49「マスター・メギルの罠」

 気の反応を頼りにひた走る。

 やがて通路の向こう側に、二の足で立つアリスと、倒れているカルラが映った。

 立っている側のアリスが状況的に悪くないことは察せて、そのことにまずはほっとする。


「アリスーー! 無事かーーー!」


 まさか自力で抜け出せたとは思わなかったのかもしれない。

 ひどく驚いているところ目掛けて、ラストスパートをかける。

 さらに近付くと、二人の状態まで確認できた。

 カルラは肩を貫かれて痛々しい姿であり、アリスは左腕が見るも無残な状態になっている。

 アリスが大怪我しているのを認めた瞬間、俺は怒りが沸騰していた。


「カルラ! おまえ!」


 最後の一歩を猛然と迫る。

 我ながらものすごい剣幕になったのにアリスはぎょっとして、なぜか慌てて止めに入ってきた。


「ユウ! ひとまずいいの! カルラさんは反省したから! ミリアも元通りよ!」

「え?」


 言われて、すぐにミリアの気を探ってみる。

 すると確かに反応が元に戻っていた。


「本当だ。ミリアが元に戻ってる……」


 ミリアが助かった。

 ということは、カルラが自主的に解除したのか。

 そのことを理解し、彼女に掴みかかりそうになっていた手が止まる。

 カルラは俺の顔を真っ直ぐ見つめて、本当に申し訳なさそうに謝ってきた。


「ごめんなさい。あなたには本当にひどいことをしたわ」

「あ、いや……」


 ついあっけに取られ、間抜けな返事になる。

 カルラはすっかり毒気が抜けて、元の優しい先輩に戻っているように見えた。

 その変わりように、こちらが抱えていた怒りもどこへやら。

 俺はぽかんとしてしまった。


「え、なに? どうなってんの?」


 アリスがこれ以上ないキメ顔で胸を張る。


「あたしがびしっと懲らしめちゃいました!」

「ええ。びしっと懲らしめられたわ」


 そう言って目を見合わせた二人は、何だか通じ合っているようだった。

 俺の知らないところで、彼女の心を変えるような重大な女の戦いがあったらしい。

 そのくらいは何となくわかった。



 ***



 それから、彼女がなぜ仮面の女として活動していたのかということを手短に聞いた。

 彼女が彼を失った悲しい過去と大きな関係があることだった。

 話を聞いて、やっと彼女の心の内がわかった。

 彼女が凶行に走った理由も、俺たちを狙った理由も。


 カルラ先輩は本当に反省しているようだった。ミリアも元に戻った。

 だったら、俺がさらにカルラ先輩を責めるのは野暮かもしれない。

 彼女は後でしかるべき罰を受けることになるだろう。

 けどそれは、被害を受けたしかるべき者が行うことだ。司法が行うことだ。

 俺がすることじゃない。

 俺は自分がされたことについては、すっぱり許すことにした。

 アリスとミリアの無事に比べればずっと些細なことだし、もう全然気にしていなかった。

 そして、俺自身は彼女を許すことにした。

 彼女が心の底から反省しているなら、誰かが手を差し伸ばしてあげたっていいと思う。

 それはきっと、彼女をよく知る俺たちにしかできないことだから。

 やっぱり甘いかな。いや、これでいいんだ。

 彼女がこれからちゃんと罪を償えるように、俺は彼女の横に付こうと思う。


 とりあえずアリスの無事がわかって安心した。

 すぐにイネア先生のところに向かおう。先生はかなり弱ってるみたいだから、心配だ。


「アリス。カルラ先輩を連れて、イネア先生のところに行こう」

「うん」

「先輩は……立てないですよね?」


 カルラ先輩は、すまなさそうに頷いた。


「無理ね。力が抜けちゃって」

「肩を貸しますよ」


 屈み込んで助け起こそうとしたところで、カルラ先輩はいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。


「あら。ユウちゃんのくせに男らしくて頼もしいこと」

「こんなときにからかわないで下さいっ!」


 この「いつもながら」のやり取りに、アリスが横で噴き出す。

 敵地の真っ只中にも関わらず、和やかな空気が流れる。それが良い意味で、張り詰めた緊張を解してくれた。

 思えば、炎龍に襲われてからこれまで、ずっと気の休まるときがなかった。

 もちろん今も休んでいる場合ではないけれど。

 それでも滅入っていた気分が上向くことで、湧いてくる活力というのは決して小さくはない。


 だが、カルラ先輩に肩を貸して立ち上がったところで。

 そんな空気を一瞬にしてぶち壊す、最悪の出来事が起こった。

 部屋の壁際に備え付けられたスピーカーらしきものを通じて、音声放送が始まった。

 声が地下中に響き渡る。

 その主はマスター・メギル。トール・ギエフだった。


『あー。諸君。まことにご苦労であった。諸君らの尽力の甲斐あって、ついに我が宿願が果たされるときが来た! 私はエデルの復活をここに宣言しよう!』


 すぐ横で俺に肩を預けているカルラ先輩が、かすかに震える声で言った。


「じゃあ、わたしはエイクに会えるの……?」


『そこで、諸君らには褒美を与えたい。約束していたね。空へ連れて行ってあげようと。私は約束を果たす男だとも』


 ゲスのような笑い声を上げ、とんでもないことを言い出した。


『諸君らを招待してあげよう――天国にな。いや、地獄かな。くっくっく』


「なに!?」

「そんな……!」


 部下に対する一方的な処分宣告であった。

 カルラ先輩の顔が、愕然とした色を浮かべる。


「嘘でしょ!? 嘘ですよね……マスター!」


 非情なる放送は続く。


『間もなくこの地下施設は、跡形もなく爆破される。あとほんの七分ほどだ』


 あと七分で爆破するだと!?

 くそっ! だからあんなに余裕満々で俺を放置していったのか!


『出口は封鎖されている。逃げ場はないぞ。では、空への旅を想いながら、最期の時間を楽しみたまえ。グッドラック』


 恐るべき爆弾発言を残して、音声は一度途切れた。

 どうする? どうすればみんな助かる。

 そのことで思考がいっぱいになる。

 イネア先生の転移魔法なら脱出できるか!?

 いや、同じネスラである奴が、そこに思い至らないはずがない。

 何らかの対策をされてしまっているはずだ。

 激しい焦りを感じていたところに、再び音声がかかる。

 内容からして、おそらくこの部屋だけにかかっているものだった。


『カルラよ。そこにいるのだろう?』


「はい。ここにいます!」


 カルラ先輩は、部下だったときの癖か、つい改まって答えていた。


『そうか。まったく、君には失望したよ。この私が見抜けないと思うのかい? 君の非情で任務に忠実なところを、私は高く買っていたというのに』

「そ、それは……」

『君はもう要らない駒だ。そこで仲良く死ぬがよい』

「くっ……」


 彼女は悔しそうに歯を食いしばる。

 当然だ。ずっと尽くしてきた相手に、簡単に切り捨てられてしまったのだから。

 同情していたところに、奴はなおいっそうひどい追い討ちをかけてきた。


『それで、君が望んでいた死者と対話できる魔法だっけ? そんなものが本当にあると思うのかね?』

「え――」


 彼女の顔面が、一気に蒼白になる。


「マスター。何を、言ってるんですか……?」

『エデルにそんな魔法はない。まさか本気で信じていたわけではないだろう?』

「いや、だって……。マスターは、あるって……。だから、わたしは信じてずっと……』

『ああ。もしかして君、馬鹿なのかね。少し考えたらわかることじゃないか。はっはっは! とんだ間抜けがいたものだ!』


 カルラ先輩の表情がみるみるうちに歪み、苦虫を潰したようなものに変わっていく。

 彼女が縋っていた拙い望みは今、完全に断ち切られた。

 他ならぬ「マスター」の裏切りによって。

 だがそれすらも生温い仕打ちが彼女を襲う。

 奴は嫌味たっぷりな声で続けた。


『そうそう。君の彼。エイク・ナルバスタだったね』

「は……?」

『彼は実に優秀だった。だからね、私が直々に引き抜こうとしたのだよ』


 それだけで、もう嫌な予感しかしなかった。

 やめろ。それ以上言うな。

 怒りで拳に力が入る。

 すっかり饒舌になった奴の胸糞悪い語りは、当然、止まってなどくれなかった。


『だが彼は断ってね。そればかりか、私の不正を突き止めて公表すると息巻き出した。まったく。たまにいるのだよな。ああいう正義面した勘違い野郎は』

「まさ、か……!」


 わなわなと震える彼女に告げられたのは、最悪の真実だった。


『ああ。彼には死んでもらったよ。最期までずっと君の名前を呼んでいたなあ?』

「あ、あ……」


 カルラ先輩の目から、光が消え失せた。

 なんて声をかけたらいいのか、わからない。

 ひどい! あまりにもひど過ぎる!


『くっくっく。はっはっはっはっはっはっは!』


 今度こそ、音声は終わった。最低の後味だけを残して。

 カルラ先輩は、悔しいのか悲しいのか、それすらもわからぬほどの激情に顔を歪ませていた。

 そして鬼のような、血の涙を流そうかというほどの形相で。

 ぐちゃぐちゃになったものを絞り出すように、一気に涙を溢れさせた。


「あ゛あ゛あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 彼女は嗚咽を上げた。

 これほどまでに悲痛な叫び声は、かつて聞いたことがなかった。

 ひどくいたたまれない気持ちになるが、無情にも爆破へのタイムリミットは刻一刻と迫っている。

 カルラ先輩を慰めたい気持ちは山々だけど……動かなければならない。


「カルラ先輩。背負いますよ」


 力なく俺にもたれ掛かり、嗚咽を上げ続ける彼女を、返事を待たずに背中へ抱え上げた。

 ぺったんこのアリスを負ぶったときとは違って、背中に当たる胸の柔らかな感触がはっきりと感じられた。

 でもこんなときに、そんな下らないことを喜ぶ感性は持ち合わせていない。


「とりあえず先生のところへ! なんとか脱出の方法を探すんだ!」


 あまりに可哀想なカルラ先輩を見て、俺と同じようにいたたまれない顔をしていたアリス。

 彼女も、はっと我を取り戻したように頷く。


「わかったわ!」


 カルラ先輩を背負って、俺はアリスとともに急いで駆け出した。


 研究所爆発まで、あと五分!

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