第42話 囚われの姫君
「……また近衛たちか。お前達がおかしいのは分かっている」
紫電の瞳、美しかった長い黒髪は今は乱れ、やつれ果てた少女は、牢の奥に繋がれて、しかし尚、毅然として言った。
「殺すなら殺すがいい、この塔内ですら死ねぬこの忌々しい月の力に呪われてしまえ」
おそらく出された食事にいっさい手をつけていないのだろう。
窓がガラスの入っていないただの穴なせいで、風通しが良い。にもかかわらず、牢の手前では朽ちた食糧が異臭を放っており、とても長居はしたくない。こんな所に数ヶ月、彼女は居るのだ。
その様子に慄然としながら、ウィリアムは異臭源にその辺に転がっていた火打石で火を放つ。
いっそう臭いが酷くなるが、それも少しの辛抱だった。
燃やすものを失った炎はほどなく消え、岩でできた壁と床ににこげ痕を残す。
吹き抜ける風に異臭は払われていった。
「焼き殺すのには失敗したようだな」
ルーナは鼻で笑った。
「毒でも無理だったな。さあ、どうやって私を殺す?」
ふふふ、と彼女は昏く笑った。
「……毒入りの食事を召されたのですか……」
その結果食事拒否をしてあの異臭源が発生したのだろうか。
「ああ、苦しかったぞ、さぞ楽しかっただろうな?」
……想像を絶する。
『月陰の王の力は魔法とそうでないものが混じっておる。……魔法属性でないものがルーナ様を守ったのじゃろう』
婆様の声を脳裏で聞きながら、ウィルは果たしてコレは守られたと言えるのだろうかと、狂気の少女を見つめた。
「……ルーナ様、我々はあなたを弑逆しに参ったのではありません……」
果たしてまともに会話できるのかと思いながらウィルは話しかける。
「陛下は今や亡く、偽者がこのような無体なことを。我々が今までお救いに参るに到らず申し開きも……」
「偽者? 偽者だと?」
ルーナは嗤った。
……おそらく彼女は知っているのだ。真実を。
「……そうか、そういうことか」
そして少女は真顔になった。
「偽者の横暴を許したこと、また、私の救出が遅れたことを不問に処す。今すぐ私をここから出して、傲岸不遜なる偽者の下に急げ。ともに貴奴らを掃討せよ」
少女は狂ってなど居なかった。そして恐ろしいほど頭が回った。いや回りすぎる。
『グレン様これは……』
『月陰のカリスマは恐ろしいとだけ言っておこう』
それきり婆の声は途切れた。
はぁ、とウィルはため息をついて、剣を抜いた。
嫌な金属音がして、鋼の格子が無残に切断され、奥に倒れた。
「剣筋が美しくない。それにこちらに倒したりして、私がバラバラ死体になったらどうする」
「その時は月に呪われますよ」
ウィルは肩をすくめて即答した。正直なんだこのかわいげのないクソガキはなどと思っている。
格子だったものは鋭利な切り口を晒していたが、牢には奥行きがあるためルーナにはるか届かない。
魔法の助力もないのに鉄の格子をあっさり斬ったウィルに驚いていたシアン市民たちは、ルーナの言葉に更にぞっとした。
剣筋が美しくないなどと、どうして言えるのだろう。
「しかしまずは湯に入りたい。どうにかなるか?」
少女は切実な様子で言った。食べる以前にそれである。案外かわいいのかもしれなかった。
「……皇居が安全なのかどうか、我々にはまったく分かりません」
ウィルは嘆息する。
「そんなところではなくていい。どこか宿を借りられないだろうか」
「今そんな……」
何をそこまでこだわるのか。
「分かっているのか、これは私を旗印にした戦いなのだろう。私がみすぼらしくてどうする」
……かわいい訳ではなかった。
「それほど構わないのではないかと」
少し気おされながらもウィルは言う。本当に今彼女を外に連れ出してどうこうという暇があるとは思えなかった。
「ウィルさん、あっちの来賓棟へ行けば良いと思われます」
エリディアの言葉にはっとした。部隊長として情けないくらいに頭が回っていない。
身内が、いなくなりすぎて、そして、ルーナの行動原理が把握できない。
「……エリィ、身支度任せて良いか」
「御意」
部下の即答に何だか安心する。
「皆、今はルーナ様の身支度の護衛を。それに何か嫌な予感がする、そのままあっちのグループに合流したい」
「嫌な予感?」
民衆の数人が顔をしかめた。
「……すまん。身内が別方向で死んだ……あっちには皇妃様の偽者がいたそうです」
「……」
一見無表情に見えるウィルに一同押し黙る。彼の口調が、気でも抜けたのかしばらく丁寧語ではなくなっていたこともあり、彼の心中が穏やかでないことは想像に難くない。
そうだ、ここは命がかかった戦いの場所なのだ。いくら戦闘員が頼もしくても──。
「……俺たちは、足手まといにはならないのか」
死人が出たということで非戦闘員達が聞いてくる。彼らの表情は死に怯えたものではない。戦闘員達に対して申し訳なさそうにしているのだった。
「ここで気にしないで下さいって言えたらかっこいいんですけどね」
それはかっこいいかもしれないが、長けた戦士たちほど口にしない
彼らは、魔族が来ようが何があろうが全て守ろうと思えるだけの意志と力を持ってはいたが、万が一を想定しない愚かさは持っていない。
「……ただ、一般市民である貴方たちがいなければ、真実は同じ国民全員に信じてはもらえない可能性があるかもしれません……」
命を覚悟で、ついてきてくれる者はいるのだろうか。
「……あたしたちは見て無いけど、偽者を見た人たちは既に居るってことだよね?」
「……そうですね」
「それだけで充分さ。これは革命でもクーデターでもない。この国の奪還を賭けた戦争だ」
おばちゃんはきりっとした瞳でウィルを射抜いた。
「こんな戦争に民間人は足手まといでしかないかもしれない……けどね、ここで逃げ出しちゃ、いけないとも思うのさ。あんたたちだけに危険な思いをさせて、ぬくぬくはしていられないんだよ」
おばちゃんは懐から庖丁を取り出した。
「自分の身は守れるだけは守るからさ、連れて行ってくれないかねぇ?」
にっ、と彼女は笑った。
魔族相手にそんな包丁などなんの意味も持たない。──けれど。
「おい皆、できるだけ固まって動くぞ。取り乱したほうが死ぬと思え。そして多分、ここから先は地獄だ。耐えられる自信が無い奴は帰ってほしい。無駄死にを彼らに背負わせたくないだろう?」
そう言った彼の名を≪
そして──誰も、帰らなかった。自ら決起して集会を開いていたような連中なのだ。皆一様に護身用に持ってきた武器や武器になりそうなものを取り出していた。
その根性には感心したが──ウィルはますます緊張する。──こんなやつら、絶対に傷つけさせない。
「……わかりました。くれぐれも、お命を優先に」
ウィルはそう言って一礼した。
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