第12話 本性

 ぱこーん。僕のおでこが軽い音を立てた。飛び起きた僕の目の前には、プラスチックのメガホンを手にした八大さんが立っていた。


「やあ、おはよう」

「あれ、八大さん? ここ僕の部屋じゃ」

「そうだね、キミの小汚い部屋だね」

「……なんで居るんですか」

「何を言っとるんだねキミは。明日になったら説明すると昨日言っただろう。さっき午前零時を回ったところだよ。だから今から説明するからついて来たまえ」

「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください。明日って明日の朝じゃないんですか」

「誰が朝などと言った。私は明日としか言ってないよ」

「大体、ドアに鍵かかってたでしょう、どうやって入って来たんですか」

「夢と現の狭間の私に鍵などという概念は無い」


 八大さんはニッと笑った。夢と現の狭間。やはりまた来てしまったのか。しかし、何故ここに八大さんがいるのだ。


「あなた、本当に何者なんですか」

「その辺もまとめて説明してあげようというのだ、いいからついて来たまえ」


 僕は渋々立ち上がった。転瞬。次の瞬間、僕達は玄関周りがガラス張りになった、大きな建物の前に居た。


「病院みたいな所ですね」

「病院だからね」


 八大さんは玄関の自動ドアから堂々と入って行った。非常口表示灯だけがともる、暗い一階受付前の待合には人が溢れ返っている。だがここは夢と現の狭間、ここに居る者はみんな眠っている人々なのだ。


「殆どは入院患者だろうね。見たまえ、皆精気が無いだろう。肉体が弱ると精神も弱るという事だ」


 八大さんは僕の心を読んだのだろう、そう言った。その精気の無い人々の間を、八大さんは慣れた足取りで進んで行く。廊下の奥にはエレベーターがあった。


「エレベーター使うんですか」

「使わなくても目的の階には行けるけれどね、ま、雰囲気重視だな」


 エレベーターに乗り込むと、八大さんは七階のボタンを押した。

 七階に着くと、八大さんは目的の病室に真っ直ぐ向かった。ナースステーションのすぐ隣の部屋。ネームプレートには『山田』と書かれ、面会謝絶の札が掛かっているその扉を、八大さんは躊躇ちゅうちょなく引き開けた。

 シャーッ! 鋭く息を吐く音がした。聞きなれた音だ。ドラゴンもよくこの音をさせる。そして炎を吐きかけるのだ。しかしここでは防火服を着る必要は無かった。ベッドの上、顔を包帯でグルグル巻きにされた人物が、寝転びながらこちらを睨み、大きく開いた口から舌を覗かせていた。先が二つに割れた細長い舌を。


「おのれ、ミズチめが」


 息も絶え絶えになりながらも口にしたその言葉、その声には覚えがあった。まさか。


「そう、ここに転がっている死に掛けの男、こいつがあのオロチの正体さ。いや違う、この男の本性があのオロチだと言った方が正しいな」


 八大さんは男――なのだろう――を指さし、ニッと笑った。しかし、そうならば。そうだとするならば、あの青龍は誰だ。


「ついでに言うと、こいつはあのココアの飼い主でもあるし、究明新聞社の社長でもある」


 シャーッ! 男は再びあの音を出した。


「何だい、怒っているのか? それとも驚いているのか? 私がその程度の事を知らなかったとでも思っていたのかな」

「何を、何をしに来た。なぶり者に、しに来た、訳ではあるまい」

「それは私が決める事じゃない」


 八大さんは僕を振り返った。


「キミが決めたまえ」

「へ」

「へ、じゃない。こいつにトドメを刺すかどうか、キミが決めろと言っているのだ。私はそれに従おう」

「いや、ちょっと」

「何、どうせ手を汚すのはキミではないのだ、さっさとトドメを刺す事をお勧めするね」

「いや、いやいやいや、何で僕が」

「何でキミか? 第一に殺されかけたのはキミだろう。報復する権利はキミしか持っていない。第二に、キミはそれを決めて良いだけの存在だからだ」

「どういう、ことだ」


 オロチの正体とされた男が声を上げた。僕も知りたい、本当にどういう事なのだろう。


「自己紹介をしてやりたまえ」


 と八大さんは僕に言った。何を言ってるんだこの人は。この状況で。いや、そもそもイロイロ説明する為に僕をこんな所にまで連れてきたはずじゃなかったのか。それなのに何故僕がここで自己紹介をしなきゃならないんだ。


「いいから。別に趣味や好きな芸能人を教えろと言ってるわけじゃない。名前を教えてやるだけでいいのだ」

「いや、でも」

「名前だけだから、名前だけで済むから。ほれ、名前だけ」

「……奈良……援」


 僕のぼそりとした呟きを聞いた途端、オロチが本性と言われた男は眼をみはり、言葉を失った。


「ちなみに奈良援の援は援助交際の援だ」

「余計な事は言わないでください」


 突然、オロチの男が咳込んだ。口元から血を流している。


「おやおや、畏怖の念が強いと血を吐くのか」


 八大さんは楽しげに見つめている。僕は状況が全く呑み込めずにオロオロするばかりだ。


「う、うぬは」


 オロチの男は八大さんを睨み付けている。


「うぬは、ただの龍では、あるまい、その、うぬが従う者が、名をナラエンと言う……うぬは……うぬは……ナーガラージャなのか」

「昔の話だな」


 そしてオロチの男は、次に僕を見つめた。


「この、男が、この、ナラエンが、こんな東の端の、島国にまで、うぬがやって来た、理由だというのか」

「ま、そういう事だ。わかったかな」


 僕は全然わからない。僕の名前が一体何だと言うのだ。ナーガラージャって何だ。


「キミは宗教には興味が無い様だからね、ピンと来ないのも仕方ないが、自分自身の本性くらいは知っておいても罰は当たらんと思うがどうかね」


 八大さんは興味深げに僕を顔を見つめた。


「本性って、どういう事ですか」

「那羅延天という神が居るのさ、仏教にはね」

「ならえん…てん」


 何だろう、このざらりとした感じは。


「初めて聞く名だろう?それも仕方ない、日本ではあまり有名な神様じゃないしね。弁財天や毘沙門天の方が遥かに有名だったりするからキミが知らなくてもやむを得んことではあるが、こいつはなかなか大した神なのだ。まあザックリ言ってしまえば、インド神話のヴィシュヌが仏教に取り入れられた姿の事を那羅延天というのだが」

 ザックリ言い過ぎではないか。さっぱり意味が解らない。

「その那羅延天が、僕に何の関係があるんですか。たまたま名前が似てるだけですよね」

「名は体を表すと言うだろう。今のキミのその姿は那羅延天のアバターの一つなのだよ」

「アバター……」

「アバターと言ってしまうとまた誤解を生じるかもしれないが、要するに、この時代この場所を選んで、那羅延天はキミという人間として転生したって事さ」

「僕が、神?」


 思わず鼻先で笑ってしまいそうになる。僕の正体がよりにもよって神だなどと。


「いやキミは人間さ。私が人間であるようにね。しかしその本性は違うという事だ。でもこの辺は無理に理解する必要は無い。わかる時にはわかるだろうから」


 わかる時にはわかると言われても、そのわかる時がいつ来るのか。永遠に来ない気がする。殺されかけた時にはこれっぽっちも浮かばなかった過去の色々な出来事が走馬灯の様に思い出され、様々な感情が呼び起こされた。自分の本性が神だと言うのなら、その持てる力の何パーセントかでも使えたなら、あの時に辛い思いをする事は無かったろう、あの時に惨めな思いをする事も無かったろうと、文句を言いたい気分になる。


「文句なら自分自身に言いたまえ。全てはキミの選択の結果だろう」


 それは全く八大さんの言う通りではある。だがその時の僕は知らなかった。自分が神である可能性など毛の先程も考えたことが無かった。もしその可能性を考える事ができたなら、選択肢だって増えていたはずだ。


「選択肢など増えた所で、キミの選ぶ答に違いが出たとも思えんがね」

「そんな事は」


 そんな事は無い、はずだ。


「ならば、その選択肢が増えた今のキミとして選択してみたまえ。このオロチにトドメを刺すのか刺さないのか、それとも他に選ぶべき答があるのか」



「手負いの蛇は祟るぞ」


 八大さんにはそう言われたが、結局僕はトドメを刺さない事を選んだ。殺されかけた事を忘れた訳では無いし、許した訳でもないのだが、いかに本性が多頭の大蛇であろうと、人の姿をした者を殺す事を認める気にはならなかった。いや、決して死刑廃止論者とかではないのだが、やはりいざ生殺与奪の権を自分の手に握ってしまうと、どうしても腰が引けてしまう。勇気が無いのだろうな、とは思う。

 自分の本性が神である、という事については、まだ半信半疑だ。半分信用しているとは言ってもそれは積極的なものではなく、そこまでして僕を騙して何になるのだろう、という意味で、より正確な割合で言うなら二割(消極的な)信用、八割疑い、って感じだろうか。ただもし本当に僕が神なら、と考えると納得できる事もある。

 八大さんによると、インド神話ではガルーダはヴィシュヌの乗り物であったらしい。その関係は仏教に取り入れられても続き、迦楼羅天は那羅延天の乗り物であるとのこと。僕の本性が那羅延天ならば、迦楼羅が僕の言う事を聞いてアフリカまで飛んでくれたことも理解できるのだ。そして。

『我が主まで殺すつもりですか、この愚か者!』

 あの時のあの言葉も。けれど。けれどなあ。それをそのまま受け入れる、というのはやはりちょっと抵抗がある。

 自分が神様ならいいな、神様だったら嬉しいな、って気持ちは正直ある。けれども、自分の事は自分が一番良く知っている、そのつもりである。自分の人生を振り返って、神様に相応しい経歴を生きてきたのかと言えば、全くそうではないのだ。それはきっと世間の大半の人々がそうであろうと思うが、思い出したい記憶より思い出したくない記憶の方が、頭に残っている分は多いのである。そんな平凡な、もしくはそれ以下な者が神様ってどうよ、というのが正直な感想だ。

 それに本性が神様だからといって、神様の力をバンバン自由に使えるというわけでもないらしい。その辺も含めて、病院から一度僕の部屋に戻って更に八大さんに尋ねたりもしたのだが、今一つ良くわからない。全ては僕の本性である那羅延天の意志だと言うのだが、僕はそんな意志に覚えはないし、そもそも本性って何だ。結局そのレベルからわからないんだから、説明を聞いてもわかるはずがないのである。

 あ、本性といえば、八大さんの本性はやはりあの青龍なのだろうか。それを聞かなきゃいけなかったのに、自分自身の事でイッパイイッパイになってしまって聞くのを忘れてしまった。あれ。忘れたと言えば、他にも何か聞かなきゃいけなかった事があったような気がするんだが。何だっけ、ああ思い出せない。頭が疲れている。朝まであと何時間あるのだろう、そう長くはないと思うが、とりあえず眠ろう。もうくたくたに草臥れてしまった。    



 本当に幸いな事に、それから数時間、僕の眠りを妨げる者は誰も居なかった。時間こそ短かったものの、久しぶりにぐっすり眠れ、爽快な朝を迎えた。ただいつもより一時間程余計に眠ってしまっていたが。


「遅刻だーっ!」


 叫んで時間が巻き戻る訳でもないのだが、叫ばずにはいられない。まあ今日も客室には誰も居ないので、僕が遅れたからと言って仕事に支障が出る訳ではない。しかし、これは性分というやつだ、仕方ない。僕は慌てて服を着ると、朝食もらずアパートを走り出た。バス停まで走る。

 いつもなら途中のコンビニで昼の弁当を買ってから出勤するのだが、今日はそんな余裕はない。事務所で出前でも取るしかないだろう。バス停が見えてきた。丁度バスが止まった所だ。うおおおお、猛然とダッシュする。一度ドアが閉まりかけた所に滑り込んでなんとかバスに乗せてもらい、僕はようやくホッと一息ついた。

 バスが走り出す。窓の外、後ろへと流れて行くバス停が視界から消え去ろうとした瞬間、その隣に誰かが立っているのに気付いた。人ではなかった。銅像であった。あ、っと思った時にはもう、その姿は消えていた。僕はようやく思い出した。八大さんに聞かなければならなかった事を。

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