283「聖書はどこだ」

 ついにすべての真実を知った俺は、頭を抱えた。ショックで動くことができなかった。


「なんてことだ……。ラナソールは、トレインが執念で無理に造り出した幻の世界だったなんて……」


 言葉の上では、夢想の世界と呼んでいた。奇妙な世界だとはずっと思っていた。でもあくまでトレヴァークとの対比のつもりだったんだ。

 ラナソールの日常で、数多くの依頼で。触れ合った彼らは、本物の心を持っていた。本物の人間だと思っていた。あくまでもう一つの現実を生きているのだと信じていた。

 なのに本当は……トレヴァークに生きた人間の魂を強引に切り取って、造り上げた空っぽの器にはめ込んだだけのものだったなんて。


 ランドも。シルヴィアも。レオンも。みんな、そうやって歪に生み出されたものだったのか……。

 だからみんな、気力も魔力もなかったのか……。

 そして、ラナはもう死んでしまっていたから。だから、ほとんど空っぽのままだったのか。


 正常な魂の分割。それこそが夢想病の根本原因であるのなら。

 死んでしまったラナを生かし続ける。滅びてしまった世界を存続させ続ける。

 そんな悲しい、絶望から生じた願いが、ラナソールという世界の正体で。その歪んだ願いが宇宙に穴を開け、ナイトメアをも生み出しているのなら。

 結局、ラナソールそのものが『事態』の原因だと言うなら。


 俺は、どうすればいいんだ。何をするのが正しいんだ。

 俺に、これ以上何ができるんだ。

 どうすれば世界を。みんなを助けることができる。

 わからない。わからないよ……。


 真実を共有したアニエスもまた、いたたまれない様子で俯いていた。心底落ち込んでいるのが伝わってくる。


「知らなかった。だからみんな……そっか。だから……」


 ――もうどうしようもないんじゃないか。最初から、とっくの昔にすべては終わってしまっていて、今さら手遅れだったんじゃないか。


 脳裏にはどうしても悪い考えが浮かんできてしまう。

 そんなこと。認められるか。諦められるものか。


 ――でも、そうやって諦め悪く、手遅れなことを無理にどうにかしようとして、余計に悪化して。それでこんな悲惨な現状になっているんじゃないか。


 いやいやと首を振る。悪い考えが止まらないのを、必死に振り払おうとする。


 ……っ……。だとしても。俺は!


 何かないのか。何かあるはずだろう!?

 今までだって何とかしてきたじゃないか! すべてとはいかなくても、それなりのことは何とかなってきたじゃないか!

 今回だって、きっと――そう信じていたのに。

 なのに、このままじゃ……。


 ――そうだ。


 受付のお姉さんは――アカネさんは言ってたじゃないか。聖書を探してみてって。

 もう一人の「俺」も言ってた。本当のラナに会えって。

 聖書には彼女の生きた記憶が記されている。

 トレインの【創造】は、無から有を創れない。けれど、核となるものがあるなら――。

 本物に限りなく近い彼女に会えるかもしれない。彼女が持つ【想像】の力なら、何か突破口にはなりはしないか。


「聖書……聖書だ。聖書はどこにあるんだ?」

「クレコさんがアカネさんに託したもの、ですよね。でも、今のアカネさんが探せって言ってるってことは……」

「あの後、あの人が必死に探しても見つからなかったってことか。どうして」


 あ。あああ……! そうか……!


 あの伝説のお姉さんだって。いくら探しても見つからないはずだ。


「聖書はラナの【想像】が生み出したもの。つまり……」

「オリジナルの彼女が亡くなった時点で、聖書も一緒に消えてなくなってしまった……ってこと?」


 俺は悔しさのあまり、自分の太ももを殴りつけた。


「最初っからなかったんだ! くそっ! こんなことって!」


 ここまで来てそれかよ! 俺たちが貴重な時間を削ってやってきたことは、結局無駄足だったのかよ……っ!


 膝を折り、打ちひしがれる俺に、しかしアニエスは励ますように肩を叩いていった。


「待って。ユウくん。まだ結論は早いと思うんです。あの人はきっと無意味なことは言いませんから。……あたしたちがやってきたことを、よく思い返してみて下さい」

「大昔の記憶を探って、ラナたちの記憶をすべて集めた。それがどうしたんだ」

「歴代聖書記にも立ち会ってきましたよね。それって、どうでしょう。まさにラナさんの生きた記憶ってやつを、もう持っていることになりません?」

「つまりどういうこと?」

「つまり……えーと。あたしたちの心の中には、既に聖書の元になるものがあるってことじゃないんですか?」

「……そうか!」


 すっかり視野の狭くなっていた俺も、そこまで言ってもらえればわかった。

 感極まり、思わずアニエスの両肩をがっしり掴んでいた。彼女が顔を赤くしてどぎまぎしていることに、そのときは気付かなかった。


「ラナソールは夢想の世界。俺たちの心に想い描くものを現象させる鏡のようなもの。だから!」

「今この瞬間、あの世界のどこかに聖書が存在しているはずってことです! あるはずだと確信した、この瞬間に!」


 手を取り合い、喜び合う。またギリギリのところで、道は繋がっていた。


 ――そうだ。そうだよ。こうやって道を辿っていけば、きっといつかは。きっと……。


「そうと決まれば、すぐにでも探しに行こう。また世界は広いけど」

「たぶん人里より離れたところにはないから、候補は絞れますね」


 そのときだった。電話が鳴る。

 ものすごいタイミングでかかってきたな。


「はい。もしもし」

『もしもし。ユウさん! 今大丈夫ですか?』

「リクか。いいよ。どうした」

『それが……ユウさんに会いたいってお客さんが来てるんです!』

「こんなときに? 一体誰なんだ?」

『アカツキ アカネと。その名を伝えればわかるはずだって』

『……! わかった! すぐ行く!』


 まるで計ったみたいに。いや、あの人のことだからほんとにそうかもしれない。

 よく考えてみれば当然だったんだ。

 ラナソールにあの人がいるように、こちらの世界にはオリジナルのあの人がいる。今まで姿を現さなかっただけで。


 アニエスの転移魔法を使い、即座に『アセッド』トリグラーブ支部へ帰還する。

 温かく出迎えてくれた、リクやハルの隣には――。


 当時と、そしてラナソールとまったく変わらない姿をしたあの人がいた。


 燃えるような赤髪と、真っ赤な瞳を持つ――受付のお姉さん。


「そろそろじゃないかと、睨んでいたわよ。うん。ぴったりだったわね」

「お姉さん。どうして今頃になって」

「ごめんなさいねー。まあこっちも色々あってね。こっそり人助けしたりとか、やばい魔獣やナイトメア潰したりとか、ラナクリムのメンテしたりとか。まあ、縁の下の力持ちってやつ?」


 それをダイラー星系列にも気付かれないようにやっていたのか……!? やっぱりとんでもない人だな……。


「お姉さん的にはオール裏方が理想なんだけど、さすがにそうも言ってられないみたいだから」


 アカネさんは、ふっと穏やかに――嬉しそうに笑って言った。


「ありがとう。あなたたちが『見つけてくれた』おかげで、やっと……。やっと――八千年ぶりに約束が果たせたわ」


 これ見よがしにウインクして、懐からあるものを取り出す。


 それは――俺たちが探し求めていた、聖書だった。

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