295「神ならざる人だから」

 ヴィッターヴァイツにぶん殴られ、俺は地面を転がっていた。

 相当手加減されて殴られたことはわかった。こいつが本気なら、既に俺の首は繋がっていない。

 ヴィッターヴァイツは、憤りを露わに吼えた。


「ユウ! 貴様、こんなときに何をしている。いつからそんな腑抜けた面をするようになったのだッ!」


 理解した。この男は、不甲斐ない俺に喝を入れたのだと。

 ずきずきと痛む頬を押さえる。折れた腕なんかよりもずっと、芯に響く傷みだった。


 ――事情もすべて知らないくせに、言ってくれるじゃないか。


「ふざけるな。オレは、今の貴様のような弱い男に負けた覚えはないぞ!」

「だって……っ……! しょうがないじゃないか! トレインを殺してラナソールを消さなきゃ、あの世界のみんなを消さなきゃ、トレヴァークも宇宙も、すべてが終わってしまうんだ! そんなこと言われて、どう考えたってそれしか道がなくて……俺だってもうどうしたらいいかわかんないんだよっ!」


 仇敵だったからこそ。恥も外聞もなく、立場もなく。生のままの感情を、そのままぶつけられた。

 ヴィッターヴァイツは、正面から俺の感情を受け止めて、甘い言葉はかけなかった。バッサリと切って捨てる。


「馬鹿野郎。そんなこと、奴らに生命反応がない時点で、初めから可能性として予想できていたことだろうが……!」

「そんなことだとッ! 俺が、俺たちが! どれだけ……っ! みんなを助けるために動いてきたと思ってるんだ!」

「オレから言わせれば、そんなものはただの現実逃避だ。貴様は薄々気付いていながら、ただどうしようもない真実を認めたくなかっただけだ。違うか?」


 違わない……。

 本当はわかってた。そうかもしれないって、ずっと思ってた。

 よりによってこの男に図星を突かれたことが、悔しくて。情けなくて。


 絶対に言ってはいけないことまで、衝動的に言ってしまう。


「お前がそれを言うのか! 運命に屈服して、逃げ続けてきたお前が!」


 最低だった。言った瞬間に後悔した。

 けれどもヴィッターヴァイツは、怒鳴り返すことなく、静かに認めた。


「ああ、そうだ。オレはずっと逃げ続けてきた。全部諦めて逃げ続けて、自分を誤魔化して、そして……この様だ」


 苦々しい表情で拳を握りしめ、尻餅をついたままの俺に歩み寄りながら、問いかけてくる。


「貴様も同じように逃げるのか? 貴様も所詮は同類だったのか?」


 まだ答えられない俺に、ヴィッターヴァイツはさらに追い打ちをかける。


「この世の不条理になど負けないと。人のままフェバルに勝ってやると。運命などクソ食らえだと。そんなものに負けてなるものかと。そう息巻いていたのは誰だ?」


 俺に指を突きつけ、彼は己が発した問いに答える。


「貴様だ! 貴様の決意と覚悟とやらは、そんな程度のものだったのか!?」

「う、ぐっ……!」


 死ぬほど悔しかった。死ぬほど情けなかった。

 命をかけるほどの啖呵を切って、ハルや人々の想いも乗せて徹底的に向き合った相手に。絶望からどこまでも人の価値を否定しようとしたこの男に、逆に人の覚悟を諭されているようじゃ、世話はない。

 俺の気持ちが揺らいだと見たか、ヴィッターヴァイツは少し声を和らげ、説教を続ける。


「……人生の先輩として、一つ教えてやろう。この宇宙には、救いようのないことなどいくらでもある。いくらでもあるのだ……。フェバルに降りかかる過酷な運命は、それほど強力で理不尽なものなのだ……」


 万感を込めて、無念を隠さずに呟くヴィッターヴァイツ。

 何も否定できない。俺はあのとき、この男の心を見てしまったから。

 そして、心底同情してしまったのだから。できれば救ってやりたいとさえ思ってしまうほどに。


「じゃあ。これが運命だと……諦めろと……」

「そういうこともあるという話だ。いい加減、現実を見ろ。己に課せられた運命を真っ直ぐ見つめろ。神ならぬ人の身には、どうしたって限界はあるのだ。何もかも何とかなるなどと、思い上がるな」

「……そう、か。そうだよな……俺、やっぱりどこかで、思い上がっていたんだ」


 改めて思い知らされて、打ちひしがれる俺を、だがヴィッターヴァイツは改めて否定する。


「だがな」

「…………?」

「今回ばかりは、すべてを救えないかもしれん。それでも貴様は、どうしても割り切れなくて、みっともなく戦い続けているのだろう?」

「ああ……そうだよ……」

「ラナソールの連中を裏切ったも同然。さぞかし罪悪感でいっぱいというところか」

「まるでお前の方が、心を読んでいるみたいだな……」

「ふん。わかりやすいのだ。貴様は」


 彼は俺の瞳をじっと見つめ、少し言葉を考えてから言った。


「なあ、ユウよ。何をそんなに苦しんでいる」

「何をって」


 当たり前だろう。これが苦しくないわけがない。

 だがヴィッターヴァイツは、下らんと断ずる。


「割り切れない。常には正しくあることができない。そんなことで押し潰されそうになっている貴様は、何だ。神にでもなったつもりか?」

「…………いや」

「違うのだろう? 人なのだろう? だったら――割り切れない。それで一向に構わないではないか」

「…………!」

「それにな。割り切れないことと、へし折れることは違うぞ。貴様は一度の敗北で心が折れてしまうほど、弱い人間なのか!?」

「違う……」

「違うだろう!? そうではないはずだ!」


 また、燃え滾る情熱の激が飛ぶ。

 何がそこまで言わせるのか。そこまで彼を変えてしまったのか。

 俺の想いは、自分が思っていたよりもずっと深く、この男に「届いていた」のだろうか。


「思い出せ。貴様がいつだって最も大切にしてきた想いを! 貴様は! 貴様はッ! その優しさと慈悲の心で、手に届くだけの人間を救ってきたのではないかッ! その想いと行動に嘘偽りなどありはしないッ! そうだろうッ!」


 幾度もの激突が。因縁のぶつかり合いが。彼を俺の最も深い理解者の一人にしていた。


 ヴィッターヴァイツは側まで歩み寄り、ぶっきらぼうに俺へ手を差し伸べた。


「立て。オレの手を取れ。立つのだ! ホシミ ユウッ!」


 ほとんど泣きそうな声で、彼はそう言った。


 あのヴィッターヴァイツが……。


 俺もつられて泣きそうになっていた。


 これまで絶望から流してきたものとはまったく違う、熱い熱い涙が滲む。


「ユウよ! 立て! 戦え! こんなところで負けるな。オレのように逃げてくれるな。今日運命に勝てずとも、最後までしっかりと向き合え。その優しさで、できるだけのことをやってみろ! 今は届かぬことでも、必ず明日へと繋がっていくはずだッ! それが人というものだろうッ! なあ、違うのかッ!?」

「……ああ。その通りだ。何も、違わない……!」


 当たり前のことを忘れていた。


 なまじ強くなってしまったばかりに、何でもできなきゃいけないと思い上がっていた。できないことに絶望してしまった。


 すべてを救えなかったことなんて、今までだってずっとそうだったじゃないか。


 ただ今回は、あまりにも規模が大きいから。だから何もかもが見えなくなってしまって。


 でも、やっぱり同じことなんだ。


 この手に届くものは限られている。けれども手を伸ばさなければ、何も助けることはできない。


 確かに昔とはもう違う。すべて同じように考えることはもう……できない。


 人は成長して、変わっていく。俺もきっと変わってしまった。


 無力を嘆いていれば良い時代は終わった。


 いよいよ自分が世界を背負うときが来ている。多くの人よりも力ある者として、責任を取らなきゃいけないときが来ている。


 終わらせるしかないものを、終わらせるしかなくて。


 どんなに悔しくて。泣きたくて。諦めるしかないときでも。罪のない人たちの、ランドたちの想いを裏切ってまでも。


 それでも俺は。何のために戦うのか。


 神ならざる人は。どんなに最善を探しても、全員にとっての最高には決して至れない俺たちは。


 人だから。選ばなくちゃいけないんだ。


 どうしても選べないって、泣きながらでも、割り切れなくても。それでも。


 誰かが。俺がやらなければ、救われない者たちが、もっともっと、たくさんいるから。


 今日は届かないことでも、明日には届くようにと願って。未来へと向かって。


 せめて、できるだけの優しさと慈悲をもって。


 それが俺にできること。やらなくちゃいけないことなんだ。


「貴様の想いの力は、こんなものではないはずだ。貴様が信じる人としてのフェバルの可能性は、こんなものではないはずだ! 貴様は――貴様なら、いつかは運命をも超えられるはずだ! なあ、オレに見せてくれ! 貴様の次の一歩を! オレを変えた貴様を、オレが信じた貴様を、最後まで信じさせてくれ……!」


 祈るような声で、思いの丈を振り絞って、男ヴィッターヴァイツは叫んだ。

 彼の目には、隠し切れない涙が浮かんでいた。


 男が二人。みっともなく泣いて。


 でも――そうだな。わかったよ。心はまだぐちゃぐちゃだけど……やってみるさ。


 手を取ると、温かい力が流れ込んでくる。

 腕の痛みが綺麗になくなった。黙って折れた腕を治してくれたのだと気付く。


 はっとする俺に、ヴィッターヴァイツは照れ隠しで手を振り払った。そして告げてくる。


「……ナイトメアどもならば、オレが相手をしてやる。最後の時間くらいは作ってやる。だから、貴様が大切にしてきたものを、これから終わらせるものを――しっかりその目で見てこい。貴様の姉と一緒にな」

「お前……まさか」


 J.C.さんが言っていた。義弟にはアルトサイドでやりたいことがある。まさかそれって……。


 ヴィッターヴァイツは、わざとらしくとぼけた。


「おい。何を呆けている。案ずるな。オレの強さならば、よく知っているだろう? 貴様一人の分くらい、どうとでもなるわ」

「ヴィッターヴァイツ……」

「さあ、さっさと行け。気まぐれなオレの気が変わらんうちにな」


 まさかこの人を相手に、こんなことを言う日が来るとは思わなかったけれど。


「――ありがとう。ヴィッターヴァイツ」


 男はもう何も言わず、ただ背中で答えた。

 今このときばかりは、誰よりも大きくて、頼もしく見えた。


 俺は一時戦線離脱し、駆け出す。アニエスの時空魔法を頼りに向かう。


 ユイが待っている――最後の日のラナソールへ。



――――――――――――――――――――――――――――



 ユウが去った後、ヴィッターヴァイツはやれやれと肩をすくめた。


「まったく世話かけさせやがって」


 ナイトメアは空気を読まない。

 ナックガルガが消し飛ばされてもまたすぐに大群が現れる。

 そいつらを前にして、ヴィッターヴァイツは獰猛に笑った。


「言った手前、存分に暴れさせてもらうぞ」


 そこへ、ブレイが復帰してくる。

 全身あちこち擦りむけ、額には血が滲んでいたが、まだ戦うには支障のないレベルではある。


 ブレイには、途中からユウとこの男の会話が聞こえていた。


「お前が人のために戦おうとは。どういった風の吹き回しだ」

「ただの気まぐれだ。それより、せっかくのトレードマークが台無しのようだが」


 ブレイの眼鏡(本体)は、レンズが粉々に砕け散り、へしゃげたフレームだけがわびしく貼り付いていた。

 しかしブレイは事も無げに言う。


「こいつは伊達だ。古臭いファッションだよ。フェバルの目が悪いわけなかろう」

「くっくっく。それもそうか」


 互いに見合わせる。

 思うところはあったが、ブレイは今すべきことを優先することにした。


「お前には色々と罪状があるが……今だけは見なかったことにしてやる。手を貸せ」

「そいつはどうも。貴様こそ、足手まといにはなるなよ」

「善処しよう」


 心強い味方を得たブレイは、ユウと組んでいたときに倍増して敵を殲滅していく。

 正真正銘、戦闘タイプのフェバルは、一人で戦況を変えるだけの力を持っていた。

 

 ヴィッターヴァイツの士気も極めて高い。ユウを失望させないためにも、力の続く限り、彼は戦い続ける。


 やがて、回復に来たJ.C.は、ブレイとともに奮闘する義弟を見て、嬉しそうに頬を緩めるのだった。

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