3-4

「じゃあ、また明日のこの時間位になったら来るわ」

 私を目の前にしてもずっと呑気なまま、ワーウルフはそう言って、血塗れな手に胆を持って去って行きました。

 また、熊の胆の見返りは怪我の治療になりました。

 ただ、それを要求した時に潰れた右目を尻尾で指してみたのですが、すると「部位欠損の怪我の治療なんて、熊の胆位じゃ割に合わねぇよ、癒す位なら割に合うけどさ」と言われました。

 癒す位でも、私にとっては助かるのでそれで私はまた頷きました。

「俺が治すんじゃないぞ? 俺がもう一人連れて来て、そいつが治すんだ。

 それでも良いのか?」

 私はそれを承諾しました。

 敵意は無いだろう、と私は思っていました。直感的なものでしたが、命を預ける訳でもないので、そこまで警戒する必要も無いでしょう。


 夕方、熊の肉を全て食い終えて、もう少し何かを狩って食べようかなとも思ったのですが、すると今度は智獣達がワイバーンに乗って来たりして帰って来て、またこっそりと隠れなければいけない羽目になりました。

 しかも、数匹はこの森で降りて智獣と別れ、この近隣で食事をするつもりでした。

 熊の肉を食い終えたとは言え、血の臭いはここにも、そして私にも残っています。更に、智獣が一緒に狩りをしようとする声も聞こえました。

 参ったな……。

 ワーウルフが言った言葉と同じ感覚でそう思いました。見つかってしまうのは確実でした。

 小動物でもちまちま狩って全部丸呑みにすれば良かったとかも思いましたが、もう後の祭りです。血の臭いは今どう頑張ろうと消えません。

 誰かのワイバーンであるように振る舞って誤魔化そうとも考えましたが、この傷だらけの体は目立ってしまうでしょう。

 放って来たワイバーンは、綺麗な体でした。全部があのようだとは思いませんが、私程傷だらけな体をしているワイバーンは居ないとは確信出来ました。

 仕方ない、か。

 見つかるのを覚悟で私は動く事にしました。

 この町に入らなければいけないので、今この場で智獣を殺す事は出来ないのは少し難しい事でしたが、何とかなるでしょう。

 早速、がさがさと音を立ててワイバーンがやって来ましたが、私が睨むとすごすごと去って行きました。

 智獣に遭う事が無ければ何とでもなりそうですが。

 しかし、人間はともかく、犬などの動物程ではないにせよ、智獣にも血の臭いは伝わってしまうでしょう。

 無理、か。何もして来ないと良いんだけど。

 儀式としての戦いをしたとしても、ここで殺すのはまずい気がしました。この森という場所では、儀式をしたとしても証言してくれる智獣が居ないのです。

 私を捕獲しようとか、儀式を挑もうとしてきたならば、それは他の智獣が居る場所の方が良い。

 どうせ見つかってしまうなら、自分から見つかりに行った方が良い。

 とは言え、戦いを仕掛けられるのは嫌だったので私は飛んでやり過ごす事にしました。


 飛んで少しすると、街道に智獣達が集まって私の方を見ながら何かを喋り始めました。

 また、興味無さそうに、同じ智獣に従っているらしいケルピや大狼がすたすたと町の方へ歩いて行くのが見え、ワイバーンは数匹が私の方を見ています。

 種類としてはそれ以外の魔獣は見えません。もしかしたら、ケルピ、大狼、ワイバーンは従え易い魔獣なのかもしれない、と私は思いました。

 智獣の一人がワイバーンに何か話しかけ、私を指すとそのワイバーンは私を見て、嫌だと言うように首を振りました。

 どうやら、私は群れの中ではそこそこ強い方でしたが、ワイバーン全体としてはかなり強い方に居るようでした。あの様子を見る限り、私は智獣に飼い馴らされたワイバーンには負けない自信が付きつつありました。

 私は智獣達から少し距離を取って街道に降り、智獣達の動向を眺めます。

 この状況なら、儀式を挑まれて殺したとしても私が狙われる事は無くなる。

 捕えようとしてきたとしても、それに抗おうとして殺す事に問題は無い。

 こっちの世界、死がより身近な世界に入って来てくれるのですから。証人もきちんと居る。

 しかし、ほんの少しだけ私に挑んで来る事に期待していた私も居たのですが、そうはならず、全員そのまま帰って行きました。

 つまらなく思いましたが、まあ平穏なのに越した事も無いので、適当に獣を狩って食べ、寝る事にしました。


 翌朝、私はがさがさとした音で私は目を覚ましました。

 また誰か来たようです。足音からして智獣、それも二人か三人でしょう。

 足音は私が昨日の夜に食べた大蛇の臭いを辿ってか、真直ぐ私の方へ来ています。時間帯からして、昨日のワーウルフだとは思えません。

 まあ、そうなる事は少し予想していました。討伐か、それとも儀式か、それ以外か、とにかく何らかの目的を持って智獣が来る可能性は、強いワイバーンという私の存在が知れ渡った時点で予想出来た事でした。

 問題は逃げるか、向き合うかという事ですが、もう私の答は決まっていました。

 今日、ワーウルフが来て治療をして貰ったら、次いでに付いて行って、町の中に入ろうと決めていました。拒否されても、図々しく付いて行ってしまおうと思っていました。

 執拗に追って来たとしても、これから昼過ぎまでの間逃げれば良いだけです。向き合うような面倒な事はしなくても良いです。

 私は昨日残した大蛇の肉を少し口に入れて、飲み込んでから飛び上がり、少し遠くに行く事にしました。

 ワーウルフに付いて行き、町の中に入る位の時間は稼げる位の距離を飛んで、私はまたのんびりと過ごす事にしました。

「臆病者じゃねえか」

 そんな声が聞こえましたが、智獣に対してはそうでないと危ないと私は知っていました。


 そして昼過ぎ、私はワーウルフと、彼が連れて来たコボルトに、昨日と同じ場所で会いました。

「ほれ、こいつだ」

 コボルトは獣医なのでしょうが、何も持っていませんでした。

「成程、なぁるほど……」

 そのコボルトに舐め回すようにじっくりと見つめられ、少し不快になりますが我慢します。

「……凄いね。かなり、強いよ」

「本当か、それ?」

 強いと言われると、やっぱり少し嬉しくなります。

「今この町で飼われてるワイバーンは全部、弱い。はっきり言うと安物。値段は私の一月の稼ぎよりも安い。けれど、彼女は買うとしたら、その十倍の値段は軽く必要だね。

 大金を払って片目を癒す価値も十分にある」

「あのさ、こいつ言葉理解してるんだぞ」

 ワーウルフは、コボルトに呆れたようにそう言いました。まあ、少し頭に来るような言い方ですが、怪我を治してくれるなら何も言いません。全くではありませんが。

「おお、それなら二十倍の値段でも安い。それなら、尚更目を治さなければ」

「……俺は、熊の胆の見返りに治してやるって言っただけだぞ?」

「こんな素晴らしいワイバーンを治さないとでも?」

「お前が勝手にやれば良いだろう。俺はその分の金は払わねぇぞ。無職の貧乏じゃないが、無職の金持ちでも無いんだ、俺は」

「……仕方ないな。なら私が勝手にやる事にしよう」

 途中から私も気付きましたが、コボルトは私の目も治す代償として、ワーウルフから金を巻き上げようとしていたようでした。

 コボルトは私に向き直り、言いました。

「ま、金が欲しかったのは事実だ。幾らあっても金はもっと欲しくなるからね。

 でも、君が素晴らしいのも事実だ。きっと、群れから来た、所謂野生のワイバーンだろう? 飼い馴らされたワイバーンではそこまで傷だらけなのも、そんな良い体をしてるのも居ないんだ」

 飼い馴らされている魔獣が居るという事は嫌な事です。不快な気分になりますが、私は何もせずにコボルトに向き直りました。

 コボルトはワーウルフよりも私に警戒しない、本当に自然体のまま私に近付いて緑色の光を手から出しました。

「コボルトは種族的に魔法は苦手だけどね、ま、それは統計学的な話だ。私みたいに上手な奴だって当然居る。安心してね」

 友達に話し掛けるような、そんな軽い口調で話しながら、コボルトは私に手を当てて傷を癒していきました。

「おお、危ない。後少しで君、子供産めなくなってたよ」

 腹の傷を癒しながら、コボルトがそんな驚愕の事実を今更言いつつ、手から消えた光をまた溜めて戻していきます。

「後まだ治ってない怪我は尻尾と翼腕と右目ね。後、背中も見せて貰える?」

 結局、このコボルトには感謝しきれない程の治療をして貰う事になりました。

 右目も呆気なく治り、久々の両目の視界はとても心地良く、私は自然と喉を鳴らしていました。


「ふぅ。疲れた」

 腰に手を当て、コボルトは私の治療を終えました。

「で、これからどうするんだい? 君は。

 偶然出会っただけなのか、それとも君がここに居る事に理由があるのか。

 この頃捕えられた野生のワイバーンも殺されたワイバーンも居ないけれども、恨みでここに来た訳ではないだろう?」

 勿論、違います。私が頷くと、コボルトは続けて私に質問をし、私はそれに答えて行きました。

 偶然来たのか? 違う。

 誰かに仕えたくて来たのか? 違う。

 好奇心で来たのか? 大体合ってる、かな。私はそれに頷きました。

「だ、そうだ。当然、私達が住んでいる町に興味があるんだろう?」

 それに肯定すると、ワーウルフが言いました。

「連れて行くのか?」

「食費は掛からないぞ、きっと。

 獣ってのはこっちの料理なるものを食べる事もあるが、一番はやっぱりその獣に合った食い物でね。金は掛かったとしてもそんなには掛からない」

「とは言ってもなぁ、住ませるにしても俺の家はそんな場所無いぞ。住むならお前の家の方が広くて良いだろ」

 そのように喋っている二人の様子を見て、私は珍しいと何となく思うようになりました。

 姿形が似ていて、けれども種族的な差がはっきりとしている二人が仲良く喋っているという事は私が生きていた頃では珍しかったのでしょう。

「まあ、この頃無職なのにも退屈はしていたしな。もう一つ、聞かなきゃいけない事がある。

 俺達が住む町に来るのか? お前から見たら不快な物も沢山あるだろうし、それでいてお前等の理は町の中では必ずしも通用しない。それでも来るのか?」

 私は、頷きました。そうしなければ、私は私を知る事は出来ません。

「なら、早速行こうか」

 ただ、その前に私もやる事があります。

 私は弓を引き絞る音がする方向を振り向き、同時に飛んできた矢を鉤爪で弾きました。

 色違いから受けた傷が完治し、両目がはっきりと見える今、体はいつもよりも軽快に動ける気がしました。

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