1-14

 はっ、と目を覚ましても、視界は真っ暗でした。私は死んでしまった? そんな事を一瞬考えましたが、寝息が聞こえました。まだ、私は生きているようです。

 体を動かそうとしましたが、何故か動きませんでした。

「ヴ……」

 声も殆ど出ません。ああ、と私は気絶する直前の事を思い出しました。毒が私の中を回っているのです。生きてはいますが、暫くの間動けそうにはありませんでした。

 その内私は、すぅ、すぅ、と規則正しい寝息が私に吹き掛けられているのに気付きました。その目の前から浴びせかけられる鼻息と、体に触れている冷たいものから私は今の状況を何となく理解しました。

 私が昨夜したのと同じように、大蛇の死体を隠れ蓑にしているのでしょう。翼腕が触れている冷たい感触は間違いなく大蛇の鱗でした。アカは倒れた私と自分を大蛇と木の間に押し込んで寝る事にしたのです。その最良と思える選択をしてくれた事に私は感謝しました。

 それと、そう言えば、と私は思います。どの位の時間が経ったのでしょうか。

 感覚としてはそんなに長い時間は過ぎているようには思えません。けれども、血肉を鱈腹食べる事が出来たおかげか、疲労はかなり消えているように思えました。

 しかし、毒が体から抜け切らなければ私は動けそうにもありません。それに、アカも完璧に熟睡していました。私の動かない体では起こせそうにもありませんでした。

 流石に最良の選択と言えども、敵に見つかるかどうかは運を天に任せるしかない。そう思い、私は不安に感じながらもまた寝る事にしました。


「ルルルルルッ」

「ヴル?」

「ヴル」

 そしてまた目を覚ますと、光が見えました。アカの感触は無く、複数の子供のワイバーンの声が聞こえました。

 運は、良い方へと転がったようです。視界に薄らと入って来る光は赤く、どうやら今は夕方のようでした。

 私は体を動かして、毒が大分抜けている事に気付きました。まだ、完全には抜けていないようで体は完全には思う通りに動きませんが、全く動かないよりは断然ましです。

 私は大蛇の毛布を退けて、顔を出しました。……毛布? それが何だかすぐには良く思い出せませんでしたが、とりあえず後で考える事にしました。

 私が緩慢とした動きで体を出すと、アカが他の三匹の子供のワイバーンと意志疎通をしていて、それらの目が私の方へ向きました。

 けれども、私の兄姉はその中には居ませんでした。

「ルアッ」

 アカが私の方に翼腕を向けました。私に助けられた、とでも言っているのでしょうか。

 とりあえず、私は上手く動かない体を必死に動かしてその三匹に挨拶をする事にしました。全員雄で、そこそこは強そうでした。

 ワイバーンとしての挨拶は、両方の鉤爪を互いに交える事です。カチカチと、硬い音がしてウルル、と私は鳴きました。

 三匹のワイバーンも好意的に挨拶をしてくれました。

 ……同一性なんて考えずに気ままにやっていれば、友達ももっと増えたんだろうな、とその時になってやっと私は気付きました。

 私は挨拶を終えてから、未だにそこにあるオチビの死体に向って歩きました。

 やっと、埋められる。

 足で柔らかい腐葉土に穴を掘り、私はそこにオチビを埋める事にしました。他のワイバーン達はそれを少し見ていましたが、私の雰囲気を感じてでしょうか、無言で食事に入りました。

 私は未だに血塗れな体でした。

 どうしていたら、オチビを助けられたんだろう。私はオチビを退かせようとしなければ良かったのか? と思っていました。翼腕で押したから、オチビの体のバランスが崩れ、大蛇の突進を避ける事が出来なかったのでは。

 もう、確認する事は出来ません。何を悔やんでもオチビが死んでしまったのは、変わらない事です。私のように前世というものがあるならば、同時に来世があるという事で、結局最終的には、私は来世で幸せになってくれと願う事しか出来ませんでした。


 オチビを埋め終えたすぐに、足音が聞こえました。

 私達は円になり、身構えます。現役引退のワイバーンには体力は無くとも、疲れ果てる前に私達に追いつける脚力はあります。

 この森の動物は皆、私達子供のワイバーンよりは速いでしょう。

 そして、私達はてんでばらばらに逃げて、運任せにするよりは協力して戦う方を選んでいました。

 逃げないのは、全員誰かを喪っているからだと私は思いました。私程、たった一匹の喪失に嘆かなくても、出来るだけ喪う悲しみは味わいたくないのは誰もが一緒の事です。

 重く、ゆっくりとした足音は聞き覚えのある音でした。赤熊と推測を付けた魔獣の足音でした。

 もし本当に赤熊だったら、と私は震えました。赤熊には私達が束になったって傷一つ付けられずに、遊び半分で軽く殺せる程の力があります。

 そして、それはやはり赤熊でした。私やアカのようなどす黒い血の赤色と似ている色なのですが、全く違う、綺麗さを持った赤色の毛皮を持っていました。

 赤熊は私達を見て、それでも何の障害でも無いかのように大蛇に齧り付きました。老ワイバーンの死体もちらりと見ましたが、それだけでした。

 私は察しました。他の皆も同じように察したようです。生殺与奪の権利を赤熊は一方的に持っていました。殺そうと思えば、赤熊は私達を赤子を捻るように殺せるでしょう。

 きっと、老ワイバーンも同じような目で見られたのだと思えました。

 私達は動けませんでした。赤熊が私達に興味が無いような目で見ていたのは分かっていたのですが、機嫌を損ねてはいけない、と無意識の内に思っていました。

 赤熊はある程度大蛇を食った後に、昨日とは違く、大蛇を観察し始めました。

 何をしているのでしょうか。赤熊は木に巻き付いている部分の胴を腕力のみで引き千切りました。

 私達はそれを見ただけで震えました。あの手に掴まれたら、何だって破壊されてしまうでしょう。

 その内、赤熊は大蛇の頭を引きずり出し、それを興味深く見つめました。死因を探していたのでしょうか。私が頭蓋を噛み砕いた痕がしっかりと残っていました。

 それから私達の方を一旦見て、赤熊は私がオチビを埋葬した場所へと歩き始めました。

 あ……。私は思わず一歩、踏み出していました。その瞬間、赤熊と目が合いました。じっ、と赤熊は目を合わせてきました。目を離したら殺される、と私は直感して、動けません。

 …………。長かったのか、短かったのか良く分からない時間を経て赤熊が私から目を逸らし、引き千切った頭の部分を咥えて帰って行きました。

 私は緊張の糸が切れ、崩れ落ちました。

 結局、大蛇を殺した奴を知りたかった、という事だったのでしょうか。今朝の事を考えると老ワイバーンが殺したと考えるのが自然だとも思うのですが、赤熊にとっては腑に落ちない点があったのでしょう。

 それから私は、オチビを掘り起こされていたらどうしていたか自分でも分かりませんでしたが、取り敢えず掘り起こされなくて良かった、と思いました。他のワイバーン達も脱力したかのように座り込み、背を合わせて息を吐きました。

 助かった。そう思っている内に、二度目の夜がやってきました。大蛇は穴だらけになり、数か所が引き千切られていましたが、まだまだ肉としてありました。けれども、流石に五匹全てを隠せそうにはありませんでした。


 ばさばさと、空を鳥が飛んで行きます。青い月が出ている間、アカと雄のワイバーンの一匹が大蛇を隠れ蓑にして寝ていました。まだ、三匹の雄のワイバーンにはあだ名は付けていません。兄弟では無さそうでしたが、容姿や性格が似ていてどうしようか悩んでいたのが主な理由でした。

 イチ、ニ、サンとでも呼ぼうかとも思いましたが、それも間違えそうだな、と思っていました。

 私の体は未だに完璧には普通に戻っていません。

 肉を鱈腹食い、血で喉を潤わせて、疲れ自体はさほど無くなってきたのですが、疲れが無く、けれども体が満足に動かない私よりも、疲れているだけの私の方が強いように思えました。

 そんな事を考えても何も出来ないので、私は敵が来ない事だけを願っていました。


 見張りをちょくちょく交代しながら私達は夜を過ごしていきました。五匹もワイバーンが居ると、見張りの役目をする時間が少なくて、かなり楽でした。

 私ももう一度、寝る事になりました。

 大蛇と木の間に体を埋め、雄のワイバーン一匹と丸まります。そして、三重に巻かれている大蛇の胴の一番上を引っ張り蓋をするようにしてから私は目を閉じました。今日の夜は寒いですが、抱き合って寝ると、かなり快適でした。


 ……何故、魔獣は魔獣と呼ばれているのか。何故、幻獣は幻獣と呼ばれているのか。どちらも人間が付けた名前である事は知っていました。

 私はしかし、その何故を覚えていませんでした。幻獣が幻獣と言われる所以は、単に幻のように珍しいから、というものに近いと私は思います。幻獣に分類される、麒麟、ヒドラ、フェンリル、不死鳥などは私の記憶の中には知識としてあっても、姿は麒麟しか思い浮かびませんでした。それほど珍しいのでしょう。

 けれども魔獣が魔獣と呼ばれる所以は何なのでしょうか。魔獣は魔法を使えません。なのに、どうして魔の獣と呼ばれているのでしょうか。魔という言葉に関しては悪いイメージもあるかもしれませんが、ワイバーンに限らずとも、魔獣はこの世界において一番数が多い智獣とも良い関わりを持っている事が多いです。

 魔獣という言葉に悪いイメージは大してありません。そう、私は知っています。

 なら、どうして? どうしてか、私は目を閉じてからその疑問をずっと考えていました。夢うつつになっても、私はずっと考えていました。


 とんとん、と外側から優しく叩かれて、私は目を覚ましました。

 はっ、と私は目を覚ましました。私と一緒に寝ていたワイバーンも起きて、少しごちゃごちゃしながらも、大蛇の隠れ蓑から体を出しました。夜空を見上げると、月は赤くなっていました。

 とことこと歩いている内に、お、と私は気付きました。体がもう、普通に動くようになっていました。軽く跳んでみたり、翼腕を動かしたりしてみますが、何の支障もありません。やっと、毒は抜けきったようでした。

 そうしている内に、アカともう一匹の今まで寝ていなかったワイバーンが私達が抜け出た後に欠伸をしながら入り、私と雄のワイバーンの二匹が見張りになります。

 私は何を考えていたんだっけ、と少し悩んでから、魔獣は何故魔獣と呼ばれているのかに考えていた事を思い出し、また、それについて思考を巡らす事にしました。

 魔という言葉に関して一番強いイメージがあるのは、魔法でしょう。でも、魔獣は魔法を使えないのに、どうして魔法を意味する言葉が使われているのでしょうか。

 私の最大の疑問はそこにありました。ワイバーンは炎を吐きますが、それは魔法だとは思えません。体内に燃料を持っていて、それを口で発火させて吐き出しています。この翼を使って空も飛べますが、それも普通の事だと……あれ、いや、違う。

 ……虫は高い所から落ちても平気ですが、それがそのまま巨大化して高い所から落ちたとしたら、潰れて死ぬでしょう。虫は小さいからこそ、高い所から落ちても平気なのです。

 同様に鳥は軽いから飛べますが、そのまま巨大化しても飛べないでしょう。私は私が殺した老ワイバーンを見ながら、その疑問をはっきりと頭の中に出しました。

 どうして成獣のワイバーンはあんなにも重いのに、自らの、特別巨大でもない翼だけで空を翔け回る事が出来るのでしょうか?

 赤熊にしたって同じです。どうして普通の熊と同じ位の大きさなのに、比べものにならない程の膂力を持っているのでしょうか?

 私の答はすぐに出ました。もしかしたら、忘れていただけで前世の私は知っていたのかもしれません。

 魔獣は、意識的には魔法を使えないけれども、無意識に使っている。だからこそ、魔法を意味する言葉が使われている。

 それが、私の一番しっくり来る推測でした。根拠はありませんでしたが、とてもしっくりとくるものでした。

 けれども、その推測は私にもう一つの疑問をもたらしました。いつ、ワイバーンは空を飛べるようになるのでしょうか。もしかして、空を飛んで自力で帰る事が、この試練の終わりなのでは?

 もう、本当は私達は空を飛べるのでは?

 それもしっくり来る答でした。冬に近いこの季節、私達子供のワイバーンにとっては川を泳いで帰るなんて無謀です。渡り切る前に凍死してしまう可能性が高いでしょう。

 私は朝を迎えたら、少し試してみよう、と思いました。試す価値は十分にあります。


 そして何事も無く、夜は過ぎて行きました。

 流石に子供とは言え、ワイバーンが五匹も居れば近寄って来る獣も居なかったのでしょうか。そう思うと、オチビが死んでしまったのが本当に悔やまれました。

 誰でも良いからもっと数を集めておけば、私がもっと友達を増やしておけば、オチビは死ななかったのかもしれません。けれども、そうやったとしても結局誰かを喪う悲しみはあったんだろうな、と私は気付いて嘆きました。

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