四幕『ハート・スナッチャーは血溜まりの中で嘲笑う』Ⅰ
たとえば――男が二人、夜も深まった時刻に関わらず、ふらふらと道を闊歩している。手には酒瓶。二人揃って顔は赤く、足運びも覚束ない。明らかな酔っ払いだった。
ぎゃはは、と声を上げて路地裏を歩く二人の前に――影、一つ。男たちは揃って足を止め、その影の姿を凝視した。
それは――白い、白い影だった。
長い髪が白い。
纏う衣服が白い。
極東で扱われる変わった衣服に身を包む影に、男たちは目を瞬かせた。
一見して老婆かと思ったが、髪の間から覗く顔立ちはまだ若く、そして美人だった。
普段ならば遠目に見て満足するような美女。だが、男たちは普段とは違っていた。程よく
「なあ、そこの美人さんよ。こんなところで何をしてるんだ?」
そんな具合で、調子良く声を掛ける。声を掛けてしまった。
「ふはっ」
女が笑う。
口に、三日月を浮かべて。
双眸を、爛々と輝かせて。
にたりと、嗤ってみせる。
「お兄さんたち、ボクと――いいことしないかい?」
澄んだ声音から発せられたその科白に、男たちは一瞬互いを見合い、揃って口元に下品な笑みを浮かべ、力強く首肯して見せた。
どう見ても美人な若い娘に、そんなことを言われて喜ばないわけがない。更に此処は、人気の少ない建物の裏路地。売春目的の娼婦まがいの女が居ても、さほど不思議ではない。
などと――そんな安易な考えしか思いつかない故に、男たちは気づかない。
女の瞳に宿る、獰猛な気配に。
女の浮かべる、凄惨な微笑に。
「さあ、ついておいで。こっちだよ」
そんな女の誘い文句に、男たちは嬉々としてついていく。
路地裏の、更に奥。女に導かれ、男たちが姿を消し――
――断末魔が、夜霧の中に響き渡った。
そして。
それから、暫くし後に。
――ぴちゃり ぴちゃり
水の滴る音が響く。
赤い赤い血溜まりの中で、彼女は呵々と嗤った。
「あー……やっぱつまらないなぁ」
掌で、まだ暖かく、辛うじて脈打つそれを転がしながら、彼女は口にした言葉通り、本当につまらなそうに目を細めて、足元で痙攣を起こす男を見下ろした。
「たまには趣向を凝らしてみたんだけど、やっぱ面白くないね。オニーサンはどう思う? って――もう答えられないかぁ」
からからと笑って、手の中のそれをぎゅっと握り締めた。それに呼応するように、男の身体が一層激しく痙攣する。握力によるショックで血液を循環させ、強引に生かされているけれど――果たしてこの状態の男を生きていると言っていいのか……
胸元に空いた穴。其処から血管が繋がったまま引き摺り出された心臓は、女の掌の中にあって。
女はそれをなお、玩具のように弄んでいたのだが――
「あーあ。もう飽きちゃったよ」
そう言って、あんぐりと口を開いた。そして手にするそれを頭上に持ち上げて、彼女はゆっくりとそれを口の中に落としていき――
「――いただきます」
ぐちゅり――と。
あたかも瑞々しい果実を食すが如く。女はそれを当たり前のように、美味しそうに顔を綻ばせながら噛み締めるように何度も租借して――
――ごくん
と、音を鳴らして嚥下して。
「――くはっ。まっずい!」
女は――
いや、怪物が――《心臓喰い》はそう、満面の笑みを浮かべる。
「あー、本当につまらないなぁ。面白いこと、起きないかなー」
本当に、心からつまらなそうに唇を尖らせる女。そんな女の懐から、ベルの鳴るような音が響く。
「んー?」
女は懐から音の原因を取り出す。小型の、持ち歩きを可能とした機関式電信機だ。女は手に持ち上げた機関式電信機を暫しの間じぃぃっと見据え、幾つも並ぶ釦の一つを押した。
「ほーい。どちらさまですかぁ」
『何処にいる?』
相手は答えず、ただただ一方的に問いを投げて来た。が、その対応を別に不満には思わない。あいつはいつもこんな感じなのだ、と女は内心で笑いながら答えた。
「うーんとね。何処だっけか? ホルボーン? チャリングクロス? ホワイトチャンベル?いやー、ロンドンって迷路でさぁ。わっかんね!」
そう言って、女は嗤った。げらげらと声を上げて、何が面白いわけでもなく、ただただ不遜に笑って。
『……まあ、いいだろう。すぐに工場へ戻れ――どうやら、今夜客が来るようだ』
「へぇ?
『招いてはいない。招かれざる客だ』
「うははっ! それ最高じゃん! 何処の連中だよ? またどこぞの請負屋? それともの英国諜報部? あるいはほかの企業スパイ?」
『請負屋だ。それも、とびっきりのな』
「そいつぁどんなやつだよぉ。ボクを楽しませてくれるくらいの奴らなんだろうね?」
『恐ろしく、腕の立つ――そう。噂のレヴェナント殺し。そして、一人は極東人だそうだ』
その言葉を聞いた瞬間。
女は、
先ほどまでのわざとらしい薄ら笑いを表情から掻き消して、
「――くはっ」
口が引き裂けるのではないかというくらいに笑みを深めて、声を上げた。
「――くははっ。くははは……あーっはははははははははははははははは!」
全身全霊で、女は歓喜の声を上げた。
「やっと来たか! やっと来たか! 待っていたよ! 首をながぁぁぁくして、待っていたよ! お前がやって来るのを! うはは! うははははは! こんな嬉しいことはないな! 漸く、漸くボクを退屈させない奴が来た! 最高だ! 濡れちゃいそうだよ! ぎゃはっ! ぎゃははははははっ!」
『……楽しそうだな、《心臓喰い》』
電信機の向こうから、何処か呆れたような声が。
だが、女はそんなものは気にも留めず、ただ自分の心からの欲求を声にして叫ぶ。
「楽しいに決まってるだろう! ボクはこの時を待っていたんだから! お前がくれたこの力で。ボクは全身全霊、誠心誠意――この身この魂、ボクを成す全てを以ってして、そいつらを徹底的に蹂躙してやるよ!」
『そうか、ならば楽しみにしているよ。
我が傑作――
その言葉を最後に、電信機の通信はぶちっと切れた。
通話の切れた電信機を懐にしまい、女は「くはっ」となおも笑う。
「――さあ、来るといい。僕に会いに来い《
――くはははははははははははははははーっ!
笑い声が、夜闇に響き渡る。
嗤い声が、霧の中に反響する。
そして――
そして、後には――
真っ赤な血溜まりの中に、胸に穴を空けたまま冷たくなった男たちが残されて。
――《心臓喰い》は、何処へとなく姿を消したのだった。
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