一幕『ザ・トゥルース・オブ・フォークロア』Ⅰ


 何処にいても聞こえてくる音がある。

 ゴゥンゴゥンゴゥン――という音。

 それは大機関メガ・エンジンの音。この大都市ロンドンの生活を支える動力機関の駆動音。そう、駆動音のはず。

 誰もが耳にして当たり前の音。

 誰もが聞いても当たり前の音。

 生まれた時からずっとずっと、その音は続いている。昨日も、今日も、明日も変わらずに。


 ――カランカラン


 店のドアに備え付けてあるドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませー……」


 店番のアタシは気のない挨拶を口にする。

 それはいつも通り。昔は何度も注意されたが、何度注意されても直さないアタシに昔からお世話になっている強面の店主も諦めたらしく、今ではずっとこんな調子である。

 まあ、それはおいておいて。

 その日、珍しい客が来た。

 男が二人。一人は背の高い、壮年の男性。灰色の髪を後ろに流した、猛禽類みたいな目をした単眼鏡モノクルの人物。

 もう一人はその男性の連れで、まだ年若い青年だった。アタシより少しばかり年上くらいの、目つきが悪くて黒髪が特徴の――そんな人だ。

 店主オーナー単眼鏡モノクルの男性は顔見知りらしい。どう見ても店主のほうが年上のなのだが、いつも厳めしい店主が随分と愛想良い顔をしていた(それでも十分強面だったけど)。

 どうやら外套コートの修繕に来たらしい。コートを手渡したのは青年のほうだ。ひょいと横目に覗き見る。珍しい、葡萄酒のような紅い色のフード付きのコートだった。だがそれ以上に目を引いたのは、その外套の有様だ。一体どんな風に使えばそんな風になるのかと不思議に思った。

 だってそうだ。普通にコートを着てたら、ど真ん中に風穴なんてあくはずがないのだから。

 青年も交えて、男三人は何やらコートの修繕で色々提案をしていた。「鉄の~」がどうとか、「頑丈に~」とか。

 やがて相談が終わったのか、気づいた時には値段交渉になっていた。店主と男性が、また小難しい話をし始める。

 青年のほうは会話から外れ、物珍しそうに店の中を見回していた。

 その様子を、アタシは何となくに眺めていた。だって暇なのだ。彼ら以外に客はいなくて、店番のアタシは特にすることがなく、受付カウンターでぼーっとしてるだけ。


「――暇そうだな」


 不意に、声を掛けられた。受付の机に顎を乗せていたアタシは、僅かに反応が遅れてしまう。

 視線を動かして、声を相手を見る。相手は店の中を暇そうに見回していた、あの青年だった。


「……まあね。直接お客さん来るの、珍しいし」


 蒸気機関革命以降、服飾も機械化が進んで、職人一人一人によるお手製の品というのは非常に珍しくなっている。そんな世の中で、わざわざこんな店に服を頼みに来る人というのはかなり珍しい部類だ。ましてや機関電信機エンジンフォンではなく店に直接顔を出す人なんて、月に一人いるかいないかくらいだし。

 この店の店主は今どき珍しい職人だった。しかし、どうやらそこそこに有名な人物らしく、たまに高そうな服を着た偉そうな人が頼みに来ることもある。おかげで潰れることはないようだけど、やっぱりお客が来るのは珍しいのだ。


「ふーん。やっぱ何処もそんなもんだよなぁ」


 アタシの返事に、青年はおざなりに答えながら机に背を預け、店主と男性に目を向けた。


「ありゃもう暫くかかりそうだな」


「……かも。店主オーナーがあんなに話し込むの、初めて」


 ――見た。という言葉を口にするのが面倒になって切ってしまう。すると彼は「そこまで言ったなら最後まで言えよ」と苦笑していた。

 良く判ったなぁと感心する。

 まあ、するだけで口にはしないけど。

 彼のほうもたいして興味がなかったのか、それ以上は何も言わず、ただぼけーっと天井を仰いでいた。

「……あのさ」

「ん?」声を掛けると、彼は天井を見上げたままに返事を返してきた。

「あのコート、どしたの?」

 何となく興味がわいて、尋ねてみた。だって外套のど真ん中にでっかい丸い穴が開いているのだ。何をどうすればそんなことになるのか、興味がわくのは仕方がないと思う。

 問われた彼はというと、「あー」とか「んー」とかよく判らない呻きを零した後に、

「なんてーの。仕事ビズでどじった、ってところだ」

「ふーん」

「聞いといて生返事とかいい度胸だな、お前」

 彼は半眼で私を見下ろしてそう言った。

「よく判んなかったし」

「あー……そうかよ」

 正直な感想を述べると、彼はがしがしと頭を掻いて嘆息する。だって仕方がない。本当に判らなかったんだから。

 仕事――と彼は言ったけど、どんな仕事をすればあんな風になるのかアタシには想像もつかない。

 まあ、何となく興味がわいて訊いた――ってだけだから、別にいいのだけど。

 そんなやり取りをしているうちに、店主と男性の話し合いは終わったらしく「では店主、よろしく頼むよ。待たせたね、トバリ。行こうか」と、男性が彼に声を掛けて来た。

 彼は「おーう」とおざなりに返事をして、「それじゃあな」とアタシに一言残し、男性と共に店を出て行った。

 その背を見送って、「変な奴……」とぼやいてみたりして。

 という珍しい客が来た以外では、いつも通りの店番だった。

 昨日と同じ。そして明日もきっと同じことの繰り返し。

 朝起きて、ご飯を食べて、店番をして、帰って寝て――たまに裏通りの弟分やら妹分たちの世話をしたり。

 そんなことの繰り返し。

 ちょっと退屈で、でも不満も特にない充実した毎日が続くのだ。

 昨日も、今日も、そして明日も変わらず。 


 そう。

 それは変わらないものだった。

 変わらないものの、はずだった。

 そう信じていた。


 だけど――あの日。


 アタシは見てしまった。

 アタシは知ってしまった。

 誰もが耳にして当たり前の、その音が齎す恐怖を。

 誰もが聞いても当たり前の、その音が齎す絶望を。

 アタシの前に姿を現した――それ、、


 それは鋼鉄の塊だった。

 それは蒸気機関の塊だった。

 いや、違う。

 それは――

 間違いない、異形の怪物モンスターだった。


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