霜月

『俺に、今週一週間を下さい』

真っ白な世界にいる彼は、ただひたすらにそれを願い続け、その思いは書類となってサラスの元へとやってきた。


激動の神在月が終わり、時は霜月となっていた。前の日に出雲から戻ってきたサラスは、気合いを入れる為に頬を叩いた。


「よし!これからまた頑張るぞ!」


書類に手をつけたサラスは、一枚一枚を丁寧に見ていく。


「『逆上がりが出来るようになりたい』か……小学生くらいかな?こっちは『ピーマンが食べられるようになりたい』」


どうやらこの日は、小学生くらいの子供からの願いが多いようだ。

そんな事を思いながら一番最後の書類を見たサラスは、目を瞬かせた。


「『俺に、今週一週間を下さい』?」


その字も小学生くらいのようだった。だが、決定的に違うのはその書類から感じる気持ちだ。


「なんだかすごく、切実……」


触れているだけで、切なく、苦しく、そして焦っている感情が流れ込んでくる。


「……分かった。君の願い、叶えてあげる」


そしてサラスは、下界へと向かった。


「またここだ」


導かれてやってきたのは、ミホが出産した思い出深い病院だ。


「さて、この願いを書いてくれた『彼』はどこにいるのかな?」


サラスは病院内に入ると、「あれ?」と呟いた。


「……こっち?」


自然と足が進む。広くて複雑な病院を、サラスは自分の勘だけを頼りに歩いていく。

そして着いたのは、『ハヤカワ コウスケ』と書かれた病室の前。

どうやって中に入ろうかと思案していると、いきなり目の前のドアが開き、看護師らしき人が足早に去っていく。それと入れ違いにサラスは中に入った。

カーテンが閉まっているベッドに近付き、そっと中を覗き込む。


「……君が、『ハヤカワコウスケ』?」


ベッドには青色のニット帽を被り、酸素マスクを付けて横たわる少年がいた。

今にもベッドに吸い込まれてしまいそうなその肌は血色が悪く、目は固く閉ざされている。


「……君が願いを叶えて欲しい子なの?」


苦しそうな表情から一変しない顔を覗き込みながら、サラスはベッドサイドに座った。

それからずっと待ち続けていると、今度はコウスケよりもさらに小さい少女が現れた。


「……お兄ちゃん」


一言そう呟くと、大きくてくりくりとした目から涙が溢れ始めた。


「お兄ちゃん、起きて。サチとお話ししようよ……」


泣きながら訴え続けてしばらくすると、少年の手がピクッと動き、目が薄く開いた。


「……サチ……」

「お兄ちゃん」

「……なんだよ、また来てたの?」

「だってお兄ちゃんに、会いたかった……」


点滴と繋がる腕をゆらりと伸ばし、コウスケはサチの頬に触れた。


「泣くな」

「だって……」

「大丈夫。俺は大丈夫だから……泣くな……」


止まる事を知らないサチの涙は、コウスケの白い腕を伝っていく。

サチはしばらくそうしていると、可愛いキャラクターが描かれたカバンに手を伸ばし、中から一冊のノートを取り出した。


「これ、お兄ちゃんに頼まれたノート」


そのノートには『日記』と書かれている。


「中身、見てないだろうな?」

「みっ、見てないよ!」


サチはぶんぶんと両手を振って、時計を見た。


「お兄ちゃん、サチ……もう帰らなきゃ。パパに怒られる……」

「……ああ、そうだな」


コウスケはサチの頭に手を乗せて、くしゃっと撫でた。


「じゃあな」

「……うん。明日も来るね」


サチはパタパタと病室を出て行った。


「……」


コウスケはサチが持って来たノートを引き出しに仕舞うと、布団を引き上げてまた目を閉じた。





上界へと戻ってきたサラスは、自分の部屋を行ったり来たりしていた。


「一週間下さいって、どういう意味なんだろう?人間が平等に生きている一週間を、コウスケ君だけの時間にするって事?」


うーん、と頭を悩ませ続けて、サラスは大きくため息を吐いた。


「ダメだ。……ウズメ様に聞いてみよう」


サラスはウズメの部屋に向かい、声をかけた。


「ウズメ様。失礼しても良いですか?」

「どうぞ」


中に入ると、ウズメは黙々と仕事をしている最中だった。


「お仕事中すみません。少し、聞きたい事があって……」

「いいですよ。今、仕事に区切りがついたので」


ウズメは書類を置くと、微笑んだ。


「どうしたのですか?」

「あの、ウズメ様。『一週間下さい』って、どんな意味に捉えますか?」

「一週間?」

「はい。小学生の少年から、そういった願いが届けられていて……」


と、サラスは今日見たものの話をし始めた。

話が終わると、ウズメは目を伏せた。


「……そうですか。その少年から、願いが届いたのですね」

「そうです。でもその願い、他の子供達とは違うんです。切実で、辛そうで……叶えてあげたくて」

「……」


ウズメはしばらく押し黙ったあと、口を開いた。


「サラス」

「は、はい」

「その少年の真意を探りなさい」

「……え?」

「その少年の真意を知るのです。なぜあんな願いをしたのか、なぜ一週間欲しいのか、その使い道は?それを知る事が出来たら、その願いを叶えて下さる神様を紹介してあげましょう」

「でも、分からなかったら……」

「『誰でも救える神様になりたい』のでしょう?」


その言葉に後押しされ、サラスは頷いた。

次の日は、サラスは朝からコウスケの病室に入り浸っていた。『真意を知る』といっても、時間はかけられない。なにせ彼の願いは『今週一週間』なのだ。つまり、


「コウスケ君の中で、今週一週間って事はもちろん『今日』もその一週間にカウントされてるって事だよね……急がなきゃ」


そう思いながら、コウスケの側に座っていると、コウスケが引き出しに手を伸ばした。取り出したのは、昨日のノートだった。


「『俺の闘病日記』……?」


大きくそう書かれている1ページ目から、文字がびっしりと書かれている。コウスケに申し訳なく思いながら、サラスは横から中身を覗き込んだ。


『小児がんって言われた。なんだよ、それ。なんで俺なんだよ。ふざけんなよ』


そんな言葉が無数に続く。

そしてそれが、途切れた瞬間がやってきた。


『俺って、いつまで生きられる?』


その短い文章から、漠然とした不安が漂ってくる。その言葉が書かれていたのは2日前の事で、それからは何も書かれていない。

パタン、と音を立ててノートを閉じると、コウスケは乱暴にノートを仕舞った。


「お兄ちゃん……?」


扉から覗いたのは、青い顔をしたサチだった。


「サチ……」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「……なんで?」

「お兄ちゃん、泣きそうだったから……」

「……泣かねえよ。なんで俺が泣くんだよ」

「……そっか」


サチの方がよっぽど泣きそうな顔をしながら、サチは手に持っていた袋を差し出した。


「これ、リンゴ。……パパとママが、持って行きなさいって言ったから持ってきた」

「……」


コウスケは黙って受け取ると、脇に置いた。


「お兄ちゃん、あのね」

「……なんだよ」


サチはしばらく黙ったあと、ふるふると頭を振った。


「な、なんでもない……」

「ならいいけどさ。……サチ、お前もう帰る時間だろ?」

「うん……」

「じゃあ早く帰れ。気をつけろよ」

「……りたくない」

「ん?」

「帰りたくない」

「……なんで」

「お兄ちゃんがいないおうちに、帰りたくない」


小さな妹が懸命にそう言うのを、コウスケは直視できないように後ろを向いた。


「……なに言ってんだよ。パパとママは、優しいじゃんか。俺がいなくても寂しくないだろ」

「でも、お兄ちゃんに会ってくれないもん!」

「……」

「サチには優しいけど、お兄ちゃんの病院には一回も来てくれないじゃんか!」


叫ぶサチの目から、とうとう涙が流れ出した。


「サチ、あのおうちは嫌だ!」

「……わがまま言うなよ」

「嫌だもん!帰りたくないもん!」

「サチ」

「本当のパパとママに逢いたい……っ」

「本当の、パパとママ……?」


サラスは首を傾げた。


「……何度も言ってるだろ。パパとママは、もういない。今は、あの人達がお前のパパとママだ」

「でもサチは嫌だもん!お兄ちゃんは嫌だなって思わないの!?サチばっかりいい子だねって言われるの、嫌じゃないの!?パパとママに、逢いたくないの!?」

「サチ」

「……!」


サチに後ろ姿を向けていたコウスケが振り返った。


「もう、許して……」


コウスケの目からは、ポロポロと涙が溢れていた。

コウスケの言う『一週間』は、2日目を終えようとしていた。






翌日もサラスはコウスケの元にいた。

どうやら、コウスケは複雑な家庭環境であるようだが、それが一週間欲しい理由なのかは分からなかった。


「コウスケ君、入るね」


やって来たのは、コウスケの主治医と看護師だった。


「調子はどうかな?」

「いつもよりは、だいぶ良いです」

「そっか。それは良かった」

「あの、先生」

「ん?何かな?」

「俺、今日だけでいいから外に出ちゃダメですか?」

「……うーん、それは少し難しいかな」

「ですよね……」

「どうして外に出たいのかな?」

「……少し、買いたい物があって」

「そっか……」

「大事な物なんです。だから、外に出たかったんですけど……やっぱりダメですか?」

「ごめんね。こればっかりは……」

「……そうですか。分かりました」


コウスケは調子が良いと言いながらも、話し終えると疲れたようにベッドに横になった。息も荒い。

主治医はそれを悲しそうに見た後、看護師とともに外へ出て行き、サラスもその後を追った。


「コウスケ君、辛そうですね」

「ああ。そうだね」

「……コウスケ君のご両親は、本当に一度も病院へは来ないつもりでしょうか」

「どうだろう。……でも、余命宣告をしたのに来ないというのは、困ったね」

「余命宣告、コウスケ君にはしない方がやっぱりいいですよね……」

「大人でも受け止めきれない余命宣告が、彼に受け止められると思うか?彼はまだ小学6年生だぞ」

「……」

「『今週一週間生きられるかどうか』なんて、彼には言えない」

「……今週、一週間……」


人間って、そんなに弱いのか。まだ小学生なのに。まだまだ生きなきゃいけないのに。

やるせなさが、サラスの心を支配していく。






コウスケが一週間欲しい理由が分からないまま、4日目に突入した。

それと同時に、コウスケの寿命が刻一刻と短くなってゆく。


「早く、コウスケ君の真意を調べないと……」


焦りながら病室へ行くと、コウスケは珍しく体を起こして、机に向かっている。

後ろから覗き込むと、何かの絵を描いているようだった。


「……洋服?」


それは、淡いピンク色のワンピースだった。サイズや襟の形まで書かれていて、現実に存在しそうだ。

しばらく描くと、満足そうに次のページに移る。ページを捲ると、今度はヒールのある靴が描かれている。それもピンク色で、艶やかに輝いている。


「上手……」


とても小学生が描いているとは思えない程上手い。

そのとき、サチがやって来た。


「お兄ちゃん」


コウスケは慌ててスケッチブックを仕舞うと、いつもの様に横になった。


「何してたの?」

「別に」

「ふうん……」


サチはぶっきらぼうな兄を一瞥すると、横に座って学校で起こった出来事を話し始めた。

その光景を微笑ましく思いながら、サラスは壁に掛かっているカレンダーを見た。


「もう、時間がない……」


『死にたくない』でもなく『将来の夢』でもなく、死を目前にしたコウスケが願ったのは『一週間』だけ。そんな願いも叶えられないのか……と拳を握りしめて棚の上を見た時、ふとサラスは気付いた。

日記が開かれている。日付けは、今週の土曜日。


「なんで土曜日?まだ、土曜日じゃないのに…」


そしてサラスは、目を見開いた。

タイトルは『サチの誕生日』


ハッとした。頭の中で、今までの出来事が繋がってゆく。

サラスは病室を飛び出した。




「ウズメ様!!」


ウズメは、駆け込んできたサラスが来るのが、まるで最初から分かっていたかのように静かに待っていた。


「私、分かりました。コウスケ君があんな願い事をした意味」

「……聞きましょう」

「コウスケ君、今週一週間だけでいいから、生きたかったんです」

「その理由は?」

「今週の土曜日にある、サチちゃんの誕生日を祝う為です。……多分彼は、自分の余命がもう幾ばくもない事を分かってます」

「……」

「『今週一週間生きられるかどうか』なんて、彼にとってはそんな不確実なことでは困るんです。……最期だから。まだ小さい妹の為に、祝ってあげたいから」

「……」

「これが彼の本当の気持ちです。だからどうか、お願いです!この願いを叶えられる神様を私に紹介して下さい!願いを、叶えてあげたいんです……!」


サラスは懸命に頭を下げた。

ウズメはしばらく黙っていたが、ふっと軽く息を吐いた。


「……分かりました。紹介しましょう」

「ありがとうございます!」






数時間後、サラスはとある神様と対峙していた。


「お願いします、クロノス様。彼の願いを、叶えてやっては下さいませんか」


頭を下げている相手は、時を司る神であるクロノスだ。


「分かった。叶えてやろう。……全く、ウズメも久しぶりに連絡をしてきたと思えば、内容は仕事か……」

「クロノス様、ウズメ様とはお知り合いなのですか?」

「ああ。ずいぶん前に仕事で知り合ってな。……それにしても、あいつは今でも仕事が恋人なのか?」


ハハハッ、と笑うクロノスはずいぶん気前の良い神様のようで、サラスの願いも快諾してくれた。


「それでは、クロノス様。宜しくお願いします!」


快諾してもらった事だし、下界へ行って少しコウスケの様子を見てこよう……としたサラスを、クロノスは「待て」と引き留めた。


「俺も連れて行ってくれないか」

「……へ?」

「その少年の元にだ。ずいぶんと泣かせる話じゃないか。妹の為に一週間生きさせて欲しいだとは」

「……」

「その誕生日の日に俺を連れて行ってくれ。その少年、少しこの目で見てみたい」

「……分かりました。行きましょう」






そして迎えた誕生日の日。

クロノスを連れて病院へ行くと、病院内はどこかザワザワとしていた。そのざわつきは、コウスケの病室に近付く程に強くなる。無意識のうちにサラスは足早になっていた。


「コウスケ君!」


目の前に広がる光景に、サラスは思わず顔を覆いたくなった。

バタバタとしている主治医や看護師。より増えたチューブ。……泣き叫ぶ、サチ。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!!起きてよ!死んじゃ嫌だよ!」

「コウスケ君、しっかりするんだ!サチちゃんを置いていくつもりか!?」


サラスは血の気が引いていくのを感じながら、クロノスを振り返った。


「クロノス様……一週間、彼の時間を一週間引き伸ばしてくれたのではなかったのですか!?」


なぜ、どうして……!とクロノスを揺する。

その時、少し場の空気が変わったのが分かり、コウスケの方を見る。


「お兄ちゃん……!」


コウスケが、薄っすらと目を開けていた。


「サ、チ……」

「お兄ちゃん、大丈夫!?」

「サチ……引き出し、引き出しを、開けろ……」

「引き出し?」


困惑しながら、サチが引き出しを開けた。


「お兄ちゃん、これ……」


サチが中から取り出したのは、赤いリボンがかかったスケッチブックだった。


「これ、お兄ちゃんが大事にしてたスケッチブックじゃないの?」

「それ、サチに、やる……」

「えっ?」

「それ、開けろ……」

「う、うん」


言われるがまま、サチはスケッチブックを開いた。

そして、目を見開いた。


「お兄ちゃん」


中身は全て、洋服やお菓子などが描かれていた。中には、サラスが見たワンピースや靴もあるようだ。


「サチ……誕生日、おめでと……」

「お兄ちゃん……!」


息も絶え絶えになった兄に抱き付いてぼろぼろと泣くサチを、コウスケは弱々しく抱きしめた。


「ごめんな」


そしてふっと、目が閉じられた。

ピーツという無機質な機械音が、病室に鳴り響いた。


「嫌だ!!お願いだから、サチを置いていかないで……!」


サチのそんな泣き声が、いつまでもサラスの耳からこびりついて離れなかった。

コウスケ達の両親がやって来たのは、それからすぐの事だった。

看護師に付き添われて廊下で丸まっているサチを、両親は痛々しそうに見た。

やって来た気配を感じたのか、サチがむくっと頭を起こした。


「サチちゃん……」

「どうして?」

「え?」

「どうして今来たの?」


サチの冷たい一言に、両親は立ち竦んでいた。

サチの言葉には、サラスも同じ気持ちだった。コウスケの事を何とも思っていなかったから、だからずっと放っておいたのだから、だったら最後まで、コウスケのいた気配が残る病院に来ないで欲しかった。


「ごめんなさい……」


母親がぽつりとそう言って、一筋の涙を流した。その涙に触発されたように、サチが怒鳴る。


「お兄ちゃんの事が嫌いだったから、今まで病院に来なかったくせに!そんなに嫌だったなら、パパとママが死んだ時、サチとお兄ちゃんを引き取ってくれなくても良かったのに!!」

「違うんだ、サチちゃん。それは違う」


父親が弱々しく首をふった。


「僕達は、決して君達の事を嫌っていた訳じゃない」

「ウソつき!じゃあどうしてお兄ちゃんの事、放っておいたの!?」

「お見舞いになんて、来られなかったんだ……」


父親はぽつりぽつりと、話し始めた。


「君達のパパは僕のお兄さんだったんだ。小さい頃からやんちゃで、でもそれ以上に優しくて……大好きだったんだ。そのお兄さんが死んだと聞いた時、真っ先に君達の事を引き取ろうと考えた。絶対に僕達が守ってあげようと。なのにいざコウスケ君が病気になった時、苦しんでる所なんて直視出来なかった……。それでも一度はお見舞いに行こうと病院に来た時、コウスケ君は言ったんだ」


『俺の側にはいなくていいから、サチの側にいてあげて』


そのコウスケの言葉は確かな温度を持ち、サチを包み込んだ。

サチが地面に崩れ落ちる。その小さく震える少女を、両親が抱きしめた。

それを見届けたサラスとクロノスは、そっと部屋を出た。





「クロノス様、ごめんなさい」


病院を出ていきなり謝ったサラスを、クロノスは笑った。


「何の事だ?」

「一瞬、クロノス様が約束を破ったのかと……疑ってしまいました」

「俺には、時間を与える事は出来ても寿命までは伸ばせない。……あまり力になれず、申し訳ない」

「いいえそんな!私の無理なお願いを聞いてくださっただけでも十分なのです!」


「ありがとう」とクロノスは顔を上げると病院を見上げ、そしてぽつりと呟いた。


「彼は、天国へ行っただろうか」


言葉の端々に悲しみが滲む。


「サラス」

「はい?」

「俺は、人間は小さなものだと思っていた。簡単な事ですぐに戦いになり、すぐに傷付け合い……とてもちっぽけなものだと、そう思っていたのだ」

「……」

「彼は違ったな」


クロノスは空に手をかざした。


「彼のような素晴らしい人間が次世代を担う若者の中に存在するのだとすれば、まだまだ人間というものは、捨てたものではないな」

「……ええ、私もそう思います」

「飛び立った彼は、いつか必ず帰ってくるだろう。それがどんな形であれ」


サラスは病院を振り返った。目を瞑ると、どこからか赤ん坊の産声が聞こえる気がする。


「人の世は、美しい。……そうは思わないか?サラス」


そう言ったクロノスは、曇りの一点もない笑顔だった。

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