蘇る記憶

 熱い……

 息苦しい……

 気がつくと幼い頃の俺が帽子をかぶった男の子の手を引っ張って火事の中、必死に出口を目指して走っていた。

 しかし、一緒に走っていた男の子が転んでしまい頭を打って気絶。

 置いていくわけにもいかずに、幼い俺は男の子を抱き抱えて走ることもできない。

 俺は近くにあった金魚の水槽の水を男の子にぶっかけて、何度も「起きろ! 起きろ!」と叫び続けた。

 叫び疲れた俺は男の子に覆いかぶさるように倒れ込みーー




 目が覚めた。


 「あれは…… 火事の時の夢か……」


 火事の夢を見たせいか、俺は少し汗をかいていた。

 心なしか、体もいつもより温かい。

 特に背中の火傷の傷の辺りが、今まで感じたことのない熱をおびている。

 「ふっ、傷跡が疼いてやがるぜ」と寝転んだまま、厨二病っぽいことを呟いた。


 「おはようございます。 背中…… 痛みますか?」


 なんか、幻聴まで聞こえて……

 それに、背中に何か柔らかくて温かいものが当たっているような感覚が……


 「!?」


 背中を上下に手で優しく摩られた。

 まさか……と思いながら振り返ると、優美と目が合った。

 びっくりした俺はベッドから転がり落ちて、ついでに掛け布団も一緒に落ちてきた。


 「え……?」


 「おはようございます」


 四つん這いで俺のベッドの奥からのそのそと床に落ちた俺に近付いて来ながら、優美は微笑んで本日二度目の挨拶をしてきた。


 「お、おはよう…… なんで、俺のベッドで寝てるの?」


 「昨日あれから部屋で隼人さんのこといろいろ考えてたら眠れなくて…… けど、おかげ様で少し眠れました」


 膝を曲げてベッドにペタンと女の子座りになり、伸びをする仕草に目を奪われる。

 女の子らしい白にピンクのハート模様が入ったパジャマは胸がきついのか二個ほどボタンが開いていて、つい谷間をチラチラと見てしまいそうになる。


 「そういえば、昨日怒って部屋に逃げ帰ったんじゃなかったのか?」


 「突然、好きとか言われて恥ずかしくなっただけで、怒ってないですよ?」


 「怒ってないなら良かった。 一緒に寝るのは恥ずかしくなかったのか?」


 「いつも、一緒に寝ていたので大丈夫ですよ。 それより掛け布団を返してください」


 俺は床に落ちていた掛け布団を拾って、ベッドにいる優美に渡した。


 「あ、悪い…… じゃなくて! なんで、まだ寝ようとしてるの!?」


 「日曜の朝だからですよ。 隼人さんは、日曜もこんなにはやく起きるのですか?」


 ベッドの枕元にある目覚まし時計を見ると、時刻はまだ六時過ぎだった。


 「いや、まだ寝るけど……」


 「遠慮してるんですか? 大丈夫ですよ。 ここは隼人さんのベッドですから遠慮はいりません」 


 優美は布団に潜りこみ、掛け布団の手前側をひらりとめくりあげて「さぁどうぞ」といった感じだ。

 めくりあげられた掛け布団から少し見える寝転んだ優美の体を見て、俺はゴクリと生唾を飲んだ。


 「優美もここで寝るのか……?」


 「ダメですか?」


 「ダメじゃないけど……」


 「迷惑ですか?」


 「迷惑でもないけど……」


 「じゃあ、寒いのではやく中に入ってください!」


 掛け布団をめくりあげていたから寒かったらしい。

 どうして良いかわからずに迷いながら棒立ちしていた俺の手を優美が引っ張って来たので、俺はとりあえずベッドに寝転び、掛け布団をかけた。 


 「お、お邪魔します」


 自分のベッドなのに、こんな言葉を言ってしまった。

 今、俺は優美と同じベッドで同じ布団に包まれていると思うと俺の男の子な部分に血液が集まってしまいそうになる。

 必死に別のことを考えようと思っても、背中に当たる柔らかい感触がそれを許さない。


 「こうしてると小さい頃のことを思い出します」


 優美の汚れのない優しい声色で俺は少しだけ理性を取り戻した。


 「優美はどんな子だったの?」


 「いつもいじめられていた私を助けてくれる男の子がいて、私は彼の背中に隠れてばかりでした。 その男の子には他に仲良しの女の子が二人いて、私と彼を含めた四人でよく遊ぶようになりました。 それからの毎日はとても幸せでした。 でも、ある事がきっかけで私は彼と一緒にいられなくなり母親がいるイギリスに逃げるように引っ越してしまったのです」


 優美の声からは、少しの後悔のような物が伝わってきた。

 気付いたら優美は俺のTシャツの背中の辺りを掴んでいた。


 「日本に帰ってきて、その男の子とは会ってないの?」


 「会ったのですが、私だと気付いてもらえませんでした……」


 優美はとても寂しそうな口振りだ。

 しかし、俺は気の利いた言葉も思い浮かばず会ったことのない男の子を悪者扱いすることにした。


 「こんな銀髪美少女を忘れるとはひどいやつだな」


 後ろで、クスッと優美の笑い声が聞こえて少しホッとした。


 「隼人さんは小さい頃のこと覚えてますか?」


 「仲良かった坊主頭のいつも帽子かぶってた男の子と眼鏡の女の子と美香と俺の四人でよく遊んでたな。 さっきも夢に出てきたんだけど、この男の子がいつもボーとした感じで火事の時も逃げ遅れちゃったりしてな。 けど、なんかほっとけない感じの子で、運動は苦手だったみたいだけど絵を描くのが上手くて俺は彼の描く絵が好きだったからよく、いろいろ描いてもらったりしてたな」


 「その子のこと恨んでますか?」


 「え、なんで?」


 「だって…… その子のせいで火傷して傷跡まで残ってしまったんですよ」


 Tシャツが伸びないか心配になる程、優美の引っ張る力が強くなっていた。


 「全然恨んでないよ。 いつも絵を描いてくれたり仲良くしてくれて俺は嬉しかったし、友達を助けるのは当たり前のことだ」


 「その子の名前覚えてますか……?」


 「えーと…… なんかあだ名で呼んでたんだけど、なんだったかな……」


 「動かないでくださいね」


 そう言うと優美は、俺の背中に手で文字を書き始めた。

 動揺しながらも俺は背中に意識を集中さして優美が書いた文字を口にした。


 「ゆーちゃん」


 口にした瞬間、優美に強く抱きしめられた。


 「なんですか? 忘れん坊のクッキー」


 俺は驚いた。

 優美に抱きしめられたからだけではない。

 クッキーとは俺の小さい頃のあだ名だ。

 いつもクッキーを食べていたからとか、なんかそんな感じのてきとうに付けられたあだ名で、そう呼んでた友達は少なく俺すらもそう呼ばれていたのを忘れかけていた程だ。

 そして、ゆーちゃんとはあの男の子のあだ名だ。


 「なんですか?って…… え……? てか、なんで知ってるの?」


 「知ってますよ。 いえ、覚えています。 私がみんなと違う髪色のせいでいじめられて隼人さんに助けてもらったこと。 二度と髪のことでいじめられないようにとみんなと違うこの銀髪を目立たないぐらい短くして毎日帽子をかぶっていたこと。 仲良くなってから毎日猫や犬や植物などの絵を描いてって頼まれて描くたびに上手いって褒めてくれたこと。 そして、火事で私を助けてくれたこと…… 全部私は覚えています!」


 「え……?」


 「どうして忘れてしまったんですか!?」


 俺を抱きしめる優美の力が強くなる。


 「つまり、優美があの坊主頭で帽子かぶってた男の子なのか?」


 「男の子じゃないです! 私は産まれた時から女の子です!」


 「幼稚園で坊主頭に帽子かぶった子を見たらだいたいみんな男の子だと思うんじゃないかな……」


 「髪を切る前も公園で会ってますよ。 いじめられてたとこを助けてもらいました。 そしてあなたは言ったのです。 髪のことでいじめられてるなら髪を切れば良いと」


 小さい頃の俺、女の子相手に何言ってるんだよ……


 「全く覚えてないけど、なんかすいません……」


 「私を忘れていた罰として昔みたいに手を握って一緒に寝てください」


 「え……?」


 「昔は、よく一緒に手を繋いで寝てくれたじゃないですか」


 俺を抱きしめていた優美の手を優しく握った。

 か細い指は柔らかくすべすべで、強く握ると折れてしまうんじゃないかと思った。


 「なんだか、昔よりドキドキして恥ずかしいです……」


 「離したほうが良いか?」


 「大丈夫です…… 大きくなりましたね」


 しゃべる度に優美の吐息が首筋に当たり、背中には優美の柔らかい部分がずっと当たっている。

 手よりも違う部分が大きくなってしまわないか心配だ。


 「とりあえず、そろそろ寝ようぜ」


 もちろんこんな状況で眠れるとは思わないが、優美が眠ったらゆっくり離れようと思いついたのだ。

 このままだと俺の理性が危ないから優美から離れるにはこれしかないと閃いた名案である。


 「はい、おやすみなさい」


 優美の声は明るかった。

 なんだか、少しホッとしながら寝ているふりだけでもしようと目を閉じた。



 ピンポーン!

 ピンポーン!


 「寝てしまってたのか……」


 気付いたら寝てしまってたみたいで、目を擦りながら時計を見たら昼すぎだった。

 隣では、まだ優美が寝ている。

 寝起きそうそうに、このかわいい寝顔を見れるとは俺は最高に幸せ者だ。


 ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!


 さて、どうしたものか。

 この激しいピンポン連打はおそらく美香だ。

 とりあえず優美に起きてもらわないとどうしようもない……


 ブー、ブー、ブー


 机の上に置いていた携帯が俺のお気に入りのアイドルグループの曲を流しながら激しく動いている。

 着信はもちろん美香だ。

 ピンポン攻撃からの電話攻撃だ。

 今日の美香はスナイパーではなくテロリストスタイルのようだ。

 この激しい音による攻撃とスヤスヤと眠る優美。

 なんだ、これは? どうしてこうなった?

 玄関にいるテロリストも帰る様子はない。

 ちなみに今は電話攻撃からのラインによるスタンプ連打攻撃をしかけられている。

 既読をつけようものなら一気に踏み込んで来るだろう。


 「優美起きてくれ! 敵襲だ!」


 寝ている女の子の体……

 いや、そんなことを考えてる場合ではない!

 俺は優美の体を揺すりながら起きろ! 起きろ!と呼びかける。

 しかし優美は全然起きようとしない。


 「こんなのどうやったら起きるんだ?」


 独り言のように呟く。


 「王子様のキスで目覚めますよ」


 囁くような声で優美がそう言ったが、まだ目は閉じられたまま寝ている様子だ。

 寝言か?

 それにしてはタイミングが良すぎる。

 というより、これはもしかして起きてるんじゃないか? 

 ためしに、俺は優美の頭を撫でてみた。



 なんかめっちゃニヤついている。

 間違いなく起きている。 


 「おい、頼むから起きてくれ」


 「男女が同じベッドで寝たら女の子は男の子がキスするまで目を開けてはいけないんですよ?」


 目を閉じたまま優美がわけわからんことを口にした。

 俺は人差し指と中指をくっつけてまるでキスをするように優美の唇に優しく当てた。


 勘違いした優美が驚いたように体をビクッとさして目を開けた。


 「おはよう」


 「隼人さんの嘘つき!」


 口に当てていた指をおもいっきり噛まれた。

 かなり痛かったが、なんとか優美を起こすことに成功した。


 「さぁ、自分の部屋に帰ってくれ」


 「別の女が来たら私はお払い箱というわけですか?」


 「意味深な言い方するな!」


 「美香さんも部屋にあげるつもりのくせに」


 「あげないよ! 飯を作りに来ただけだから!」


 「じゃあ、私ここにいても問題ないですよね?」


 しまった!?

 また嵌められた。

 優美はどうあってもベッドを動くつもりはないらしい。

 ベッドを占拠している優美もなんだかテロリストのような気がしてきた。


 「わかった。 ただし、条件がある。 絶対に俺の部屋から一階に聞こえるような大きな声を出したりしないでくれ」


 「神に誓います」


 優美が部屋から動かないので俺は諦めて一階に降りてドアを開けた。

 優美を部屋に残して来たからには、美香を絶対に俺の部屋に行かせるわけにはいかない。

 男子高校生が部屋を見られたくないなんて当たり前のことだしなんとかなるだろう。


 「遅い! 何やってたのよ!? 電話にも出ないし、スタンプもいっぱい送ったのに!」


 ぶちギレだ。

 ドアを開けるなりすごい声量で美香が怒鳴ってきた。


 「悪い。 寝てたんだよ」


 冷静を保つ。

 ここで怯んではダメだ。


 「なによ! なんで起きるのこんなに遅いんよ! うちが来る前に起きときなさいよ!」


 美香の怒りを静めるにはどうすれば良いんだ…… 


 「昨日いろいろ考えてたらなかなか眠れなかったんだよ」


 「もしかして、うちが料理作りに来るのが楽しみだったとか……?」


 しめた!

 乗るしかない、このビッグウェーブに!


 「まぁ、その……なんだ…… そんな感じだ」


 嘘はついてない。

 楽しみだったのは本当だ。

 眠れなかった理由は他にもあるが美香が料理を作りに来てくれることを楽しみにしてたのは本当だ。

 込み上げる罪悪感に少しの後悔をしながら俺は自分にそう言い聞かせた。

 俺は最低だ。


 「とりあえず寒いからあがるね」


 「おう。 リビングでテレビでも見ようぜ」


 美香とリビングに行きソファーに座ってテレビをつける。

 昼だけにあんまりおもしろい番組がやっておらずに、美香が見ているという昼ドラを一緒に見ることにした。

 その内容が二股している男がばれてしまって追い込まれるという内容で思わず、冷や汗が首筋を流れ落ちる。

 俺は別にどっちが好きとか二人と付き合っているわけではないが、このドラマには多少の感情移入をしてしまう。


 「あんただったらどっちを選ぶ……?」


 このドラマの二人のヒロインは片方が小さい頃からずっと一緒だった幼なじみだ。

 もう片方のヒロインは、会社でいじめられていたとこを男が助けたのがきっかけらしい。

 今の俺にとってはある意味見ずにはいられないドラマだ。


 「わかんねぇよ」


 今の俺には答えられない。

 美香は昼ドラを見てなんとなく聞いてきただけかもしれないが、今の俺はなぜか真剣に考えてしまって答えることができない。

 中途半端になんとなくで答えてはいけない気がした。


 「うちは、こっちを選ぶと思うな。 偉そうな幼なじみより守ってあげたくなるようなタイプのほうが絶対良いよ」


 美香はどうやら幼なじみじゃない方を支援しているようだ。

 なんだか、ちょっと胸がざわつく。


 「そんなことよりお腹空いたし、昼飯作ろうぜ」 


 逃げてしまった。 

 お腹が空いてるのは本音だが、もう一つの本音は言葉にできず俺は逃げたのだ。

   

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