6「女子寮の新入生歓迎会」

 昼は女として学校で魔法を学び、夜は男としてイネア先生に気剣術を学ぶことになった。

 イネア先生には、自分のことはちゃんと先生と呼び、敬語を使うようにと念を押された。あと、私はかなり甘ったれたところがあるから、そこも直していくと言われてしまった。

 うーん。私ってやっぱり甘ったれているのかな。

 まあ確かに、小さい頃は根っからの甘えん坊だったし、人にはどこか抜けてる奴だってちょくちょく言われてはいたけど。



 ***



 さて、日付けも変わり、寮生活初日を迎えた。

 今は、ようやく入れることになった二人部屋に、アリスと一緒にいる。

 荷物の整理に忙しい彼女に比べて、身一つでこの世界に来た私は、ほぼ何も持っていなかったので暇だった。することがなかったから、手伝えることは何でも率先して手伝った。助かったと喜んでくれたよ。


「歓迎会、楽しみだね」

「うん」


 アリスの言う通り、夜には新入生歓迎会があるのだった。

 寮の先輩達が主催する非公式のものだが、毎年恒例となっているので、実質公式行事のようなものらしい。


「そう言えばさ。その服、どうしたの?」


 下はミニスカート、上はキャミソールにジャケットを重ねた恰好に着替えていた私を見て、アリスは訝しげに尋ねてきた。

 彼女がそういう反応をするのも無理はなかった。なにせ、買ってあげた覚えがない服を着ているのだから。

 これは、イネア先生が作ってくれた例の特殊な服だ。

 外からは見えないけれど、先生はパンツやブラジャーもしっかり用意してくれた。

 試しに着てみたところ、男に変身するのに合わせて、男物のズボンやシャツ、ジャケット、トランクスへ瞬時に換装されるという優れものだった。

 ちなみにブラジャーはちゃんと消えてくれる。さらに多少の汚れや傷なら、自動で浄化・修復されるとのことだった。

 今はこの一セットだけだけど、気が向けば他にも作ってくれるらしい。

 ともかくこの服によって、変身する際に着替えなければならないという大変な問題は解決した。もうこそこそトイレに入ったりしなくて良いわけだ。

 本当に助かった。これだけでも先生にきちんと事情を話してよかったと思う。


「ああ、これね。知り合いからもらったんだ」


 悪いとは思いつつも、言葉を濁して誤魔化した。

 正直に話すと、イネア先生とのくだりもある程度は話さないといけない。そうなれば、気剣術校舎では男の姿で学ぶしかない以上、私の正体がバレる危険がついて回る。

 アリスなら、もしバレたとしてもこういう大事なことは言いふらしたりはしないとは思う。けれどそれでも、せっかく手に入れた友情が壊れてしまうかもしれないと思うと、どうしても怖かった。

 でも下手な誤魔化しは、アリスには通用しなかったみたいだ。


「へえ……。知り合いって誰かしらね~」

「えっと。それは、その……」

「ふうん。ユウってやっぱりどこか秘密主義だよね。そろそろあたしに色々と話してくれてもいいんじゃないの~?」


 と、軽く小突かれてしまう。

 う。やっぱり隠してるのがバレた。

 妙に鋭いんだよな、アリスは。それとも、私が隠し事をしたり嘘を吐くのが下手なだけなのかな。

 どっちもかもしれない。


「本当にごめん。どうしても言えないことが多くて……」

「いいわよ。無理には聞かないって言ったもんね……」


 ……どうしよう。ちょっと気まずいなあ。

 何か別のこと話した方がいいんだけど。後ろめたさのせいで、口から上手く言葉が出てこない。

 困っていると、こういう空気を破ってくれるのは、いつもアリスの方からだった。


「よし、ホールへ行こ! 先輩たちが待ってるよ! ね、そんなばつの悪そうな顔してないでさ」

「うん。そうだね……」


 それでもまだ浮かない気持ちのままの私を見かねたのか、彼女は私の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張って行こうとする。


「わっ、ちょっと。引っ張るなよ!」

「ほらー、しゃきっとしろー!」

「わかった! わかったからやめて!」


 たまらず根を上げると、やっと彼女は腕の力を緩めてくれた。

 そして、にこっと笑って言われた。


「ふふっ! 元気出たでしょ?」

「はあ……。おかげ様でね」


 私も微笑み返した。

 まったく。アリスには敵わないな。



 ***



 ホールに行くと、私たち二人の他にも既にたくさんの人が集まっていた。

 奥でべらべらと楽しそうに喋っているのが先輩グループで、手前でどこかぎこちない様子で大人しくしているのが新入生グループだろうと簡単に見当が付いた。

 どこから会話に入り込もうかな。

 話しかけやすそうな人を探して見回していたところ、ここで人見知りとはまったく無縁なアリスのコミュ力が存分に発揮された。

 彼女は物怖じせず、同級生から先輩の集まりまで、どんどん話の輪に飛び込んで会話を盛り上げていく。気が付けば、いつの間にか彼女を中心とした輪ができあがってしまった。なので、私はただアリスの横についていれば問題なかった。

 やっぱりすごいなあ。アリスは。こういうところはなるべく見習っていきたいな。


 大分人が集まってきたところで、先輩グループの中から一人、茶髪の美少女が歩み出てきた。

 話し声で溢れていたホールは、しーんと静まり返る。

 みんなの前に立った茶髪の先輩は、まずぺこりと頭を下げた。くるくるとカールのかかった、滑らかな長髪が一緒に垂れ下がる。

 顔を上げた彼女は、さっと髪を撫で整えてから、はつらつとした声で挨拶を始めた。


「こほん。この場を取り仕切らせてもらうのはこのわたし、三年のカルラ・リングラッドよ」


 うわあ。堂々としてて、いかにも先輩っていうか。どこか華のある感じの人だなあ。


「新入生のみんな。入学おめでとう。そして女子寮へようこそ。ここはお隣のぼろっちい男子寮なんかよりずっと素敵な環境が整ってるわ。目いっぱい活用して、楽しい学園生活を送ってね」


 ぼろっちいのところで、あちこちから小さな笑い声が起こる。彼女はそれに良い顔をして続ける。


「さてと。まずは一人一人自己紹介してもらおうかな。名前、趣味、それから適当に一言くらい言ってってもらえる?」


 自己紹介が始まった。各々が名乗り、趣味、抱負や夢などを簡単に述べていく。

 やがて、私たちの番が回ってきた。


「あたしは、アリス・ラックインです。趣味は運動、それから魔法で遊ぶことです。田舎のナボックに住んでいたので、こんなに大きな学校も、こんなに仲間がいることも初めてで。これからの学校生活がすごく楽しみです。みんな、よろしくね!」

「ユウ・ホシミです。趣味は読書です。今まで魔法のことをよく知らなかったので、これから学ぶのがとても楽しみです。たくさんの人と仲良くなって、楽しく過ごせたらいいなと思っています。皆さん、よろしくお願いします」


 本当はサッカーとかのスポーツやゲームも好きなんだけど、この世界にはなさそうだから黙っておくことにした。

 すると、周りが妙にざわざわし始めた。

 どうしたんだろう。

 きょとんとしたまま聞いていると、どうも私の噂をしているみたいだった。


「ホシミさんって、もしかしてあの?」

「なんでも、特例で滑り込んだって」

「へえ。うちもそんなことするのね」

「裏金かしら」

「いや、ここはそういうことはしなかったような」

「算術満点って聞いたわよ」

「私は歴史が零点って」

「うそ!? ありえないんだけど!」


 がやがや声が大きくなり始めたところで、誰かがパンパンと手を叩いた。


「はいはい! その辺の話は後で個人的にしましょうね」


 カルラ先輩だ。それでみんな口を閉じて、場は再び静けさを取り戻す。


「さあ、次の人!」


 その後は滞りなく自己紹介が進み、大体一回りしたような感じになった。

 もう誰も名乗り出なくなったところで、カルラ先輩が言った。


「はい。これで全員かな。まだ自己紹介してない人はいない? もしいたら手を上げて」


 すると、遠慮がちに細い手が一つだけ上がった。

 上げたのは、銀髪の少女だった。見た目からも、ぱっとした雰囲気からも、かなり大人しそうな印象を受ける。彼女は顔を真っ赤にして、よく見ると手もふるふると小さく震えていた。


「君、まだなのね。自己紹介してくれる?」

「あ……はい……」


 その声はとてもか細く、弱々しい。

 みんなが静かに黙ってくれているこの状況でなければ、到底聞こえなさそうなものだった。

 大丈夫かな。ちょっと心配になってくる。


「ミリア・レマク……です……」


 たどたどしい様子でそれだけ言うと、もう黙り込んでしまった。おかげで、周りもどう反応したら良いのか困っている。


「ミリアちゃん。趣味は何かな?」


 さすがにまずいと思ったのか、カルラ先輩が、優しい口調で続きを促すように尋ねた。


「あ……趣味は……お料理、です……」


 ポツリと一言だけ付け加えて、今度こそ本当に終わってしまった。

 うーん。やたら緊張していたみたいだし、きっと人見知りなんだろうな。まあそういう人もいるよね。私ももっと小さいときはそうだったし。

 遊びの仲間に入れてと、中々そう言い出せなかったあの頃の自分。それと今の彼女をどことなく重ねてしまい、同情的な気分になっていた。


 まあちょっと白け気味になってしまったけど、そこはカルラ先輩が上手く切り替えた。次は上級生の自己紹介へと移り、そちらは滞りなく進行した。

 それも終われば、いよいよみんなで乾杯をしてパーティーが始まった。

 いわゆる無礼講というやつだ。わいわいきゃっきゃしながら、女子たちはゆっくりとテーブルの方へ集まっていく。

 そこには、ずらりとおいしそうな料理が並んでいる。カジュアルフードばかりでなく、高級食材も散見され、それに色とりどりのデザートまで。とても先輩有志の催しとは思えない、贅を凝らしたラインナップだ。

 すごいなあ。何から頂こうかな。

 なんてふわふわ夢心地で考えていたが、残念なことに手をつける暇もなく、周りをたくさんの人に囲まれてしまった。


「歴史零点で合格したって本当なの?」

「算術満点ってマジ?」

「得意な魔法は?」


 あらゆる角度から質問攻めを受けて、しどろもどろになってしまう。


「あ、あの、その」


 どうしよう。困った。何から答えたらいいんだろう。こういうの、慣れてないんだよな。


「ホシミさんは、どうして特別入試を受けられたの?」

「え、それは……」


 異常に高い魔力のおかげなんだけど、アリスやおばさんの驚きようからすると、そのまま軽々しく言っちゃうと大変な騒ぎになるのは明白だ。

 さあなんて言おうか。ちゃんと考えないとまずいぞ。

 と、言葉を迷っていたら、隣の直情娘がさっさと代わりに答えてしまった。

 それも、ホール中に届くような大声で。


「それはですねえ~、驚かないで下さいよ! ユウったら、魔力値一万もあるんですよ! 一万!」


 ばか、アリス! なんではっきり言っちゃうんだよ! もう!


 案の定、周囲は驚きの嵐に包まれた。これまで興味がなさそうにしていた人たちまで、一斉にこちらへ顔を向ける。

 たくさんの熱い視線に、どっと嫌な汗が吹き出すのを感じた。


 ほら、目立っちゃったじゃないか! アリスの考えなし!


 ますます多くの人が近づいてくる。とても逃げられそうもない。

 はあ……。これからたっぷり質問攻めに遭うんだろうな……。ご飯、なくなっちゃわないかな。


 うんざりした気分になってきた、そのとき。

 人混みを割って、馬鹿でかい声が轟いた。


「なにいーー!? 一万ですとおおおーーーっ!?」


 びっくりして声がした方を見やれば、意外な人物だった。

 うわ、カルラ先輩!

 一目見て、ぎょっとする。

 だって、あれだけ落ち着いて挨拶をしていたのに。今は異常に興奮した様子で、まるで別人のように目をギラつかせて、こっちを睨んでいるじゃないか!

 先輩は野獣の如く猛然と、マッハで私に襲い掛かってくる。とても逃げる暇なんてなくて、ガバッと勢い良く肩を掴まれてしまう。そして激しく何度も揺さぶられた。

 アリスに初めて魔力値のことを話したときも、興奮気味に肩を揺さぶられたりはしたけども。そのときなんか比じゃない!

 やめてくれ! 脳みそがシェイクされそうだ!


「ねえ! うちに来てくれない!?」

「なんのことですかあぁあぅ?」


 私の声がぶれても、先輩は揺さぶることをやめない。

 早くも泣きそうな私に、先輩は満面得意の調子でまくし立てる。まるで弾丸だ。


「おっと。話を急ぎ過ぎたわ。わたしはね、優秀な成績を見込まれてギエフ研に入ってるのよ! 天才魔法考古学者トール・ギエフって言ったら、この町でも有名よ。知らない?」


 知らない!

 あまりにつらくて、考えもせず即答してしまいそうになった。

 この辺りでやっと揺さぶりは落ち着いてくれたけど、まだ肩には万力を込められたままだ。指が食い込んで、痛いくらいだった。もう。痕が残っちゃうよ。

 でも落ち浮いてよく思い出してみると、トール・ギエフという名前は一応聞いたことがあった。


「ちょっとだけ会ったことがあります」


 昨日偶然出会った、あの人の良さそうな教員が確かそう名乗っていたな。

 私が彼を知っていることに、先輩はすこぶる機嫌が良さそうに頷いた。

 そして間髪入れず、いっぺんに吐き出すように早口で説明を始めた。

 私の都合なんてまったく考えずにべらべらと一方的に喋りまくるものだから、ただついていくだけで精一杯だった。


「ギエフ研では、かつての魔法大国エデルで使われていたロスト・マジックを研究してるのよ。エデルは今のこの国よりもずっとずっと魔法先進国だったけど、いつも鎖国していてね。そのせいでほとんど一切の魔法が当時のこの国に伝わってこなかったの。だからね! ロスト・マジックを研究することは、歴史的な価値だけじゃなくて、優れた魔法を研究するという実用的な価値もあるわけ!」

「へ、へえ」


 そうなんだ。でもそんなことより、早く手を離してくれないかな。痛いよ。


「そのエデルだけど、魔法実験の失敗で滅んでしまったらしいというのは有名よね。今も魔力汚染が色濃く残るくらいの、あまりに大規模な破壊よ。だけどどうして、いったいどんな実験でそれが起こってしまったのかしら。そう、そうなのよユウ! 謎なの。謎なのよ! 今のところ定説にはなってるけど、そもそも本当にそんな実験はあったのかも不明だとわたしは思ってる。その謎を解き明かそうってわけね。ふふふ、素晴らしい。実に素晴らしいテーマだわ! 突如消え去った魔法大国。なかなかミステリアスだと思わない?」


 ミステリアスと言うカルラ先輩の目が、キラキラと輝いている。本当に好きなんだなってことだけはよく伝わってくる。

 実はその国は、ウィルという奴が気まぐれで滅ぼしたらしいよ、なんてとてもじゃないけど言えそうな空気じゃない。

 まあ言っても信じてもらえないほど嘘臭いし、私もこの目でちゃんと見たわけじゃないけど。

 とにかく話に合わせて適当に頷くと、彼女は大変満足そうな顔をして、さらに早口で話を続ける。

 まだ終わらないのか……。誰か助けて。


「それでね! 当時の痕跡はほとんど残っていないけど、稀に遺跡や史料が見つかることがあるのよ。そこからロスト・マジックの復元なんかをしてるわけね。他にもそういう研究をしているところはあるけど、う・ち・は! とりわけ優秀なわけよ!」


 所属を高らかに誇りながら、自らの胸をドンと叩くカルラ先輩。

 形はともあれ、やっと私から手を離してくれたことにほっとする。

 肩のところをちらりと見やると、やっぱり痛々しい赤い手形の痕がくっきりと付いていた。

 これ、しばらく消えないやつだ……。


「どう? ユウも興味があったら、来年か再来年辺りギエフ研を志望してみない? わたしの方で推薦しておくから!」


 私は即答した。


「いや、遠慮しときます」

「えーー、なんでよーーー!?」


 また肩を力強く掴んできて、ぐわっと迫ってくる。

 わ、顔が近い。近いって。怖いよ。カルラ先輩。

 内心びびりながらも、無理やり顔に張り付けた苦笑いで、どうにか取り繕って答える。


「研究にはそんなに興味がないので」


 本当は、ちょっとくらい興味はある。いや、実はかなりあるかも。勉強は好きだし、研究とかもっと楽しそう。

 けど、今は自分を鍛えて強くなることの方がずっと大事だ。イネア先生との修行もあるし、魔法の訓練も自主的にしたい。残念だけど、研究室に入るような時間はないと思う。

 私の返答を聞いた先輩は、糸が切れたように肩を落とし、露骨にがっかりした表情を見せた。未練たらしさ満々の顔で、口を尖らせる。


「あーあ。もったいないなー。それだけ魔力があれば、ぜったい研究の役に立つのになあ。アーガスの奴も誘ったんだけど、下らないとか言って一蹴されちゃったし。あーもう、あいつの顔思い出したら腹立つわ! あいつ、前からいけ好かないのよね!」


 途中で話がすり変わって、アリスがいつだか言ってた天才学生の愚痴になっていた。

 すると、堂々と悪態をつき始めた先輩をさすがに見かねたのだろうか。他の先輩の一人がそっと近づいてきて、カルラ先輩に耳打ちした。


「カルラ、そろそろ落ち着いて。新入生のみんな、見てるわよ」

「え?」


 こちらを見つめて目が点になっているみんなのことを見回して、ようやくカルラ先輩は我に返ったみたいだった。

 きまりが悪そうに頭の後ろに手を当て、冗談っぽく笑った。


「あ! あはは! ちょっと騒ぎ過ぎちゃったわね~」


 やっと落ち着いてくれた先輩は、両手をパンと胸の前で揃えて、ごめんごめんと可愛らしく謝ってくれた。

 別に悪気はなかったと思うし、私もそこまでは気にしてないよ。

 ちょっと……かなり痛かったけど。


「大丈夫ですよ」


 こんな晴れの場で棘を立てることもない。

 何でもないようにそう返したら、先輩はちょっぴり感激したように目をうるうるさせた。


「いい子ねえ。素直でかわいい後輩はやっぱり好きだわ」

「あはは……」


 かわいいって。そっか。今女の子だったね。


「あなた、気に入ったわよ。これからお姉ちゃんがたっぷり可愛がってあ・げ・る。よろしくね。ユウちゃん」


 そして、右手の二本指が差し出された。

 この世界における親睦の表現、握指だ。


「は、はあ……。よろしくお願いします。カルラ先輩」


 わざわざ強調して言われた可愛がってあげるという言葉に、いったいどういうニュアンスだろうと思わないでもないけれど。とりあえず先輩としっかり握指を結ぶことにした。

 指が絡む感覚と一緒に、心も少しだけ絡み合えたような気がして、嬉しい気持ちになる。


「ま、研究室のことだけど、気が変わったらいつでも待ってるから。それと、その件とは関係なしに、頼りたいことがあったらいつでもわたしを頼ってくれていいからね。それじゃ!」


 最後にそう言い残して、カルラ先輩はびゅんと向こうへ飛んで行ってしまった。

 はあ、疲れた。まるで嵐のように激しい人だったな。

 溜息を吐いていたところ、入れ違いに、さっきカルラ先輩に注意していた先輩が私の前にやって来た。

 すらっと長身のモデル体型で、つり上がった目から、ちょっと気の強そうな印象を受ける人だ。


「ユウ、だっけ」

「はい。そうです」

「私はケティっていうの。ケティ・ハーネ。一応あのバカの親友よ」

「カルラ先輩の?」

「そう。ごめんね。あいつ、調子に乗るとよく暴走するというか。時々ああなっちゃうんだよね」

「そうなんですね……」


 今さっき被害を受けたばかりだから、暴れるあの人と呆れながら諫めるこの人のセットがありありと思い浮かぶ。


「ちゃんと注意しとくからさ。それで許してやってくんない?」


 確かにかなり疲れたけど、別に嫌な人だとは思わなかった。むしろ面倒見の良さそうな人に気に入ってもらえて嬉しかった。許すも何もないよ。


「わかりました。全然いいですよ」

「サンキュー。恩に着るわ。まああいつ、結局言っても聞かないんだけどね。はは……」


 若干引きつった笑顔で用件だけ言い終えると、彼女はもうカルラ先輩のところへ戻っていった。

 そして言った通りに説教を始めたらしい。

 それまであれだけ堂々と先輩風を吹かせていたカルラ先輩が、ばつが悪そうに苦しい笑顔を固めたまま、彼女の前で小さく縮こまっている。

 そんな様子が目に映った。何だかギャップが可笑しかった。



 ***



 カルラ先輩に詰め寄られたことで、みんな同情してくれたのかな。

 それから私への質問が殺到するということはなかった。

 おかげで落ち着いた調子で話すことができたので助かった。結果オーライだ。


 色んな人と話し、ようやく特別入学の話題も落ち着いて、無事料理にもありつくことができた。もう先に食べていたアリスは、今はあちこちぴょんぴょん動き回って、楽しそうに親交を広げている。

 お腹も膨れたところで、今度は私から話しかけにいってみようかと思った。

 いつまでもアリスにおんぶにだっこじゃ、成長していけないからね。

 誰と話そうかなと周りを見回すと、一人だけちっとも話の輪に加われていない子を見つけた。

 あの子は、ミリアか。

 端の方でじっと縮こまって、つまらなさそうにしている。しばらく様子を見ていたけれど、一切動こうともせずに黙って俯いていた。

 暗く近寄り難い雰囲気を纏った彼女にわざわざ話しかけようとする人は、誰もいないみたいだった。

 せっかくの歓迎会なのに、人見知りのせいで楽しめないのは損だよなあ。

 ああいうタイプは、きっかけがなければ中々会話に加わることができない。かつての私がまさしくそうだったように。

 自分の中に再び、強い同情心が湧き起こっていた。

 他の人とは後で話せばいいし、話しかけに行ってみようか。もしかしたらそれがきっかけで、あの子も楽しめるかもしれない。

 そう考えた私は、彼女に近付いて行き、未だ俯いている彼女の肩をとんとんと叩いた。


「ミリア、だよね?」

「え……」


 誰かに話しかけられるとは思ってなかったのだろうか。自己紹介のときのような小声ではあったけれど、彼女の声には明らかに驚きが含まれていた。


「今友達があっち行っててさ。よかったら話し相手になってくれないかな」

「あ……」

「ダメかな?」

「…………」


 顔を赤くして、少し背けてだんまりか。これはちょっと手強いな。


「私は、見ての通り異国人なんだ」


 この地では非常に珍しいらしい黒髪を、手ですいて見せる。「寂しそうにしてたから話しかけてあげた」と思わせては、彼女を気負わせてしまうかもしれない。できるだけ気兼ねなく話せるようにと、言葉を選んで続ける。


「ここに来たのはつい最近で、まだ全然馴染めなくて。一人だとどうしたらいいかわからなくて、ちょっと困ってたんだ。だから、話し相手になってくれるととっても嬉しいんだけど」


 そこまで言っても、まだ何も喋ってくれない。

 失敗だったかなと思ったとき、ようやく彼女は口を開いてくれた。


「私も、……困ってたから……」

「はい?」

「嫌だなんて……そんなこと……ないです……」


 よし。どうやら少し心を開いてくれたみたいだ。


「ありがとう。私の名前は覚えてる?」

「えっと……ホシミさん……ですか……?」

「うん。でも、ユウでいいよ。もう呼んでるけど、私もミリアって呼ぶつもりだから」

「ですが……」

「遠慮しなくていいよ。これから一緒に学ぶ仲間なんだし」


 左手の人差し指と中指を伸ばして、そっと差し出した。この世界で人と友情を結ぶためのきっかけと言えば、やっぱり握指がいいかなと思って。


「え……あ……」


 なんだろう。

 黙ってるのはさっきからだけど、彼女の様子が急におかしくなった。まるでりんごのように、顔が真っ赤に紅潮し出して。

 ほんと、どうしたんだろう。


「本気、ですか……?」

「何が?」


 質問の意味がわからない。


「その、手は」

「これ? もちろん仲良くしようってことだけど」

「変な意味じゃ、なくて……ですか」


 何を言ってるんだろう。そんなの当たり前じゃないか。


「もちろん」

「ぷっ」


 突然、ミリアが噴き出した。


「え、え?」


 何が何だかわからない。

 ぽかんと固まっていると、彼女が笑いを堪えながら教えてくれた。


「手、間違えてますよ。それじゃ、告白……ふふっ」


 そうなのか!? 

 知らなかった……。じゃあ下手したら、ところ構わず告白することになってたのか。

 危ない危ない。知らない慣習なんて下手に真似るものじゃないね。気を付けよう。


 すぐに手を引いておけばよかったと後悔したのは、直後だった。


「あーっ! ユウがミリアちゃんに告白してる!」


 いつからこっちを見ていたのか。アリスが私の方を指差して、わざとらしい大声を上げた。にやにや面白がって笑いながら。

 すると、なんということでしょう。

 みんなの熱い視線が、また私の方に一点集中してしまったじゃないか!

 マジで顔を赤くしてる人がいたり、アリスみたいに面白がっている人がいたり。

 心なしか、キャーキャーみたいな黄色い声も……。

 めちゃくちゃ焦った。

 まずい! 絶対変な勘違いされてるよ!


「これは間違えたんだ! 私は左利きだから! ほんとはこっち! こっちだって!」


 慌てて左手を引っ込めて右手を出したけど、もう遅い。

 場は完全に私を弄るムードになってしまっていた。

 好奇の視線に晒されながら、私は自身の無実を叫び返す。


「だからこっちだって! アリス、何度も言いふらすな!」

「ユウちゃんが男の子っぽくしてるのは、やっぱりそっちの方だったんですかー?」

「違う! そんなことない……よな?」


 つい真面目に考えてしまう。

 元が男だから、ちょっとだけ自信ない。けど私がこの身体のときに、女に対して恋愛対象としての好きって感情や性欲が湧いたことは一度もないし……。たぶん違うんだと思うけど。どうだろう。


「え、マジでそうなの!?」


 きょとんとして、こちらを見つめるアリス。からかったのいけなかったかなって、申し訳なくしゅんとなって――いい子かっ!

 もう。これ以上あらぬ方向に勘違いされたらたまらないよ!

 もちろん全力で否定した。


「いいや! ない! そんなことないよ! とにかく今のは違うから! ミリア、一緒に誤解を解いてくれ!」


 ところが、ミリアは私に協力してはくれなかった。それどころか、みんなと一緒になってこの状況を楽しんでいる。

 彼女は可愛らしくも意地の悪そうな、そんな黒い笑みを浮かべていた。


「ふふっ! 面白いです、二人とも」

「あ、あいつ……!」


 それが君の本性か!

 しかも、もう私たちに慣れてきてるっぽい。さては、初対面のときだけ極端に緊張するタイプだな。


 この一件のおかげで、私の目論見通り、ミリアは歓迎会を楽しむことに成功する。それに、他の新入生たちとも少しは仲良くなれたみたいだ。

 代わりに私がレズだって噂が、妙に誇張されて一部で立ったけどね……。

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