300「夢想の世界を見つめて 3」

 魔法都市フェルノートを後にした俺たちは、次に生産都市ナサドへ向かった。

 ここにも心残りな依頼人がいた。俺たちが真に解決することのできなかった依頼だ。

 やはり向き合わないわけにはいかない。つらいことほどしっかり向き合わなければ、世界などとても背負うことはできないのだから。

 しかし着いた瞬間、変わり果てた街の姿に言葉を失ってしまう。

 英雄レオンが防衛に立つ首都とは異なり、地方の一都市であるナサドを守るのは、在野の兵士や冒険者たちのみである。守りも万全とは言い難い。

 さらに、本来機能するはずの世界防衛システムが、ミッターフレーション以後沈黙してしまっていることも要因だろうか。


 街の西側――面積として約三割ほどが、魔神種か何かの攻撃によって完全に消滅していた。


 痛々しい戦いの傷跡をまざまざと見せつけられ、立ち尽くす俺にユイが話しかけてくる。


「やっぱりどこも首都みたいには、いかないんだね……」

「そうだな……。一番マシなのはフェルノートとレジンバークだって、予想はできていたけど……」

「つらいけど、ちゃんと受け止めないと。こうしている間にも、トレヴァークで同じような悲劇が起きているかもしれない……」

「うん……」


 これから会う人は、街の東側に住んでいたはずだ。無事だといいけれど。

 無事だったとして、これから消してしまうのに。そんなことを考えて自己嫌悪してしまう自分がいた。


 ナサドの人々は、フェルノートに比べると疲れと悲しみが蔓延しているようだった。いつ襲ってくるかわからないナイトメアや魔獣への恐れがはっきりと見える。

 それでも生産都市の名に恥じぬよう、人々は日常の仕事に邁進していた。兵士や冒険者たちも己の責務を果たすべく、要所の守りに就いたり、忙しそうに通りを往来しているのもいる。


 さて、目当ての店は……よかった。小さな雑貨屋には、明かりがついている。

 営業中の看板が提げられた扉を開けると、この店を一人で切り盛りしている若い娘、ニザリーがカウンターに立っている。

 彼女は笑顔で迎えようとして、すぐに俺たちに気付いた。


「いらっしゃ……あ、ユウさんにユイさん! お久しぶりです。わざわざ来て下さったんですか?」

「うん。ちょっと様子を見に来ました」「元気にしてました?」

「外を見ての通り、あの日から大変なことになってますけどね。私のところは、何とかおかげ様で」


 こんなときに可愛い雑貨ってあんまり売れないんですけどね、と苦笑いでぼやく若店主。でもきちんと生活は成り立っているようだ。


「どうです? 一つくらいお求めになってみては。このモコちゃんキーホルダーなんか、可愛くておすすめですよ」

「あっ……。慌てて来たもので、今手持ちがまったくないんです」「すみません」

「そ、そうですか……。なら仕方ありませんね」


 それから、彼女の近況について伺った。

 大きな襲撃は何度かあったものの、住民が協力して辛うじて跳ね返しているらしい。彼女自身は、特に悲惨な目に遭うこともなく過ごせているようだ。


「ただ一つ、気がかりがあって。いいですか?」

「どうぞ」「私たちにできることなら」

「はい。ビゴールに住む私の両親……いや、マペリーちゃんの家に、あの日以来遊びに行けてないんですよね。それどころじゃなくなってしまったので」


 ……予想はできていたことだ。俺たちはその気がかりのために、彼女の元を訪ねたと言っても過言ではないのだから。


 ニザリーは……現実世界ではとっくに死人となっている。しかもそのことをはっきりと自覚している、俺たちの知る限りほぼ唯一のラナソールの人間だ。

 そして、自覚してしまったのは、他でもない、俺たちのせいなんだ……。

 以前の依頼で、彼女の「家族に会いたい」という願いに俺たちはどうにか応えようとした。

 現実世界で死別しているという残酷な事実のために、大きな代償なくして再会は果たせなかった。いや、果たして本当に再会できたと言えるだろうか。

 顛末として、彼女は己の正体を知ることとなり、両親は死んだ娘がニザリーであることに最後まで気付くことはなかった。

 唯一、幼いマペリーだけがお姉ちゃんであることに気付き、今も慕っている。そのことだけが救いだった。


「ユウさん。ユイさん。またお願いなんですけど。私をあの家族のところに連れていってもらうことって、できますか?」

「大丈夫ですよ。行くだけなら、私の転移魔法ですぐにでも」

「ありがとうございます!」


 よほど会いたいに違いない。ニザリーはぱっと明るい笑顔で礼を述べた。

 だけど……。


「ただ……実は、あちらの家族の無事はまだ確かめられてなくて」

「あっそうですよね……。最悪の可能性だって、あるんですよね……。そもそも、私だって死んじゃってますし……」


 自分の正体を思い出し、落ち込むニザリー。

 そんな顔をさせてしまう原因を作ってしまった俺たちの胸が痛む。

 俺たちまで落ち込んでいることに気付いたニザリーは、取り繕うような笑顔を見せて言った。


「ああ、そんな顔しないで下さい。別にそこまで恨んでなんかいないですよ。それは複雑な気持ちもありますけど……むしろお二人には、感謝してるんです。あれだけ親身になって探してくれたじゃないですか」

「ごめんなさい。本当はもっと、幸せな形で会わせてあげられれば、よかったんですけど……」「ごめんね。つらい思いをいっぱいさせて……」


 やっぱり堪え切れなくなってしまった。絶対にいけないことなのに、よりによって本人の前で涙を流してしまう。


「わ。どうしたんです……? こんなこと本人が言うことじゃないですけど、今さらじゃないですか……」


 当惑する彼女を前にして、沈黙を貫くしかない。


 言えない。言えないんだ……。


 君はもう死んでいる。そんな残酷な事実を突きつけるような、つらい仕打ちをしておいて。

 これから俺たちは、本当に君にトドメを刺すのだ。夢の世界ごと、君を消し去ってしまうのだ。

 せめて最後の一日くらいは、家族の下で過ごさせてやりたいと。そんな罪滅ぼしにもならないようなことをして、少しでも腑に落とそうとしているんだよ……。

 許されるものか。あまりにも、むごい……!


「……何か、また隠していることがあるんですね?」


 ここまで態度に出てしまっては、悟られてしまうのも当然だった。自分たちのわかりやすさを、これほど恨みたくなることはなかった。

 ニザリーは、じと目で俺たちを睨み付ける。


「お二人が私に真実を話すことを躊躇っていたときのような……そんな顔、してますよ?」

「「…………っ」」

「言って下さい。私はどんなことだって受け止めました。まさかこの期に及んで話せないなんて、そんなことはないですよね?」

「ごめんなさい。ダメなんだ。これだけは。これだけは、言えない……」


 ニザリーは信じられないような顔をして、睨みを深める。


「……じゃあ、何ですか? 私の死よりも、残酷だと……? 家族も死んだって、別に決まったわけじゃないですよね? それ以上の何かって、それって……」


 何も言えない。

 だがここまで来ると、沈黙が既に雄弁な答えになってしまっていた。


 ニザリーは絶望に染まった表情で、言った。


「私、もう一度死ぬんですか……? 今度こそ、本当に……死んじゃうんですか……?」

「ちが――」

「嘘を吐くなっ!」


 思わず身をすくめるほどの怒鳴り声が、店内を揺らした。俺もユイも、凍り付いてその場に固まってしまう。


「顔見たらわかるって、言ったじゃないですか! あなたたちは、どこまで……どこまで……っ! 私の運命を弄べば気が済むんですか!? 死神ですか!?」


 激しい怒りに任せて、俺に掴みかかるニザリー。目の端には、涙がいっぱいに溜まっている。


「そんなどうしようもないことを、わざわざ悟らせるために来たと!」


 泣きながら、何度も何度も、女のか弱い腕で執拗に胸を叩いてくる。俺はただ黙って受け止めることしかできなかった。


 ……こうなる可能性はあった。だけど会わないわけにはいかなかった。逃げるわけにもいかなかった。


 これが罰か――。


「言ってませんでしたけど! 私がどれだけ、あなたたちに頼みたかったと思ってるんです!? なのに何か月も放ったらかしで! あなたたちにはずっと連絡も付かなくて! 世界はもうめちゃくちゃで! 今までどこ行ってたんですか!? 今さら来て、手遅れですって……ふざけてるんですかっ!」

「ニザリーちゃん……。それはね……!」

「黙れ! だまれだまれだまれ! 言い訳なんか聞きたくない……っ!」


 歯を剥き出しにして、真っ赤に泣き腫らした瞳で、彼女は俺に食い下がる。


「みんな頼りにする英雄なんでしょう!? 何でもやるんでしょう!? だったら……っ……だったら、何とかしてよっ! 私もみんなも、救ってみせてよ……!」


 それだけ言うと、もう殴る気力もなくなって。俺の胸に縋り付いて、嗚咽を上げるばかりになった。

 肩を支えて胸を貸すと、ぎゅっと服の袖を掴み、顔を押し当てて、ただすすり泣いている。


 ただ許せないだけの相手にする態度ではなかった。

 でも俺たちへの憤りも本当で、薄々仕方ない事情も察していて。どうしても誰かに当たらずにはいられなくて。


 ――本当はもう、わかっているんだ。こんなにいい子なんだ。


 なのに、俺は。俺たちは……。


 俺もユイも、一緒になって静かに泣いていた。

 彼女の泣くことを邪魔しないように、声を押し殺して。だけど、聞こえてしまっているだろう。


 どれほど泣いていたのか。

 涙が枯れるまで泣いたニザリーは、俺の胸に顔を預けたまま、か細い声で言った。


「……家族に、会わせて下さい。そのために、来てくれたんですよね……? せめて、最後のひとときは……」

「……わかりました」「……いきましょう」




 彼女に理解が及ぶだけの、話せるだけの事情を話しながら、三人で情報都市ビゴールへ向かった。もう隠し事をする意味もないから……。


 幸いにもビゴールは、ナサドに比べると損害は軽微のようだった。マペリー一家も無事だった。


「娘のような」ニザリーとまた無事で会えたことを両親はいたく喜び、マペリーも久々のお姉ちゃんを無邪気に喜んでいる。

 ニザリーは無理に笑おうとしていた。でも続かなくて、すぐに切ない表情を帯びている。

 敏いマペリーは、心配になって尋ねた。膝にまとわりつきながら。


「お姉ちゃん。どうしたの? また泣いてるの?」

「うん。ちょっとね。ごめんね。泣き虫なお姉ちゃんで……」

「いいよー。ほんとにつらいときはね。遊ぶのもいいけど、いっぱい泣くといいって、聞いたもん」


 そしてこちらをきょとんと見て、また首を傾げる。


「あれ、ユウお兄ちゃんも、ユイお姉ちゃんも、泣いてるー? みんなつらいの?」

「…………。お姉ちゃんね。ちょっと二人に別れの挨拶したいんだ。だから、ちょっと待ってもらってもいいかな」

「うんー。わかったー。マペリー、いい子にして待ってるね」

「よしよし。いい子ね」


 マペリーに聞かれない程度の距離を取ったニザリーは、俺たちに改めて向き直った。


「あの……さっきはすみませんでした」

「謝らないで下さい。俺たちには、謝ってもらう資格なんか……」

「そうですね。あなたたちは、本当にひどい人です。ひどく残酷で、なのに優しい……」


 複雑な気持ちを隠せない、また泣き出してしまいそうな表情で、ニザリーは続ける。


「……私はもう、とっくに死んでいたはずの身です。それがこうして、また家族に会えること自体が奇跡でした。だけど、奇跡はいつまでも続かない。真実を知ったときから、そんな予感はしていました……」


 彼女は深く息を吐き出し、強い意志を瞳に固めて、俺たちに言った。


「だから……もう、行って下さい」

「「…………」」

「あなたたちのことは、絶対に許しません。許しませんから、もう行って下さい。二度と顔を見せないで下さい。やらなくちゃいけないことが、あるんでしょう?」


 あえてなのだろう。

 あえて許さないとはっきり口にすることで、どうしようもない感情に少しでも整理を付けてくれたのだろう。

 それは、中途半端に許すと誤魔化して言われるよりは、いくらか救われた気分だった。


「「ありがとう。さようなら。ニザリー……」」

「さようなら。ユウさん。ユイさん。向こうの世界で生きた家族を……みんなを助けてやって下さい。どうか、お願いします」


 そして彼女は俺たちに背を向け、もう振り返ることはなかった。

 夢の家族と、最後のひとときを大切に過ごすのだ。一分一秒も無駄にしたくはないだろう。

 だけど、自分が消えてなくなることがわかっていて。

 いったいどんな気持ちで、何をして過ごすのだろう。


 だが俺とユイには、とても推し量ることなどできない。見届けることもできない。


 この業の重さを受け止めて、先へ進むしかないのだ……。

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