ゴゥンゴゥンゴゥン――

今日も今日とて相変わらず、大機関の音が都市の至るところから響き渡る。それは昼間だろうが夜中だろうが変わらない。空は暗黒、辺りには深い霧が立ち込める夜遅くであってもだ。たとえその場所がロンドンの中心部から離れた郊外であっても、その音は変わらず聞こえてくるのだ。

 そして――


「……遺憾の意を表明する」


「んー? なにに?」


 瓦斯ガス灯の光もほとんど届かない夜の路地を歩きながら、トバリはぼそりと呟いた。殆ど独り言に近かったのだが、どうやら後ろを歩く少女の耳にはしっかりと届いていたらしい。実に耳聡い奴だと思う。


「この組み合わせに、だ。どう考えても俺一人のほうが動きやすい。なのにどうして、お前がついてきているのか――俺は甚だ疑問でならない。其処のところどう思う、ミス・リズィ」


「なんも」


 思わない――という言葉は最後まで言わなかった。言わなくても意思疎通が可能ならば、面倒だから言わないという謎の信条を掲げる独特の感性に頭痛を覚えてしまう。いや、現在進行形で、彼女の存在は間違いなく頭痛の種なのだが……今はまあ、その問題は置いておくとしよう。


「お前、今から俺が何をしに行くのか判ってるのか?」


 振り返りながら尋ねると、リズィは眠そうな半眼でこちらを見上げて頷いた。


「ん? 勿論――レヴェナント退治っしょ?」


「――ああ、そうだよ。ご名答。良くできましたおめでとさん、だ」


 くそっ、と毒づきながら、トバリは溜め息を吐いて項垂れる。


「溜め息ばっか吐いてると、幸せ逃げるぞー?」


「そうだな。その程度で逃げる幸せなら、こっちからお断りだよ」


 リズィの言葉に適当に答えながら、剥き出しの配管を足場にし、掘っ立て小屋の壊れた仕切りの間を通り抜けていく。そのあとに、軽やかな動作で追従するリズィ。その動作の無駄のなさに感心しながら、トバリは再び溜め息を零した。


「あー、くそ。ヴィンスの奴。自分はちゃっかりリーデルシュタインとご一緒かよ。すっげー不安だ」


「何が?」


「あらゆる点で」


 簡潔に、しかしこれほどまでに自分の心情を表せる言葉などないという風にトバリは断言する。

 何を思ったのか知らないが、準備を終えていざ出発するという頃合いに突然「ああ、トバリ。私はミス・リーデルシュタインに同行する。君はリズィと共に陽動――その後機会タイミングを見計らって我々と合流してくれ」などと言い出したのである。

 これにはトバリだけではなく、依頼主――エルシニア・アリア・リーデルシュタインも呆気に取られていた。まさかついてくるとは夢にも思っていなかったという様子だった。にこにこと満面の笑みを浮かべるヴィンセントの背後で、エルシニアは何とか断れないものかと思案していたのは、傍から見て間違いないだろう。

 尤も稀代の錬金術師はそんな暇など与えなかった。



――それでは、よろしく頼むぞ二人とも!



 そう言い残すと、エルシニアを引き連れて颯爽と去っていった姿が脳裏に過ぎり、トバリは憎々しく思って舌打ちを零す。


「近いうちに一度思い知らせる必要があるな」


「それ、その辺の破落戸ゴロツキの科白」


 リズィが冷ややかな突っ込みを入れてくる。「的確なご指摘、ありがとう」と口の端を釣り上げながら返しつつ、トバリはふと沸き上がった疑問を口にした。


「……っていうか、リズィ。お前、俺についてきてるが……どうする気だ?」


「ん?」質問の意味が判らなかったのだろうか。リズィは小首を傾げながらこちらを見上げてくるので、トバリは呆れて頭を掻きながら言った。


「――ん? じゃねーよ。俺の役割は、ひと暴れしてレヴェナントをひっかき集めることだ。つまり、俺と一緒にいるお前も必然的にレヴェナントと戦うってことだろ?――お前、なんか手立てはあるのか?」


「あるよ」


 短く答え、リズィはジャケットの内側から何かを引っ張り出して見せる。

それは武骨で、それでいて何処かごちゃごちゃした、鋼鉄クロームの塊だった。金属と歯車と配線の継ぎ接ぎだった。

小柄なリズィが腕に抱えるほどの大きさをした銃器である。

そしてその銃は、トバリの右腕に隠し備えてある機関兵器エンジンアームによく似ていた。一般に流通している護身用の武器でもなければ、英国軍で普及している基本兵装でもない――恐らく、いや、ほぼ間違いなく個人が自作した独自兵装オリジナル。そしてその制作者が誰であるかなど、考えるまでもなかった。


「……一応訊くが――それは何で、誰が造った?」


「アタシ用の機関兵器。銘は……えーと、そう〈祈り子プレガーレ〉。造ったのは、伯爵」


「……ああ、だろうと思ったよ」


 自慢げに口元を綻ばせるリズィとは相反するように、トバリは愕然として顔に手を当てて頭上を仰ぎ見る。

 まるで今の自分の心境を体現するような、暗澹たる空模様がそこにはあった――いや、いつだってロンドンの空は灰色の雲に覆われて暗いのだけれども。

 まあ、気落ちしたところでどうにもならないことに変わりはない。野となれ山となれである。

 そう自分に言い聞かせ、トバリは気を引き締め直す――そろそろ目標位置だ。

 トバリは真紅のコートを羽織り直し、フードを目深に被る。


「――そろそろだぜ。準備は?」


「むむ……不安だけど。たぶん、行ける」


 そう言って、リズィは僅かに肩を強張らせた。声にも微かな緊張の気配――そりゃそうだろう。なにせ相手は人ならざる怪物であり、鋼鉄と蒸気機関をその内に宿した異形の存在だ。

 緊張しない、なんてことは有り得ない。

 恐れがない、なんて言葉は信用できない。

 その分を考えれば――リズィの科白はまだ、信用に足る言葉だと言えるだろう。下手に強がられるより、その素直さはまずまずに褒めて然るべきものだ。


「はっ。慄然ぞっとすることを恐がるなよ。当たり前のことなんだ。あいつらを前にして、恐怖しない連中なんていない――ただ、呑まれるなよ。呑まれたら、一瞬で食われるぞ」


「……オッケー。気を付ける」


「気を付けるだけでどうこうなるとは思えないけどなー」


「じゃあ何で言ったし!」


「勿論、気休めさ」


 そう言って、トバリは一歩踏み出した。

 ロンドン郊外――ハーリンゲイ地区の外れ。噂のホーエンハイム・インダストリーが新設した工場など影も形もない。あるのは廃材などを集めて作った掘っ立て小屋や、建設途中のまま放棄された集合住宅擬きばかりで、その向こうに、最早放棄されて久しいであろう寂れた大型の倉庫と、それに隣接された古い工場跡だけ。


「工場は……あるね」


「まあ、新設と呼ぶには程遠い昔のだがな。どう見たって、労働者がいる気配はなし――なるほど。こいつは確かにきな臭いな」


 ルズィの言葉に頷き、トバリはフードの奥でにやりと笑った。


「――リズィ。上に行け」


「うん」


 トバリの指示にリズィは異を唱えることなく、言われた通り半分資材などが剥き出しになった廃屋をするすると登っていった。それを気配だけで感じ取りながら、トバリは「くくくっ」と深く笑い――



 ――更に一歩、前に踏み込んだ。



 その、瞬間である。



 ――ゴポッ



 と、何か音が、辺りの地面から。草木もまだ生い茂っていない荒れ地の、土が捲りかえるような音が辺りに木霊する。

 音の数は次第に増えていき、それはほんの一呼吸する間に急速に数を増していく。土の中からカチカチカチカチと、時計の針が病身を刻むような音が無数に響き、そして――



 ――ぉぉぉぉおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおぉぉ……



 不気味な呻き声が連鎖する。

それはまさに、亡者の呻きだった。

 土の中から無数に顔を出す、土塊に塗れた人型ヒト人型ヒト人型ヒト

 硬い土を突き破って、地中から酷くゆったりとした緩慢な動作で起き上がるのは、体の大部分を腐肉に覆われた屍者ししゃだった。

それは暗黒大陸から伝わるヴォドゥンの秘儀から生み出される、生ける屍。

 しかしその頭や項には、幎たちにとってなじみ深く、また現代社会においても決して切っても切れぬであろう技術の結晶――蒸気機関らしき機械が垣間見えた。

 つまり、これらもまた――


「――レヴェナント、ってわけか」


 無数に起き上がる屍者のレヴェナントを見て、トバリは呻くようにその名を口にした。


 ――ぉぉぉぉおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおぉぉ……


 まるでトバリの声に応えるように、レヴェナントたちは一斉に呻きを上げる。

 聞いているだけでぞっとする声だった。


 まるで、そう――この世のすべてを嘆くような。


 あるいは――この世のすべてを恨んでいるような。


 そんな声だった。

 もし、仮にこのレヴェナントたちに名付けるならば――《屍鬼グール》辺りが妥当か、なんて考えながら、トバリは小さく嘆息した。


「まったく、うじゃうじゃうじゃうじゃと……死体を弄ってお人形造りってか? ホーエンハイム・インダストリーとやらは、いつからフランケンシュタイン博士を雇い入れたんだよ?」


 軽口を叩きながら、トバリはフードの奥から周囲を一瞥する。最早数えるのも億劫なくらいに増殖していくレヴェナント《屍鬼》たちが、まるで生気のない視線を向けてくる。

 そして、



 ――GRRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!



 《屍鬼》たちが一斉に咆哮した。先ほどとの呻き声とは異なる叫び。

 それはホラー・ヴォイス。恐怖の声。

 耐性なき者に例外なく、直接作用する精神支配の叫び。

 己の支配領域ドメインに獲物を捕らえ、捕食するための戒めの咆哮。

 無論、そんなものはトバリには通用しない。それは恐怖によって精神を縛り付ける一種の催眠だ。ならば、その程度の恐怖を振り払う強固たる意志さえあれば、振り払うことなど造作ない。

 しかし、


「――うっ……あぁ」


 震えた声が頭上から。視線だけで振り返る。

 見上げた先。先ほど廃屋の上に移動させたリズィが、目を見開き、肩を震わせているのが遠目に見えた。


(……やっぱ、初見から抵抗して見せろってのは無理か)


 リズィはレヴェナントとの遭遇経験はある。だが、あるからと言ってレヴェナントのホラー・ヴォイスや支配領域に抗えるかと言えば、それは別である。

 確かに、レヴェナントという存在を常に認識している分、その存在を知らない人間たちよりは慣れがあるだろう。

 しかし――正面から対峙し、相対するのではわけが違う。

 レヴェナントのホラー・ヴォイスはある種の魔術コードに近いのだから。


 魔術――それはこの世の物理法則にすら介入し、一時的に改竄する干渉術式コードと呼ばれる力。社会の裏でひっそりと、だが現存する人智を凌駕した神秘の御業である。


 レヴェナントのホラー・ヴォイスは、その仕組みが応用されているとヴィンセントは言っていた。

 咆哮に組み込まれた術式が直接精神に――そしてその深奥たる魂に、楔のように直接打ち込まれることで精神支配ジャックされる。それに打ち克つ術は、その恐怖をも上回る強い精神状態メンタルを保つか、あるいは――


「……仕方ねぇなぁ」


 がしがしと頭を掻いて、トバリは一拍ほど間隔を開け、大きく息を吸った。そして――



「――ぐらああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」



 凄まじい大音声をその口から轟かせた!

 それはまるで獣の咆哮。あるいは狼などが上げる遠吠えの如く空気を震わせ、《屍鬼》たちのホラー・ヴォイスをも呑み込んで周囲一帯に伝播する!


「うひゃ!?」


 頭上から聞こえてくるのは、先ほどとはまた種類の異なる驚愕の悲鳴。

 見上げると、リズィは何が起こったのか判っていないようで、目を丸くしてぱちくりと瞬かせながら、恐る恐ると言った様子でこちらを見下ろしてきた。

 その様子を、トバリは鼻で笑いながら言った。


「――ビビるのは結構だがな。言っただろ、呑まれるなって」


「うぅ……」


 トバリの言葉に、きまり悪げに身を小さくするリズィ。そんな彼女を見上げ、トバリは呵々と笑いながらなおも続ける。


「ホラー・ヴォイスは直接精神こころを虫食む。人の弱い部分に付け込んで、突っつき回して恐怖を煽る。人が最も忌避する死を連想させて、それをレヴェナントじぶんたちに直結させて獲物を震え上がらせんだ。そんでもって、そーゆーのに対抗する方法は単純至極。強い意志を以て構えておくだけ」


「強い……意志……」


「なんだっていいんだよ。自分で〝こうだ〟と決めていることを腹の奥底に据えておくってだけの話だ」


 トバリの言葉を反芻するリズィ。言われてもすぐにはピンとこないのだろう。戸惑った様子で視線を彷徨わせる少女の姿に苦笑を零し、トバリは言った。



「――お前みたいな気持ちを味わう奴がいるのは、気に食わないんだろう?」





「――っっっ!?」



 瞬間、リズィの双眸が見開かれる。驚きに満ちたその瞳――その奥で、何かがしっかりと灯ったように色づいたのを、トバリははっきりと見た。

 まったく、発破をかけるのも楽じゃないな。なんて胸中で苦笑を零しながら、トバリは視線を《屍鬼》たちに戻しながら左腕を振った。

びゅん、という空気を貫いていく音と共に、足元からじゃらじゃらという小さな金属が幾つも連なる音が響き――


「――よっ……こらせぇ!」


 唐突に、振り抜いた腕を思い切り引いた――次の瞬間である。

 トバリから見て、遥か彼方で立ち上がった一体――別の《屍鬼》の頭が弾け飛んだ。そして息つく間もなく頭部を失った《屍鬼》の隣に立っていた《屍鬼》の身体が袈裟に崩れ、更にその手前で蹲っていた《屍鬼》が縦一文字に両断されたのである。

 瞬く間に三体のレヴェナントが地に沈む。何が起きたのか、誰にも判らなかった。

 いや、そもそも屍である《屍鬼》に、同胞が倒れたことを認識できるほどの知性があるのかは怪しいが――兎も角。その異変は唐突に訪れ、そしてレヴェナントが振り撒く恐怖の声を一瞬で沈めてしまった。



――ぉぉぉぉおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおぉぉ……



 《屍鬼》たちが呻きを上げる。だがそれは周囲を威圧するものではなく、何方かと言えば戸惑っているように見える。

 上から全体を見ていたリズィさえ、何が起きたのか判らなかったらしく、ただただ呆気にとられた様子であんぐりと口を開けていた。

 それが実に――実に、痛快だった。

 してやったり、とはまさにこのことだろうと胸中でほくそ笑みながら、トバリは不敵に微笑んで左手に摑んでいる細長いそれを軽く上下させた。



 ――じゃらじゃらじゃら じゃらじゃらじゃら



 それは金属同士が擦れる音。連なる無数の金属が、うねりを上げて響かせる――姿を隠した死神の足音。


「そーら……もう一丁!」


 裂帛の気迫と共にトバリが大きく腕を振るった。そして、その動きに応えるように――彼の手に握られた鎖が大きく波打って《屍鬼》が成す群衆むれの中央で牙を剥く!

 トバリの手が握る鎖は、まるで大蛇の如く鎌首を擡げて周囲を襲った。先端に繋がれた短剣が爪牙の如く手当たり次第に《屍鬼》たちに襲い掛かり、その腐肉に覆われた身体を貫かれていた。

 その牙から逃れた《屍鬼》たちは、されど竜巻が如く暴れ回る鎖の猛威に呑まれて千々と切り刻まれていた。

 トバリの操る鎖は、ただの鎖ではない。その鎖一つ一つが、刃物同然の加工を施された代物である。


 ――刃鎖じんさと呼ばれる、トバリの家に伝わる暗器だ。


 刃鎖の銘は〈たてがみ〉。


 異国に謳われる伝承の獣。全身が刃のような毛に覆われた狼に肖り、その姿を想起させるように拵えられた、意味深な代物である。

 その由来にはこれっぽっちも興味はなかったのだが、ロンドンに訪れる際に使えるかもしれないと思って失敬していたのだが――


「――……いいねぇ。こいつぁ便利なもんだ。持ってきて正解だったな」


 気軽な気持ちで持ってきたが、思った拾い物であることを知って、トバリは口の端を持ち上げてにやりと笑んだ。

 鎖を思い切り引く。じゃらじゃらと音を鳴らし戻ってくる鎖。

 トバリは腕を大きく頭上に翳した。すると、鎖は空気を切り裂く音を辺りにまき散らしながら、凄まじい勢いでトバリの腕に巻き付く。トバリのコートは、グラハム・ベルに依頼して特殊な鋼糸を編み込んでいる特別製だ。刃鎖の刃でも切り裂かれるという心配はなく、むしろ腕に巻きつけたことで即席の籠手ガントレットに様変わりした。


「――おっと、忘れてた」


 最後に、鎖の先端と連結していた短剣をぱしっと摑む。危うく自分の得物で顔を切るところだった。


「おしい」


 頭上から、実に残念そうな声が降って来た。トバリは「おい」と険のある声を上げて、声の主を見上げる。


「何がおしいだ。さっきまでちびってたくせに」


「うわー、女の子に対して失礼極まりないなぁ。サイテー。後で伯爵に告げ口しチクってやろー」


「ちょっ、待て。待てよ、ミス・リズィ。悪かった。失言だった。誠意を込めて謝罪する。だからそれだけはやめてくれ」


 もし先ほどの失言をヴィンセントに知られようものなら、あの紳士気取りの錬金術師は笑顔を浮かべたまま「紳士にあるまじき態度だな。これは由々しき事態だ」などと言いながら、給金を減らされかねない。あるいはもっと面倒なことになる可能性だってある。ただでさえ面倒ごとが多いのに、これ以上の厄介は全面的に遠慮したいトバリにとって、何としても告げ口だけは阻止しなければ――

 なんて考えていると、唐突にリズィが得物を構えた。機関兵器〈祈り子〉の銃口らしき部分が、目にも留まらぬ速さでトバリを捉える。

 思わず言葉すら失って少女を見上げた。

 何をする気だ――なんて口にする暇すらなかった。気づいた時にはもう、少女は〈祈り子〉の引き金を引き絞った。

 がしゃん! という駆動音と共に、少女の手にする機関兵器が蒸気を吐き出した。超圧縮された蒸気圧によって放たれたのは、直径にして五センチほどのクロームの矢だ。

 そして撃ち出された矢はトバリの反応速度をも遥かに上回り、音速の壁を容易く突き破り真っ直ぐにトバリ――のすぐ横を通り抜け、その背後に迫っていた《屍鬼》を貫いた。

 一瞬遅れてトバリも振り返る。撃ち出された矢は見事にレヴェナントの胸部――即ち機関核レヴェナント・コアの収まっている心臓部分を見事貫いていた。

 今まさに短剣を振り抜こうとしていたのだが、どうやら先を越されてしまったらしい。


「……お見事」


「ざっとこんなもんだよ」


 仰ぎ見ながら賞賛の言葉を贈と、リズィは得意げに〈祈り子〉を持ち上げて見せた。その様子を見るに、どうやらホラー・ヴォイスの影響から完全に脱しているようだ。これならばまあ、安心だろう――なんて考えていると、


「トバリさー。勝負しようよ。どっちが多く倒せるか」


「さっきまでビビってたくせに……一体倒したくらいで調子に乗っちまったのか? そういうの、極東じゃあ『天狗になる』って言うんだぜ」


「アタシに勝ったら、さっきの失礼な発言を伯爵に黙ってて上げるよ?」


 それを言われたら、こちらに否と答える権利などないに等しい。


「……いいだろう。で、お前が勝ったら?」


 にやりと挑発的な笑みを浮かべるリズィに、トバリはそう切り返した。するとリズィは少し考えるようなそぶりを見せながら言った。


「告げ口が決定して、あとはそうだなぁー。アタシの言うこと何か一つ聞いて貰おうかな」


「うっわ。割に合わねー……」


 こっちの足元を見てこれ見よがしに要求を口にするリズィに、思わず悪態を零す。「別に断ってもいいんだよー」と、まるでチェシャ猫のように口元を綻ばせる少女の姿に、トバリはやれやれと肩を竦めた。


「いいさ、乗ってやるよ。後で泣き見ても知らないからな?」


「うわー。女の子を泣かせる気なんだ。トバリ、やっぱサイテー」


 互いににやりと口の端を釣り上げて、二人は視線をレヴェナントたちの群れへと向けた。

 尚も数を増していく《屍鬼》たち。普段のトバリなら、この数を相手どろうなんて露とも思わないだろう。しかし、どうやら今日は少し勝手が違うらしい。

 掌の上で短剣を翻し、同時に右手の機関兵器――〈喰い散らす者ハウンドガルド〉を起動させる。

 がしゃん――という、重機の駆動音を思わせる重々しい音と共に、鋭く研ぎ澄まされた爪を備えた籠手が姿を見せた。

 それらを構え、トバリは《屍鬼》たちを見据えながら――ふと思った。


(……まさかヴィンセントあいつ。この展開を予想してたんじゃないだろうなぁ)


 此処にはいない雇い主たる錬金術師が、何故か不敵に笑っている姿が脳裏に過ぎったのは、恐らく気のせいだろう。

 そう思いながら、トバリは獣を思わせる声を上げて手近にいた《屍鬼》目掛けて走り出した。



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