第10話 審問会

 涼しげな風が吹き始めた九月の中旬、王都。審問会が明日に迫った夜に、伯爵邸の離れでオスビーはエドモンと最後の打ち合わせを行っていた。エドモンに告発の注意点を述べる今日のオスビーの身振りは、常に比べるといささか大きくなっている。


「伯爵様。明日の審問会だけは、私どもが出張る訳には参りません。伯爵様とその派閥の方のみで、クラネッタを追い詰めて頂きます。会の流れはご理解頂けましたでしょうか」

「何度も言わずとも分かっている。分かっているから安心しておけ。クラネッタの小娘一人、私に掛かればどうとでもなる」


 既に勝った気でいる黒髪の大男のおつむの弱さを、オスビーは心中で激しく罵倒する。いくらお膳立てをした所で、告発する者がしっかりしていなければ上手く言い逃れられてしまう可能性もあるのだ。加えて、本国からの指示が彼に焦りを生ませていた。


――アルコール、火薬なるもの、我が国が秘匿する薬品と類似するものなり。クラネッタ公爵家に油断するな。審問が不首尾に終わった場合、証拠を隠滅し、急ぎ本国へ撤収せよ。


 クラネッタに対する調査報告を行った所、帰ってきた答えがこれである。総身そうみに知恵が回りかねたこの男に本国の機密を話す訳にもいかず、今となっては注意を促す事しか出来ない。自身の相手に対する見積もりの甘さが招いた事態に、オスビーは歯軋はぎしりする他無かった。


「クラネッタの手の者も今頃はこちらに探りを入れていることでしょう。伯爵様のお邪魔にならないよう、私はこのあたりで失礼し、事が終わるまで潜伏しております」

「任せろ。明日には片が付くだろうよ」

「そのお言葉をお聞きして安心致しました。それでは……」


 顔が見えないほどに深くお辞儀をした後、すぐさま踵を返しオスビーは部屋を出た。頭を下げた時の彼の表情は、感情の抜け落ちた、無機質なものへと変わっていた。


 クラネッタ家の監視を考慮し、ユンク家当主のみが知る隠し通路を通って、オスビーは王都城壁外の草原へと抜け出した。以前薬入りの上等の酒を持参し、エドモンから密かに聞き出していたのである。星明かりに照らされ、秋風にたなびく草原に立つ彼のそばに、にわかに盛り上がる影があった。

 しかしオスビーは微動だにしない。気配から、自らの忠実な部下だと察知していたからだ。


「伯爵領を掃き清め、本国へ帰還せよ」


 オスビーがそう一言呟くと、瞬く間に影は掻き消えた。暫く彼は星空をじっと眺めていたが、その姿も又、空に雲がかかり、また晴れた時には何処にも見当たらなくなっていた。



 翌日の昼過ぎ。エドモンは自らの派閥を引き連れ、審問会が行われる王城へと馬車で乗り入れた。その車数なんと三十八台。彼の派閥の八割の貴族が王城に参集していた。

 参加していないのはカールスとの国境の警備で離れられぬ者達と、急な病に倒れたと王都への出立前に知らせを寄越してきたオベール家当主のみだった。明日をも知れぬ命と聞き、妻セシールは実家へと帰っている。


「親子揃って期待はずれな奴らめ」


 エドモンが口中で悪態をき、カールス軍を迎えた後は新しい妻を物色しようと考えながら馬車を降りると、彼の元に青い近衛の制服を着た兵が小走りで駆け寄ってきた。


「ユンク伯爵閣下! ようこそお越し頂きました! お早いお着きでございますね」

「うむ。奸臣の罪を白日の下に晒さんと気が逸ってな。それと、彼らも謀反を企むクラネッタ許すまじと、義憤に駆られてはるばる集まった者達だ。傍聴ぼうちょうの席に案内してもらおう」


 エドモンは珍しく整えた黒髪を撫で付けながら、後ろに控える自らの派閥にあごを向けて言った。無論、彼が派閥を引き連れてきたのには訳がある。東部騎士領全体にクラネッタ謀反の噂が届いていることを証言させる為であり、審問の空気を支配させる為であった。エドモンの告発には賛同し、エリザの抗弁には非難を浴びせる。それによって傍聴を行う他の貴族のエリザへの心証を操作し、告発を有利に進めようとしていた。これも又、オスビーの入れ知恵だった。


「告発に連名されていた方々ですね。皆様方は別途ご案内させて頂きます。伯爵様はこちらへどうぞ!」


 近衛兵は派閥の者達の対応を他の者によく通る声で伝えると、きびきびとした動きでエドモンを案内し始めた。



「こちらが今回の審問会場となっております」

「ここでか?」

「はい。当初は議場を利用する予定でしたが、傍聴の貴族の皆様方が多くいらっしゃる事を考えられ、こちらに変更されたようです」


 王城の広く長い通路を進み、先導する兵が立ち止まった場所は、王国一の絢爛さを誇る円形ホールだった。かつてエドモンもここで行われた王家の晩餐会に参加した事がある。贅を尽くしたものであることは、眼前の扉ひとつとっても分かった。

 二人がかりで開ける、見上げるほど高い観音開きの扉には、ライネガルドの王権を表す獅子が大きく向かい合って彫られている。選りすぐりの職人達が手がけた細緻さいちなそれは、まるで生きているかのような錯覚をエドモンに抱かせた。

 エドモンの到着が告げられ、扉が音を立てて押し開かれると、彼はホールのまばゆさに目を細めた。以前来た夜とは違い、テラスに通じる大窓や一部の天井にまで貴重な透明ガラスを使った広い館内は、昼の太陽の光をふんだんに取り入れている。それが吊り下げられた巨大なシャンデリアや、金箔があしらわれた大理石の壁や柱に反射し、えもいわれぬ光彩を放っていた。王国を軽んじているエドモンですら、言葉を失う美しさがある。


「伯爵様。こちらでございます」


 近衛の言葉に我を取り戻したエドモンは、兵が指し示したホールの中央に目を向ける。そこには、二段の法壇ほうだんが設けられ、その正面にエドモンとエリザの席が、証言台を挟んで向かい合って置かれていた。そしてそれを取り囲むように傍聴の椅子が扇状に広がっている。少なくとも百人は座れるであろう数にエドモンはほくそ笑む。これだけの席が埋まれば、審問を受ける小娘にとって相当な重圧になるだろう。派閥の者を使うまでも無く、エリザベートは言葉を発することすら出来なくなりそうだった。

 傍聴席を二つに分けている中央の通路を大股で歩き、左側の告発者の席に座る。正面は未だ空席だったが、顔を青くするエリザベートが見えるようで、エドモンは審問が始まるのを待ち遠しく感じていた。



 審問の時間が近づき、傍聴の貴族達が続々とホールに入ってくる。しかし一向に現れない自らの派閥に、エドモンは苛立ちを募らせていた。我慢ならなくなった彼は、後ろに控えていた近衛兵に顔を向ける。


「そこの者。私と共に来た貴族は何処に案内したというのか」

「はっ! お調べしてまいります」


 機敏な動きで出口に向かった近衛は、暫くすると申し訳なさそうな顔で戻ってきた。


「申し訳ございませんエドモン様。傍聴を希望される方が想定以上にいらっしゃいまして、只今高位の方を優先してご案内しております」

「む、それでは仕方あるまいか……」


 エドモンの派閥の数は多いが、所属する者の爵位は低い。最下級の士爵シュバリエが殆どで、男爵や子爵が数名。伯爵家はユンク家のみであった。こういった場合には、彼の派閥は最後に回されてしまう。苦々しく思いながらも致し方の無いことと、彼は参加する他の貴族が途切れるのを待った。しかし結局、殆どの席が高位の貴族に埋められ、ユンク閥の貴族で席に座れたのはたった数人だけだった。

 席を増やしてもらって派閥を呼び込もうと、エドモンが近衛に声を掛けようとしたその時、国王フィリップと宰相ロジェの到着を告げる声が高らかに響いた。


「国王陛下、宰相閣下の御成り!」


 貴族たちは一瞬で談笑を止め、席を立ち頭を下げて両人を迎えた。エドモンも同様に頭を下げる。五十過ぎの国王フィリップはゆったりとした動作で中央に歩みを進め、その後ろを長身のロジェが追随する。法壇の上段に国王が、下段にロジェが腰掛け、国王が下段に向かって頷くと、ロジェは老人とは思えぬ腹に響くどっしりとした声で、開会の宣誓を行った。


「これより、クラネッタ公爵家が長女、エリザベート・クラネッタに対する審問を行う! 神の恩寵を受けし国王陛下の仰せにより、宰相であるこのロジェが審問を公正に取り仕切る。異論のある者はこうべを上げ、前に出よ!」


 最早席を増やすなどとはいえない雰囲気となり、エドモンは他の貴族同様、頭をより深く下げざるを得なかった。


「よろしい。皆、頭を上げよ。それではこれより審問会を開催する。エリザベート嬢をここに!」


 遂にこの時が来たという歓喜に頬が引きるのを、エドモンは必死に堪えた。閉ざされているホールの扉に目を向け、今か今かと審問に呼び出された少女の姿を待ち望む。絶望に打ちひしがれた顔をしているか、それともじゃじゃ馬らしく自棄になっているか。どちらでも見物だと彼は考えていた。傍聴の貴族達も同様らしく、国王や宰相の前だというのに扉を凝視し、ざわめきながらその時を待っている。

 遂に扉が開かれた時、ざわめいていたホールから一切の音が消えた。そしてエドモンも、そこから現れた少女に一瞬心を奪われる事となった。



 そこにいたのは、一人の美しい淑女であった。穢れ無き身体を証明する純白の、しかし華美ではないドレスに身を包み、顔を僅かに伏せ、その襟首辺りまで伸びた金髪が揺れない位の歩みで静々と法壇に近づいてくる。その場にいた誰もが、一輪の白百合のような、淑やかな美しさを持つその少女から目を離す事が出来なかった。そして少女がエドモンの正面の椅子の前で止まり、国王と宰相にお辞儀をした時初めて、その相手がエリザベートである事に気付き、エドモンは驚愕に目を見張った。


「それでは、両者揃った所で宣誓を行う。その方ら、この審問において真実のみを証言することを主神パスティア、守護神ライネガルドに誓うか」

「誓いますっ!」

「誓います」


 場の雰囲気を奪われたことに焦ったエドモンは、注目を引きつけようと努めて大声で宣誓を行った。しかし傍聴する者の殆どは、エリザに目を奪われたままであった。それが又エドモンを苛立たせ、エリザに憎しみの視線を向けさせる。すると彼女は大きく目を見開き、肩を震わせながら大粒の涙を零した。その様子を見ていた貴族たちは、いたいけな少女を脅しつけた壮年の伯爵に非難の目を向ける。


「みっ、皆様。騙されてはいけません! この娘は謀反人なのですぞ! 宰相閣下。審問を始めて頂ければ、この女狐めの化けの皮も剥がれましょう」

「良かろう。では証言台に立ち、その謀反の証拠を述べるがいい」


 自らの旗色が悪くなった事に気付き、エドモンは宰相を急かす。そうして得た許可にようやっと調子を取り戻した彼は、自信満々に中央の台に立ち、時たま背後の傍聴席を見ながらエリザが謀反人である『証拠』を挙げ始めた。


「皆様方の中には、未だ覚えている方もいらっしゃるでしょう。今年の春、宰相閣下の邸宅で行われた舞踏会の事を。あの場所で王太子殿下に危害を加えたのがこのエリザベートです。殿下の恩情で許されはしたものの、彼女は王族の顔すら知らないほど王家を軽んじています」


 現場に立ち会わなかった一部の貴族は、今の話が信じられないといった顔をして、エリザとエドモンを見比べた。しかし宰相がエドモンの言を否定しない事から、エリザに疑いの目を向ける者達が出始める。その様子を盗み見たエドモンは、計画が走り出した事を実感した。


「その後クラネッタ領内の不審な動きが我々東部騎士領内で噂され始めました。私もクラネッタ家が謀反などと、当初は悪質なでまかせかと思っておりました。しかしライネガルド全体で噂されているという話を出入りの商人から聞き、平和と秩序を愛する王国貴族としては民の訴えを退けるわけにもいかず、独自に調査を行いました。するとどうした事でしょう!」


 エドモンは大きく手を広げ、傍聴の貴族達の視線を集める。人の目を引くエリザの存在感に押され、告発が聞き流されてはどうしようもない為、彼自身のパフォーマンスが絶対に必要であった。道化のような身振りをさせる、オスビーの考えたこの作戦をエドモンは快く思ってはいない。それでも行っているのはエリザ憎しの一念によるものだった。


「数々の謀反の証拠らしき調査結果が出てまいりました。例えば我がユンク領に逃げてきた若者の証言から分かった、都市の若者に軍事訓練を施していた事などがあります。事実クラネッタ家の拠点、アミーン近郊で、多くの者が軍事訓練を行っている事が報告されています」


 周辺国家との戦争も無い今、訓練に明け暮れているのは、その力を内部に向ける為であるとエドモンは主張し、諸侯の不安を煽る。逃げ出してきた若者のくだりは全くの嘘であったが、クラネッタ領で自衛の訓練が行われていたのは事実であった。それを針小棒大に伝えたことで、貴族達の視線は警戒を帯び始めた。万が一内乱となれば、自らの所領が脅かされる為だ。猜疑さいぎの視線が、エリザに集中し始める。

 視線の圧力の中、どれほど抗弁できるか。ニヤリと小さく笑って席に戻ったエドモンに変わり、エリザが証言台に立つ。そして幼いながらも凛とした声で堂々と宣言した。


「ユンク伯爵の告発は、全くの出鱈目でたらめです。訓練は領内の安全を確たるものとする為にございます」


 先程の涙からは一転、自らの家に対する中傷には周囲の視線にも全く動じずに反論するエリザに、一部の貴族は感嘆の息を漏らした。こうもきっぱり言い返されるとは思っていなかったエドモンは一瞬呆け、そしてすぐに頭に血の上らせて詰問を繰り返す。


「嘘を吐くなっ。若者を集めて何をしでかすつもりだ!」

「領内の安全を守るため、といっても信じては頂けないようですね。では、先ずは彼ら若者を集めた理由からお話することにいたしましょう」


 エドモンの詰問に、黄金色の瞳がしめたと言わんばかりに光ったのを見た者は、白髭の中で笑みを浮かべる法壇の老人以外誰もいなかった。

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