3-7
行くのに躊躇する場所がありました。
ここに来てから十日間は過ぎましたが、町の中でそこ以外の場所は大体見て回りました。
しかし、その日々の中では警備兵達の中に、私に儀式を仕掛けようとする智獣が居ない事にほっとしたり、毎日毎日私に名前を付けようとしていた子供達も流石に十日も過ぎると諦めたりと、その位の事しかありませんでした。
ただ。ここの町で話される言語の大体は聞けました。残念ながら、その中に私の思考している言語と共通するものは無かったのですが。
私の中では、記憶だけが急速に頭の中を占めるようになっていました。
思い出される記憶が連鎖的に眠っている記憶を呼び出し始めていたのです。その影響で、一日の中でぼうっとしている時間が少しずつ増え始めていました。
……私が行っていない場所は、魔獣の飼育場でした。
行ったらまた、狙われるかもしれないという私自身の危険性もあったのですが、それ以上に私達野生のワイバーンでない、飼われているワイバーンを見て、私がどうなってしまうか分からなかったのです。
頭の中が変に情報で氾濫している中、酷いものを見ても感情を抑え切れるか、それが一番不安でした。
けれども、行かなければならない、と私は強く思っていました。
そこが、本当にワイバーンのもう一つの生き方、飼われている身としての幸せがあるのか、それを確かめなければいけない気持ちがあったのです。
出来れば、の話にはなりますが、もしそこが虐げられて生きているようなそんな場所だったら、破壊出来ればしてしまおうとも思っていました。
それは勿論、この町から去る時ですが、それまで我慢出来るかどうかは全く分かりませんでした。
その日、私がタルベに尻尾で行きたい場所を示すと「……暴れないでくれよ」と念を押されました。
私は喉を鳴らして答え、歩き始めました。
思い出された記憶は既に、私の記憶出来る量の数割を占めているのではないか、と思える程に増えていました。
家の窓に嵌めてあるガラスを見れば、その製法、材質が頭に浮かび、その枠組みの作り方も同時に自然と浮かんで来ます。
家そのものでさえもが、どのように作られているか、自ずと頭の中に細かな工程が浮かんで来ました。
ケットシーが魔法の談義をしているのを聞けば、魔法の根幹となる肉体と魂の性質について口があればすらすら言えそうでしたし、リザードマンが自分達の上位種と言えるドラゴニュートについて喋っていれば、ドラゴンとは全く違う種族なのにそんな名前が付いている事を滑稽に思う私が居ました。
そのドラゴンは、魔獣でも智獣でも幻獣でもない、この星で唯一無二の生物である事も知っていました。
……私は、知っている事が多過ぎると思わずにはいられませんでした。多いとは元々思ってはいたのですが、ここまで多いのは異常を通り越しているような、そんな気がしました。
しかし、自分自身の事に関しては、鏡でやつれたコボルトの自分自身の顔を見ている光景を最後に何も思い出せていません。
その膨大な知識からして、前世では一生全てを知識を得る事に費やしたような、そんな風にしか考えられなかったのですが、それでは様々な智獣の戦い方を熟知している理由が分かりません。
一生では短過ぎる程の多岐に渡る知識、経験が私には引き継がれているのです。
私は本当に単なるコボルトの男だったのでしょうか。もう、そうとは全く思えませんでした。
記憶が思い出される事は止まらず、周りに智獣が余り居ない場所では、私は体を本能に半ば預けて歩く事で平静を保っていました。
快いものではありません。寧ろ、その思い出す感覚は不快ですらありました。
私は自分自身の前世の事が知りたいのであって、智獣の生活の細かな所まで知りたいとは思っていないのです。
「なあ。ここに来てからお前、どうもおかしいように見えるが、大丈夫なのか?」
タルベにも心配され、私自身、この記憶の氾濫が止まらないようなら情報はこれ以上得ようとはしない方が良いと思えていました。
また、森の中でひっそりとするかな。
かなり大雑把ですが、次行くべき大きな町のありそうな場所も、散歩中に偶然広げられていた地図を見る事が出来たので、後、ここでやる事は僅かでしたし。
私が返事をしないでいると、タルベが立ち止まり、私の方を振り向きました。
「……あのさ、本当に大丈夫なのか?
確かに俺達智獣の中には、魔獣を家畜として扱っている奴等も居る。
そんなのを見て、今の、ぼうっとしているようなお前が我慢出来るのか?
無理なら、俺はここで帰る」
私は少しだけ間を空けて、頷きました。
どうでも良い事はどうでも良い事として、きっちりと頭の片隅に追いやる事が出来れば大丈夫でしょう。
「なら、良いけどさ」
そして、タルベは次の曲がり角を左に曲がりました。
そこは、空気が違いました。
町の雰囲気ではありませんでしたし、単なる豚や牛等の家畜を殺す場所のような雰囲気でもありませんでした。
様々な音や臭いがありますが、それとは別に妙に静かな雰囲気がありました。
歩いて行くと、そこに居る智獣に露骨に嫌な顔をされ、私は咄嗟に身構えます。
私は、ここでは殺されてもおかしくない。その事を今更知り、同時に記憶の事なんて、頭から吹っ飛びました。
どこから攻撃が来てもおかしくない。
そう思いながら、私は警戒して歩きました。
流石に魔獣がこの町の中を歩けるとは言え、智獣より権利は低いのです。智獣から魔獣を襲う事は出来ても、魔獣から智獣を襲う事は出来ません。
襲われたら仕返しをする、という形しか出来ません。
ここで智獣が私の背後を取ったとしても攻撃されるまでは何も出来ないのです。もし、こっちから攻撃をしたら、その瞬間にここに居る全ての智獣を敵に回す事となるのです。
「……さっさと行くか」
私もそれに喉を鳴らして頷き、早めに歩きながら周りを見ていきました。
大きな鉄の檻の中に、様々な魔獣が居ます。
魔獣の中で比較的従え易い、大狼、ケルピ、ワイバーンが主ですが、少しだけ双蛇や、青虎と言った従え難い魔獣もここで飼われていました。
しかし、赤熊は流石に居ませんでした。魔獣は大体太い鎖で繋がれ、調教の痕が見られるのも居ましたが、強靭な肉体を持つ赤熊ではどちらも意味を為さないからだと思えました。
そして、私は魔獣の中の少しから羨ましいような、妬ましいような目で見られました。
……やっぱり、捕獲されて来た魔獣も結構居る。
その中には、助けてくれという懇願の目もありました。
けれども、私一匹では無理だともはっきり理解してしまいました。
鉄の檻は想像以上に頑強な作りをしていて、私が勢いを付けて破壊しようとしたとしても中々壊れなそうでした。出入り口である部分はより強固に作られており、留め具の部分を壊そうとしても難しそうでした。
……無理、か。
助けるのはとても、私一匹の力ではどう頑張ろうとも無理でした。
金属を溶かせるような薬品をどこかから手に入れられたとしても、私の体では持てる量は僅かでしょうし、破壊出来る檻も良くて二つ程度でしょう。胃液でも、きっと無理でしょう。
諦めるしか、ありませんでした。
「ヴルルッ?」
その時、私に向ってワイバーンの一匹が声を掛けてきました。
「ヴ……」
思わず、私は目を合わせて硬直していました。
七年間、顔を合わせていなくても、それが誰だかはっきりと分かりました。
群れを出た直後に会ったあのワイバーンは、やはり私の血縁関係にありました。私の姉さんの、子供でした。
姉さんは、死んでいませんでした。
きっと、あの二度目の試練の最中に攫われたのでしょう。そして、ここで生きていました。
……人間に従う、魔獣の矜持を忘れ、且つ質の良いワイバーンを作る母種として。
「ヴラルルッ!」
姉さんは再会の喜びよりも、私に対して僅かな希望を頼んでいました。七年間もこの檻の中に閉じ込められ、子を産む為だけに生かされて来た姉さんの体は、私と同じ位の傷がありました。
抵抗し、鉄格子に体を打ち付けた痕がはっきりと残っていました。
…………。
……どうしても、姉さんだけは助けたい。でも、どうやって?
私は頭を伏せました。顔はもう、合わせられませんでした。
「ラ゛ア゛アッ!」
その悲痛な声に堪らず、私は飛びました。
「お、おい!」
タルベが私に叫びましたが、私はそれを無視しました。
どうすれば、どうすれば助けられる?
私は逃げるようにして、森へ飛びました。
姉さんの悲鳴が耳に付いて離れませんでした。
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心臓が強く、ずっと私の胸の中で響き、私は大きく息を上下させたまま、森の中で夜を迎えていました。
やはり、役に立たない知識は役に立たないままで、どう考えても私一匹では助けられる自信がありませんでした。
扉を壊せたとしても、それに気付かれる前に姉さんを繋いでいる鎖を破壊出来なければいけません。それが出来たとしても、更に大きな問題があります。
姉さんは、もしかしたら一度も空を飛んだ事が無いかもしれないのです。
試練の時に攫われて、それからずっとあの檻の中で生きていたとしたら、その可能性は大いにありました。
……せめて、協力してくれるワイバーンか誰か他の魔獣がもう一匹でも居れば。
…………。
……ロを探してみる? 見つけたとしても、協力してくれる可能性も僅かで、私が考える作戦通りに動いてくれるとも限らない。けれども、それ以外に何も思い付かない。
はぁ、はぁ、と気持ちも収まりきらないまま、私はその僅かな希望に向けて翼を動かす事を決心しました。
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