第30話

 バートン第十三支社最上階。


 書類が山積みのデスクや、優しく身体を支えてくれるソファーには腰掛けず巨大な窓ガラスの前に立って眼下の世界を見下ろしている。

「そろそろ陽が落ちるか」

 夕刻が迫っている。一番好む時の頃。

「一体誰が、私の前に姿を現すのだろうか」

 非常隔壁を解除し、社内の情報をかく乱し、侵入者のためになるよう操作をした。

「その彼等にしたら、さぞかし腹立たしい事だろうに」

 誰がここに近づいているか、あえて調べないようにしていた。その場合、マゼンダたちに危険が及んでもわからないのだが、元々、自分の暗殺任務を受けた彼女が命を張る必要もない。機を見て脱出しているだろう。そう思った。

「とはいえマゼンダ君か」

 おそらく彼女はウォンにとって誰よりも長い時間を共有したであろう人物ということに思い至って苦笑した。

「つくづくろくでもない人生だ」

 だが、そんな彼女でも生きていて欲しい。心からそう思えた。


「うわっ・・・」

 思わず口元を押さえ辺りを見回す。

「誰が、こんな事を」

 シーラは、明滅する明かりの中で血の海と化した中央管理室に立ち尽くす。

 その元となった人間たちは誰しも人の力では不可能な傷を残して倒れている。中には上半身と下半身が二つに別れた遺体もある。

「うっ!」

 思わず見てしまったことと、その際に吸い込んでしまった鉄錆にも似た血臭に、身体を二つに折って嘔吐する。

『なんで・・・なんでここまで!』

 えづく喉を押さえながら、ひしゃげた戸口に寄りかかる。吐き気はおさまる気配が無い。

「・・・ぅ」

 ここで初めて気付いた。

「ぅ・・・ぁ」

 自分の声ではない。そのことに気付くなり、シーラは顔を上げて声の元を探すために足を踏み出す。しかし、自分の敵である生存者を探してなんになるのか?

『そんな事は考えなくていい!』

 誰かが生きているなら助ける。それは自らの目的と矛盾する事だが、もし、その誰かを見捨てたらきっと自分は自分でなくなる。自分を許せなくなる。

 だから、彼女は、砕けたコンソールの前に倒れる女性を見つけた時、迷わず駆け寄っていた。その胸は軽く上下している。

「大丈夫ですか?」

 真紅のスーツをまとった二十代半ばの美貌は薄い明かりの中でも肌の色を青褪めさせていた。

「・・・様・・私」

「ちょっ・・・聞こえて」

 言いかけたシーラを遮って女性はうめくように呟いた。

「ウォン様……どうか無事で」

 そして、彼女の心臓は鼓動を止めた。


「やあ、最初の来客は君か」

 荒々しい銃弾のノックに耐えられなかった木製の扉が形を失って砕かれる。そして、その硝煙の薄ぐもりの向こうに立つのはジュダル・ミューダース。

「よう、殺しに来たぜ妖精の騎士」

「待っていたよ。首を長くしてね」

「洗って、の間違いじゃねーの?」

 窓の外に向いていたウォンが振り返り、

「させねーよ!」

 何十人もの人々を殺戮してきた銃口が火を吹き、破滅の銃弾がウォンに襲い掛かる。

 そこで思い出したように、銃撃を続けたまま軍服にしまっていたブリットを取り出し噛み砕く。

「っ」

 刹那の時を歪む視界。しかし、それさえ収まれば一時的に先鋭化する反射神経が、人を超えた動きを可能とする強化スーツを扱いこなせる。もっともこのペースで使い続ければ後遺症が残るのかもしれないが、明日の事など構わない復讐者には関係無いことだった。

「俺はお前の全てを破壊し尽くす! お前が俺の全てを奪ったように!」

 何も知らずに裏切られ、何も知らずに殺されていった仲間達。そして、己だけが生かされたという情けの上での現在。

「なんで俺だけなんだよぉぉぉーーー!」

 鳴り響く銃声が唐突に止んだ。止めさせられた。

「舐めんな!」

 硝煙を切って飛来する不可視の刃が幾筋も走るが、ただでさえ発達した反射神経は薬物によって強化されている。そんな彼にとって見えない刃など脅威ではない。

 床を蹴り凄まじい勢いで壁(・)に着地。重力に引かれて落ちるよりも先に、嫌になるほどの白を保ったウォンを確認し、壁を蹴って接近を試みる。

 自分の動きについていけていない。そう判断した上での突撃だ。そして、この化物を殺すために持ち出したトライデントに持ち替えトリガーに指をかけたところで、

「死っ・・・」

 目が合った。

 銃口をウォンから天井に向けてすかさず発砲。尋常ではない音と衝撃に苦悶の声を漏らす。それとほぼ同時にジュダルの金髪が幾本か散り背筋に冷たいものが滲む。

「ほぅ、今のを避けるか」

 感心したような声に苦笑し、着地するなりステップを踏む。

「空中で発砲し方向転換。常識ではありえない方法で必殺を避ける。素晴らしいな」

 ウォンが講釈をたれている間に弾丸を装填。

生血の乾かぬ銃身を小刻みな動きの中で向ける・・・よりも先に足元が脈動したかと思えば絨毯を貫いた何かがジュダルに迫る。それは石の槍だった。

「ジェラをやった時のか!」

 避けられるものだけを避けて避けきれないものは再び持ち替えたヘルズストームで破壊する。だが、後退しながらの銃撃だったため、接近していた距離が再び開いてしまった。

「地面だけではないさ」

 言われたからではなく、猛烈に嫌な予感に襲われたためにその場から飛びのく。そこに降りそそぐ天井からの石槍。それはジュダルの身体を掠めながらヘルズストームを貫き破壊した。

「くそっ!」

 罵声も短く残った破片を投げ捨て、腰に下げていた手榴弾のピンを抜いてウォンの背後へ放った。続けてトライデントを切っ先のように向ける。

 前進するならこの退魔の槍で狙撃すればいいし、手榴弾の爆発を防ぐなら防御力を散らしたEAのシールドを貫けば良い。ジュダルにとっての必殺の瞬間。

「確かに槍の名を持つその銃なら、エレメンターでも防ぐ事はできないだろう」

 しかし、ウォンはどちらの行動も取らなかった。

「なっ!」

 なんと、軽く腕を上げたかと思えば、投げられた手榴弾を掴んだのだ。それを胸の高さ辺りまで下げると微笑んだ。

「さあ、試してみたまえ」

「ウォン、貴様ぁぁぁ!」

 薬が切れていることも忘れて発砲。発射された破壊の意志は狙いを違(たが)えることなくウォンの心臓に突き刺さった。

 短い衝撃と閃光の後、ジュダルは致命的なことに気付いた。

「お前ってさ・・・」

 気軽な口調。しかし、微かに震えていた。

「人じゃないんだろ」

 場所は変わらない。

 人だけが変わっていた。

 正確な所、ウォンだけが変わっていた。

 顔と身体はそのままで、

「ひどい言い様だ。君も充分人を超えている」

「俺は超えてるだけで、胸に大穴開けて平気な顔をしている人外とは違うんだよ」

 言われて彼は身体を見下ろす。

「ふむ」

 空洞だ。完全な空洞だ。バスケットボール大の空洞がウォンの胸に穿たれている。間違いなく即死の傷だ。しかし、それでも彼は立っている。涼しい顔のまま。

「どんな手品を使ったって人間死ぬ時は死ぬ。

心臓がなくなれば即死するし、背骨が吹っ飛んだって即死する。それに、大口径の拳銃なんか掠っただけでも脳震盪や大きな血管破裂させて死ぬことだってある。お前を撃ったのはましてや対物ライフルトライデンとなんだぞ!」

 一息で言って大きく呼吸。

「これで死なないって事は、お前が化物だって事だ。人間名乗りたいなら血を吐き死ねよ」

「スプリガン・・・というモノを知っているかな?」

 血の変わりに言葉を吐く。そして、その間にも失われた肉体は時間を遡(さかのぼ)るかのごとく再生してゆく。

「吸血遊戯時代の化物・・・おとぎ話だな」

 ウォンは頷き、

「事実だ」

「証拠は?」と切り返しライフルに装填。

「見ての通りだと思うが?」

 銃身を上げようとする手が止まった。

「私の字(あざな)は妖精の騎士」

 一度言葉を切って、

「スプリガン・ナイト(妖精の騎士)………現代に羽ばたく妖精の生き残りだ」

『コード・イミテーション起動 兵装制限解除 最大出力へ移行します』


 後はあまりにも一方的だった。

 機を見て必殺の一撃を叩き込んでも、破壊された傍から再生していく。それだけの繰り返し。

 反してジュダルは傷を負えば血が流れ、流れた分だけ命をすり減らしていく。

「・・・・・っ」

 今までの超人的な動きを支えてきた強化スーツも苛烈な攻撃の前に破損箇所が増大し、沈黙しようとしていた。

「………健闘したものだ」

 壁に寄りかかるように倒れるジュダルを見下ろしながらウォンが言う。

「・・・知るかよ」

 全身に致命的な傷を負い、何より血を流しすぎた肉体は死に向かおうとしている。

「君は確かに及ばなかった。しかし、その過程で生まれたものは望みをかなえようとする気高い心だ」

「詭弁だ。俺はお前が殺したかったけど殺せなかった。結果の伴わない過程なんかゴミ屑みたいなもんだ」

 弱々しい声には、それでも殺意が充満している。

「でもな」

 血塗れの青年は俯いていた顔を上げ、ウォンの双眸を射抜く。そして、口の中の何かを噛み砕き、

「気にくわねーからぶん殴ってから死ぬ!」

 叫ぶ、同時にジュダルの身体が最後の気力を振り絞って跳ね上がる。その一瞬、確かに見た気がした。ウォンの形のいい眉が歪み、目を見開いたのを。

「くらえぇぇぇーーーー!」

 右手に突き抜けるような衝撃。

『へッ、やってやったぜ』

 視界は除々(じょじょ)に染まっていく。破滅の黒へ。

 その中でようやくわかった事がある。


 わかったってのは結局の所、復讐しようってのが目的じゃ何にも残らない上に誰も一緒に来てくれないって事だけだ。少なくとも俺はそうだった。

 もし、俺の隣に誰かがいたらこんな事にならなかったかもしれない。だってそうだろ?短い時間しか一緒にいないような人間でも、ひょっとしたら復讐に意味を与えてくれるかもしれないんだ。そして、こんな結末にもならなかったかもしれないし。

 ・・・結局俺は届かなかった。

 でも、後悔なんてしてない。・・・してないはずだ。

 それに、歪んだ形の希望だってある。

 あの魔女にぶん殴られないのは幸いだ。ただ、勿体無い気もしないでもないけど。

 ほんっと相変わらずのご様子で、俺とした事が見惚れちまった。参ったね、女殺しのジュダル君が何年も会ってなかった元上司に、もっかい一目惚れしちまうなんてさ。

 はははっ! 死のーとしてんのに俺もお盛んだ。

 まっ、あの人だったら俺のできなかったことをやってくれるだろうさ。ただ、気がかりなのは一人だったって事だ。俺みたいなことにならないで欲しい。だれでも良いから助けてやってほしい。俺の・・・代わりに。

 ………あいつだったらできるかもな。

 私服はいつも黒づくめで、いつもあの人に遊ばれてたあいつなら。

 なんかむかつくけどまあ良いや。

 さて、そろそろ長い夢でも見るとしますか。

 

 それじゃ、みんなおやすみ

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