あれから、一週間と少しが過ぎた。

 発条足ジャックが暴れていたこと。貧民街の孤児院が壊滅したこと。其処の孤児たちが殺されたこと。そんなことがあっても、ロンドンの営みは変わらない。


 ――ゴゥンゴゥンゴゥン


 今日も今日とて大機関の音が何処からか聞こえてくる。

 空はいつも通りの灰色雲。排煙と煤が彩る空模様の下、ロンドン市民は今日も同じように生きていく。

 勿論、アタシも。

 アタシの日常は幾らか変わった。

 変化その一は、仕事を解雇クビになった。正確にいえば、店主が店を閉めたのだ。無期限休業。『閉店クローズド』の看板を引っ提げて、店主はアタシにまとまったお金を手渡すと、


「暫く店を閉めることにした。すまん」


 と、言葉少なに言い残して、大きな旅行鞄に荷物を詰めて颯爽と去っていったのである。

 店主の本名は、アレクサンダー・グラハム・ベルというそうだ。なんでも今や当たり前になった機関式電信機エンジンフォン原型もとになった『電話』というものを発明したすごい発明家だったらしい。

 だけど機関革命によってあらゆる機械が蒸気機関を主軸に置くことになって――結果、店主はそんな社会が嫌になって発明の世界から去ったのだという。

 しかし、どうやらあの日の事件がきっかけで思うところがあったのか、去り際に「機関など、私はやはり認められん。あれは狂気の外法だ。技術は、世界は正しくあるべきだ」と零していたのをアタシは忘れない。

 そう言い放った時の店主の顔は、格好いいなぁと、少し思ってしまったくらいだ。まあ、アタシの仕事が消えたことを考えれば、差し引きゼロって感じだけど。

 そして変化その二。アタシは新しい仕事に就いていた。

 まあ、仕事と言っても今のところはただの遣いっ走りで。前とあんまり変化はないような気もする。

 だけど住み込みで、ご飯も三色出たうえでお給料もかなり良しという好待遇。以前のオンボロ総合住宅などよりも――外見は似たり寄ったりだったけど――ずっと立派な内装の部屋が一つを貸して貰えた。ふかふかのベッドで寝れるのは幸せだなぁと感じる今日この頃。



「……なあ、ヴィンセントよ――ホントにこいつ雇うの?」



 ……ソファに寝転がるアタシを半眼で睨みつけながら、トバリがそんな失礼なことを言った。


「勿論だよ、トバリ。男二人では花がない事務所だと思っていたんだ。それに、アレックの言葉を信じるならば、彼女はなかなかに有能だ。君から気づかれずに財布を掏れるくらいにね」


 くつくつと笑うヴィンセントの科白に、トバリは言葉を詰まらせていた。暫く眉間に皺を寄せて唸った後、降参するように溜め息を吐き、


「――お前はいいのかよ? 此処にいたら面倒ごとに巻き込まれること間違いなしだぜ?」


 今度はアタシに話を振って来た。

 アタシは「んー?」と呻きながら体を起こしてトバリを見る。

 鋭く、そして呆れ果てているような視線だが、その中にアタシを心配しているような気配を感じた。

 実際、彼の言う通りだと思う。二人の仕事は請負屋で、つまりは荒事を含んだ――むしろ主軸メインかもしれない――何でも屋のようなものだ。当然、面倒な仕事も多いだろうし、何よりあの化け物たちと遭遇することもあるんだろう。

 そのことを知っているからこそ、トバリはアタシに再三と忠告してくれている。

 その気づかいはすごくありがたいもので、嬉しいものだった。物言いは乱暴だけど、その気遣いは在りし日の院長をアタシに思い出させて。

 だけど――



「――ん。やるよ」



 アタシは、言葉少なに。だけどはっきりと頷いて見せた。

 同時に思い出すのはあの日のこと。発条足ジャック――レヴェナントと呼ばれる都市伝説の怪物と出会った夜。

 アタシがとどめを刺した、弟分のハリーであった《跳ねる者スプリンガルド》の心臓に短剣を突き立てたとき。



「バイバイ、ハリー」



 そう、囁いたアタシの声に。



 ――ありがとう、リズィ姉。



 まるで応えるような、そんな声が聞こえたような気がした。

 幻聴、だったのかもしれないけれど。

 だけど、アタシはあの瞬間に決めた。決めてしまった。



(――あんなふざけたことをする奴を、絶対に許さない)



 あんなものが造られたから、院長たちが、孤児院の皆が死んだっていうのなら。

 あんなことをする奴がいるから、ハリーのような最後を迎えることになるっていうなら。



「二人が何の目的で、レヴェナントと戦ってるかは知らないけどさ。アタシは、アタシみたいな気持ちを味わう人がいるのが気に食わないから」



 この二人は、あんな悲劇を、悪夢を止められる数少ない連中だと思う。

 だから、手伝えることがあるなら少しでも手伝いたいんだ。

 それがきっと、アタシみたいな思いをする人を減らせる、数少ない手段だと思うから。


「別に、戦いたいって言ってるわけじゃないし」


 ――良いでしょ? と、最後のほうは言うのが面倒くさくなったけど。


「いや、そこは最後まで言えよ」


 トバリはやっぱり呆れたように顰め面になって、だけど最後は「――好きにしろよ」と言ってくれた。

 アタシは「――ん。好きにする」と返して、そして二人を見て――そういえば言っていなかったことがあることに気づいて、言った。



「んじゃ、これからよろしく」



 ヴィンセントは「勿論、こちらこそ宜しくだ。ミス・リズィ」と諸手を挙げて歓迎してくれて、トバリもまた渋々といった様子で、


「――おう」


 と、答えてくれて。そして、


「とりあえず、お茶入れてくれよ。新人さん」


「うむ。此処で暮らすのだ。是非お茶の入れ方は覚えてくれたまえ」


 彼らはそう言って、空いたティーカップをアタシに翳して見せた。

 どうやら今日の最初の仕事は、二人の――いや、アタシのも合わせて三人分、紅茶を淹れることのようだ。

 アタシは「ん」と短く答えて立ち上がり、紅茶の用意をするべく台所キッチンへと歩き出した。




 ――ゴゥンゴゥンゴゥン

 今日も今日とて大機関の音が何処からか聞こえてくる。

 空はいつも通りの灰色雲。排煙と煤が彩る空模様の下、アタシは今日も生きていく。

  

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