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 そのワイバーンがある程度人間を食い終えた所で、私は残った所持品を調べる事にしました。

 既に腹の中に入った人間は見た目からして身分は少し高いように見え、持っていた物から何か記憶を刺激出来る可能性が高いと私は思っていたのです。

 ワイバーンが食い終えた所でおどおどとしているのを無視し、私は尻尾で人間の持っていた袋に穴を開け、牙で破いて中を覗いてみました。

 水を入れる為の筒、ナイフ、ランタン等の野外で生活する為の物から、私を遠くから見ていた双眼鏡や、そして欲しかった地図等の様々な物がありましたが、それよりも一番興味がそそられたのは、薄い黄色の携帯食料でした。

 牛や山羊も乳を特殊な方法で固めたもの、チーズです。

 ……とても、美味しそうでした。

 早速食べてみると、ワイバーンとしての体に正直な感動が訪れました。

 転生してから八年間、肉と稀に果物しか食べていなかったこの舌は、こんな簡素な料理であっても感動を味わえる程に単純で物を知らない、幸せを最大限味わえる舌になっていました。

 肉とは違う柔らかな食感と、また脂身とは違う、ねっとりとしてまろやかな脂の美味しさ。

 舌にそれがある間、全神経がそこに集中していて、隣に居るワイバーンの存在も忘れるまでに無防備になっていた程でした。

 ただ、ワイバーンとしての身ではこの人間の携帯食料は小さ過ぎて、一口で終わってしまったのが、とても残念でした。


 感動が去った後に気を取り直して、次に地図を広げてみる事にしました。

 地図は紙で、包んであった端の部分を足で抑え、尻尾で破らないように慎重に開きます。

 少し力を込めただけで破れそうな低質な紙ではありませんでしたが、そもそも私の肉体では低質な紙でも上質な紙でも大して変わらないでしょう。

 地図には、バツ印が幾つか書き込まれているのがまず目に付きました。

 その隣には、数字が書かれています。

 沢山の言語を理解出来る身としては当然だとは思っていましたが、やはり私は文字も読めました。それぞれのバツ印の隣に書かれているのは、何かしらの数と日付でした。

 右下には殴り書きですが、文章も書かれていました。

 種類、灰色種。

 右の角が折れている。左の角も少し曲がっている。傷は多いが、目立つ傷は無い。

 そんな身体的な特徴が書かれていて、きっとこれは昨日リザードマン達が話していたワイバーンだろうとすぐに分かりました。

 数は被害者数、日付は襲われた日時。それを見るとそのワイバーンは少なくとも四、五年間は智獣を襲い続け、合計五十を超える数の智獣を食らっている事が分かりました。

 この人間は討伐依頼でも受けていたのでしょうが、どうせこんな強さでは智獣を食らって回っているワイバーンを倒す事は出来なかったでしょう。

 そんな事を思いながらその殴り書きを読み続け、最後に書かれていた文を見て、私は固まりました。

 空からの攻撃を好む傾向が有り。

 ……ロ、なのか? ロにもその傾向がありました。

 時期的にも、ロが群れから出て行った時とある程度一致しています。

 生きていた事にも驚きですが、まさかこんな近くにずっと居たのでしょうか?

 アカに叩きのめされ、惨めに群れを去って行ったものの、強くなって戻って来ようとでも思っていたのでしょうか。

 智獣を食らうと強くなれる事に私と同様に何らかで気付き、ひたすらに智獣を襲い、食らって。

 けれども、それが本当にロであっても会いたいとは思いませんでした。

 ロと一緒に居る所を見られたら、もしかしたら私も狙われる対象になってしまうかもしれないから、というのが一つありましたが、それ以上にもう一つ、理由がありました。

 討伐対象になるまで、見境なく智獣を襲っているワイバーンには単純に会いたくないという気持ちが強くあったのです。


 それから地図をある程度頭の中に入れた後で、残りの物は放置して私はこのまま道なりに行く事に決めました。

 地図は広大な森と点々とした村、それを繋ぐ道が大体だったのですが、このまま進めば段々と賑やかになっていくようでした。

 距離も私が山脈からここまで飛んできた距離の半分も、もうありません。

 今日はこの近くで早めに休み、今になって私を縋るような目で見るようになったこのワイバーンも放って夜にでも行く事にしました。


-*-*-*-


 青い月が赤くなり始める頃の紫色になった時に私は目を覚ましました。

 すぅ、すぅ、とワイバーンは静かに寝息を立てて熟睡しています。

 もう、ここは安心出来る場所ではないのですが。

 それとも、私が居るから安心して寝ているのでしょうか。

 まあ、もう私には関係の無い事ですが。このワイバーンが私の血族かどうかも、気にはなりますが、そこまで興味の湧く事でもありません。

 私は音を立てないように立ち上がり、こっそりと少し距離を置いてから飛びました。ワイバーンは気付く様子も無く、深い眠りのままでした。

 きっと死ぬだろうな、と思いながらも、去る事には大して罪悪感はありませんでした。必死になって生きて来た私の中でこのワイバーンは、見下されるものでしたし、正直言って、智獣の手を離れても生きられるようにするのも面倒でした。

 私は道なりにまた、進み始めました。


 朝になる頃、とうとう地平線の先に大きな町が見えてきました。広大な森も広く開墾されて、町の周りは畑になっています。

 牧場もしっかりとありました。美味しそうな牛や豚、羊がのんびりと柵の中を歩き回っていたり、馬が走っていたりしています。

 流石に奪って食べるのは、これから町に入って色々な事をしたい身としてはまずいですが、でっぷりと太っているその家畜を見ると自然と涎も出て来ていました。

 いやいや、やめておこう。

 取り敢えずは、休憩と食事だ。あの町の中に入れたとしても、今までとは違う異質な危険があるのは確実です。

 体を万全の状態にしておくのに越した事はないでしょう。

 けれども、そうするとしたら色違いから受けた傷も完璧に治ったとはまだ言えませんし、数日間この近くで休んで、それから行動に移る方が良いです。

 私は森に目を移し、今日こそ熊を食べようと決心しました。

 暫く森の上を飛んでいると、茶色の大きい毛皮を見え、そこに降り立ちました。


 逃げきれないと観念して立ち向かおうとした熊の首に鉤爪を突き刺し、そのまま引き裂いて殺し、私は肉を食べ始めます。

 智獣の食べ物は凝っていて、それでいて美味しいんだろうけれども、やっぱり私は最終的にはこっちに戻って来るんだろうな。

 血を飲み、毛皮を引き裂いて肉を食べながら私はそう思いました。

 チーズは美味しかった。けれども、舌に合わない。食べ続けたらきっと飽きて、食べたいとも思わなくなる。良く分からない確信でした。

 肉はチーズ程美味しくはない。けれども、舌に合う。食べていて、しっくりくる。同じ肉ばっかり食べていると飽きたりもするけれど、もう嫌だとはならない。

 ……うん。やっぱり肉が良い。何よりも。


 半分程食べて、後は傷が治るまでゆっくりと過ごす事にして、木に寄り掛かってぼけっとのんびりします。

 熊の血の臭いは獣を引き付けてしまうでしょうが、魔獣である私に近付いて来る生物は余り居ないでしょう。

 ただ、そんなに時間が経たない内にワイバーンが智獣を乗せて空を飛んで行き、馬の蹄の音が遠くから聞こえて来たりして、冷や冷やする羽目になりました。

 幸い、昼過ぎに智獣の通りは静まり、誰にも見つからずに済んだのですが、毎日こんなに移動が激しいと見つかるのも時間の問題かもしれません。

 ほっとしてまた、小腹を満たそうと残った熊の肉にありこうとすると、今度は足音が聞こえました。

 一応立って、その方向に毒針を向けて警戒していると、その足音は私の方に確実に近付いて来ていました。

 ここで殺すのはまずい。ここで殺したら、確実に私の仕業だと分かってしまいます。

 どうすれば良いでしょうか。

 威嚇して返しても駄目でしょうし。

 がさがさと草を掻き分け、目の前に現れたのはワーウルフでした。コボルトより一回り大きく筋肉質な体で、それでいて白い毛皮はもふもふしていそうな、柔らかな見た目がします。

 記憶が一瞬遅れて、私に情報を与えてくれました。

 肉体的にも、魔法の能力も体型が似ているコボルトより優れているが、出産数は低く、数も少ない。

 そんな智獣が鼻をひくつかせながら、私の目の前にやってきました。

「……参ったな」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、片手に木刀を持ってそのワーウルフはのんびりとそう言いました。喋っている言葉はコボルトの言葉と訛りが少し違うだけで、私にも聞き取れました。

 ……私も同じ心情なのですが。

 ワーウルフは私の下にある熊の死体を見て勝手に喋り始めました。

「熊、か。良いもん食ってるじゃねぇか。

 なあ、胆とか貰っていいか? 高く売れるんだよ」

 胆は残っていて、大して特別食べたいという欲求も無いので頷くと、ワーウルフは驚いたようにして言いました。

「おう。言葉も通じる奴か。年も取ってねえのにそんな歴戦の戦いを潜り抜けて来たような風貌もして。

 はははっ、中々興味が湧く」

 何か、警戒した方が良いような気がする。

「警戒すんなって。俺は魔法も使えないし、智獣の中でそこそこ強い部類にしか入らん。

 お前の方が強い。安心しろって」

 嘘だ、と直感的に思いました。警戒した方が良いと思った瞬間、それを見抜かれたのです。

「……まあ、胆は貰うぞ。

 見返りが欲しけりゃ、何か持って来るが、言葉は喋れないんだよなぁ。

 お前、何が欲しい?」

 そう言いながら、ワーウルフは私から目を逸らして熊の肉体に手を突っ込み、胆を取り出していました。

 ……分からない。

 どの位の実力を持っているのか、嘘を吐いているのか、何も分からずに私はただ困惑していました。

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