282「ラナの記憶 17」

 すべてが手遅れになってしまった後。一人の男が目を覚ました。

 トレインだ。

 彼は自身の傷が治り、千切れた腕が元に戻っていることに気付いた。

 死んでしまったのか。違う世界へ行ってしまったのか。

 では、トレヴァークは……。ラナは……!

 辺りを見回すと、すぐそこには、「爆心地」と化した魔法都市フェルノートの跡地――巨大なクレーターが広がっていた。

 どういうわけか、同じ世界で復活したことを彼は悟る。

 実のところ、ラナが引き起こした星脈の流れの異常が、彼をトレヴァークに押し留めていたのだ。

 そんな事情はわからなくとも、とにかくトレインは必死に彼女の反応を探した。


「ラナ! ラナっ!」


 そして彼には、わかってしまった。


「あ、あああああ……!」


 ラナがどこにもいないのだ。彼の人としての心を延命させ続けた温かな癒しの力が、もう何も感じられないのだ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 トレインは狂ったように絶叫し、何度も大地に頭を叩きつけた。石より硬い頭は地を砕き、幾度も地響きを起こす。

 壊れかけていた彼の心を繋ぎ止めていたものは、なくなってしまった。彼は子供のように泣き喚くばかりであった。


「どうしてだよ……! どうして……っ! 僕を置いて先に死んでしまうんだ! 僕を殺してくれるって……そう……っ……約束、したじゃないかあ……っ!」


 結局は独りになってしまうのか。誰も僕を終わらせてくれないのか。僕に救いなどなかったのか――!


 ああ。消えてゆく。彼女の残り香が。

 彼女とともに創り上げた世界が、理想郷が、灰色の無へ帰ってしまう。

 彼女が本当にどこにもいなくなってしまう――。


「いや。まだだ……」


 まだ終わってなどいない。終わらせてたまるものか。


「きみがいない世界なんて、そんなものが、あっていいはずがない……」


 トレインは焦点の定まらない目で、口をだらしなく開けて笑った。絶望でおかしくなってしまった男の哀しい姿だった。


 ――だってそうだろう。ラナはまだ生きている。きみの【想像】の力は、まだこの世界にちゃんと残っているじゃないか。

 そうだ。僕がまた創ればいい。きみの力が残っているんだ。できるさ。できないわけがない。


「僕がきみを創るよ。きみたちを。きみと創り上げた世界は……きみが愛した世界は――きみは、僕が守る……!」


 彼は昏い決意を込めて、自らの【創造】の力を全開で振るい始めた。わずかに残留していたラナの【想像】の力と結びつけて、限界を超えて高めていく。


 僕は壊れてもいい。どうなってしまっても構わない。


 だからラナ。きみだけは。どうか。


「また、夢の続きを始めるんだ……。世界を――再構築する!」


 新しい世界は、すべてきみに捧げよう。


 ――きみの名と魂に捧げよう。



 ……かくして、ラナの名と魂に捧げられた世界、ラナソールは生まれた。



 けれど悲しいかな。

 彼は彼女ではないのだから。

 いかに「異常」であっても、彼に【想像】はできない。

 彼はどこまでいっても、【運命】に呪われたフェバルでしかないのだから。

 二人でも創ることのできなかった完全な世界。片割れだけでは、世界は余計に歪で不完全なものにしかならないのだから。

 ラナの残り香を基に造り上げた世界は。彼が妄執だけで造り上げた世界は。


 つまるところ、真の現実足り得ず。はかない夢幻の類でしかなく。


 彼の【創造】した器には、自然に心が入ることはなかった。そこに生きる者たちは、現実に生きる者の魂の一部を引き剥がされ、もう一つの身体に押し込まれることによって、強引に造り出されたものだ。

 彼の虚しい願いによって無理に引き剥がされた無数の魂は、新たな呪いを生む。夢想病の原因となり、新たな悪夢の怪物を生み出す。


 そして、本物の彼女に残留していたわずかな想念から、ほとんど空っぽのラナが生まれた。

 執念をもってしても、彼の限界はそこまでだった。

 彼女は一切の記憶を持たない。自分がなぜ生まれたのかも、なぜここにいるのかもわからない。

 ただ一途に世界を愛する感情と、人々を見守る使命だけを持って生まれてきた。

 不思議な力に守られて。何一つ不自由なく、浮遊城に住まうことを約束されて。


 彼女には何もわからない。

 ただ、どうしようもなく悲しいのだ。

 何かとても大切なものを失ってしまったような気がして、誰か大切な人を犠牲にしてしまったような気がして。

 なのに、その誰かを知る者も、彼女が何者であるかを知る者も、彼ら自身が何者であるかを知る者も、どこにもいないから。

 みんな、まどろみの中で生きている。理想によって捻じ曲げられた、あるべき姿を知らない、可哀想な魂たち。

 きっと誰も悪くないのに……どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 当時を暮らす数千万の人たちが――それから生まれ出づる億千万の人たちが。

 造られた理想の世界で、果てしない冒険を続ける。いつ終わるかも知れない夢物語を謳い続ける。

 とっくに終わってしまったはずの世界で。

 真実は、最初から何も始まっていないことなど知ることもなく。


 限界を超えて力を垂れ流し続け、魂を削り切り、狂い果て。

 完全な「異常」者となったフェバルは、それでも星脈に回帰することはなかった。

 もはや物も言えず。何のために世界を創ったのかも忘れ。大切なラナのことさえもわからない。

 彼女と世界を守り続ける妄執のみが、ただ彼を休むことなく動かし続ける。


 生ける屍と化したトレインは、今もアルトサイドの中枢で、ラナソールという舞台装置を回し続けている――。

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