第18話 里親

 それから何だかんだあって一時間ほど後、事務所のソファでアジ・ダハカは目覚めた。正しくはさっきまでアジ・ダハカだった人物である。彼はルド・スティールと名乗った。英語で。ルド・スティール氏は日本語は全く喋れないそうである。足利百子に通訳をしてもらいながら色々尋ねたところ、どうやらここ数か月の記憶が無いらしい。とりあえず健康状態に異常は無いとの事なので、今日はホテルにでも泊まってもらって、明日にでも足利百子が大使館に連れて行くという運びになった。

 足利百子とスティール氏を玄関まで見送る。流石にもう外は暗かった。事務所に戻ると、八大さんはPCに向かっていた。


「メールですか」

「ああ、増えてるぞ。二千件はとうに超えている」

「はあ。お金持ちって案外多いんだなあ」

「大半は冷やかしだろうがね。とはいえ返信の返信もぼちぼち届いているから、もう中身を読まずにコピペで返信と言う訳にもいかんしな。疲れてるんなら明日にしても良いのだよ」

「いいですよ、八大さんの方が疲れてるでしょうに」

「ところで、屋根はもう閉めたのかな」

「ああっ、忘れてた。閉めて来ます」


 どたばたどたばた。これもまた日常である。僕にはやはり、神様よりもこっちの方が似合ってるなあ、と思う。



 その翌々日。結局あの上から目線の返信にさらに返事を寄越したのは五十件程、そしてその中で実際にうちまでやって来ると言ってきたのは三件のみだった。その三人が、本日『龍のお宿 みなかみ』にやって来る。よって朝から大掃除。とは言ってもまあ、客室に糞の欠片が落ちてないかとか、芝が汚く伸びてないかとか、いつも通りの事にちょっと気持ちプラスという感じである。

 ココアは今日も淵から上がって来ない。あれ以来、僕が客室に居る間はずっと水の中である。それでも餌はちゃんと食べてくれているし、糞も出ているし、さほど心配する必要も無いと言えば無いのだけれど、少し寂しい。あと気になるのは里親候補の人達の前に姿を現してくれるかどうかだ。上手い事行ってくれれば良いのだけれど。

 そんなこんなで約束の時間、十三時となった。……誰も来ない!


「え、これどういうことです。もしかして」

「慌てなさんな。キミは本当にせっかちだね。相手には相手なりの常識があるんだから、約束の時間の十五分前には到着しておきましょう、なんて日本式のやり方で動いてはくれないよ。来るとは言ってるんだ、待とうじゃないか。」


 八大さんはコーヒーを淹れると、のんびりソファでくつろいだ。

 それから三十分程経って、ようやく最初の里親候補がやって来た。大型セダン三台の車列が門から入って来る。やっぱりこういう場合、二台はボディガードなのかな、と思っていると、駐車場の真ん中に三台の車を止め、わらわらと乗員が降りて来た。

 一台目と三台目から四人ずつ、二台目からは前席の二人、計十人が降り立ち、周囲を見渡した。剣呑な雰囲気である。まさか銃器は持っていないだろうが、いつ撃ち合いが起きてもおかしくない空気だ。少し間があって、二台目の後部座席のドアが開けられた。降りて来たのは、デカい、弁天堂の青木さんと変わらないクラスのデカさだった。元格闘家と言っても誰も疑わないだろう、腕も太いし金髪のもみあげも太く長く、手の甲も毛深い。まさに熊。最初に到着したのはロシア人だった。

 僕が迎えに出ようとすると、八大さんも一緒に来ると言う。珍しい事もあるものだ。とにかく二人で玄関まで迎えに出た。


「ようこそいらっしゃいました」


 僕は満面の笑顔で右手を差し出した。しかし、その手を取る者はいなかった。里親候補と見られるロシア人は、隣に居たボディガードに何やら話しかけた。するとそのボディガードが日本語で、


「ここに到着したのは我々が最初か」


 と言ってきた。立派な体格なのでボディガードと思い込んでいたのだが、どうやら彼は通訳らしい。


「あ、はいそうです。皆さんが最初ですが」

「ならばドラゴンは私の物だな」

「え」


 すると八大さんはニッと笑った。


「そんなルールは無い。嫌なら帰ってもらっても構わんのだが」


 通訳は里親候補氏にロシア語で説明する。里親候補氏は眉間に皺をよせ、僕ら二人を睨みつけた。そして一つ腹立たしげに息をつくと、仕方ないな、という顔で右手を差し出して来た。


「ニコライ・アレクサンドロフ」


 そう名乗ると、ロシア人はごつい顔でウインクした。



 二人目が来たのはその十分ほど後だ。これまた大型のセダンが今度は一台でやって来た。前席二人がボディガードらしい。玄関前に車をつけると、後部座席から見るからに品の良さそうな、まだ若い、すらりとした三十代くらいの東洋人の男性が降りて来た。そしてその後ろから小さな影が。二人目の里親候補氏は、片言の日本語で話しかけて来た。


「初メマシテ、郭同順デス。コレハ娘デ、嘿嘿、请问候」


 父親は挨拶しなさいと促すのだが、五歳くらいのその女の子は、恥ずかしいのか父親のズボンの後ろに隠れて、顔を見せようとしなかった。


「スミマセン、神経質ナ子デシテ」

「いえいえお構いなく。ささ、事務所の方へどうぞ」


 八大さんは笑顔で台湾人の郭同順氏を誘った。ラスボス云々言わずにいつもこうなら、僕は楽できるんだけどなあ。

 それから三十分後、事務所ではロシア人と台湾人のボディガードが視線を合わさずに立ち、ピリピリと張りつめた空気をかもし出す一方で、ボス同士は何やら英語で談笑している。台湾人の女の子は父親の背中とソファとの間に顔を埋めたっきりだ。


「来ないですねえ、もう一時間超えてますよ」


 外周モニタを見つめる僕に、八大さんは苦笑した。


「まだ一時間だよ。もう少し余裕を持ちたまえ。体に悪いよ」

「そうは言いますけど、いくら何でも」


 僕がそう言いかけた時、外周モニタの視界に凄い勢いで飛び込んできた物があった。自動車だ。タクシーだ。タクシーは玄関に乗り上げんばかりの勢いで突っ込んで来ると、急ブレーキと同時に後部座席を開け、そこからロングスカートの女性が、文字通り飛び出してきた。女性は猛ダッシュで玄関に入って来ると、開ききらない自動ドアに体をぶつけ、勢い余ってつんのめり、玄関ホールの椅子にフライングボディアタックをかました。そして慌てて迎えに出た僕の姿を認めると、


「すみません、ユミコ・エバンズです、遅れました!もう決まっちゃいましたか?」


 褐色の肌にポニーテールの女性――というかまだ少女に見える――はハッキリとした日本語でそう尋ねて来た。


「いえ、まだこれからですが」

「ああー、良かった!」


 少女は両手を胸の前で組み、天を仰いだ。


「飛行機が予定通り飛ばなくて、空港からタクシー飛ばしてもらったんですが、こんな時間までかかってしまって、本当に申し訳ありませんでした」


 事務所まで連れて行く間、ユミコ・エバンズはペコペコと謝り続けていた。そのあまりのペコペコ具合に、僕は思わず聞いてしまった。


「あの失礼かと思うのですが」

「何でしょう」

「ご両親のどちらか、日本の方ですか」

「はい、母親が日本人です」


 ユミコ・エバンスは弾けんばかりの笑顔でそう答えた。やはりか。DNA恐るべし。



 さて、里親候補が三人揃ったところで一同を客室にご案内である。通路を通って客室の扉をくぐった瞬間、おお……という反応を少し期待していたのだが、見事に裏切られた。さすがに三人共、というか通訳やボディガードを含めたほとんど全員、この程度の大きさの施設では驚きも感動も無いようだ。僕が初めてここに入った時は感動で目がウルウルしたものだったが、生まれ育ちの差を感じる。唯一の例外は郭氏の娘さんだった。天井を見つめてあんぐりと口を開けている。親近感を感じる。超感じる。


「ドラゴンが居ないのは何故か」


 ニコライ氏の通訳が問うた。


「何処カニ隠レテイルノデスカ」


 と、郭氏。


「はい、それが今は」


 水の中に、と言おうとした僕を八大さんが止めた。


「まーまー待ちたまえ、せっかち君」

「誰がせっかち君ですか」


 八大さんはワイシャツの右袖のボタンをはずして腕捲うでまくりをした。

「こういうのは演出も大事なのだよ、見ていたまえ」

 そして淵のそばで右腕を振り上げると、

「さあご覧あれ、これがドラゴン」

 片膝をつき、右腕を肩まで淵に挿し込んだ。その瞬間、天空に雷鳴が轟く。ボコリ、水中から巨大な泡が一つ浮き上がったと思った瞬間、客室を膨らまさんばかりに響き渡る絶叫と共に、波を蹴立ててココアが飛び出して来た。そのまま丘の頂上まで駆け上がり、こちらに向かってシャーッと威嚇音を立てる。そのココアを右手で示し、八大さんはニッと笑った。


「これがドラゴンのココアです」


 里親候補達の眼が輝く。郭氏の娘さんもこの時ばかりは父親のズボンの陰から顔を出し、魅了された様にココアを見つめていた。


「でも」ユミコ氏が首を傾げた。「あのドラゴン、怒ってませんか」


 八大さんは頷いた。


「その通り、怒っていますよ」

「その通りじゃありません!」


 ユミコ氏は眉を吊り上げた。


「何でそんな事するんですか、可哀想でしょう」


 八大さんは眉をひそめた。


「全くです。可哀想な事ですな」

「じゃあ何で」

「ここで怒らせないと、もっと可哀想な事になるからですよ」

「もっと……可哀想な事?」


 八大さんは、僕が今まで一度も見た事の無い顔で優しく微笑んだ。


「ドラゴンは怒るもの、怒り狂うもの、怒り狂い暴れ回るものです。それは当たり前すぎる程に当たり前の事なのですが、残念な事に、それを理解せずにドラゴンを飼おうとする人間がたまに居るのです。怒るドラゴンを目の当たりにして恐れおののいてしまい、それ以後愛情を向けなくなってしまう飼い主が。これは悲劇としか言えません。そんな飼い主に飼われてしまったドラゴンの、何と可哀想な事か。私は思うのです、この宿を通して新しい飼い主を見つけられたドラゴンには、決してそんな思いをさせたくないと。ですから皆様には、この怒るドラゴンを見て判断していただきます。怒り、暴れ、火を噴く、そんなドラゴンを飼いたいと本当に思えるのか、そこを考えて頂きたい」

「考えるまでも無い。そんなやわな気持ちで手を上げた訳ではない」


 ニコライ氏は通訳を通じて即答した。


「わ、私もです。絶対に変わらぬ愛情を約束します」


 ユミコ氏も答えた。

 郭氏は娘さんと何やら話している。娘さんはしばらくうつむいていたが、父親が話し終わるとキッと顔を上げ、


「不怕!」


 と叫んだ。郭氏は嬉しそうな困ったような笑顔を見せた。


「恐クナイソウデス」


 八大さんは、パン、と一つ手を打つと、


「結構です。お三方の覚悟はよく解りました。ではしばしお待ちください、主役を連れて参りましょう」


 言うが早いか、軽やかに丘を駆け上がって行った。ココアは怯えて後退りをしたが、八大さんに詰め寄られて観念したかのように頭を下げた。こうしてみると、あそこで火を噴かれた僕は、いろいろ見透かされていたのかなあ、と思う。八大さんがココアに何やら語りかけている。距離があるので話の内容は解らないのだが、ココアがしゅんとしているのはわかった。

 あ、八大さんが降りてきた。ココアも後をついて下りて来る。まさか、ついて来なければ力付くで引きずり下ろすぞ、なんて言ってないだろうな。言ってるかな。言ってそうな気もするな。言ってるんじゃないかなあ。うん、言ってるぞアレは。三人の里親候補の前、触れられる距離にようやく立ったココアは、諦めたようなねたような目で僕らを見つめた。


「さて、ここからが本番です」


 八大さんは言った。


「どうぞ皆さんのドラゴンにかける思いを、このココアにぶつけてください、アピールしてください。ご心配なく、ちゃんと日本語は通じます。そして厳正なる審査の上、このココアが新しい飼い主を選びます」

「ちょっと待て、新しい飼い主はお前が決めるのではないのか」


 ニコライ氏の通訳は、不機嫌そうな雇い主の顔色をうかがいながらその言葉を伝えた。八大さんはニッと笑った。


「私が決める? ご冗談でしょう! 本日ここで決めるのはこのココアの家族です。私の家族ではありません。ならばココアが決めるに決まっています。ご不満ですか」

「不満はありません!」


 ユミコ氏が声を上げた。


「私の名前はユミコ・エバンス、両親の代理でここに来ました。私の両親は二人ともドラゴンが大好き、あなたに会えることを本当に楽しみにしているの、お願い、どうか私と一緒に来て。私達と暮らしましょう」

「私ハ郭同順、台湾カラ来マシタ。アナタノ為ニ、ココヨリ広イ家ヲ建テル用意ガアリマス。静カニ穏ヤカニ暮ラセマス。ドウゾ選ンデクダサイ」


 郭氏も続いた。が、それに被せるようにニコライ氏の通訳が一段声を大きくした。


「ドラゴンは獣の王者だ、それに相応ふさわしい暮らしがある。うちならばそれを与えられる。広い家は当たり前だ、他にお前専用に日本語の通訳を用意しよう」

「通訳ナラウチモ用意デキル。専任ノ調理師モ用意デキル」


 そこにユミコ氏が割って入る。


「私の家なら通訳なんて要らないわ。お父さんもお母さんも日本語が話せるもの。広いお家も用意できるし、外で遊ぶことだってできる。牧場もあるから美味しいご飯も食べ放題よ」


 喧々囂々けんけんごうごうと三人の自己アピールが続く。皆の目はココアに注がれている。でも二つだけ、ココアに向けられていない視線があった。僕と、そしてもう一人。



 その目は父親の顔に向けられていた。いつ自分の方を向いてくれるかと待ちびていた。本当はドラゴンなど、どうでも良かったのかもしれない。人前に出るのは恥ずかしいのに、それでもついて来たのは、あるいは驚いた顔や、強がった台詞も、みな父親の喜ぶ顔が見たかったからだろうか。けれどその父親は、彼女の頭の上で何やらわーわー話している。彼女にとって面白い訳が無い。


「无趣」


 そう言ってズボンを引っ張ってみたが反応が無い。寂しさがつのる。父親に忘れられたような気持ちなのだろう、こんな状況はつまらないとその目が訴えていた。しかし彼女は気が付いたようだ。この空間の中に自分と同じ目をしている者が居る事に。



「さて、そろそろ皆様満足されましたかな」


 十五分も経った頃、八大さんの一言で皆喋るのを止めた。場に倦怠感けんたいかんが漂う。若いユミコ氏はそうでもないが、ニコライ氏、と言うかその通訳氏がクタクタになっていた。


「アピールもその辺で良いでしょう。それでは、ココアに決めて貰いましょう、誰を家族と選ぶのか」


 しん、と静まり返る客室。それまでずっと俯き、ろくにアピールも聞いていなかった様に見えたココアだったが、ふい、と顔を上げた。そして一点を見つめる。じっと見つめる。


「来吧」


 小さな声が聞こえた。ココアは、ととっ、と駆け寄った。そして頭を低くし、愛おしげに顔を擦り付ける。それを郭氏の娘さんが、両手で優しく抱きしめた。


「決定いたしました」


 八大さんはそう宣告した。その瞬間、ニコライ氏は横を向いて何か呟いたようだが、通訳はそれを訳さなかった。しかしその後、前を向いて話した言葉をこう訳した。


「ドラゴンだと思って日本まで来てみたが、どうやらユニコーンだったらしい。今回は諦めよう」

「あら、ユニコーンなら私を選んでくれてもよかったのに」


 ユミコ氏は少しむくれた。けれど。


「ま、仕方ないですね。やるだけの事はやりましたし、私も今回は諦めます」


 そう言うとしゃがんで、ココアの顔を覗き込んだ。


「幸せにおなりね」


 微笑んだユミコ氏に郭氏の娘さんは微笑み返した。

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