Ⅸ
ヴィンセントを蹴り飛ばしたトバリは、文句も返事も待たずして、代わりにすぐ横の壁を採掘する拳を見て呵々と――いいや、げらげらと声に上げて笑った。
「どうしたどうした? 随分とチンタラしてんじゃねーの。さっきまでの勢いは何処に行ったんだい?」
「本当に口汚い科白しか出てこないのね……まるで
トバリの嘲りに、鬼気迫る形相で見下ろすアリステラが続けて腕を振るった。指先がまるで指揮者の揮う指揮棒の如く滑らかに虚空を撫で、一瞬にして干渉術式の起動式が描き出されて。
転瞬、大気が軋む音を耳が拾う。トバリは横っ飛びでその場から素早く退避。一瞬遅れて、トバリが立っていた周辺が、怒涛の勢いで細切れになって崩れ落ちていった。
放たれたのは不可視の刃――その正体は干渉術式によって生み出された
走るトバリを追いかけるように、次々と繰り出される干渉術式。殺到する無数の切断力場がすぐ後ろを細切れにしていくのを気配で感じながら、トバリは一層笑みを深めて此方を見下ろすアリステラを見上げて叫ぶ。
「当たらないぜオネーチャン! 様ぁないなぁ? 取って置きの《
「ならば――これはどうかしら?」
トバリの嘲笑に、アリステラは不快げに眉を顰めながら《似人偽神》を動かす。
トバリを追って、機械仕掛けの巨躯が転身し、その腕をトバリに向けた。向けられた腕が回転し、その速度は徐々に加速――瞬く間に目にも留まらぬ回転数に達した腕の先から吐き出されるのは、一発一発がトバリの顔程の大きさがある――砲弾だった。
「――はっ、そうこなっくちゃな!」
されとて、彼は恐れることなく不敵に笑い、一瞬の逡巡も見せずにその身を《似人偽神》が立つ奈落へと躍らせた。
アリステラには予想もつかなかったのであろう。彼女はその瞳を見開いて、《似人偽神》の手の上から身を乗り出して奈落を覗き込み――
「――眼前、失礼」
そこに、トバリは躍り出た。彼の足元には、いつの間にか張られた鎖――いいや、彼が極東より持ち込んだ刃鎖があった。足場と《似人偽神》とをつなぎ合わせ、綱渡りの要領で一気に距離を詰めて――右腕一閃!
回避は間に合わない。故に、定石ならば此処でアリステラは防御に回るはずだ。《干渉機関》を持つ彼女の演算速度であれば、この一瞬で術式を展開することが可能なはず。
しかし、彼女の取った行動は回避だった。彼女自身の回避――ではなく、彼女を手の上に乗せた《似人偽神》が腕を動かし、トバリの手の届く範囲からぎりぎり彼女を逃がしたのだ。
奇襲は失敗。しかし、トバリは大して悔しがることもなく、むしろその表情に喜色すら浮かべ、凶悪だった笑みを一層深めてアリステラを見た。
対するアリステラは苦々しい表情でトバリを睨み据えている。その表情を見て、トバリは「ああ、なるほどな」と肩を震わせ、にたりと酷薄な笑みを浮かべた。
「アンタ知ってるんだな?
「……なるほど。その口上から察するに……噂は本当ということですか。魔術に連なる者ならば誰もが一度は耳にする――極東にいる
より鋭い眼差しを向けて来るアリステラに対し、トバリは返事の代わりに微笑んで見せる。
――
それはトバリの血族――封神に渾名されたものだ。
呼び名は数あれど、その意味は総じて〝神に抗い仇なす者〟である。
神殺し――空凪。
神喰らい――神薙。
そして神封じ――封神。
遥か古の時代から、極東を災いから守り続けていた魔祓いの一族たちのことを、いつの頃からかそう呼ばれていた。
実に大仰な呼び名だが、この三つの一族には総じて似た特徴がある。
魔術――即ち、〝干渉術式を始めとしたあらゆる超常の力を一切の例外なく相殺する〟ということ。
そして時にその身に襲い掛かる干渉術式を無効化し、世に恐れられる悪鬼邪妖を討滅する――魔を祓い、邪を滅ぼす、そのための力を有する者たちの中でも、最も力を持つ極東の魔祓いの筆頭者たち――それが抗人神。禍祓御三家だ。
勿論その特性は万能でもなければ、常に行使されているというわけでもない。
封神の場合、それはその血に宿る異能――血浄塵型を行使することで、初めて禍祓いの力を発揮するのだ。
パラケルススを押し退けてアリステラが再誕したとき、トバリにはまだ血浄塵型はなかった。
――だが今のトバリには、センゲの導きによって覚醒した血浄塵型が、右腕に顕現している。
血浄塵型を得たトバリは、今となってはアリステラの脅威となりえる存在と化しているのである。
「――時間にすればほんの少ししか経っていないのに、そんな風に化けるなんて……やっぱり極東というのは、噂通り化け物揃いの島国のようね」
「――はっ。よく言うよ。元を質せば、この状況はアンタが自分で蒔いた災いの種だろうが。様ぁ見やがれってんだ」
アリステラの言葉を、トバリは鼻で笑って見せた。
実際、トバリがこうしてアリステラに相対できているのは彼自身の実力だけではない。確かに、渡り合えているのはトバリ自身の実力がその根幹にある。だが、今こうしてアリステラを追い詰められているのは、《心臓喰い》――トガガミ・センゲのおかげである。
彼女の死が、彼女の命が、彼女の意地が――トバリに血の異能を目覚めさせたのだ。
そして、彼女がそうせざるを得なかったのは、アリステラが彼女を殺したからに他ならない。
右腕が疼く。
目の前の少女――機関に狂う魔女に向かって牙を剥けと、嘶いているのを感じる。
心の中で、トバリは応じるようにアリステラに襲い掛かる。左手に握る短剣を縦横無尽に振るって牽制し――生じた一瞬の間隙を射抜くように右腕を叩き込む!
しかし、当然アリステラも右腕を――魔を祓い、あらゆる異能を相殺する血浄塵型を警戒しており、トバリの放つ必殺の一撃を《似人偽神》を操ることで巧みに躱す。
鮮血色の右腕、閃いて――
光帯纏う左手、揮って――
一進一退の攻防。どちらも一歩たりとて譲ることなく、二合三合と斬撃が、術式が――なにより死線が、交錯する!
だが届かない。
どちらの攻め手も、互いの命には届かないでいる。
なにせ一撃。たった一撃喰らってしまえば、その瞬間に決着となりえる攻め手――文字通りの必死の一撃だ。故に相対する敵に最大限の注意を注ぎ、警戒し――僅かな間隙すら見逃すまいと全神経を研ぎ澄まして相手の挙動の機微に集中する。
そう。
二人の意識は完全に、立ちはだかる相手ただ一つに注がれている。
それが一対一の戦いであるのならば良かっただろう。周囲に気を配る必要などなく、ただただ相手を警戒すればいい。
だが、アリステラは忘れている。対峙するトバリすらそれのことを忘れているくらいなのだから無理もないが――この戦いは決して、一対一の戦いではない。
――ぎちぎちぎちぎちぎち
突如、《似人偽神》が奇声を発する。頭頂部部分から響くは車と鋼鉄の軋み合う音と共に、赫く輝く機械の単眼がゆったりと上を見上げ――刹那、凄まじい剣閃が《似人偽神》の頭部を襲った。
「――なに!?」
アリステラが、険しい表情で頭上を見上げる。その視線を追うようにして、トバリもまた頭上を見上げて――まるで銃弾の如く飛来してくる影の姿を見た瞬間、呵々と声を上げた。
「随分と格好いい登場の仕方じゃねーの。宗教家が見たら天使が下りて来たと思うかもしれないぜ?」
降りてきた影はトバリのすぐ横で制止し、その背に背負うクロームの翼を羽ばたかせながら肩を竦め、呆れ顔でトバリを見た。
「鋼鉄を背負った天使など居るものですかね? 私でしたら、悪魔がやって来たと思いますよ」
「じゃあ
「……《
「シンプルに《
適当に返事を切り返し、トバリはにたりと口元を歪める。エルシニアは肩を竦め、微苦笑で応じ――そして視線を持ち上げ、アリステラを見据えた。
そんな彼女をアリステラもまた同じように見落として、煩わしげに柳眉を顰め――
「まったく。誰も彼もが本当に……私を怒らせるのが好きみたいね、エルシニア。愚かしき私の妹……っ!」
――怒声を放ちながら腕を振るう。虚空に描かれる無数の干渉術式。それはトバリたちを囲うように四方八方に塵を組むように展開されていた。
それを見て、トバリは僅かに舌打ちを零す。描かれた術式は――あろうことか
「――摑まって!」
すぐ横で、エルシニアが叫んだ。トバリは考えるよりも先に手を動かし、左手でエルシニアの背――其処から顕現している機関式の翼に手をかける。
同瞬、凄まじい加速圧がトバリを襲った。振り返れば、アリステラの姿は遥か彼方の下方にあった。寸前までトバリたちが立っていた場所を、アリステラの描いた術式から放たれた光線が殺到しているのが見える。
あと一瞬遅ければ、あの光線が自分の身体を八つ裂きにしていたであろう――そんなことを考えると背筋が凍る気分だった。
だが、脳裏に過ぎった最悪の結果を振り払い、代わりに己を鼓舞するようにトバリは叫ぶ。
「――武器はあるか!」
「なら――これを!」
一瞬の躊躇もなく、エルシニアが黒い鉄の塊を手渡してきた。トバリは血浄塵型を解除し、生身の腕となった右手でそれを受け取って――それが奇妙な形をした機関式の、
それは上下に二つの銃口を持つ、奇形の銃だった。既存の銃器には有り得ざる、拳大ほどもある凶悪極まりない銃口が上下にそれぞれ存在し、持ち手から銃身の半ばにかけてまで、大小複雑な
大型レヴェナントの堅いクロームの装甲を破壊することを目的に作り出された、エルシニア・アリア・リーデルシュタイン作――〈
それを片手で構え、トバリは狙いをつけると同時に銃爪を引いた。
爆薬が吹き飛ぶような凄まじい銃声と共に、二つの銃口が火を吹く!
放たれた銃弾は
咄嗟に、アリステラが干渉術式を展開し、対物理障壁で銃弾を防ごうとし――失敗する。展開された干渉術式の壁は、降り注いだ銃弾によってまるで薄氷の如く粉砕されて、銃弾はアリステラのすぐ横を通り過ぎて、《似人偽神》の腕に拳大の穴を空けた。
強烈な反動に腕がしびれそうになったのを気合で抑えながら、歯を剥いて笑った。
「はは……っ! いいじゃねえか。
――エレクトラム。
それは極稀に採取される金と銀の中間に位置する特殊な金属だ。劣化することのない金に、古くから魔を祓う金属とされる銀の両性質を持つが故に、人間よりも上位の存在や現象に対して
そして高い通電性を持つエレクトラムで作った銃弾を、電磁加速装置を内蔵した銃で放つ――なんて発想は、恐らくトバリが知る中で最も奇妙にして最も奇怪たるヴィンセント・サン=ジェルマンにすら思いつかない発想だろう。
「対パラケルスス用に作っていたんですよ。まさか姉に向ける日が来るとは想像すらしていませんでしたけど」
トバリの称賛の声に、エルシニアは苦笑いしながらそう零して眼下を見る。見下ろす先で、アリステラが鬼気迫る形相で此方を見上げていた。
「やっこさん、随分お怒りだな。まあそれも当然か、こうも思い通りにことが運ばないなんて、あの女には想像すらできてなかっただろうからな」
「あれで、昔から自尊心が高いですからね」
「そいつは見た目通りだよ」
エルシニアの科白に肩を竦め、トバリは更に引き金を引いた。次々と射出される銃弾が雨の如くアリステラと《似人偽神》を襲う。
巨大な機関機械であり、このロンドンを動かす大機関そのものたる《似人偽神》。巨大で、その身に宿す武装は確かに強力だが――その巨大すぎる身体を守る装甲は、他のレヴェナントには遠く及ばないらしい。《煉獄咢の双頭狗》の銃弾が叩き込まれるたびに、その巨大な身体に穴が空いていく。
その様子を見下ろすトバリは、銃弾をなお叩き込みながらゲラゲラと笑って叫ぶ。
「おいおい、オネーチャンよ! ご自慢の玩具はすっかり虫食いになってるぜ? このまま無様に轟沈するか? 悪役にしちゃあ随分呆気ない終わりだな?」
「どうして貴方はそういういらない挑発をするんですか!」
トバリの挑発をエルシニアは叱責するが、最早そんなものは手遅れだ。アリステラの表情が醜悪に歪み、彼女は血走った双眸で此方を見上げながら、口元を歪め、肩を震わせながら、
「――なら、お望み通り全力で行かせてもらうわ! 自分の口の悪さを恨みなさい、《血塗れの怪物》!」
激怒と共に、機関の魔女はその全身を輝かせる。《干渉機関》の放つ異常な発光と共に、《似人偽神》が動いた。
その全身を守っていたクロームの装甲が弾け飛び、中から何十――いや、百すら超えるほどの砲門が出現するのを見て、エルシニアが顔を青褪める。そしてその背で、トバリはにやりと笑いながら口笛を吹いた。
「ひゅぅ、やっと本気出したか。そうこなくちゃあ面白くない」
「この状況を面白いと言えるのは、世界を探しても貴方だけですよ――ではなく、何か策があってのことなんでしょうね。そうでなかったら、私はこのまま貴方を投げ捨てて逃げますから」
「大好きだったお姉ちゃんが下で待ってるのに、尻尾巻いて逃げるのかよ。アンタ何しに来たんだよ、此処に」
「少なくとも、貴方とくだらない言葉の応酬をするためではないです!」
「まったく以てその通りだ」
憤慨するエルシニアに同意し、トバリは〈煉獄咢の双頭狗〉をエルシニアに返しながら言った。
「じゃあ、そろそろ
不適に口の端を持ち上げて、トバリは少女の耳元で小さく囁く。エルシニアは「……本気ですか?」と、一瞬信じられないものを見るような目で此方を見てきた――が、トバリは彼女の視線など気にも留めず肩を竦めながら頷いた。
「勿論さ。じゃあ、始めるぜ?」
そう言うや否や、トバリは何の躊躇いもなくエルシニアの背から手を離した。エルシニアが目を丸くし驚嘆の視線を向けてくる。その表情がなんだかおかしくて、トバリはやはり、呵呵と笑いながら自由落下を始めた。
風景が一瞬にして過ぎ去っていく中、トバリはくるりと器用に空中で姿勢を翻し、アリステラ目掛けて一直線に飛来する。
一瞬、眼下のアリステラが信じられないものを見るような眼差しを向けてきたが、それも一瞬のこと。その表情は呆れ顔に瞬く間に様変わりし、口元に嘲笑を浮かべながら、少女の右腕が閃く。
彼女の眼前に描かれる、無数の干渉術式の術陣が煌々と輝きを放ち、展開された術式が起動する。放たれたのは光輝によって生み出された熱線だ。
同時に、《似人偽神》の赫眼がひときわ強い光を放ち――展開してた砲門が一斉にトバリへと向けられ――そのすべてが、百に届くであろう機関機械の砲身が、ほぼ同時に火を放つ!
爆音が地下に響き渡り、
衝撃が地下全体を揺らし、
熱線が、地下を駆け抜けてすべてを切り裂いていく。
そして――それらのすべてが一斉にトバリ目掛けて殺到する!
中空を落ちるトバリに、それを逃れる術はない。
ただ落下するトバリに、それを躱せる術はない。
故に、トバリは――
(――いくぞ、センゲェッ!)
内なるものに向けて叫ぶ。
血に宿った彼女に向けて。
力を貸せと!
今わの際に、共にあろうと言った、自分が知りえる最強の存在に向けて叫ぶ!
そして、その意思に呼応するように、全身を流れる血が沸騰し、噴出そうとするような感覚。その感覚に抗わず、トバリはなすがままに身を任せ――
そして――砲弾と術式の嵐が、トバリを襲った。
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