第37話 二つの顔

 領都ナンシスに急報が届けられたのは、小雨の降る夕暮れ時だった。


「エリザ様。王都より急使が。王太子殿下の名代とのことです」

「早いな。すぐにお迎えしよう」


 王都に派遣していた耳より、僅かに一日遅れての知らせである。詳報は未だ届いていなかった事もあり、俺は報告に来たエミリーを連れ、急使と面会を行った。

 宰相閣下の不在にも関わらず、殿下が上手く使者をあしらった事に、俺は感銘を受けていた。好ましい人物であるとの認識は持っていたものの、未だ彼自身の能力に関しては不明瞭な部分もあった。

 しかしこの度の臨機応変な対応が出来る様なら、クラネッタの同盟者として心強い。俺は殿下へ深謝の意を示し、使者に礼物を持たせて送り返した。



「枢機卿が本格的に動き出した。最早猶予は無くなってきている」


 数日後の昼。俺は重臣達を敷地内に新設した離れに招集し、今後の方針を語り始めた。日本の茶室を模した一室に、エミリー、クロードの両家令、参謀のセシール、軍務を司るグレゴリーとベルナールが一堂に会し、俺の言葉に耳を傾けている。

 畳の原材料であるい草が見つからなかった為、板張りの床に座布団を敷き、思い思いに座る形だ。かなり手狭であり、窓も採光や換気用の天窓のみのため薄暗い。常ならばこの人数での会議には適さない環境である。


――だが、それ以上に利点がある。


 周囲には隠れる場所の無い庭が広がり、四方は壁に囲まれている。その為聞き耳を立てられたり、のぞき見をされる心配が無く、密談にも利用出来る構造となっていた。

 以前同様の目的で利用していた浴室では男衆を呼ぶわけにはいかなかった為、その点において改善がなされたといえる。取りかかる前に浴室でセシールにも意見を聞いたが、良い考えであると賛同してくれた。だがなぜか少しばかり残念そうな響きがあった気もする。

 ともあれ何の用も無く呼び寄せてはルチアら使節団に怪しまれてしまう。今回の招集も、表向きは重臣達を労う茶会であった。


「最悪の事態に対する備えは出来ている。それゆえ今一度、連中の出方を窺いたい」

「伯爵様。それはいかがなものかと」


 異を唱えたのは騎士団長のグレゴリーだ。彼はパスティアに派遣した『耳』より、聖騎士団の動きが活発化しているとの報告を例に挙げる。


「こちらの準備が出来た以上、これ以上の時間は敵をも利する事となりましょう」

「その通りだ。だから今度はあえてこちらから隙を見せる」


 ただ座して待つだけでは無いと補足し、俺は腹案を述べた。重臣達からいくつもの意見が出され、話がまとまる頃には夕刻となっていた。



「エリザベート様。私たちに見せたいものとは……?」


 馬車で隣に座るルチアが、不思議そうな表情で俺に尋ねてくる。領内の各地に分散させていた使節団をナンシスに呼び寄せ、説明もそこそこに馬車へと乗り込ませた為である。

 俺に陪乗しているのは代表のルチアのみであり、他の団員は後続の馬車だ。


「ある村を見てもらいたくてね」

「村、ですか」

「ああ。君たちにはどうしても知ってほしいんだ」


 領都から東に進んで数日。帝国側にほど近い村で馬車は停まった。そこは辺境領ではよく見る、のどかな田園風景を持つ村だ。農夫達が冬小麦の収穫に精を出し、小さな子供らも刈り取った麦の乾燥を手伝っている。

 広場に停車させた馬車から降りると、既にそこで待っていた村長が俺たちを出迎えてくれた。日に焼けた高齢の男で、普段は自身も農作業をしている事を窺わせる。


「伯爵様。よくぞいらっしゃいました」

「邪魔をするよ。村長。村の様子を見たくてね」

「邪魔だなど、とんでもない! 大恩ある伯爵様がいらっしゃって、皆喜んでおります」


 その後、俺は村長に案内されながら使節団に村の様子を見せて回った。一通り見終わると、村長宅を借り、そこへ彼らを招き入れた。


「さて、ルチア。そして使節団の皆。この村を見てどう感じたかな」


 出された白湯を口にし、人払いを済ませた後、まだ自分たちが連れられた理由が分からないといった使節団の面々に問いかける。団員達は良い畑であるだとか、領主に恵まれているおかげで平和に過ごしているなどのおべんちゃらを口にした。


「ありがとう。だが伝えたい事は別にある。ルチア。他に気付いた事は?」

「あっ、あの。若い人がいない様に感じました」

「そう。それこそが今回足を運んでもらってまで見せたかったものだ」


 そうして俺は理由を話し始める。かつてここが東部騎士領といわれていた頃、前領主は領民から吸い上げられるだけの税を搾り取った。役人達もそれに荷担し、村人達は自らの口にする物すら失い掛けたのである。

 村にいた若者達は領主に絶望し、あるいは口減らしのために自ら村を出て行った。残されたのは最早よそでは生きてはいけぬ老人達と、幼い子供達だけだった。


「私が半年前にこの地の領主となった時、彼らは冬を越すことすら危うい状態だった。そこから領主や役人が不当に搾取した収穫物を返し、新たな農法を教え、再び搾取が起こらぬよう法を整備した」


 人手不足を補うために有輪犂などを貸し与え、役人が恣意的に収奪できないよう、作物を量る秤や枡を統一したのである。俺の紋章にも使われている一角獣リコルヌの焼き印が刻まれた枡は、伯爵枡と呼ばれ納税の均一化に役立っている。


「ここまでしてようやく民達は安寧を取り戻したのだ。しかし、今は辛うじて安定していると言っても過言では無い」


 なにか重い負荷がかかるような出来事があれば、この均衡は容易く崩れる。


「災害や疫病、そして戦争が起これば今までの積み重ねは無に帰してしまう。彼らは再び飢餓に陥るだろう」


 正面に座るルチアが、飢餓という言葉にビクリと身を震わす。幼い少女をおびえさせたことに罪悪感を抱きつつ、俺が言葉を止めることは無かった。


「民を預かる領主として、そのような事態を自ら引き起こすわけにはいかない。聖庁にお伝え願いたい。この辺境領の現状と、それ故お力添えしかねるという答えを。頼む。実際に我が辺境領を見てきた貴方たちにしか伝えられない事なのだ」


 俺は頭を下げて頼み込む。だが、使節団の面々は言葉を濁し、確約を得ることは叶わなかった。団長のルチアも又、沈黙の後、頭を垂れて悄然と部屋を出て行った。

 帰りの馬車にはルチアを陪乗させなかった。彼女は他の使節団と同じ馬車に乗り、言葉を交わす事無く領都へと旅だった。



 かすかに揺れる馬車の中、使節団は渋面を向かい合わせていた。エリザベートの明確な拒否が原因なのは言うまでも無い。しかし若輩の団員が軽薄そうな笑みを浮かべ、他の者に話しかけた。


「これからどうする。あの心優しいお姫様の言うとおり、参戦出来ぬとそのまま猊下にお伝えするか?」

「しっ、馬鹿者。御者に聞かれたらどうする」

「だからわざわざパスティア語で話しているのではないか。このような辺境の使い走りに、我らが高貴なる言葉を解す学があるはずも無い」


 口火を切った団員が肩を竦め、先ほどの事を思い出したのか侮蔑も露わな笑みを浮かべる。


「それに我々に頼むという大間抜けだ。心配するだけ損さ」

「だが我らとてすぐに各地へ引き離された。それになかなか尻尾をつかませない。知恵者が付いていると考えて良いだろう」

「いくら手足が良く動いても、頭がだめならばいずれぼろを出す。こいつを今まで近くに置いていた様にな」


 そう言って若者がちらりと向かいに目を向ける。そこには馬車に乗り込んでから一言も発さない使節団団長の姿があった。


「こいつなどと、彼女は仮にも団長だぞ」

「なんの役にもたたん、な。役目を果たさぬ者など我々には不要だ。なんの為に俊英である我らがこのような辺境に来たと思っている」


 年かさの団員の叱責も、若い団員は何処吹く風と聞き流す。優秀な人材で脇を固め、あえて未熟に見える者を頂点に据える。さすれば相手の注意は周囲に向けられ、その者は自由に活動出来る。彼らの得意とするやり方の一つであった。


「だというのに何一つ有益な情報を得られなかった。我ら聖庁の慈悲で日々の糧を与えられ、生かされてきた薄汚い孤児の分際で」


 その言葉に初めてルチアが顔を上げるも、すぐに力無く目線を落とした。目の前に座る若者は富貴の家柄。教皇庁での発言力ではルチアと比べようが無い程高みにいる存在だ。


「分かっているじゃないか団長殿。あんたは今後も役目を果たすことだけを考えていれば良い」

「もうその辺りにしておけ。子供をあまり追い詰めるものではない」

「そうだ。辺境領の実情を知ることは出来たのだ。今はそれで良しとしようでは無いか」


 今までは口を開かなかった二人の団員が止めに入る。しかしそれもルチアをかばっての事では無く、御者に怪しまれぬ様にしているだけだとその目線が語っていた。

 ルチアは目を閉じ、自らの世界を閉ざすように顔を下に向けた。紺青の修道服に新たに出来た染みを、気に留める者はいなかった。



「姫様。パスティアに派遣した『耳』より続報です」

「なんと、これは……」


 使節団を連れた視察より戻って数日。執務室にいた俺の許に耳からの報告が届いた。それに書かれた内容は、信じたくはなかった、されど信じざるをえないものだった。


「エミリー。君はこの報告をもう……」


 見たのか。と目線で問うと、彼女は言葉を発さず、沈痛な表情で頷いた。


「すまない。一人で考えたい。少しの間人払いを頼む」

「では、扉の前でお待ちしております」


 エミリーが退室すると、俺は再び報告の書簡に目を戻す。そこには以前から進めさせていた調査の結果が詳細に記されていた。


――裏付けがとれてしまった。


 使節団員達は全て、異端審問所と関わりのある者達だった。教皇庁における表の職種は様々であったが、その実態は秘匿された異端審問官であった。歴任してきた部署において、異端として捕らわれた人々が必ずいたためである。そしてそれは、団長ですら例外では無かった。

 他の団員よりも遙かに少ないものの、彼女が見習いや聖歌隊として派遣された先々においても異端者の逮捕事件が発生している。そして逮捕者への接触があったことも、報告には記されていた。

 先日の視察において、俺はパスティア語が堪能な『耳』を、使節団の馬車に御者として付けていた。彼には使節団の油断を誘うためにあえてライネガルド語のみ話させ、しかして密談の一部が俺の耳に届く事となった。

 身分を偽り、領主の身辺を探っていた。当然ながら重罪である。しかしながら、彼女に対する怒りは無かった。それというのも、領館に戻った日の夜。彼女が俺の許に訪れ、ある事を話してくれたからであった。



 視察から戻り、いくつかの仕事を済ませたら既に夜遅くとなっていた。寝支度の最中に自室のドアを遠慮がちに叩く音が聞こえ、入室を許可するとどこか思い悩んだ様子のルチアが顔を見せた。いつもの修道服姿ではなく、俺が与えた寝間着にガウンを羽織っている。彼女も寝る前だったようだ。


「こんな夜更けにどうしたのだい? ルチア」

「あの、私。エリザベート様に……」


 そこまで言って、ルチアは口ごもる。素直な彼女らしくない態度だ。


「……エミリー。少し席を外してもらえる? ルチア。ここに座って」


 控えていたエミリーに退室してもらい、ルチアを並べた椅子の隣に座らせる。彼女の顔には、歳に見合わぬ葛藤の表情が浮かんでいた。


「ルチア?」

「ごめん、っなさい」

「謝られるような事をされた覚えは無いけれど……」


 唐突な謝罪を訝しんで理由を訊ねるも、しばらくの沈黙の後に、言えないのですと一言だけ返された。直前、ルチアが苦悩するかの如く歯をかみしめたのが見えた。


「でも、何もせずにもいられなくて、私……ごめんなさい」

「気にしなくていい。君には孤児院の子供達も世話になっている。むしろ感謝しているよ」

「私に……?」

「ああ。孤児院の院長から聞いたよ。ルチアのおかげで子供達が良く笑うと。ありがとう。君が来てくれて良かった」


 そう言いながら俺は、彼女の頭を撫でていた。ルチアが謝罪を口にするにつれ、その表情が不安や怯え、そして俺への後ろめたさを感じさせるものへと変わっていた為であった。


「う、ああ……」


 その銀の瞳に大粒の涙が浮かび上がる。ルチアは俺の胸元に顔を寄せ、息を殺して泣き始めた。俺はその背中を慰めるように軽く叩きながら、ここまで彼女が思い悩む理由を考えていた。

 蝋燭が僅かに目減りする程の時間が過ぎ、ルチアが胸元から面を上げると、その白目は真っ赤になっていた。指で目の端に残る涙を拭うと、驚いた様に身を固くしたが、それを拒絶することはしなかった。


「目が腫れている。良く洗ってからゆっくり寝なさい」

「はい……ありがとうございます。あのっ」


 ルチアが口を開き掛け、しかし逡巡するかの如く項垂れた。俺が急かさず次の言葉を待っていると、彼女は微かに身体を震わせながらも再び顔を上げ、俺の耳元に寄せる。


「教皇庁に――」


 そうしてルチアは俺にしか聞こえない小さな囁きを残し、人目を忍ぶかのように静かに部屋を出て行った。



「なるほどな」


――教皇庁に逆らってはいけません。恐ろしい事になってしまいます。


 俺はあの夜の一言が、彼女の精一杯の助言であったと悟った。秘匿された異端審問官であった彼女の役割は、クラネッタに怪しまれずに諜報活動を行う事。それを出来なくなるような言葉を口にしたのだ。

 所属する組織への裏切りに近い重大な行為である。苛烈な異端審問所の実情を知る彼女にとって、それは恐ろしい事だったのだろう。わざわざ夜更けに人目を避けて訪れ、訪問や謝罪の理由を告げられない程に。


――それでも、教えてくれたのだ。


 おそらくクラネッタが戦に耐えうると、餌に釣られた使節団から枢機卿への報告がなされるためだ。それはすなわち、俺にいよいよ選択が迫っている事を意味する。


「下衆共め」


 俺のはらわたは煮えくり返っていた。ルチアへの怒りでは無い。幼く、そして心に優しさを残した少女をも利用していた異端審問官達の非道さに。そして裏で糸を引く枢機卿にたいする怒りがふつふつとわき上がってくる。


「その報い、必ず受けさせてくれる」


 俺は奴らへの報復と共に、ルチアを異端審問所から引き離すと決断し、その方法を考え始めていた。

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