蒼穹に映る月

千里亭希遊

序章 幻影の牡丹雪

 冷たく白い結晶が、ものすごい勢いで空から降りてくる。

 風が全くないせいで、その全てが同じスピードで地面に吸い込まれていく。

 その様子は、まるで雪を内包した透明な固体に、延々と押しつぶされていくような気持ちの悪い感覚をもたらした。

 なにより、ついさっきまで雲ひとつ無い晴天だった。自然現象ではありえないほどの急転だ。しかも、雪が降るには気温が高すぎるというのに、積もり始めてさえいる。

 そんな異常の中、草原に通された街道を行く二人組がいる。

 彼らにとっては変な雪などよりよほど鬱陶うっとうしいものがあった。あとからあとから魔物が襲ってくるのだ。

 無表情にそれらを斬って捨てながら、男性は相方に話しかけた。

「わけがわからん……このへんの町に何か起きてなきゃいいんだが」

 彼は髪から目から色が無い。それは白ではなく、本当のだった。

「≪ネットワーク≫上ではでしょう?」

 相方の女性の返答を聞いた彼は、左耳のピアスを介して閲覧できる情報媒体にさらっと意識を向け、げんなりした。

「そうだな……じゃあ標的は俺らだけってわけだ」

「でしょうね」

 言うが早いか、彼は急激に方向転換した。降り積もったばかりの雪が激しく蹴散らされていく。その、弾け飛んだ雪が地面に落ちるよりも早く、彼は気合の声とともに大きく剣を横に薙いだ。

「ハァッ!」

 剣がもたらしたのは斬撃だけではない。真空の刃が追ってくる魔物たちをズタズタに引き裂く。断末魔の声とともに魔物たちは塵と化して消えていく。同時に虹色の光がふわふわと拡散していった。

 身体からだは地に還り、魂は天に還る。それが魔物というものの鉄則ルールらしい。

 彼は悠長にその現象を見届けはせず、剣を振り切った後はすでに走り出していた。

 連れの彼女に至っては、立ち止まりもせず既に先を走っている──というより浮遊して移動している。追ってくるばかりではなく前や横からも出現する魔物を、表情一つ変えずに魔法で蒸発させながら、彼を置いて行かない程度の速度で宙を滑っているのだった。

 ゆるく波打つセミロングの金髪をサラサラとなびかせながら疾走する彼女に、魔法って便利だよな、と彼は思うが、常に宙に浮いて自在に高速移動し、なおかつ攻撃魔法を連発していられるような魔力容量のある人間がそうそういないのも知っている。

 冒険者ギルドの養成所を驚異の成績で卒業した者にだけ与えられる、最上位の≪濃紫こいむらさき≫のランクを持つ魔法使い。それが彼女である。

 そしてその彼女をうらやんでいる彼にしても、≪濃紫こいむらさき≫のランクを持つ剣士兼魔技師クリエイターだ。容量キャパに差はあれど全てのヒトが魔力を有していると言われる中、魔力容量ゼロにして≪濃紫最上位≫に上り詰めている彼の方がある意味異常なのかもしれない。

「ちまちましてないで出て来いよ、どれだけ魔物に突撃させても無駄だぞ」

 呟きながら彼は、一際大きく宙を薙いで真空の刃を生む。塵と虹色の光があちこちで拡散していった。

 彼の声に応えたものか何なのか、突如、轟音を立て、二人の足元が爆発する。男性の方は完全にはその範囲から逃げきれなかったようで、大きく弾き飛ばされた。地面を転がって勢いを殺しつつ、なんとか立ち上がり、すぐに周囲を注視する。

 雪に土埃まで加わりますます視界が悪くなっているが、妙な気配を発するものが明らかに近くにいるのを彼は捉えた。

 爆発を完全に避けきっていたらしき連れの彼女は、弾き飛ばされた彼のところまで移動してきていた。その碧色の瞳に暗い炎を宿しながら、一方を見つめている。

「……よくもまあのうのうと私たちの前に姿を現したものね」

 彼女の科白せりふに、彼もそこに何が居るのか確信した。

「お前か」

 喉から出た声は思ったよりも静かだった。ただ憎悪の色は濃い。

「火の魔族が雪を降らせるなんて、随分頑張って歓迎してくれるのね」

 今まで襲ってきていた魔物たちはに従っていたのだろう。

 は──高次元精神体である魔族──だった。

「ハ。残念ながらこの結界はお目付け役のもんでね。景色にこだわりでもあるんじゃねーの。酔狂なこった」

 相手が肩をすくめておどけたように言うのを最後まで聞かず、彼女は言い放つ。

「その顔と声で喋るんじゃないわよ」

「話しかけといてそれはないだろう?」

「魔族なら姿形なんてどうとでも変えられるでしょう」

「僕はが気に入ってるんだよ」

 魔族のその科白せりふは、二人を逆撫でした。

「ひとつだけ気に入らない点があるとすれば──……」

 その魔族が歩み寄ってきたからか、あるいは粉塵や雪が晴れてきたからか、その姿がはっきりしてくる。

 すらりとした長身、ワインレッドの髪と瞳、少年の雰囲気がまだ色濃く残っている青年だ。端正で整った顔立ちをしているが、右目周辺が痛々しい火傷の痕に覆われている。

「お前らのせいでついたこの火傷だ!」

 飄々としていた雰囲気を一転させ、そう絶叫した魔族からすさまじい熱気が発せられる。

 だが二人はそれを難なく避けた。

「あぁ、忌々しい。思い出しただけでも腹立たしい。せっかくの僕のお気に入りの顔に、よくも、よくも……」

 顔の右半分を抑えながら、突然かくかくとマリオネットのようなおかしな動きを始める魔族。

「お前らなんか、消えろよ、消えてしまえ。──あぁもう消す!!」

 関節がどうなっているのか分からないような動きを見せていたかと思うと、急にしゃっきりと背筋を伸ばして二人のほうに両手のひらを突き出した。

「消えろあぁぁあ!!!」

 赤い光が手のひらに収束していく。けれど予備動作が大きすぎるし長すぎる。避けることなど難しいことではない。

 赤い光は二人の間をただすり抜け、遥か後方の雪を爆散させるのみ。

 ──が。

 ふいに何かが二人の全身に巻きついた。つたのように細いがびくともしない。それは、ほのかに黒い光を放っていた。

 前触れも何もなく拘束されたことに驚くようないとますら与えられない。二人の足元から吹き上がる青い光。それはその場に留まらず辺り一体を包み込む。

 そして……。

「……横取りしないでくれるかな?」

 わなわなと震えて、信じられないという顔をしながら、赤い魔族が訴える。

 そこには既に二人の姿などなく、雪も草もない土がただ陽のもとに晒されていた。

「お前のやり方は無駄が多すぎる」

 姿は見えず、声、いや、意思だけが返事をくれる。

「……酷い……酷い……この火傷の報復はこの手でとあれだけ言ったのに……」

 顔に両手を当ててかくかくと奇妙な動きを始める赤い魔族。

「私情などくだらない」

 相変わらず意思だけが伝わってきたかと思えば、同族であるはずの赤い魔族にすらその相手の消息は全く辿れなくなった。

 同時に景色ががらりと変わる。

 濃い青の空が広がり、積もっていた雪も完全に消え去っていた。

「……くそ、くそ……雪なんて足止めにもなりゃしなかったじゃないか……最後の最後だけ持って行きやがって……!!」

 グルォォォォオオオ!!

 赤い魔族は一声の咆哮を残して消えた。

 晩秋の草原では、何事もなかったかのように、枯れ草が風に揺れていた。

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