦る脳裏に両親や兄妹、家の者や領民達、そして愛する幼馴染み――今まで尽くし続けてきてくれた黒髪のメイドの顔が浮かぶ。こうなってしまった以上、彼女らに累が及ばぬ様にしなければ。


「存じ上げぬとはいえ、王太子殿下に対する度重なる無礼、お詫び申し上げます。願わくばこの愚か者への罰のみで、此度こたびの沙汰をお赦し頂きとうございます」


 すかさず膝をつき、両手を重ね合わせる――罪人が刑を受ける仕草をした俺に、貴族たちが息を呑んだ。大身たいしんの貴族であればある以上、権力への執着や自己愛は強い傾向がある。その行動が自身の家を守る為とはいえ、成人したての十四の子供が迷い無く自らを切り捨てた事に驚きを覚えた為であろう。

 そこに大声で割って入る者がいた。今夜の舞踏会に俺をエスコートしてくれた、銀の髪を短く刈り揃えた愛する家族だった。


「お待ち下さい! 殿下っ。娘の無礼、このダニエルの教育が至らぬ故! 罰はこの私めにっ!」

「父上っ!?」


 まさかの展開に、今度は俺が目を剥く事となった。子の罪を詫びるまでは良い。それは責任ある貴族として当然の行いだ。しかし、俺が進めた通りに子は見捨てるべきであった。

 領主が罪に問われれば、最悪お家断絶もあり得る。他の家族や家臣達のことを考えれば、苦しい決断をする必要があった。しかしその考えとは裏腹に、父上の愛の深さを感じた俺の瞳には、何時しか涙が溢れていた。


「父上、申し訳ありませんっ」

「良い。殿下っ、こうなってしまったのも、全て私の不徳の致す所。何卒、何卒我が身ひとつでお許し頂きたく存じますっ!」


 俺を慰めた父上が、殿下に必死の懇願をする。


「……全て許す。最早、そなた達に罪は無い」


 別れへの覚悟を決めかけていた俺たちに、予期せぬ救いの声が殿下から返された。


「殿下っ!? 何を仰いますっ」


 隣に控えてこちらを睨みつけていたエドモン伯爵が、信じられない事を聞いたとばかりに顔を横に向ける。


「元は余の非礼から起きた事だ」

「しかしっ!」

「大事無かったというのに、子供のような者の過ちをとやかく言うものではない」

「……はっ」


 不承不承といった態で、エドモンは引き下がった。安堵のあまり力の抜けた俺は、父と結んでいた手をへなへなと床につけたが、奴が下がる直前にこちらに向けた憎しみの視線に、すぐさま身をこわばらす事となった。

 そんな伯爵の様子には気付かなかったのか、レオン殿下がこちらへ歩み寄り、俺の手を引いて立ちあがらせる。


「すまない。余の軽はずみな行いで迷惑をかけた」

「こちらこそ、誠に申し訳ありませんでした」


 互いに謝り合うと、からりとした笑みを向けられた。釣られてこちらも僅かに微笑む程、良い意味で貴種には思えぬ笑顔だった。


「今日はもう公爵と帰るが良い。馬車を呼ばせよう」


 最初に声を掛けて来た時とは打って変わった気配りに、俺は狐につままれたような気持ちになりながら礼を申し上げ、舞踏会を後にした。

 帰りの馬車の中で、父上にこっぴどく叱られたのは言うまでも無い。しかしその後に震える両手で抱きしめられては、何も言う気持ちにはなれなかった。



 門前からクラネッタ家の馬車が走り出すのを、ホールから離れた上層階のバルコニーに立って眺める者達がいた。


じい、先程のあれはわざとだろうか」


 一人は金髪碧眼の美丈夫。舞踏会から抜け出てきた王太子レオンである。問いかけにもう一人、緋色のローブを纏った、青年よりも更に大きな背丈をした白髪の老人――この館の主である宰相ロジェが、澄んだ青い目を細め、長い白髭をくゆらせながら静かに答えた。


「計算ずくであるならば、かなりの食わせ者。意識せず行ったのであるならば、大器と呼べるでしょうな」


 エリザベートの懺悔である。父子の涙の別れという、あのような場面を演出されては、原因であった王太子が罰せるはずも無かった。もとよりそのようなつもりは無かったものの、仮にしようものなら、王家に近しい他の貴族の支持すら失いかねない展開であった。


「いずれにせよ、より興味が湧いてきた。爺。都に呼び寄せられないだろうか」

「今はまだ、我慢なさいませ。予想外の収穫もあった事です。しばらく様子を見ることにいたしましょう」


 政柄せいへいを握る権力者と、若き獅子の眼差しは、消え行く馬車の遥か先を見据えていた。

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