八幕『選ばれた対抗神話』Ⅰ


 ――ゴゥンゴゥンゴゥン。


 大きな都市ならば何処にいようと聞こえてくる音がある。

それは大機関の音。都市を運営する大半のエネルギーは、この大機関によって賄われるていた。

 私はずっとこの音を聞いて育った。

 生まれた時から、ずっと、ずっと――この音と共に育った。

 第二次産業革命――通称、蒸気機関革命。発展を続けた蒸気機関によって訪れた、機関による万能の時代に私は生まれて。

 物心つく頃には、私は疾うに機関の虜になっていた。だけど、それを不思議に思ったことは一度もない。

 だって、それは身近にあって当たり前のもので、機関を嫌う人なんて、機関を疎ましく思う人なんて、何処にもいるわけがないでしょう?

 私もそう。


 かちこちかちこち、ヘンラインの薇発条ゼンマイ機関よ。

 かちこちかちこち、バベッジの階差機関ディファレンス・エンジンよ。

 かちこちかちこち、ニューコメンの蒸気機関よ。

 かちこちかちこち、歯車と螺子と発条の動く音。


 それらはすべて、偉大なる先人たちがこの世に齎した栄光なれり技術の証明おと――現代を席巻する機関の数々。


 ああ、ああ! なんて美しく、素晴らしい代物なのか。

 人間は、こんなにも素晴らしいものを生み出せるのだろう!


 なのにどうして、こんな素晴らしい物を作れるのに――ああ、本当にどうしてなのだろうか。

 人間は、どうしてこんなに欠陥だらけなのか。

 人間は、どうしてこんなにも脆弱なのだろうか。

 ほんの些細か出来事で、容易く壊れる身体。

 どれほど頑張っても、百年も生きることのできない虚弱な身体。

 私には不思議だった。どうして、人間はこんなにも弱い生き物なのか。

 私には疑問だった。どうして、人間はこんなにも儚い生命体なのか。

 それは物心ついた時――蒸気機関に魅入られた日から私の頭をさいなむ謎だったの。


 そんなときだ。私が、彼に出会ったのは。


 彼は何処からかふらりとやって来た旅人だった。薄汚れた襤褸のコートに身を包んだ、送信の老人。

 彼の名はパラケルススと名乗った。なんと驚くことに、彼は歴史に名を遺したあのパラケルススそのものだと言う。

 私は半信半疑だったが、彼の話を聞いて、私はすぐに彼の言葉を信じた。理由なんてない。ただ、私は彼の口から語られる言葉から、直感でそう思ったの。

 錬金術師パラケルスス。秘密結社〈アルケミスト〉の一翼にして、賢者の石の生成に成功したただ一人の偉人。

 彼は自らに胸元に埋まっている柘榴のように赤い石を指さして言うのだ。



『――これが私だ。私はこの石に魂を移し替え、永遠不滅の存在となったのだよ』



 彼は言った。

 そして、私は訊ねた。


「じゃあ、貴方が動かしているその身体は誰のもの?」


 すると、彼は目を細めながら答えた。


『よくぞ聞いた、聡明な娘よ。この身が誰であるかは、私も忘れた。ただ言えるのは、この身体は私のものではなく、たまたま出会った人間の身体だよ』


 応えながら、彼は私の肩を摑んで――にんまりと、ぞっとするような笑みを浮かべると、


『――そろそろ、新しい身体に換えねばならぬと思っていたところだったのだよ』


 そう私の耳元で囁き、私の手を取って、彼は胸に埋まっていた石に、私の手を当てたの。

 すると、突然頭の中に何かが流れ込んできた。


 私の知らない国々が。


 私の知らない人種が。


 私の知らない言葉が。


 私の知らない技術が。


 私の知らない世界が。


 まるで濁流の如く頭の中を駆け巡っていく。


 そして私は、それが彼の――パラケルススのこれまで蓄積してきた知識なのだと悟ったの。

 同時に、彼は賢者の石を通じて私の魂に干渉を行った。


 ――干渉術式。


 その名を知らない人たちから、魔術なんて言われている超常の技術で、彼は私の霊的存在情報たましいに手を掛けたのだ。

 その瞬間、世界が真っ白に染まったような気がした。

 自分一人が、ぽつんと白い空間に立ち尽くしているような錯覚。同時に、私の周りに映し出される映像のようななにか。


 それは、俗に記憶と呼ばれているものだ。


 なんで判ったのかって? 簡単よ。パラケルススが事前に送り込んで来インストールした、彼のこれまで得て来た知識と記憶が教えてくれたの。

 そして、目の前に何百敢然と重なって表示された記憶の一つが消えた。すると、どうだろう。私は今寸前まで見ていた映像がなんであったのか、判らなくなった――と認識した瞬間、何をされたのかを悟る。



 ――保有情報の完全削除アンインストール



 パラケルススは、私の記憶を消し、私という存在を消そうとしているのだと、私の持つ知識が訴えていた。

 なるほど。そう認識すると、私はまるで他人事のように納得した。

 私という存在に踏み込んで、

 私という存在に割り込んで、

 私という存在を、彼が――パラケルススが喰い散らしているんだ。

 肉体に宿る魂わたしという情報せんきゃくを完全に消去して、魂が空席からっぽになった身体いれものに乗り込もうとしている――と。

 そう理解した途端、私はなんだかおかしくなって笑ってしまった。そして笑いながら、私に踏み入ろうとする彼に、私になり替わろうとする彼に、こう言ってやった。




 ――だーめ。って。




 その瞬間、彼が怯えたのが判った。

 紅い石の内側で、彼が『何故!?』と驚いているの。

 何故、なんておかしなことを言うのねと、私はなおも笑った。

 だってそうでしょう? 私という存在は、私だけのもの。この身体もは私だけの所有物で、私という魂が収まるただ一つの器。

 私でない誰かの魂が入り込もうなんて、許されるわけがないじゃない。

 そう、魂の領域で彼に語り――逆に、私はその石に、その意思、、に踏み込んだ。

 既に知識はあった。この頭脳はもう、かつての――賢者の石に触れる前のアリステラ・シャール・リーデルシュタインではないの。

 錬金術師パラケルススの、持ち得るすべての知識を受け取った存在。

 だから、私には判っていた。この石の――賢者の石の使い方が。


 賢者の石――純然なる魂の入れ物。この世で肉体以上に魂を収めるのに相応しい記憶媒体メモリー


 でも賢者の石は、肉体と違って優先順位がないの。

 つまり、誰でも平等に入り込むことができる。主導権は、石に入り込むその人次第。身体の乗っ取りに失敗し、動揺している貴方は、私に勝てるかしら?



 ――そして、私は彼という存在を喰い散らすことにした。



 断末魔はなかった。いいえ、あったのかもしれないけれど、どうでもよかったから、覚えていないわ。

 代わりに残ったのは彼の持っていた膨大な知識。言葉では言い表しようのないほどの――まさにパラケルススがずっと焦がれていた〝叡智〟と呼ぶに相応しい記憶だ。


 思わぬ拾い物に心が躍り、私は手に入れた記憶と知識を使って、何ができるかを考えた。

 そうして導き出したのは――非常に不本意だが、この知識の持ち主であるパラケルススをはじめとした、多くの時代遅れたちアルケミストが目指したもの――不完全なものを完全なものへ。



 不完全な人間を、完全な存在にすればいいということ。



 私は次なる疑問にぶつかった。

 じゃあ、完全な人間って何かしら?

 衰えないこと?

 老いないこと?

 死なないこと?

 いいえ――いいえ、違うでしょうアリステラ。そんなものは完全じゃない。そんなものが人間を超えることではない。

 衰えない者も、老いない者も、死なない者も既にこの世に存在していた。パラケルススの知識と記憶がそれを教えてくれる。

 ならば、そんな有り触れた権力者の夢絵空事のようなものではなくて、もっと違う――私自身が完全な存在と思う者とは、何?



 そんなものは、一つしか思いつかなかった。




 ――ゴゥンゴゥンゴゥン。



 耳に聞こえてくる大機関の音。

 そうだ。これこそが完全なるもの。永遠不変、未来永劫続いていくであろう、この世界における技術の究極。

 なんだ、簡単なことじゃないの。

 私は答えにたどり着き、鼻歌を零しながら家に帰り、最初の実験のための準備を始めたの。

パラケルススの持つ資産を使い、密かに蒸気機関の研究をするための施設を作り、私は日々機関機械の開発に取り掛かった。

幾度もの実験を繰り返し、理想となるものを作るために寝食を惜しんだのも懐かしい記憶。

 数年の歳月をかけ、私はついに目的の機関機械を完成させた。未だ人類が到達しえなかった技術の一つ――回転羽根付飛行機など時代遅れと笑ってやれるような夢の機械を前に、私は満ち足りた気持ちになるのを必死に抑えて、本命の臨床試験に取り掛かることにした。






 ――そして、






「――良い子ね、エルシニア」


 薄暗い部屋。僅かな証明の光が照らす空間の片隅で。

 私は微笑みとともに、そう囁いた。

 慈愛に満ちた表情で、私は一人の少女を見下ろすの。

 まるで歌うように言葉を口ずさみ、踊るようにカチャカチャと鋼鉄製クローム手術用剪刃サージカル・シザーなどを手に取って。


 ――涙を目の端に浮かべながら此方を見上げる妹を見た。


 何か言いたげだけど、残念。

 きっとうるさくなると思って、事前に口をふさいじゃったの。

 口だけじゃないわ。

 手も動かせないし、足も動かせない。手足だけではない。頭の先から爪先まで、全身をきっちりと縛り付けてある。

 固く、きつく、しっかりと、うつ伏せに固定されている。

 動かせる部分は何処もないのよ、エルシニア。


 カチャカチャカチャカチャ。


 私は心を弾ませながら、玩具で戯れるように手術用の小刀メスを手に取る。


「エルシニア。今から貴女に魔法を進呈プレゼントするよ。世界初の試みの――記念すべき最初の被験体ザ・ファーストだよ。良かったね、私の可愛い妹マイ・リトル・シスター


 そう言うと、妹は表情を凍り付かせる。その顔が何だかとっても可笑しくて、私は答えの代わりに鼻歌を歌う。



 ――Alle Menschen werden Brüder Wo dein sanfter Flügel weilt――



 私の大好きな詩。

 私が信奉する詩。



 ――貴方の柔らかい翼が留まる所で、全ての人は兄弟となる。



 そう。すべての人々は兄弟になれるの。私の目指す未来が訪れれば、きっと誰もがそう思うはず。だからまず、その手始めに、



「――だから怖がらないで、エルシニア。怖がらないで、受け入れて。私の可愛い妹。貴女は祝福された。そのことを歓喜よろこびんで?」



 そして、私は実験を開始した。

 刃が肌を切り裂くたびに、妹の綺麗な白い肌が赤く染まる。

 数時間施術を行って、私は首を捻る。


「うーん、やはり身体に埋め込むには限界があるみたい。このままじゃ実験体が無駄になっちゃうわ。何かないかしら?」


 私は自分の中にある知識を精査する。

 せっかくの実験体第一号かわいい妹を死なせるのは忍びない。

 どうしたものかと数秒首を捻って――ああ、と私は思いつく。


 ――干渉術式。


 この世のあらゆるに干渉し、書き換える奇跡の御業。これを使ってみればどうだろうか?

 私は思いついたことを即実験する。ぶっつけ本番なのは怖いが、これも輝ける未来のための第一歩と思えば、恐れるものなんて何もなかった。

 パラケルススが私にそうしたように、私もまた、妹の魂へ直接干渉術式を施し――機関機械を内封することに成功したのである!

 やっぱり私の理論は正しかったの。

 これは、人類の次世代へ至る可能性の証明になったと言えるはず。

 だけど、これではあまりに時間がかかりすぎるのよね。人類すべてをこの子と同じようにするには、人でもお金も施設も足りないし……なにより、私自身がこのままというのもどうかと思うし、


「うーん、仕方がないわね。もうちょっと、死にぞこないに働いて貰おうかしら?」


 私は賢者の石に残っている、パラケルススの記憶の残滓を回収して、複製型自立思考シュミレーターを作り上げた。その深層心理に、私の思想を組み込んだ特別製として。

 さあ、暫くの間だけ、生かしてあげるわ。と言っても、仮初の、偽物の貴方パラケルススだけれども。


 どうか素敵に踊って頂戴。


 私の求める、未来のために。









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