35「Escape to Underground 2」

 ふらふらと空を見上げたユウは、瞳を虚しく宙に泳がせたまま、自分だけに聞こえるような声でうわ言を呟いていた。


「そこはダメだよ……ミリア……」

「おかあさん……またどこかへいくの……?」

「お疲れ様……ディア……」


 そして、時折狂ったようにへらへらと笑みを零す。


「おいおい。ありゃ完璧にいっちまってるぜ……」

「一体どうしたというのだ……?」

「ユウくん、なんか……怖いよ……」


 ルナトープの者たちは、得体の知れない変貌を遂げた彼に、皆どうすれば良いのかわからず戸惑っている。

 ぼそぼそと何かを呟き、こちらなど一切眼中にない様子の彼に、リルナは歯噛みした。

 彼に返答を求めることを諦めた彼女は、代わりに物言わず刃を立てた。

 死にかけであるはずの彼に止めを刺さんと、勇猛果敢に襲い掛かる。


「ねえ。今度は……何して遊ぼうか……」


 彼の発する呑気な台詞とは裏腹に、身体から発される白い光は彼を覆い、絶大なエネルギーをもって激しくうねっていた。

 再び彼に攻撃を加えるべく最接近したリルナが、その強力なオーラに達したとき。

 彼女の動きがぴたりと止まる。

 まただ。動こうとしても、全身を掴まれたように動けない。


「どう、して……」

「うあうっ!」


 うわ言とともに、彼の手が軽くリルナの胸部に触れただけで。

 彼女はとてつもない衝撃を受けて、為すすべなく銃弾のように弾き飛ばされた。

 だが、芸もなくまた同じように叩き付けられる彼女ではない。

 激突前に《パストライヴ》を使用して、彼の左側――腕のない方に回り込む。

 彼女としては、完全に虚を突いたつもりでいた。

 しかし。

 ユウは既に、彼女の真正面を向いていた。

 まるで始めから、そこに来るのがわかっていたかのように。

 彼が理性の感じられない無邪気な笑みを浮かべたとき、彼女は心底ぞっとした。


「がっ!」


 技ですらない。無造作に振るわれただけの、ただの拳。

 身体の芯でまともにそれを受け止めたリルナは、自身の内部でいくつもの部品が砕ける音を聞いた。

 反撃もできず、よろよろと後退する。とうとう堪え切れずに膝をついてしまう。

 彼女はさらに追撃をもらうことを覚悟した。

 だがユウは、その場にぽつんと立ったまま、しきりに独り言を発しているだけだった。特に何かしようという意思は感じられない。

 放置されている間に体勢を立て直した彼女は、一度《パストライヴ》で距離を取る。

 乱れた髪を乱暴に掻き揚げて、動揺を鎮めようと努めた。

 彼女には、信じられなかったのだ。

 それまで優勢に戦いを進めていたはずの相手に、逆にここまで圧倒されてしまっていることが。

 受けたダメージは、もはや深刻なレベルに達している。

 もし自身の誇る特殊ボディではなく、一般のナトゥラの身体だったなら。

 間違いなく、もう二度と使い物にならなくなっていただろう。


「危険だ」


 彼女の目に、憎悪が煮え滾る。

 ヒュミテは敵。こいつは特に危険だ。

 何としても殺さなければならない。改めてそう決意を固める。

 彼女はその場に立ち尽くすユウを睨み付けると、右腕を砲身に変化させた。


「ターゲットロックオン。エネルギー充填開始――10、20――」


《セルファノン》。リルナの持つ武器の中で、最大の威力を誇る光線兵器。

 それは、決して人間に向けて発射すべき代物ではなかった。

 20%でさえ、しっかり命中すれば車両など跡形もなく消し飛ばして、なお余りある威力なのだ。

 だが今、彼女は。

 そんな物騒なものを、ユウというたった一人の人間に向けて。

 さらに出力を上げて放とうとしていた。

 普段の彼女ならば、決してそのような真似はしない。

 こんな街中で使えば、あまりに高過ぎる威力が周囲に甚大な被害を及ぼし、無関係な市民の命を奪うことになりかねないからだ。

 しかし、湧き上がる危機感と殺意に突き動かされている今の彼女は、そんなことなどもう頭にない様子だった。


「30――」

「あ……あ……」


 ユウは先ほどからずっと上の空で、その場からまったく動こうともしない。

 それをいいことに、彼に照準を合わせたまま、彼女はじっくりとエネルギーを溜め続ける。

 砲口には目が眩むほどの水色の光が凝縮し、さらに光は強さを増していく。


「まずいぜ!」

「ユウくん! 逃げて!」


 ロレンツとアスティが、同時にリルナへ牽制射撃を試みる。

 だが《ディートレス》に弾かれて、一切の攻撃は通用しなかった。

 ならばと、ラスラがユウを抱えに向かう。

 それを横目で確認したリルナは、彼女が到達する前に、攻撃を仕掛けてしまおうと意を固める。


「40%」


 彼女の右腕の先端は、今や眩いばかりの空色に包まれていた。

 あとはこれを、目の前にいる敵に向けて解き放つだけで。

 この世界から跡形もなく消し去ることができる。

 今度こそ終わり。

 幾度にも渡ってその手をすり抜けてきた因縁の相手に、ようやく引導を渡せることに安堵した。

 そこで彼女は、はたと気付く。


 安堵。自分が安堵しているだと。


 そればかりではない。

 何度追い詰めても執念深く立ち塞がるこの人物に、彼女は一言では割り切れぬ複雑な感情を覚え始めていた。

 気が付けば。

 他の誰よりも彼を評価し、認めていたのだ。


 だが、それももう終わり――。


 燃え上がる殺意の裏で。

 彼女はなぜか、一抹の寂しさのようなものを覚えていた。

 なぜ今になって、突然そんなことを感じてしまったのか。

 彼女にはわからなかった。

 それでも、ついに発射を宣言しようとした。

 

 そのとき――。


 意識を攻撃のみに集中していた彼女を、側面から強烈な衝撃が襲った。

 攻撃そのものは《ディートレス》が完全に無効化したが、狙いが反れた《セルファノン》は、あらぬ方向へと飛んでいく。

 まったく無関係の高層ビルを突き抜けて、空の彼方へと消えていった。


 はっとして、全員が振り返ると――。


 ウィリアムが、血塗れの状態でそこに立っていた。

 肩にロケットランチャーを構え、さらに全身を重装備で固めている。

 弾を発射したばかりの砲口からは、ゆらゆらと煙が上がっていた。

 彼は、緊急セキュリティシステムダウンと同時に復活したトライヴゲートを強行突破して、急ぎこの場にやって来たのだった。

 

「隊長! どうして!」


 あまりに惨たらしい彼の姿を認めたロレンツは、悲鳴に近い問いかけをするも。

 ウィリアムは脇目もくれず、リルナを睨み付け、声を張り上げた。


「聞け! ネルソンは死んだ! ザックレイ打倒と引き換えに!」


 三人に動揺が走る。

 そしてそれは、彼女にとって大切な仲間を殺されたリルナも同じだった。


「な、に……お前!」


 爆炎の中にあっても、傷を増やすことなく立ち上がったリルナは、激しい怒りの目をウィリアムに向けた。

 彼は、それにも構わず大声で続ける。


「お前たちはユウを連れて、私の乗ってきた車で逃げろ! そして、王の話を聞くんだ! プラトーがやって来る前に! 早くしろ!」

「隊長! 隊長は、どうするのですか!?」


 彼がそこに現れたときから、嫌な予感がしていた。

 ラスラが、泣きそうな声で尋ねる。

 彼から返ってきた答えは、最悪な予想通りのものだった。


「私は、ここに残るさ。ヒュミテ解放隊ルナトープは――今日限りで解散だ」

「そんな……!」

「これからは各自、己の信じる正義を見つけ、そのために戦うのだ。いいな……さあ、行け!」


 ウィリアム決死の覚悟であった。

 そんな漢気を目の当たりにして、いつまでもぐずぐずするような三人ではなかった。

 彼の言葉を聞き終える前に、アスティはもう行動を開始していた。

 力なくその場にへたり込むユウを抱えて、ウィリアムの車へと駆ける。

 そのすぐ後を、ラスラとロレンツが追っていく。


「逃がすと思うか!」


 激昂するリルナだが、彼女に向けてロケットランチャーの次弾が放たれる。

 リルナは当然のように、それを《パストライヴ》で回避した。


 だが、移動先の地点には――。


「そいつも想定済みだ」


 既にウィリアムが、狙いを付けていた。

 側腰に取り付けた小型マシンガンの銃口が、正確に向けられている。


「お前が殺したデビッドの分、受け取っておけ!」


 引き金を、目一杯力強く引いた。

 鬼のような勢いで、銃弾を雨あられと撃ちまくる。

 弾切れを起こすまで、決して止めるつもりはなかった。

 これまでのすべての犠牲者の無念をぶつけるように。

 ウィリアムは、撃ちに撃ちまくった。


「そんな攻撃が、効くとでも!」


 決死の攻撃はすべて、鉄壁のバリア《ディートレス》が弾いてしまう。

 それでもウィリアムは、構わないと不敵に笑っていた。


「たとえ攻撃それ自体は効かなくとも、お得意のバリアで防がざるを得まい。それにどうやら、一応衝撃だけは伝わるみたいだな? なら、足止めくらいにはなるさ」

「お前……!」


 それが狙いか――!


 リルナはようやく気付いたが、時すでに遅し。


「それで、十分なんだ。可能性を繋ぐ時間さえ稼げれば、それでなあ!」


 弾切れを起こしたマシンガンを放り棄て、さらに手持ちの爆弾もいっぺんに放り投げる。

 怒涛の連続攻撃に、リルナには身を守り防ぐ以外の行動を取ることができなかった。


「この、ふざけるな……! ヒュミテが!」


 やっと攻撃が途切れたところで、《インクリア》を抜いて斬りかかる。

 彼はそれを、最大出力のスレイスでもって受け止めた。

 ほんの数撃で武器エネルギーを使い果たしてしまうほど、一切の出し惜しみをしないことによって。

 本来光の刃すら断ち切る彼女の攻撃を、しかと受け止めたのだ。


 鍔迫り合いを続けるうち、ラスラたちの乗った車が遠く離れていく。

 それを確認し、すべきことを成し遂げて満足したウィリアムは、いよいよ最期を覚悟し。

 リルナに尋ねる。


「なぜそんなに、ヒュミテを憎む? 私たちが、一体何をしたというのだ?」

「お前たちは、敵だ! わたしは、残虐非道なお前たちから、ナトゥラを守る! わたしの脳裏に焼き付いた数々の因業、忘れたとは言わせんぞ!」

「その記憶というのは、本当にお前の真実なのか?」


 問いかけられた瞬間。

 リルナは、はっとした。

 思い出そうとしても、記憶に靄がかかったように何も出て来ない。


 なぜだ? どういうことなのだ!?


 そんな動揺を見透かすかのように、ウィリアムは口の端を吊り上げた。


「そうか。王の言ったことは、やはりそう的外れじゃないのかもしれんな」


 リルナは動揺を振り払うように、必死の形相で刃を押した。

 じりじりと、スレイスの刃が削れていく。


「そんなはずは……そんなはずはない! わたしは、確かに……!」


 だがリルナは実のところ、既に万全な状態ではなかった。

 先のユウの攻撃によって、胸部の内側に損傷を受けていたのだ。

 CPDにも、わずかながらではあるが、変調をきたしていたのである。


 やがてリルナは、ついに耐え切れなくなって。

 その場から飛び退き、呻いた。


「なぜだ……? なぜ、何も思い出せない! わからない、わからない……!」


 明らかに異常な反応を前にして、ウィリアムはついに確信を抱いた。

 我々の戦いは、あまりにも無用な犠牲を出し過ぎたのだと。


 だが――決して、遅過ぎることはなかったのだ。

 まだ次の世代に、希望は残されている。


 あとは、ルオンヒュミテまで辿り着きさえすれば。

 王たちがきっと、上手くやってくれるだろう――。


 無事を、祈る。


 それが、彼が脳裏に思い浮かべた、最後の言葉となった。



 ***



 力なく地に斃れたウィリアムを見下ろしながら。

 その場にうずくまるリルナに、プラトーは静かに声をかけた。


「こいつの戯れ言に、耳を傾けるな……。リルナ」

「プラトー……」


 はっと気付いたように顔を上げたリルナに、プラトーは不器用な笑みを浮かべた。


「ダメージを受けたショックで、動転しているのだろう。気をしっかり持て……」

「あ、ああ……。そうだな……」


 ややあって、リルナはようやく本来の落ち着きを取り戻すことができた。

 それに伴って、すっかり混乱していた記憶も次第に蘇ってくる。

 もう元の氷のような表情に戻ったリルナは。

 先ほどまで相対していた男の言葉を思い出し、暗い顔でプラトーに尋ねた。


「ザックレイが死んだというのは……本当か」

「……本当だ」


 プラトーが、やるせなく目を伏せる。


「そうか……」


 リルナはしばし目を瞑り、何かを想った。

 再び目を開けたとき。

 その瞳には、並々ならぬ決意が満ちていた。


「直ちに補給を済ませ次第、奴らを追うぞ――地下で決着をつける」



 ***



 少し時は遡る。


 ロレンツが運転席について、帰還用トライヴゲートまでの道のりを全力で飛ばしていく。

 助手席では、ラスラがリュートを抱きつつ、しきりに周囲を警戒していた。

 そして後部座席では、アスティが膝にユウを乗せ、彼の介抱をしていた。


「ユウくん! しっかりしてよ! ユウくん!」

「あ……あ……」


 先ほどからの必死の呼びかけにも、ユウは応えない。

 その目はどこまでも暗く、虚ろだった。


「もう! いい加減にしてよ!」


 泣きたい気分でいっぱいだったアスティは、パチンと、一発強烈にユウの頬を叩いた。

 すると、ようやく想いが通じたのだろうか。

 彼の瞳に、すうっと理知の光が戻ったのだった。


「…………俺は、何を……」

「ユウくん! よかった……。やっと元に戻ってくれた!」

「元に……?」

「さっきからね、ずっとおかしくなってたのよ! 一体どうしたっていうのよ!?」


 言われて、ユウにも心当たりがあった。

『心の世界』の暴走。

 危うく、取り返しのつかないことになるところだった。


「ごめん……心配、かけた……うっ! ごほっ! がぼっ!」


 無理に能力を使い、限界を超えた反動は、凄まじいものがあった。

 生きているのが奇跡に近いほどの、計り知れないダメージを彼に与えていたのだ。

 それが状態の落ち着いた今になって、一気にツケを払わされる形になった。

 口から鮮血をまき散らしながら。

 それでも彼は、強い意志を秘めた目で。懇願するような声で、アスティに言った。


「ウィリアムを……助けなくちゃ。わかったんだ。やっと、わかったんだ。この力、なら……」


 だが言葉とは裏腹に、身体はついていこうとしない。

 もはや目の焦点すら定まらず、何かを言おうとしても、その後の言葉はほとんど呂律が回らなかった。


「頼む……たの、む……いか、せて……く、れ……」


 やっとそれだけ、絞り出すように言うと。

 ユウは気を失ってしまった。

 アスティは、彼にいたく同情的な目を向ける。

 それでも、毅然として認めるわけにはいかなかった。


「ごめんね。そんな状態のあなたなんて、とても行かせられないよ」


 自分もまた、後から後から込み上げる激情と涙を抑えるので、やっとだった。


「隊長は……ウィリアム隊長はね。あたしたちに、未来を託したのよ……!」


 決然と呟いた彼女の膝上で。

 ユウの目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。

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