第8話 鎖骨

「はい、『龍のお宿 みなかみ』です」

 八大さんは今日も元気に電話に出ている。経営者なんだから、電話番など下の者――僕しか居ないけど――に任せてふんぞり返っていても良さそうなものなのだが、そうしようとはしない。どうやら電話が大好きなのでは、と思ってはいるのだが、確認はしていない。電話好きなんですか、とわざわざ聞くのもアレだからである。などと考えていると、八大さんの営業スマイル的な声音が急にトーンダウンし、何やら荒れだした。


「だーかーら、取材は要らんと言っとるだろうが!あ?あ?えーいうるさい!」


 ガチャ! 受話器を叩きつけた。叩きつける様に切った、ではなく、本当に叩きつけているのだから、初めて見た時にはそりゃ驚いたものだが、今ではもう笑って見ていられる。慣れとは恐ろしい。


「また取材の申し込みですか」


 八大さんは返事の代わりに両腕を振り上げて伸びをした。


「まったく、どいつもこいつも、やれ新聞だテレビだ雑誌だと名前を出せば取材を受け入れるものだと思っているらしい。ああ腹立たしい。何が宣伝になりますよだ。宣伝が必要な仕事かどうか考えてから電話しろ。何が芸能人が伺いますだ。そんな連中よりも珍しい生き物を取り扱っているという事が何故に理解できんのか。何が面白いエピソードはありませんかだ。世の中他人を見ていちいち面白がっている人間ばかりではない!」


 そしてデスクを両手でバン、と叩くと、客室の様子を見てくる、と言って事務所から出て行った。様子を見るも何も、今客室には誰も宿泊していないのだが、まあ要するに頭を冷やしてくる、という事だろう。

 しかし八大さんのマスコミ嫌いは相当なものだ。そうは言いつつも新聞は取っているし、テレビのニュース番組は見ているのだから、たまには取材の一つくらい受け入れてやっても良い様にも思うのだが、頑として受け付けない。何らかの理由もありそうな気はするが、確認はしていない。やはり、マスコミ嫌いなんですか、とわざわざ聞くのはアレだからである。まあ経営者がそういう姿勢なのだから、雇われ平店員としては意見を差し挟む理由も特に無い。

 と、電話がまた鳴った。まさかまたマスコミじゃないだろうな、と思いながら受話器を取ると、仲介業者の萩原さんからだった。



 ワームはイギリスの古い伝承に出て来るドラゴンである。ワームヒルやワーミングフォードなど、今でも地名としてその名を残している。

 特徴は長い事。とにかく細長い。馬と爬虫類を合わせたような細長い頭部に細長い蛇の様な首と胴体、胴体の四隅には短い四本の脚がついて、そして長い長い尾が続く。全長の半分以上は尾だ。

 三停九似には程遠く、たてがみも角も無いのだが、それでもヨーロッパドラゴンと比較すれば、東洋の龍に近いデザインかも知れない。翼が無い部分も似ている。

 伝承の中のワームがどんな姿だったのか本当の所はよく知らないのだけれど、少なくとも現代に創り出されたワームの姿は、龍を意識しているのではないかと見える。三本指なのは案外日本の龍の影響だったりして。全長は十メートル程、寸法的には先般のP助と変わらないサイズだが、細長いだけ体も頭部も小さい。

 客室に入ると真っ直ぐに丘を駆け登り、その頂部にぐるりと体を巻き付けた。まだ不安なのだろう、少し怯えた目でこちらを睨んでいる。


「いやあ助かりました。今日の今日で預かっていただけるとは」


 萩原さんはホッと胸を撫で下ろした。


「いえいえ、こちらこそ空いていたスケジュールが埋まって大助かりですよ」


 八大さんでも話を合わせる事があるのだなあ。小さな発見だ。


「しかし三泊ですが本当に大丈夫ですか、他のお客とバッティングしたりしませんか」

「この先一週間は丸々空いてました。だからメンテの予定を入れようかと思っていたのですがね」

「メンテは急ぎではないのですか」

「その辺は何とでも調整できます。自営業の強みですな」


 八大さんはニッと笑った。この突然の宿泊依頼は、素直に嬉しかったらしい。


「ただ、ちょっとアレでして」


 萩原さんは少し困ったような顔でそう言った。


「自分のクライアントを悪く言いたくはないのですが、この方はいささか勝手と言うか我儘わがままと言うか、そんな所がありまして、ご迷惑をかけるのではないかと思うのですが」


 できればそういう事は先に言って欲しい所なのだが、その辺は萩原さんにも都合も事情もあるのだろう。それに、そもそも今日連絡して今日から預かれと言うような人なのだから、多少はそういう面もあろうと仕事を受ける側も考えなくてはなるまい。八大さんもそう考えているのだろう、


「大丈夫、なんとかなりますよ」


 と、笑顔で胸を張っていた。

 そんな二人の会話を横目に、僕は餌のチェックだ。用意されていたのはドライタイプの汎用ドラゴンフード。主にヨーロッパドラゴンの飼養の為に開発されたと言われているものである。ワームには栄養価が高すぎたりはしないのだろうか。その辺の所はまだ研究途上らしく諸説ある。

 生態の不明な野生動物ならいざ知らず、人間が開発し誕生させた人工ドラゴンの栄養学が研究途上というのも随分とおかしな話なのだが、実際にそうなのだから仕方ない。

 そもそも、野生動物よりも、そしてドラゴンよりも、もっと人的リソースが割かれ、多額の研究費用もつぎ込まれ、データの蓄積も桁違いに多いはずの人間に関する医学・栄養学でさえ、未だに絶対的に確実で普遍的な決定打は出ず、毎年の様に新説が提唱され、何を食べれば何処が良く成るといった俗信や民間療法が幅を利かせ続けているのだ。結局どのドラゴンに何をどのくらい食べさせるのがベストな解答なのかが判明するのは、まだまだ先の事なのかもしれない。だからとりあえず僕の仕事は、飼い主から預かった餌を指定の通りに与える事になる。

 餌場にはバスタブ程もある二つのボウルがある。一つはフード用、もう一つは飲水用だ。場所は丘の麓、洞窟の入り口のすぐ隣になる。P助を始めとしてヨーロッパドラゴンは大抵洞窟で寝起きしてくれるので、この場所に餌を置いておけば間違いは無いのだが、ワームはずっと水の中にひそんでいたり、この子の様に丘の頂上に巻き付いていたりと個体差が激しいので、ここに餌を置いておくだけで良いのだろうかと少し悩む。

 P助のように『飼い主の手からでなければ食べない』といった場合ならば、十中八九放置しておいて構わないのだが、種類が違えば対応も変えざるを得ない。しかもまだ初日である。今の時点で食欲があるかどうかもわかっていないのだ。よし、ここはひとつ。

 僕は人間用の丼にドラゴンフードを山盛りに入れ、丘へと登って行った。勿論防火服姿である。僕が近付いて行くと、ワームはフッフッと鋭い息を吐き、尻尾を鞭の様にくねらせる。だがその尻尾を僕には当てて来ない。人間を攻撃してはいけない、という事は理解しているのだ。


「ココア」


 僕はワームの名を呼んだ。ドラゴンにココアはどうなんだ、という気はしないでもない。どうしてもチョコレート怪獣を思い出してしまうのだが、まあ普段から飼い主がそう呼んでいるのだから、仕方ないっちゃ仕方ない。


「ほらご飯だよ。お腹空いてないかい」


 丼を顔の高さにまで持ち上げて、ココアの頭の側にゆっくりと近付く。ココアは顔を背けて横目でこちらを睨み付けながら、まだフッフッと息を吐いている。だが、ここまで近づいても、尻尾で叩く訳でも無く、火を噴きかけてくる訳でも無い。僕は一層ゆっくりとココアに近付き、顔の横にしゃがむと、そっと丼を置いた。そして今度はゆっくりと立ち上がり、後退あとずさる。

 後ろ脚辺りまで下がった時、ココアはそむけていた顔をこちらに向け、フードの入った丼を見つめた。そして口の先を小さく開くと、ほんの少しだけ、フードをパクリと口に入れた。モグモグ、ゴクリ。顔つきが変わる。自分がいつも食べている餌だと理解したのだろう。二口目は少し大きく口先を開き、丼の中のフードを一気に舐め取った。

 良かった、どうやら食欲は普通にあるらしい。この様子なら餌場のボウルにフードを入れておけば、勝手に食べるようになるだろう。後は環境に慣れるだけだ。よし、それなら下に降りて餌の用意をしようか。僕が背を向けようとした時。

 ふと、視線を感じた。ココアがじっと僕を見ている。まあ気になるのだろう、それは仕方ない事だ。気にせず降りよう。ん? 何だろうあれ。ココアの首元に何か光っている。良く見るとココアの首には細い金属の鎖が巻きつけられ、鎖骨の辺りに丸いガラス玉のような物が付いている。

 ペンダントか。ドラゴンに玉って中に星でもあるのだろうか。ていうか、何でこんな物をドラゴンに着けさせているのだろう。犬をリボンで飾るような感覚なのだろうが、危ないとは思わないのだろうか。何かの拍子に鎖が体に食い込まないとも限らない。

 ちょっと腹が立ったが、だからと言って飼い主の了承も無しに引きちぎって良い訳では無い。いや、そもそも飼い主に文句を付ける筋合いの事でも無いのかもしれない。僕の仕事は――八大さんならともかく――あくまでドラゴンの世話係だ。啓蒙けいもうや啓発ではない。それにドラゴンという大きな一括りについてならともかく、このココアという個体について最も詳しく良く知っているのは、きっとその飼い主だ。ならば、飼い主の行動を無思慮に批判すべきではない。僕は自分の与えられた仕事を一生懸命にやればいいのだ。それでいいのだ。

 疑問に思う部分が無い訳ではない。けれど、今はそうしよう。僕はココアに背を向け、丘を降りた。



 たった二人の職場でも、ホウ・レン・ソウは大事である。


「ふうん、ペンダントねえ」


 八大さんはモニタに映るココアの首元を指さした。


「この辺りかな」

「そうですね、鎖骨の辺りです」

「ほう、ドラゴンに鎖骨がある事を知っているのか、意外だな」

「え、鎖骨ってあるもんじゃないんですか」


 一瞬、気まずい空気が流れた。何故だ。


「……犬や猫には鎖骨は無いんだよ」

「へえ、そうなんですか」

「牛や馬にも無いんだ」

「はあ」

「ワニにも蛇にも無いんだ」

「あー……」

「成程、キミは脊椎せきつい動物には普通、鎖骨がある物だと思い込んでいたんだねえ。ちょっと期待して損をした」


 酷い言われようである。 


「えーっと、じゃアンフィプテールにも鎖骨無いんですか」


 アンフィプテールとは、脚の無い、蛇の体に翼を付けた姿のドラゴンの事だ。


「苦し紛れに面白い所を突いて来るね。でも残念、アンフィプテールには鎖骨があるよ。蛇にそっくりだから無いように思えるだろうが、翼があるからね。背の翼を動かすには肩の骨で支えなきゃならない。そして肩の骨は鎖骨で左右を繋げられなきゃ固定できない。だから翼のあるドラゴンには皆、鎖骨がある。と、言われているね。まあ本当の所、鎖骨と言う骨の存在意義自体はよくわかっていないところもあるのだが、少なくとも翼のある生物代表の鳥類には鎖骨があるからね。鳥の場合は『鎖骨』ではなく『叉骨』と書くけど、とにかく鳥には叉骨があり、あと恐竜からも叉骨は見つかってるし、ドラゴンに鎖骨を持たせない理由が無いのだな。だからある、って言うのが実際の所なのかも知れない。ちなみにワームには翼が無い。だが翼の痕跡を肩の骨に残してある。この辺は開発者の拘りなのだろうね。だから鎖骨がある。要するに、今一般に出回っているドラゴンには全て鎖骨があるということだ」


 モケーレ・ムベンベには鎖骨はあったのだろうか。ふとそんな事が気になった。八大さんはしゃべるだけ喋って満足したのか、再びモニタに目をやった。


「しかしペンダントというのは実によろしくないな。ドラゴンに玉を持たせたい気持ちはわかるが、他の方法を考えるべきだった。鎖で傷つく危険性がある」


 ああ、八大さんもそこは同じことを考えるのだな。ちょっと安心した。


「やっぱりドラゴンに玉っていうのは付き物ですか」

「ドラゴンは財宝を守っているイメージがあるからね、光り物はよく似合うよ。ましてワームだから。如意宝珠を手に持たせたら絵になるだろう」


 如意宝珠というのは、絵画等で龍が手に持っている光る玉の事である。この如意宝珠の力で龍は空を飛んだり、雷雲を呼んだり雨を降らせたり、体を自在に大きくしたり小さくしたりできるのだ(八大さんからの受け売りである)。ワームに如意宝珠が使えるかどうかは知らないが、姿形が龍に似ているのだから、そりゃ絵にはなる。


「でもそれなら、ワームはもっとアジアで人気が出てもよさそうなものですけどね」

「そこが難しい所さ。ワームに龍の真似をさせれば、それなりに様になるだろうけど、所詮は真似だから。やっぱりアジア人は龍そのものを欲しがるよ。龍だって、姿だけならそれこそワームを土台にすればすぐできるだろう。でも龍は空を飛んでナンボのものだからね、永遠に地を這うしかない形だけの龍では商売にならない。それならワイバーンあたりを飛べるようになんとか改良する方が商売的には正しいだろうし、実際その方が早いのではないかな」


 ワイバーンは一度預かった事がある。大きな両翼を持った二足歩行のドラゴンである。英国では紋章としてもよく使われている。とても威厳のある姿をしたドラゴンなのだが、飛べない。伝説上では飛べる事になっているが、実際には重力に勝てないのだ。


「本当に飛べるようになるんでしょうか」

「その辺の所は何らかの技術的な面でのブレイクスルーが必要だとは思うが、可能性はあるよ。ただ問題があるとするなら……」

「するなら?」

「もしワイバーンが自在に空を飛べるような時代がやって来たとして、その時に果たして人間がワイバーンをコントロールできるのかどうか、という事だね」

「脳を直接コントロールするとか、ですか」


 可哀想なモケーレ・ムベンベ。


「力尽くで押さえつけようとするなら、最悪そういう形になるかもしれないね。けれど数が増えれば、その頸木くびきから放たれるものは必ず出て来る。その時にどうするのか。ただ殺処分して行くのか。しかしドラゴンは犬や猫ほど従順でもなければ無力でもない。いずれ誰かがドラゴンと人間との間に立つ事になるだろう」


 意外だった。まさか八大さんがこんな真面目な事を考えていたなんて。単なるドラゴン好きの嫌味な人だと思っていたのだが、思い違いをしていたのかもしれない。


「つまり、八大さんはその『誰か』になるつもりなんですね」

「ん?」

「え」

「なに真顔で恥ずかしい事を言っとるんだ、キミは。そんな時代まで我々が生きている訳は無かろう。寝ぼけてるのかね。とっとと味噌汁で顔でも洗って来たまえ」


 思い違いじゃなかった。

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