第7話 京徒

 約四百年前、南蛮の商戦に乗って出島へ流れ込んできた災い──十三体の吸血鬼たち。彼らは、この国に初めて現れた西洋の魔物。古より、この国に住まう妖たちと人間との調和を守ってきた陰陽師集団、《京徒》にとって忌むべき存在。彼らは《始祖》と呼ばれるようになる。

 《始祖》と呼ばれる十三体の吸血鬼たちは、出島から長崎へと忍び込み、人間の血を次々と吸っていった。彼らの牙が持つ摩訶不思議な力によって、血を吸われた人間たちは彼らの同胞──吸血鬼へと変えられ、みるみるうちに、長崎の港町は吸血鬼の巣窟と化していった。

 そんな長崎の不穏な気配をいち早く察知し、彼らの存在に気づいたのが、まだ十代そこそこだった益田四郎。のちに、天草四郎として知られるようになる少年だった。

 類稀なる神通力を持ち、数々の奇跡を起こしてきた四郎は、港町に潜伏していた《始祖》たちの正体を暴き出すと、たった一人で彼らを翻弄し、町から追いやった。

 町を解放した救世主──と人々は四郎を称えたが、実際のところは、初めて遭遇した西洋の魔物に、さすがの四郎も苦戦し、追い払うのがやっとの状況。強大な神通力をもってしても、退治の仕方が分からなければ手の施しようがなかった。

 しかし、そんな四郎の活躍を聞き、一人の男が彼のもとを訪れた。かつて、乗っていた船が難破し、南蛮船に助けられたという過去のある彼は、オランダで学んだ南蛮の術を四郎に伝えた。それは、吸血鬼に対抗できる唯一の手段。吸血鬼の魔力の源である牙を抜く、《抜歯》と呼ばれる術だ。

 四郎は《抜歯》を学ぶと、《始祖》のあとを追いつつ、吸血鬼に変えられて苦しむものたちを集めて匿うようになる。それは、清廉潔白な少年の分け隔てない慈愛と善意からの行いだった。

 ──だが、そんな動きは江戸幕府の無用な警戒を招くこととなる。

 《京徒》の報告で、吸血鬼を集める四郎の動向を知った幕府は、四郎が吸血鬼たちを扇動し、幕府への謀反を目論んでいる、と考えた。そこで、彼と吸血鬼たちを屠るべく、《京徒》の手引きで、幕府は陰陽師の軍勢を送った。のちに、島原天草の乱と知られるそれだ。魔力を奪う陽の光のもと、吸血鬼たちを煮えたぎる源泉に落とし、幕府の軍勢は吸血鬼たちの大半を屠った。


 四郎を救世主とあがめる吸血鬼たちは、せめて彼だけは、と手傷を負った四郎を逃した。


 その後、四郎は幕府から身を隠しつつ、元凶たる《始祖》を捜したが、全国に散らばって同胞を増やし続ける彼らをとうとう捕えることはできなかった。

 彼はその意志を、《抜歯》のノウハウとともに、息子と一部の隠れキリシタンたちに託し、パライソへと旅立った。やがて、江戸幕府の時代も終わり、西洋から宣教師たちがやってくるころになると、天草四郎の意志を継ぐ彼らは、吸血鬼たちの牙を管理する役目から《タンダルツ(歯医者)》と呼ばれるようになる。


 それから、約百年が経ったころのことだ。四郎の願い、吸血鬼へと変えられた人々の救済──それが、天草協定として実現することとなる。

 《京徒》にとって、吸血鬼は南蛮からの侵略者でしかなく、吸血鬼は根絶すべし、というのが《京徒》の方針だった。百年経ってもそれは変わらず、四郎の意志を継ぐ《タンダルツ》とは吸血鬼の処遇をめぐって衝突が絶えなかった。そんな中、《始祖》の血を引く十三の一族の当主たちが《タンダルツ》のもとに訪れた。彼らは吸血鬼の総意として、過去の因縁は水に流し、人間との共存を望むことを告げた。その意思を聞き届け、《タンダルツ》は《京徒》に働きかけた。そして結ばれたのが天草協定だ。


 ただ、この協定は不完全だった。ある重大な要素が抜けていた。──魔女だ。


 生まれながらに膨大な魔力をその血に宿す女たち。血を吸うことで、相手の生気と魔力を奪うという吸血鬼にとって、魔女の血は絶好の『ご馳走』であった。

 魔女の中には、その力で不思議な術を使う者もいれば、魔女としての自覚がないまま過ごす者もいる。どちらにせよ、その血から発せられる魔力を含んだ香りは、吸血鬼たちの鋭敏な嗅覚には、香水のごとく強く芳しい香りとして感じられ、魔女が一滴でも血を流せば、千里離れた吸血鬼をも呼び寄せる、とも言われるほど。

 吸血鬼に噛まれれば、吸血鬼へと変えられてしまう人間とは違い、魔女は吸血鬼に噛みつかれても吸血鬼へと変わることはない。しかし、一度、吸血鬼に見つかってしまえば、魔女は捕らえられ、その血が枯れるまで『ご馳走』として監禁されることとなる。そのため、魔女としての自覚がある魔女は己の正体を隠し、吸血鬼たちに見つからないよう、息を潜めて暮らしていた。

 吸血鬼に怯え、平穏な暮らしを求める魔女たち。それでも、吸血鬼の魔力を高める彼女たちは、《京徒》にとっては吸血鬼と等しく脅威だった。魔女の魔力は、《京徒》を統べる《かぐやの御子》の神通力と同等と言われる。古来より、魔力や神通力が強まる神聖な場所とされる京都は、《かぐやの御子》が張った結界と《京徒》の監視によって守られてきた。《京徒》の許可なくば、どんな妖もその地に足を踏み入れることはできない神聖不可侵の土地、それが《かぐやの御子》が守護する京都だ。


 しかし、その結界も、魔女なら破ることができると考えられている。


 魔女の血を吸い、吸血鬼がそれほどの魔力を手にしてしまったらどうなるか。京の都の結界は、《京徒》の権威の象徴。それが破られることになれば、《京徒》の統率が崩され、妖たちの反乱を招くことにもなりかねない。《京徒》の一番の懸念であった。

 そのため、《タンダルツ》が保護した魔女は《京徒》が京の都で預かる、という取り決めになっていた。《かぐやの御子》の庇護のもと、魔女たちが安心して暮らせるように京の都で守る──それを表向きの名目であったが、其の実は、吸血鬼たちが魔女の血を吸い、強大な力を得ないようにするためであった。いわば、京の都の結界の中で魔女たちを監禁しているに過ぎなかった。


   *   *   *


 「それを分かっていながら、なにを寝ぼけたことをゆうてはるんです?」バチンと火花を鳴らしそうな勢いで、閉じた扇子がローテーブルに叩き付けられた。「魔女は、わたくしどもがこのまま引き取り、京の都で保護します。今までもそうしてきたやないですか」

 「いえ、ですからね」疲れ果てた顔に愛想笑いを貼り付け、八雲は柔らかな口調で食い下がる。「彼女はまだ子供で、唯一の肉親である父親を亡くしたばかりなんですよ。そんな状況で、いきなり京都に連れて行くというのは酷ではないですか、と言ってるだけでして」

 「そないなこと、知りまへん」


 夜明け前の静まり返った住宅街で、ぽつりと一軒だけ光が灯る家。『益田歯科医院』という看板が掲げられたなんの変哲もない一軒家の二階で、その会合は行われていた。

 ヴァンパイア退治の担い手である《タンダルツ》の総元締めであり、かの天草四郎の血を継ぐ益田家当主、益田八雲。そして、この国の妖たちを古来から見張り続けてきた陰陽師集団、《京徒》の使者。二人はローテーブルを挟んでソファに座り、決して声を荒らげることなく静かに口論を続けていた。《京徒》の命を受け、八雲ら天草の《タンダルツ》たちが助け出してきた魔女の処遇を巡って。


 「このまま、ここに置いておいて、魔女がまた吸血鬼の手に渡ったらどないしはるんです?」

 「そうならないよう、努力いたします」

 「努力なんてあやふやなものを持ち出されても困ります」


 《京徒》の使者はばっさりと八雲の意見を切り捨てた。きりっとした顔立ちの二十代半ばほどの女だ。長い黒髪を後ろで一つに結わえ、堅苦しい黒いスーツに身を包んでいる。派手すぎず、地味すぎず、必要最低限のメイクをほどこした顔の中で、真っ赤な口紅だけが目立っている。ソファに座る姿は慎ましくも堂々として、威厳のようなものが感じられた。二十代の女性とはおよそ思えない荘厳なオーラが漂っている。


 「私がこうしてここにいるのは、魔女を保護して京都に連れて帰るためです。わざわざ、天草くんだりまで来させて、手ぶらで京都に帰らす気ですか?」

 「お土産ならご用意いたしますから」


 へらっと笑って頭を下げる八雲に、女の表情が険しく歪んだ。


 「これ以上の妨害は《京徒》への叛逆行為と見なしますよ、八雲はん!?」


 真っ直ぐに切り揃えられた前髪の下で、キツネのようにつりあがった目が八雲を睨みつけた。


 「反逆行為なんてとんでもない!」

 「それならば、早う魔女を差し出しなはれ! そもそも、魔女は今、どこにいはるんです?」

 「ああ、えのんちゃんなら隣の部屋でフードマンが見ていますよ。安心してください」

 「フードマン?」


 その瞬間、使者の顔色ががらりと変わった。顔は真っ赤に染まり、目は見開かれ、鬼のような人相へと変わった。一瞬にして、燻っていた苛立ちが怒りとなって爆発したようだった。


 「吸血鬼を魔女と二人きりにしてはるんですか!?」

 「フードマンは面倒見がいいんですよ。二年前にうちに来てからは、九十九もよく遊んでもらってたんですから。それが、思春期なんでしょうかね、九十九ちゃんったら、急にフードマンに冷たくなっちゃって……」

 「そないなことは聞いてまへん!」ばん、と大きな音を立てて、使者はテーブルに手を置いた。「吸血鬼に魔女を渡す《タンダルツ》がありますか!」


 使者は立ち上がると、くるりと身を翻して、扉へと向かって歩き出した。


 「どこに行かれるんです?」

 「決まってるやないですか。吸血鬼の手から魔女を取り返します。本来、あんたさんら《タンダルツ》の役目なんですがね」


 使者が嫌味っぽく返すと、


 「そりゃ、無理ですよ」


 けろりとして八雲は食い下がった。


 「無理……とは、どういうことです?」


 使者はぴたりと足を止め、ぎろりと八雲をねめつけた。


 「えのんちゃんを渡せないもう一つの理由がそれです」わざとらしく困った表情を浮かべ、八雲は人差し指を立てた。「えのんちゃん、フードマンのそばから離れないんです。片時も」

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