5「ユウ、己の能力を知る」
今度は驚いたのは私の方だった。
どうしてそれを!?
開いた口が塞がらない。
そんな私をしっかりと見据えながら、イネアさんは続けた。
「私としても奇妙な言い方だとは思うがな。どうだ、違うか?」
何も言い返すことができなかった。その通りだったからだ。
私の無言を肯定とみなした彼女は、合点がいったように頷いた。
「なるほど。随分と常軌を逸した存在のようだ」
「どうして、わかったんですか?」
「私は気力を探ることができる。それでお前を調べてみたのだ。一見お前からは何も感じられなかったが、奥底に核となるもう一つの存在を感じた。となれば、そう考えるしかあるまい」
ますます驚いた。そんなことができるのか!?
「お前のような奇妙な者は見たことがない。奇跡のような存在だ。するともしや、お前は……」
少し思案するような素振りを見せてから、彼女はこちらを探るように尋ねてきた。
「フェバル、という言葉に聞き覚えはないか?」
「それは……!」
まさかここでその言葉が出てくるとは思わなかった。この人は、いったいどこまで知っているのだろうか。
「やはりそうか! ではお前は、フェバル本人か。あるいはその関係者か」
「フェバルです」
「そうか……」
何かを思い起こすように、わずかに目を細めてから、彼女は言った。
「いや、私自身はフェバルではないのだが。私の気剣術の師、ジルフ・アーライズがそうだったのだ」
なるほど。それでフェバルのことを知っていたのか。
ジルフ・アーライズ。初めて聞く名前だ。フェバルはあいつやエーナの他にもまだまだいるのだろうか。
「師は言っていた。自分と同じ運命を持つ者がもし現れたら、そのときはそいつを助けてやってくれないか、と」
そこまで言うと、彼女は改めて私の目をじっと見つめてきた。
まるで私という人物を余さず見透かすような、鋭く真剣な目で。
何と言っても気迫がものすごくて、思わず息を呑んでしまう。
彼女はまた少しの間、何かを思案するように目を閉じた。
再び開いたとき、眼差しから刺すようなきつさは薄れていた。
「詳しい話が聞きたい。中へ入ろう。お前自身のことを洗いざらい話してくれないか」
「それは……」
「心配するな。決して悪いようにはしない。それに私からも色々と話そう」
そうまで言われては断れなかった。
何より、私もこの人から話を聞きたいと思ってしまったから。
わけもわからないフェバルというものの――自分を知る手がかりになるかもしれないのだから。
「わかりました。だけど、誰にも言わないで下さい」
「もちろんそのつもりだ。この話は二人だけの秘密にしよう」
こうして、気剣術校舎の中に案内され、これまでの経緯を説明することになった。
誤魔化すことはしなかった。相当事情に詳しそうだし、彼女の口ぶりと親身な態度から、本当に味方になってくれそうな、そんな気がしたから。
すべてを話し終えたところで、イネアさんは重々しく口を開いた。
「なるほど……。それにしても、大変な奴に目を付けられたものだ。ウィルなら私も対峙したことがある。恐ろしい奴だった」
「そうなんですか!?」
イネアさんには何度も驚かされる。
まさかあいつと会ったことがあるなんて。よく無事でいられたなと思う。
「ラシール大平原。あそこにはかつて、魔法大国が存在していたことは知っているか? 名をエデルという」
「アリスという友達から聞いたことがあります」
私が倒れていた死の平原の話を聞いたとき、ついでにその国の話もされたんだった。
「そうか。実はな。あの国は大規模な魔法実験の失敗で滅んだと一般には考えられているが、本当のところは違う」
イネアさんは、とんでもないことを告げてきた。
「奴が気まぐれで、一夜にして滅ぼしたのだ」
「なっ……!」
あんな馬鹿みたいな広範囲を、たった一夜で……!?
常識で考えれば、到底信じられないことだった。でも色々と規格外そうなあいつなら、何だってやりかねないと思ってしまう。
あいつ、底が知れないと感じていたけど、やっぱりとんでもない奴だったんだ……!
そんな奴に目を付けられ、おもちゃにされてしまっている――。
そのことの恐ろしさを、改めて認識する。これからあいつにどう弄ばれてしまうのか。あまりにも怖くて、もう考えたくもなかった。
「奴の【干渉】は凄まじい能力だ。結局奴はエデルを滅した後に、いずこかへと去ってしまったのだが……。もし奴がその気になっていれば、世界は丸ごと滅びるしかなかっただろうな」
「世界が丸ごとだなんて……」
スケールが大き過ぎて、現実感がない。想像が追いつかないよ。
しかし当事者であった彼女にとっては、紛れもない事実なのだろう。その語り口には迫真を伴う苦みがあった。
「それほどの圧倒的な力の持ち主だ。師と私で挑んだが、まったく敵わなかったよ。私は足手まといだったがな……」
そう言って遠い目をした彼女は、どこか悲しそうに見えた。
つい同情してしまった私の顔を見て、イネアさんはほんのりと口元を緩める。
もう終わったことだと、そんなに心配するなと言いたげに。
「まあそれは良い。ところでだな」
「はい。なんでしょう」
「信用しないわけではないのだが、一応見せてはくれないか。男の姿というやつを。お前の話が本当なら、普段はいつでも変身できるのだろう?」
突然の提案だった。しかも私にすれば大問題だ。
あまりのことに、あいつのことすらもいったん頭の片隅に追いやってしまうくらい動揺してしまう。
「えっ……今、ここで……ですか?」
「そうだ。何か問題でも?」
「いや、だって、その、服が」
今変身したら、相当キモいことになってしまう。
だって、この間トイレでつい考えてしまって、嫌気がさした恰好そのままじゃないか!
すっかり泡食っている私の反応を見て、むしろイネアさんは楽しんでいるように見えた。鬼畜か!
「なに。私以外誰も見てはいない。恥ずかしがることもないだろう」
「……着替えを持ってきてからじゃ、ダメですか?」
「それでは時間がかかるな。却下」
ダメだ! 逃がしてくれない!
逆らえないプレッシャーをひしひしと感じた私は、泣く泣く変身するしかなかった。
えいっ……。
念じて男の身体を選ぶと、全身がカッと熱くなり、蠢いた。
手足に力が漲り、胸の膨らみがするすると引っ込んで、スカスカだった股にアレが隆起する、不思議な感覚が走る。
現実時間にしては一瞬の出来事だが、体感としてはもっと長い。
妙だよね。草原で変身したときには、本当に体感の方も一瞬だったのに。普段はまた違う。
どうもどれほどすっ飛ばして変身したいのか、そのときの気持ちや緊急度合いで体感まで変わるようだ。日常かつ人に見られているというシチュエーションが、感じ方を長くさせてるのかも。
――ふう。終わった。
……自分で自分はよく見えないけど、今の俺は間違いなく、女装をした男の姿だ。服がぱつんぱつんに張っている感触がある。
くっ。これだけはしたくなかったのに!
腕組みをしたまま、俺のことをじろじろと見回すイネアさん。視線にとても耐え切れず、顔を背けてしまう。
間もなく、彼女は感嘆したような声を上げた。
「ほう。わかってはいたが、素晴らしい気力だ。これならば――いけるか」
そしてやっぱりというか、彼女は可笑しそうに大笑いした。
「それにしても――あーはっは! なんだそれは! 予想以上に面白い恰好だな!」
「ああ、くそっ! だから変身なんてしたくなかったんだ! もう戻りますよ! 俺は!」
ああもう。だから嫌だって言ったのに!
一気に心が乱れてしまったが、すぐに再変身して女に戻る。
今度も同じように、全身熱を伴って蠢く。
髪がざわつき、男の象徴が退行していき、腰がくびれを形作り、胸が膨らんでいく。ダイナミズムと生物的快感に満ちた変化を、早回しで味わった。
女から男になるときとでは、どうも感じ方が違う。女の子的な気持ち良さ、なのかな。よくわからないけど。ちょっとだけえっちというか、いけない感じだ。
変化が終わって、快楽の熱が冷めやれば、思考はすぐに現実へと引き戻される。変身の直前からシームレスに。
もう一度言うけど、現実ではほんの一瞬のことなんだ。周りからは、突然身体が変わること以外には何もわからない。
イネアさんはまだ、残し笑いをしている。
「くっく――だが……くく。服がぴったり張っていたのを除けば、中々どうして似合っていたじゃないか」
「あーそうですか」
どうせ女顔だし、男らしくないですよーだ。
思い切り痴態を笑い飛ばしてくれたイネアさんではあったが、でもただからかって終わるわけではなかった。考えがあるらしい。
「しかし、変身のたびに一々着替えなければならんというのは不便だな。よし、今度便利な服を用意してやろう」
「便利な服なんてのがあるんですか?」
機嫌を悪くしかけていたのも忘れて、がっつり食いつく私。
組んでいた右手の人差し指を少し持ち上げて、イネアさんは得意気に言った。
「ああ。ちょうど良いことに、男のときは魔力がまったくないし、女のときは魔力に満ち溢れている。そいつを利用しよう」
「ふーん?」
どう利用するんだろう。
頭の中がハテナマークいっぱいになっている私に、彼女は一つウインクして続ける。
「普段は男の服だが、お前の魔力に反応したときは瞬時に女の服に変化する。そんな服を作れば問題ないだろう」
「おお、そんなものを作れるんですか!?」
やっと理解できた。そんな便利なものがあれば、もう一々人目を気にしながらこっそり着替える必要はなくなる。心の底からありがたい。
「私を誰だと思っている。任せておけ」
イネアさんは自信満々に胸を張った。
やった。本当に助かったぞ。
ついはしゃいでしまった私を、温かい感じで眺めてくれていた彼女だったが、こちらに注意を向けるように咳払いをする。
「さて、ユウ。先ほど変身を見せてもらったのは、何も別にただの興味だけからではない。ふふ。まあそれもあるがな」
ほんの少しだけ、たぶん思い出し笑いをした彼女は、しかしすぐに表情を引き締めた。
「あれでお前の身体に関する十分な情報が得られた。私にわかることを教えてやろう」
「へ。本当ですか?」
「どうやらお前は、自分自身についてまだ何も知らないようだからな。知りたいだろう?」
私は強く頷いた。【神の器】とかいう謎の能力が目覚めて以来、自分で自分のことがさっぱりわからなくて、ずっともやもやしていた。知ることができることなら、何だって知りたい。
頷いた私を見て、イネアさんは「座るか」と言って、その場で畳の上に正座した。それに習って、彼女の前に正座する。
私が姿勢を正すのを見届けてから、イネアさんは説明を始めた。
「まずは前提からだ。この世界の常識では、魔力とは、魔素を己の身に受け入れて利用する能力のことだと言われているな?」
こくりと頷いた。そのようにアリスから聞いたことがある。
「だがそれは、あくまで狭義の意味に過ぎない。フェバルである師から、私はより広義の意味での魔力というものを教わっている」
「広義の意味、ですか」
「うむ。よく聞け。聞いた意味では、魔力とは、外界の要素を自己の内に取り入れて利用する力のことを言う。反対に気力とは、自己の内の要素を外界に取り出して利用する力のことを言うのだ」
「随分と抽象的になりましたね」
「そうだな。慣習上、魔力だとか気力だとか呼んではいるが、実際はもっと抽象的な力のことを指すというわけだ」
「なるほどです」
初耳だった。自分の中で勝手に思い描いていた魔力と気力のイメージを、かなり修正しなくてはならないみたいだ。
「今言ったように、この二つの力のベクトルは真逆だ。ゆえに、互いに反発し合う。したがって通常は、その者の有する魔力が強いほど気力が、気力が強いほど魔力が抑えられ、弱くなってしまう。ここまではいいか?」
ちょっと難しいけど、まあ大丈夫だ。しっかり頷くと、彼女は続けた。
「さて見たところ、お前の女の身体からは気力が一切感じ取れない」
「そう、みたいですね。自分じゃよくわからないですが」
「通常、生けるものは必ず大なり小なり生命力を持つ。ゆえにどんなに弱くても気力を持つはずなのだがな」
「その感じだと、まるで私が生きてないみたいなことになってますよね……」
「だからおかしいのだ。現にお前は普通に生きているわけだしな。なぜそんなことがあり得るのか、先ほどの変身でよく観察してみたのだが……」
イネアさんは口の端を曲げて、改めて考えを巡らせるように小さく唸る。
固唾を呑んで次の言葉を待っていると、やがてまた彼女は口を開いた。
「どうもその女の身体は、奥底で核となっている男の部分から、常に生命力などを供給されることによって活動しているようなのだ」
「そうなんですか!?」
「ああ。だからなのか、お前の女の身体には、普通の生物ならば必ず持っているはずの、生命力を操る機能そのものがない」
「じゃあ、私のこの身体って、操り人形みたいなものなんですか?」
「そういうことになるな」
へえ。何だか不思議な感じだ。
私は今、こうして普通に息をして、ちゃんと動いているのに。
そうした生命活動全てが、男の私に依存しなければ成り立たないだなんて。
「生命力とは、自己の内部要素の中で最も根源的で、基本的なものだ。それを操る機能がなければ、自己のどんな内部要素であれ利用することはできない。よって外界に表出することもあり得ないから、気力が一切なくなってしまう」
ふうん。それが私に気力がない理由なのか。
……と言っても、自分じゃやっぱりあるとかないとかよくわからないんだけど。
「そして逆にだ。気力がないゆえに、魔素といった外部要素であれば、どんなものでも一切弾くことなく受け入れることができる。女の身体が持つ魔力が異常に高いのはそのためだ」
普通の人より魔力が高い理由まで、一気に説明が付いてしまった。次々と明らかになる事実に、私はすっかり興味津々だった。
「一方で、お前が男のとき、女の身体はお前の中に引っ込んでいる。だからその間は、自己の内部要素をそちらへ供給する必要はなくなる」
「そうなると、持て余しちゃいますね」
「うむ。するとだな、男の身体が持つ高い供給能力は、そのまま外界へ放出する能力へと転じるわけだ。したがって、男の身体は非常に高い気力を持つようになる」
「あ、なるほど。ということは」
男の場合は、女のときとまったく逆の現象が起こるわけだ。それでなのか!
イネアさんは、私の思い至った通りに続けた。
「もうわかるな? 気力があまりに高いために、外界の魔素などをことごとく弾いて寄せ付けない。男の身体の魔力がゼロ、つまり魔力計で検出できないほど弱いことは、これで説明がつく」
すっきり謎が解けたような気がした。今まで偶然だと思っていた男女での魔力値の乖離には、そんな背景があったんだ!
そこで、彼女の顔つきがより真剣なものになった。私も息を呑んで耳をしっかり傾ける。
「大事なのはここからだ。気力と魔力は反発し合うと言ったな。それゆえに、一人の人間が強い気力と魔力を同時に兼ね備えることはできない。人間の限界というものだ」
「人間の、限界……」
「ああ。ところがだ。お前は、特徴のまるで異なる二つの身体を持つことによって、この限界をまがいなりにも突破してしまった」
「えーと。そういうことに、なりますかね」
あんまり実感ないけど、言われてみると確かにそうかもしれない。変身すれば良いわけだし。
私のなるほどねーくらいの感覚に対して、イネア先生の言葉には真に迫る熱量があった。
「そうだ。これは凄いことだぞ、ユウ。お前の能力は、お前自身が考えているような、ただ変身できるというだけのつまらないものでは決してない」
私の能力が、つまらないものじゃない!?
衝撃だった。
イネアさんの言う通り、これまでずっとこの能力のことを見下げていた。事実、役に立ったことなんてほとんどないし、これからも全然あるとは思えなかった。
だって、ただ女の子になれるだけの能力だよ? 普通はそう思うのが当然だよ。平原でのサバイバルのときには一応役に立ったけど、あれは例外中の例外だ。
むしろこんなおかしな能力があることが世間にばれたら、どんな厄介なことに巻き込まれてしまうのか。その心配ばかりしていた。
それがまさか、そんな風に言われるとは思わなかったから。
「確かに、お前の能力は強くはない。一つの身体だけ見れば、精々が人間のレベルに過ぎないのは事実。私の師であるジルフや、ましてウィルといった化け物には力では勝てないだろう」
それは肌でわかっている。あいつに勝てる気なんてこれっぽっちもしない。ジルフさんって人も、聞く限り凄い人みたいだし。この見るからに凄そうなイネアさんの師匠だもんな。
「だがお前は、ある意味で正反対の性質を備える二つの身体を持っている。これはお前だけの武器だ」
「私だけの、武器……」
「そうだとも。お前には、二つの身体を使い分け、互いに補完し合うことで、人の限界を遥かに超えて多くの事物に触れ、身につけることができる素質がある」
「私に、そんな素質が……!?」
「ああ。その成長性は捨てたものではない。まさに人間を超えられる器なんだ。お前はな」
彼女の話す事柄に、ただただ圧倒されていた。
人間を超える存在になり得る!? この私が!?
驚くのはそればかりじゃなかった。イネアさんは、さらにもう一つ付け加えてきた。
「それに、これは勘だが……私も気付いていないような秘密が、まだその身体にはあるような気がする。お前が彼らに対抗できる可能性が万一あるとすれば、そこだろうな」
戦慄した。
今はか弱いだけのこの身体に、そんな恐ろしい可能性が秘められているのか!?
あいつにいいようにされずに対抗できる可能性が、ほんの少しでもあるんだ。あんな化け物に、対抗できるようになる可能性が――。
それは希望であると同時に、何だかぞっとするような、末恐ろしいことのように思えた。
ふと、思い当たる。
『僕は、人の形をした化け物だ。そして、お前もいずれはそうなる』
あいつが、確かにそう言っていたことを。
【神の器】。あいつがなぜ私の能力をそのように呼んだのか。
きっと、見抜いていたんだ。
本当に何の役にも立たない能力なら、あいつはまず間違いなくそんな風に名前を付けては呼ばない。もっともっと、ゴミのような扱いをするはずだ。あいつとはほんの少ししか話していないけど、それくらいのことはわかる。
確かにオーソドックスではない。一見するとふざけた能力だ。
だけどこの能力も、あいつの【干渉】のように、この世の条理を覆すような能力だったということなのだろうか?
ああ。ダメだ。頭が混乱する。とにかく、初めて判明したことが多すぎるよ。頭の整理にはまだ時間がかかりそうだ。
そのとき、うっかりしていたというような顔をイネアさんがしたので、私は考えるのをやめて彼女のことを見つめ直した。
「ああそうだ。言い忘れていた」
「なんですか?」
「フェバルのことなのだがな……実は、私もよく知らないのだ」
「そうなんですか!?」
意外だ。これだけ事情通なら、フェバルのこともある程度は知っているのかと思ったんだけど。
「残念ながらな。師は口をつぐんで、大事なことは何も教えてはくれなかった」
それまでずっと冷静な口ぶりで話していた彼女は、ここで初めて強い感情を見せた。
本人は何でもない振りをしているのだろうけど、隠し切れない悔しさを滲ませて、小さく溜め息を吐いたのを見過ごさなかった。
その溜め息には、彼女の無念が込められているような気がした。
きっとイネアさん自身も、フェバルについてもっと知りたいと思っているのだろう。だからわざわざ、ほとんど何も知らない私なんかを招いて。自分の持つ情報を洗いざらい提供してでも、何かを知ろうとしたに違いない。
話しぶりからして、イネアさんは師のジルフさんを心底慕っているみたいだし。どうやらその彼は、今はもう側にいないみたいだし……。
やっぱり、もう一度会いたいのかな。
イネアさんは、しばらく黙り込んでいたのだけど……やがて静かに口を開いた。
「ただ、それでも。私にとって師が、何より大切な人であることに変わりはない」
まるでしみじみと偲ぶように、目を瞑る。
私の想像は、たぶんきっと正しいんだろうなと思った。
目を開けたイネアさんは、今度は私の方を見つめて、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「だから私は、フェバルを助けよという師の言葉に従うとしよう」
あれ。もしかして、私に何かしてくれるつもりなのか?
「えっと?」
「――ふっ。そうだな。私にできる手助けと言えば、このくらいだ」
イネアさんは、すっと立ち上がる。
そして、何とも不思議な、びっくりするようなことをやってのけた。
彼女の右手がぱっと光ったと思うと、そこから――真っ白な剣が飛び出したんだ!
滅茶苦茶驚いて、視線が釘付けになる。
力強い輝きを放つそれは、あの裏門に描かれていた絵とまさに同じものだった。
物質によるものではない――オーラの、気力の剣……!?
その特殊な剣を目の前にぴたりと突きつけて、彼女は言った。
忘れもしない。彼女が――イネア先生が、私の大切な師匠になった瞬間だった。
「ユウ。ここで気剣術を学んでいけ。お前なら、きっとものにできる。必ず役に立つはずだ」
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