3-16
一気に血の臭いが充満し、檻の中の魔獣がそれに気付いて目を覚ましました。
私は足に付いた肉片や血など気にせず、智獣の頭も食べずに姉さんの方へ走ります。途中、ロと合流しましたが、ロの口はもごもごと動いていて、中からばりばりと言う音が聞こえていました。
魔獣が騒ぎ始めた頃、私達は姉さんの場所へと到着しました。
姉さんは、とうとうか? と私達の方を待ちくたびれたかのように、疲れた目で見ていました。
腹にはもう、卵はなく、子供もここには居ませんでした。しかし、産卵のせいか何か、体は疲労しているのが見えました。
私はここ辺りに駐屯している智獣達の家の方を見て、思います。
……まだ、気付かれてないか? いや、不死鳥のじゃない火が比較的近くに見えてる。
もう、気付かれてるのか?
どちらにせよ悩んでいる暇は無いでしょう。
姉さんは檻の奥に居ます。酸が掛かる心配はありません。
私は鞄の中から瓶を口で丁寧に取り出し、それを鍵の部分に投げました。
幾ら扉が頑強に作られていようとも、鍵の部分を破壊出来てしまえば檻は檻としての役目を失います。
この酸の強さと量ならば、二つも上手く鍵の部分に掛ける事が出来れば鍵を破壊し易くは出来ると私は踏んでいました。
一個目、この四十日間練習して来たとは言え、緊張が私の体に走りました。
ふわりと放物線を描いて飛んだ瓶を見ながら私はすぐに口に尻尾を咥えます。鍵の部分に瓶は当たり、皹が入って酸が漏れました。そしてそこに私は、尻尾を口を噛んで毒針を放ちました。
ガラスが割れる音がしました。一個目、成功です。
じゅわじゅわと静かに音を立てながら留め具が溶けていくのが聞こえ、見えます。
しかし、まだ足りません。
ロはそれを好奇心旺盛に見て、臭いを嗅ごうとしたので止めました。
耳を澄ますと、たたたっ、と誰かが走って来る音が聞こえ、私はロにそっちは頼むと、尻尾を足音の方向へ向けました。
「ヴル」
体を伸ばし、口元の血を舐めてロは臨戦態勢に入りました。
油断もしていない、本気の姿勢でした。
私は安心して、二本目を取り出しました。
周りのワイバーンや他の魔獣達が、姉さんを助けようとしている私を見て騒ぎ始めていました。
嫌な感覚がし、二本目、私は失敗しました。
瓶はがしゃん、と虚しくそれは石畳を溶かしただけに留まりました。
失敗した理由は、その声が私に対する自分への慈悲の願い、恨みの感情だったからでしょう。
姉さんだけを、私が最も助けたいワイバーンだけを助けたいと私は完全に割り切れていませんでした。
助けてくれ、どうして俺を助けない、そんな感情に私は引き寄せられていました。
聞くな。元々そうしか出来ないと分かっていただろう。
私は荒れ始めた息を整え、三本目を取り出しました。
「……ワイバーン、だったのか。面白い」
はっ、と私は目をその声に向けました。
その言語は紛れも無く、私の思考している言語でした。
黒い鞭を持った人間が赤い光を体に帯びてそこに居ました。
そしてその人間を含め計四人、智獣が並んでいました。ケットシーも、他の人間も、ワーウルフもそれぞれ手に魔法を溜めた光を持って居ました。しかし、私はそんな事に構っている暇はありません。
ただ思った事は一つ、時間が無いという事だけです。
これだけしか居ないとは限らないのです。
「ヴララララッ!」
ロが吼え、小さめの火球を連続して飛ばし、戦いが始まりました。
私は焦りながらも慎重に、丁寧に、咥えていた瓶を鍵に向けて投げました。
溶け始めている留め具に当たり、今度は毒針を命中させる事が出来ました。
中の液体が弾け、留め具がとうとう意味を為さない程までに溶けるのが見えました。
よし、これなら。
「ヴアアッ!」
私は蹴りをその扉に、目一杯の力、全ての体重を掛けてかましました。
ガシャン、と音がした後、ビキ、と何か皹が入った音がしました。
「ヴ……アア゛!」
酸が足に少しだけ掛かりました。
じくじくと今までに味わった事のない痛みが私を襲いましたが、構わず二度目、私は体当たりを檻にかまします。
ビキビキ、と確実な手ごたえがそこにありました。
しかし、流石にロも全てをこっちに来させないようにするのは無理でした。後ろに気配を感じ、私は振り向きます。
ワーウルフが鎖分銅を投げていました。手には手袋らしきものが、そして魔法の色は白。
鎖分銅には電気が流れている。すぐにそう直感しました。
鉤爪でその速さの、至近距離の物を流石に受け止める事は出来ず、翼腕で受け止めると体に強く電流が流れました。
「ガッ……」
怯むな! そう体に言い聞かせようとしますが、鎖分銅はワーウルフの元へ帰って行った後も私の体は痺れていました。
直後、またワーウルフは遠心力を分銅に乗せ、投げてきます。
私は咄嗟に下にあった鞄を蹴りました。
側頭目掛けて飛んで来た分銅をどうにかして角で受け、そのままぐるぐると分銅は私の角に巻き付きました。
その後、力を失った分銅は私の額に着きましたが、もう電流は流れていませんでした。
代わりに悲鳴と肉が溶ける嫌な音がしてきました。
すぐにまた、私は体当たりを扉に向けてして、とうとう檻を破壊する事が出来ました。
思わず私は檻の中に倒れ込み、そして、流れる視界がその光景を映しました。
ロが、やられている。
皮翼が破れていました。片方の翼腕は既に折れていました。
膝を着いて、それでも一人の智獣の頭を食い千切り、毒針を放って増えている相手を牽制していました。
声も上げず、懸命に私の為に、時間稼ぎをしていました。
すぐに、加勢しなければ。そう思い、私はすぐに立ち上がりました。
「ガッ……」
え?
一瞬、立ち上がる為に目を離しただけでした。その声は、その一瞬でロの喉が鋭利な剣で切られた、声にならない悲鳴でした。
……え?
この状況、私一匹で、どうする事も出来ない。出来たとしても逃げるだけ。
でも、それは姉さんを放るという事。
一匹になってしまうという事。
……一匹?
…………一匹?
……。
…………。
一人?
ああ、ああ。
ああ、ああ!
「……は?」
ばち。
思い出した。思い出してしまった。
何という矛盾。思い出したくなかった、けれど思い出さなければいけなかった。
だから、こんな単純な解に辿り着く事さえ自分では出来なかった。
どうして一生では多過ぎる程の知識を身に付けていた? どうしてかなり多くの言語を理解する事が出来た? どうして数多の戦い方の対処を知っていた?
前世でとんでもなく数奇な生を送ったからじゃない。単純で、凄惨で、馬鹿げた解だ。
「おい、何だあれ」
ばち、ばちばちっ。
けれども、後悔したとしても、思い出さなければいけなかった解だった。
コボルトとしての生は、一つ前の生は、思い出さなかった、その自分の不思議さを捨てようとして、捨てきれなかった生だった。あの顔は、その結果だった。
思い出そうとしなくとも、どうせ思い出していた。けれども、そうして思い出すのは老いてから、けじめをつけるのには遅過ぎる。
思い出して、けじめを付けて、何度も何度も私は生きて来た。けじめを付けず、酷い後悔とやりきれなさを背負って、何度も何度も私は生きて来た。
何度も何度も、死ぬ度に私は忘れ、生まれる度に私は思い出して来た。そんなのこの世界で、たった一匹、一人、生物にドラゴンを含めても、私だけ!
不死鳥とは真逆、私は、私は、肉体は滅んでも、魂が固定され、ずっと転生を繰り返してきた。それはもう何でも無い、生物とも言えない何かだ。
内包された死を持たない、生物じゃない何かだ。
「殺せ! とにかく早ぐっ……」
ヂヂッ、ビヂッ、バチバチッ。
何という皮肉でしょう。私が無意識にそうしたのでしょうか。不死鳥という、真逆の生物がここに来るときに決行するなんて。
もう、最初に私自身が何だったかももう、思い出せない。人間だったのかも分からない。
何として生きて来たかも、思い出せない。
「うおおお……あ……」
「誰か、助け」
「イ゛ア゛グゥゥゥゥッ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」
ジュッ、ヂッ、ビヂッ。
唯一分かるのはその最初の生で、その行為をやってしまったという事。私は幻獣ですら出来ない、魂を弄る方法に辿り着き、実行してしまった智獣の一人だったという事。
それで魂が固定されたのは、偶然が必然かも分からない。
ああ。
……ああ。
「誰か、こいつを止め゛っ」
「うああああああああああああああっ」
ジュッ。
私には、前世が約束されていれば、来世も約束されている。
常に、ずっと。
いつまでも。
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